800字SSまとめ
【苺の口付け】
苺を貰ったから一緒に食べようか、という嬉しい提案をくれたのは、リドル先輩の方からだった。
トレイ先輩がサイエンス部の活動の一環で育てたと言う、摘み立ての真っ赤な苺。そのまま食べても十分甘くて美味しいぞ、との生産者のお言葉通り、生クリームや練乳などの味付けはせずに、赤いままの苺をパクッと丸々頬張った。
じゅわりと口いっぱいに広がる果実の甘さ、程良く熟しているようで酸味は少ない、舌の上で幸せが蕩けていくような感覚は堪らず、唇や頬が自然にふやける。
「んーっ、美味しい!」
「ああ、本当に甘くて美味しいね」
リドル先輩も、さすがはトレイだよ、と幼馴染みを褒め称えてご満悦だ。しかし、不意に何かを思い出したのか、彼はあっと声を上げる。
「ところで監督生は、苺の甘い噂を知っているかな?」
「えっと、ごめんなさい、知らないです。けど、ふふ、先輩がそんな話を持ちかけてくるの、珍しいですね」
「むっ、失礼な。ボクだって、ごく一般的な男子高校生だよ。クラスメイトたちと、他愛無い噂話に花を咲かせる時もあるさ」
そんな風に語るリドル先輩の、拗ねたようにむくれたお顔が可愛らしくて、私はまた「ふふっ」と声を弾ませた。先輩は「ゴホンッ」とわざとらしい咳払いをひとつした後、改めて噂話の続きを教えてくれた。
「苺には、ひとが甘みを感じる味覚を活性化させる作用があり、"キス"の前に一粒食べると痺れるような快感を味わえるそうだよ。まあ、ただの噂話で真偽の程は不明だけれど──」
彼の口から零れ落ちた単語に過剰反応して、どきん、と心臓が高鳴る。戸惑う私の心情をまるで見抜いているかのように、瞳を細めてクスッと小さく微笑む姿は、何とも妖しげで艶めいて見えた。
「──試してみるかい?」
私は何故かじわり溢れてくる唾液を、ゴクンと飲み込んで。どきどき胸の奥を甘く高鳴らせながら、小さく首を縦に振るしか、なかった。
彼の、男性の手が私の顎を掬い上げる。綺麗で整った顔が近付いた途端、私は反射的にギュッと目を瞑ってしまった。
閉じた暗闇の中、唇に触れた柔らかさがより一層の熱を持って伝わる。更に湿った熱が唇をこじ開けるように触れて、喉が震えて、声が漏れてしまう。その瞬間を待っていた、と言わんばかりに熱が、彼の舌が口内に入り込んでくる。口内を好き勝手に弄ばれて、言葉にならない音を高く鳴らす事しか出来ず、ただ、痺れるような甘い刺激に身を任せるしかない。
呼吸が苦しくなってきた所で、ようやく唇が離れて解放される。ぷはっと慌てて大きく息を吸い込んだ。
「とろけた苺ジャムのような顔をして、随分と気持ち良かったみたいだけれど……ふふ、どうだった?」
まだ熱い吐息が喉元にかかるような距離で、そんな事を聞いてくるとは、なんて意地悪だろう。苺の味なんて、もう、忘れてしまった。
「わ、わかんない、ですよ、そんな。苺の効果があったかどうか、なんて……」
「じゃあ、もういちど、実験しないといけないね?」
たぶん、なんて言葉を返されようともそう答えるつもりだったんでしょう。
半ば無理やりに、もうひとつ苺を口の中にねじ込まれて。彼はそのまま私ごと食べるみたいに、あーん、と大きな口を開けて唇に噛み付いてきた。
そうして、女王様のお気が済むまで何度も、苺を用いた"実験"は長く深く続けられたのでした。
後日、あの真っ赤な果実を見る度に先輩とのキスを思い出してしまって、しばらく苺が食べられなくなったことは、内緒です……。
2021.01.17公開