800字SSまとめ
【お弁当】
それは珍しく面倒事に巻き込まれる事もない平穏な、何でもない日の昼休みの事だった。
「クローバー君、お昼はまだ? そう、良かった。ご迷惑じゃなければ、これ、貰ってくれるかしら」
寮母さんからそんな言葉と共に、ぽん、と緑のハンカチで包まれた箱を手渡されて、へ? と間の抜けた声が落ちる。
もしや、と期待に胸を高鳴らせながら、リボン結びされた包みを解く。中身はまだほんのり温かな弁当箱だった。
「えっ! お弁当……!?」
オンボロ寮の寮母さんである彼女が、二人しか居ない寮生たちの為に、毎朝早起きして昼の弁当を持たせてやっている事は知っていた。が、どうして、俺の分まで? と嬉しい好意ではあれど、首を傾げてしまう。
「きみには、いつもウチの寮生ちゃんたちがお世話になっているし、よく手作りのお菓子を分けてくれるでしょう? そのお礼には少し足りないかもしれないけれど、食べてもらえたら嬉しいな」
彼女はそう言って、自分の髪にもじもじと触れながら、何だか照れ臭そうに頬を染めて微笑んだ。
そんな、いつもあなたのお世話になっているのは、俺の方だと言うのに。ああ、もう、嬉しくて頬が緩んでしまう、笑みを堪えられない。
「すごく、嬉しいです、ありがとうっ」
つい、はしゃぐ子供みたいに声が弾む。彼女はホッと安堵した様子で、もう一度「良かった」と呟いた。
彼女も自分用のお弁当があるから、という事で混み合っているだろう食堂には向かわず、天気も良いから中庭で一緒に昼食を取ろうという流れになった。
林檎の木の下にあるベンチへ腰を下ろして、再び寮母さんの手作り弁当を広げる。二段式になっている箱の蓋を開ければ、所狭しと詰まった色鮮やかなおかずたちに歓迎されて、おおっ、と歓喜の声が溢れた。
だし巻き卵にサツマイモの甘辛煮、ほうれん草の胡麻和えと、きんぴらごぼう──和食中心なラインナップの中、空いた隙間にはプチトマトやブロッコリーも詰められている。一方、二段目の箱には、甘い醤油の香り漂う肉々しい茶色が、ぎっちりと詰まっていた。
「肉巻きおにぎりだよ。男の子はこういうの喜んでくれるかなあ、と思って」
その一言だけで、今日のお弁当は俺の為に献立を考えてくれたのか、なんてニヤニヤと自惚れてしまう。
じゅわっと溢れてくる涎、食欲に急かされて「いただきます」と早口に手を合わせ、彼女ご自慢の肉巻きおにぎりを箸で掴み上げた。ずっしりと重さのあるそれに、思い切って齧り付く。
ああ、肉から出て来る旨味とタレがご飯に染み込んでて、しかもご飯にチーズが混ぜてあるのか、その濃い味が堪らない幸福感を与えてくれる。
「んんっ、うまッ……じゃない、とても美味しいです」
思わず雑な言葉を使ってしまいそうになって言い直したが、彼女はそんな俺の様子を見てもクスクスと嬉しそうに微笑んでくれた。
「お口に合って良かった。お茶も用意してあるから、ちゃんと水分も取ってね」
「あっ、ありがとうございます」
水筒から注いでくれたお茶を差し出して、柔らかに目を細める彼女はもう、聖母のように光り輝いて見える。程良く保温されていた緑茶さえも美味しくて、ほう、と心地良い溜息が零れた。
監督生とグリムは、毎日こんな風に彼女から世話を焼かれて、毎日こうも贅沢なお弁当を食べられるだなんて……はあ、良いな、羨ましい。
「──俺、オンボロ寮に転寮したいな」
「もう、クローバー君ったら、面白い冗談ね、ふふっ」
割と、本気で吐き出してしまった言葉である事は、そっと心に秘めておこう……。
2021.01.16公開