このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

800字SSまとめ

 

  【幸せな薔薇の話】



 それは、とあるなんでもない休日の朝のことだった。
「リドルさんっ、リドルさーん!」
 真っ赤なエプロン姿の似合う可愛い妻が、随分とはしゃいだ様子でリビングへ駆け込んでくる。おやおや、何事だろうかと、ボクは自然に口元を緩ませてしまいながら、読みかけの小説をいったん閉じた。
「どうしたんだい、嬉しそうな顔をして。まるで夢から醒めたばかりの少女アリスみたいだね」
「とにかく、お庭へ来てください!」
 早く早くっ、と腕を引く彼女に導かれるまま、ボクは訳もわからず、ほぼ無理やり庭へ引き摺り出されてしまう。まったく、その少し強引な無邪気さは、出会った頃から何にも変わらないなあ。呆れ半分、愉快半分に笑いが零れた。
 庭へ出てすぐ、ボクの喉から思わず「わあっ」と感激の声が上がる。彼女が朝から喜んでいた理由を、一瞬で理解したからだ。この家に引っ越して早々植えた薔薇たちが、一斉に立派な花を咲かせていたのである。
「ね、ビックリしたでしょう!?」
「ああ、驚いたよ! 皆、美しいね」
 いつの間にか、すっかり薔薇の世話係が板に付いた妻は、とても満足そうで「ふふん」と鼻高々に笑った。
 これから二人で末長く暮らしていく家を考える時、彼女は強く、庭で薔薇を育てたいと希望した。色も白だけでなくカラフルに、赤、桃、黄色と植えて、日頃から大切に愛情込めて水やりや手入れをしていたから。そんな花々が美しい姿をようやく見せてくれたのだ。嬉しさのあまり、子供のようにはしゃいでも仕方がないだろう。
 彼女と過ごす日々は、過言ではなく毎日、喜びや嬉しさに満ち溢れている。なんでもない筈だった今日も後々きっと、特別な思い出に変わるのだ。
 ああ、なんだか、いま、とても──。
「──幸せだなあ」
 ほう、と溜息を零すように、そんな言葉が唇から滑り落ちる。まさか声にしていた自覚も無かったから、自分でも驚き慌てて口元を押さえた。
 咲き始めたばかりの薔薇たちを眺めていた妻も、ばっと素早くこちらを振り向いて、驚いた様子で目を丸くしている。でも、すぐにその表情を柔く崩して、ぱあっと桃薔薇が咲くような明るい笑みを浮かべた。
「私も、です。毎日"なんでもない日"を祝ってパーティーしたいぐらいに、幸せですよ」
 えへへ、と照れ臭そうに声を弾ませる彼女。ボクもつられるように、ふっ、と声を上げて笑う。
「あははっ、なんだか懐かしいね。せっかくだし、今日は天気も良いから、庭でお茶を──あ、いや、"なんでもない日"のパーティー、しようか?」
「わ、素敵! 大賛成ですっ」
「お祝いのケーキも買いに行こう。薔薇を冠する王として、こうも素晴らしい景色をくれた世話係に、ご褒美を贈らなくてはならないからね」
「ふふっ、もう、リドルさんったら。冗談がお上手になりましたね。では、ケーキのリクエストをしてもよろしいですか、女王様?」
「勿論だとも。何でも、好きなものをお言いよ」
「じゃあ、クローバー印のケーキ屋さんの、イチゴタルトが良いです!」
 きらきらと、眩しいほどに瞳を輝かせる我が妻は、どんな花よりも愛らしく見えるのだった。





2021.03.24公開
(Twitterでフォロワーさんから台詞ネタ提供頂いた作品です。ありがとうございました)
54/61ページ