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800字SSまとめ

 

  【ぬいぐるみ】



 あら? これは──トレイ・クローバー君のぬいぐるみ、かしら。
 どうして、オンボロ寮の談話室に放置されているのかはわからないけれど。とりあえず、両手で包み込めてしまうほど小さなサイズのそれを、ひょいと抱き上げてみた。寮服姿の彼を模したぬいぐるみ。あの白い帽子や左頬のクローバーメイクまでお揃いだ、とてもよく出来ている。
「わあ、可愛い……『薔薇を塗ろうドゥードゥル・スート』!」
 ぬいぐるみの小さな手を操って、えーいっ、と彼のユニーク魔法を詠唱してみた。ふふ。お姉さんがぬいぐるみを使って魔法使いさんのごっこ遊びだなんて、本人に見られたら大変ね──と、自分の幼い行動に苦笑いをした、その時。
 ガタンッ、と廊下の方から何かぶつけたような音がして。振り向けば、真っ赤な顔をした"ご本人"とバチリ目が合った。
「とっ、トレイ君! 居たの!?」
 カァッと心臓から全身へ一気に熱の回る感覚がする。
「す、すみません。……あんまりにも可愛いことしてるから、驚いて心臓止まるかと思いました」
 み、見られてたんだ、恥ずかしい! こちらへ歩み寄ってくる彼と、今の私は顔を合わせたくなくて、手元のぬいぐるみで咄嗟に顔を隠した。
「お、お願い、見なかったことにして」
「うーん、それは難しい頼みだなあ。恋人のあんな可愛い姿、一生忘れたくないよ。ああ、もう一度ユニーク魔法を使ってくれたら、記憶を上書き出来るかもしれないぞ?」
「意地悪さんね、もう……」
 恥ずかしくて堪らないのに、可愛いとか、言われてしまうと嬉しくて。心臓を甘く高鳴らせてしまう自分が、なんだか悔しい。
 トレイ君のぬいぐるみは、本物の大きな手にパッと奪われて。何も隠す物を失った私の顔に、彼の整った顔が近付く。反射的にギュッと目を閉じてしまった。
「ほんと、可愛いひとだな」

 ──後から知った事だけど、オンボロ寮にあのぬいぐるみを置いたのは、トレイ君ご本人だったらしい。





2020.12.10公開
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