800字SSまとめ
【褒める】
「ッはあ〜……疲れた……」
苦手な飛行術の授業をようやく終えて、俺はヘトヘトの身体を引き摺るように、廊下を歩いていた。
とある一件が原因で、体育担当のバルガスから(良い意味で)目を付けられた結果、特別稽古という名のスパルタ指導を受ける羽目になってしまったのだ。おかげで、マジフトのプロ選手ばりに地獄みたいな特訓をさせられて、もう最悪だった。くそ、バルガスめ。
何事もほどほどに。普通が楽で一番良いと改めて実感しながら、早いとこ汗だくの運動着を着替えてしまおう──と、教室へ足を急がせる。……が。
「おーいっ、クローバー君!」
背後から俺に呼び掛ける、甘やかな女性のいつもより張り上げた声で驚いて、足が止まる。すぐさま振り返れば、俺が密かに想いを寄せる女性──寮母さんが、やたらニコニコの笑顔でこちらへ駆け寄ってきた。
随分ご機嫌な理由はよくわからないが、声を掛けてくれた事は喜ばしくて、胸の奥がどきどきと弾んだ。
「何だか嬉しそうですね、良いことでもありました?」
「良いことも何も! クローバー君は、すごい魔法使いさんなんだなあって、ビックリで感激しちゃったから。つい、追い掛けて来ちゃったの」
何をそんな手放しに褒められているのやら、俺は訳が分からず「へ?」と間の抜けた声を落とす。
「アジーム君を助け出した時のきみは、ほんとうに騎士様みたいで、とっても格好良かったよ!」
やけに興奮気味で語られる言葉を聞いて、理解した。まさか、あの一部始終を見られていたのか、と。
バルガスに見込まれるキッカケとなってしまった、暴走する魔法の絨毯からカリムを助け出した、間一髪の救出劇。まあ別に、箒を持った俺が偶然居合わせただけの、不運な話に過ぎないんだが。
「バルガス先生も心から褒めてましたよ。苦手なんて言ってた飛行術の授業も、たくさん頑張ってえらいね」
彼女はいつものように俺の頭を撫でようと手を伸ばすから、俺は慌てて後退りして避けてしまった。
「わッ、ちょ、ちょっと、寮母さん! いまは、その、汗で髪も濡れてますし、匂いとか気になる、から!」
そりゃあ、いつも通りヨシヨシ頭を撫でてほしい気持ちはある、けども。特別な好意を寄せる相手だからこそ、運動後で汗まみれの自分に近付かれたくないし、万が一にも臭いなんて思われたら、恐らくショックで寝込む。普通の男子高校生としては、恥ずかしい。
まさか、俺に避けられるとは微塵も想像しなかったのか。彼女は驚きで丸く目を見開いた後、あからさまにしょぼくれてしまった。
「そ、そんなに落ち込まなくても……」
「だって、クローバー君のこと、めいっぱい褒めてあげたかったのに、ひどい」
拗ねた様子で頬を膨らませて、ツンツン尖った言い方をする彼女。時折、そんな子供のような言動をするこのひとは可愛くて、俺の口元はだらしなくニヤける。
「せめて、シャワーを浴びて着替えさせてくれ。その後なら、いくらでも……」
「まあ、良いの? じゃあ、今日は一緒にお昼しましょうか! 大活躍だったクローバー君に、お姉さんがご褒美のデラックスメロンパンでも奢ってあげる」
「えっ!? いや、嬉しいですけど、そこまでは、」
「じゃあ、また後でね!」
すぐ嬉しそうな笑顔になる彼女は俺の返事も聞かぬままヒラヒラと手を振って、ふんわりとエプロンを揺らしながら慌ただしく来た道を戻って行った。
何と言うか、春の嵐に襲われた気分だが、まあ、彼女と一緒にお昼を食べられる約束は嬉しいし、良いか。あのひとがこんなに褒めてくれるなら、たまには苦手な飛行術を頑張るのも悪くない──なんて一瞬、浮かれた事を考えた、が。……やっぱり、もう二度とあんなスパルタ指導を受けたくは、ないな。うん。
2021.01.23公開