800字SSまとめ

 

  【白詰草】



 寮母さんが、オンボロ寮の裏庭で花を育てている、という話は知っていた。
 今日も今日とて、ウッカリお菓子を作り過ぎてしまったので。美食研究会──もとい、オンボロ寮の後輩たちや寮母さんにお裾分けしようと、学園の離れまで足を運んだが、色褪せた扉を叩いても誰も出て来ないし返事も無い。珍しいな、まさかゴーストたちまで不在なのか?
 ふと、前述の話を思い出した俺は、もしやと思い、裏庭まで向かった。春風に白いエプロンの揺れる様が見えた途端、つい足取りも声も弾んで「寮母さん!」と大きく呼び掛けてしまう。こちらを振り向いた彼女は、いつも通りマシュマロみたいな笑顔で、ブリキのジョウロを片手に出迎えてくれた。
「あら、クローバー君、こんにちは。また遊びに来てくれたのね」
「こんにちは。裏庭、随分と豪華になりましたね」
 初めて庭を見せてもらった時よりも、花壇には数々の花や野菜の苗がたくさん植えられて、緑豊かな景色が広がっている。先ほど彼女に水やりをしてもらったばかりなのだろう、湿った土の上で草花たちが揺れて嬉しそうに見えた。
「ミニトマトやキュウリも増やしたから、夏にはもぎたてをご馳走出来ると思うよ」
「へえ、それは楽しみだなあ」
 穏やかに会話していたら、不意に彼女が「あっ」と声を上げる。俺を見て、何か思い出したらしい。機嫌の良いニコニコ顔で「ね、ちょっと見てほしいの」そんな甘やかな声を添えて、おいでと手招きをされた。
 植えたばかりの夏野菜たちから離れて、真っ赤なチューリップが揺れる側まで来ると、彼女はストンとしゃがみ込む。俺も彼女に合わせて、隣で膝を曲げた。咲き始めた春の花を見せたかったのだろうか? そう思いきや、彼女が指差す先にあったのは、花壇の隅に咲く──大勢の三つ葉に囲まれた、小さな白い花たち。
「シロツメクサ、ですか?」
 それは俺のファミリーネームを連想させる花だった。偶然、この花壇に入り込んで育ってしまったのだろう。雑草として駆除されても仕方ないのに、彼女は摘みもせずにそのまま育てているらしい。
「ふふ、可愛いでしょう、クローバー君みたいで」
「……最後の言葉は余計だと思うんだが、」
 まったく、彼女は可笑しなひとだ。もう大人にさえ見間違えられる男子高校生を捕まえて、可愛い可愛いなんて幼子みたいに愛でるのだから。
 でも、この花と三つ葉を見た時に、彼女が俺を想い浮かべてくれて、水と愛情を注いでいたのかと思ったら、悪い気はしない。つい顔がニヤついてしまう。
「こういう花は、寮母さんの方が似合うと思いますよ」
 指先でツンツンと白い花を突きながら放った、何気ない言葉。返事が来ないので、どうしたのかと彼女の方を向けば、ほんのり顔を赤らめた少女と目が合う。どきん、なんて心臓が跳ねた。
「えっと、……ありがとう」
 可愛いけれど照れる理由が分からず、その赤い顔を暫く見つめていたら、彼女はふいっと顔を背けてしまう。代わりに、足元の白詰草を見下ろして、微笑んだ。
「いつか、お揃いになれたら嬉しいね」
 ──なーんちゃって、ふふ。
 冗談っぽく笑う彼女、その柔い頬がチューリップより赤く染まった原因を、いま理解した。
 なるほど。俺のファミリーネームと白詰草を重ねて"似合う"という言葉に、照れてしまったのか。ああ、もう、なんて可愛いひとだろう。好きだ、と思わず零してしまいそうな気持ちを堪える。
 俺は言葉の代わりに、手近な白詰草の花をそっとを摘んで、彼女の左耳へと飾った。
「……やっぱり、よく似合うな」





2021.04.14公開
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