800字SSまとめ
【ホットミルク】
どうしても眠れない夜、オレの恋人は決まって、蜂蜜入りのホットミルクを作ってくれる。
ひとくち飲めば、身体の奥からじんわりと、上手く寝付けずに冷えた不安を温めてくれて。甘いものはあんまり得意じゃないけど、優しくて控えめな甘味と程良いぬくもりが、彼女みたいで好きだなあ、とか。ほんの少し、眠たくなってきた頭で思った。
ふたりであれこれ悩み選んで購入した、ふかふかのロングソファに深く腰を下ろして並ぶ。彼女も真っ白な湯気の揺れるミルクを啜りながら、こてん、と軽く甘えるようにオレの肩に頭を寄せた。
「何か、心配事でもあるの?」
ホットミルクを飲みながら、ゆっくりとオレの心の内に耳を傾けてくれるのも、彼女お決まりの優しさだ。
少し心が安らいだおかげだろうか、どうにも悩みや不安をひとりぼっちで抱えがちなオレも、そうやって穏やかに問い掛けてもらえると、話がし易くて有難い。
「……聞いても、笑わないでくれる?」
「勿論だよ」
寄り掛かる彼女の頭に、オレもそっと頬を寄せて。ぽつりぽつりと、あのね、ほんの少しなんだけどね、怖い夢でも見た子供みたいにおずおずと言葉を零した。
「オレ、マリッジブルーなのかも」
意を決した言葉に、返ってきたのは笑い声じゃないけど「へ?」と間の抜けた声だった。
マリッジブルーとは所謂、結婚を目前にして急に不安が高まって気分が落ち込んでしまう現象であり、まあ、一般的には花嫁さん──女性の方が陥り易いと言われているけど、男性である花婿さんも、不安にならない訳じゃないのだ。
「この間、改めて君の家族にご挨拶させてもらったでしょ。その時に『うちの娘を幸せにしてやってください』なんて、言ってもらえて──すごく、嬉しかったよ。でも、でもね、」
彼女は黙ったまま、オレのマグカップを支える手に細い指先を滑らせて、緩やかに撫でてくれている。
「なんか、不安になっちゃった。ちゃんと、君のことを幸せにしてあげられるのかなあ、なんて」
華やかな式はまだ先の話だけれど、来週にはもう然るべき場所へ婚姻届を提出して、夢だった結婚をようやく叶える予定だ。
まだ青い学生の頃に一目惚れをして、お付き合いを始めた当初から結婚を前提に、今日までじっくりと愛を深めてきた。彼女とふたりで居ることを当たり前にしたい、夫婦になりたい気持ちはずっと変わってない。でも、何でだろう、今更になって「本当にオレで良かったのかな」と彼女に後悔はないのか怖くなったり、不意に「幸せってなんだろうか」等と哲学的な事まで悩んでしまったり、して……。
こんなみっともなく悩むオレの、モヤモヤと霧が掛かったような気持ちを聞いて、彼女はとうとう堪えきれなかったように「ふふっ」と声を弾ませて笑った。
「もう、可愛いね、ケイト君は」
「笑わないで、って言ったのに」
「んふふ、ごめんね?」
彼女はミルクの飲み終えたマグカップをテーブルへ預けると、空いた手で良い子良い子とオレの頭を撫でてくれる。その心地良さにくらりと眠気が誘われた。
「絶対幸せにしなきゃ、とか。変な使命感、考えなくても良いんだよ」
「でも……オレ、一緒になるなら、君にはずっと幸せで居てほしい、な……」
「じゃあ、心配しなくても大丈夫だね。私、もう既に一生の幸せ者だから」
何故だか誇らしげにフフンと笑う彼女は可愛らしくて、一瞬キョトンと目を丸くしてしまったけど、オレもつられるように笑ってしまう。
「私はこの先もずっと、健やかなる時も、病める時も、ケイト君と一緒に居たい。嬉しい事も、悲しい事も、ぜんぶ半分こして生きていけたら、幸せなの。ファミリーネームをお揃いにするだけで、後は今までと何にも変わらないよ」
だから、大丈夫──。そう言って宥めてくれる彼女に嬉しくなって、じわりと目頭の熱くなる感じがした。
ああ、もう、君という人は、本当に、蜂蜜入りのホットミルクみたいに優しくて、オレのどんな不安も溶かしてくれる天才だなあ。
「もおーっ、オレの恋人ちゃん、肝が据わってて格好良過ぎない? ほんと大好き、結婚して」
「あははっ、けーくんったら、何言ってるの。これから結婚するんでしょう?」
「へへっ、そうでした。──これからもふたりで、幸せになろうね」
「うん、約束だよ」
そんな愛しい彼女の言葉に応えるべく、オレは蜂蜜味のする甘い唇にそっと誓いのキスを落とすのでした。
2021.01.29公開