800字SSまとめ
【キス】
きっと、愛するひとを見て"甘くて美味しそう"だなんて捕食者めいた感情を抱く事は、普通ではないんだろう。異常なのかもしれない。
でも、目の前で苺のように熟れた瞳を潤ませて、桃色の艶めく唇から熱い吐息を零す、その姿は。どうしたって、やっぱり、美味しそうだ──。
「トレイ、くん……?」
貴重なふたりきりの時間、何かを期待するような眼差しで、甘い声が耳を擽る。ごくりと喉が鳴って、涎もじゅわりと口の中から溢れそうだ。我慢なんて出来そうもない。
もう逃してしまわないように、彼女のもっちりとした両頬を、俺は両手で柔く挟み込む。わっと驚いて声を零した隙に、あーん、と大口を開けて──がぶり、と噛み付くように彼女の唇を喰んだ。ゼロ距離になった途端、砂糖菓子のような甘い香りが鼻腔を抜けて、頭の中をふわふわと巡る。本当に、彼女を食らっているような感覚に陥る。俺は夢中で彼女の唇を貪った。
唇を啄むだけの味見では飽き足らず、俺だけしか侵入を許さないであろう隙間に、ゆるりと舌を這わせれば。彼女は自ら口を開き、そっと俺を迎え入れて、優しく舌を絡めてくれる。嗚呼、好きなひとに自分を受け入れてもらえることは、こんなにも心地良くて、嬉しいものだったのか。舌先で彼女の整った歯並びを確認して、奥の歯茎にまで舌を伸ばして、深く味わう。生クリームを口いっぱい頬張ったような、甘く蕩ける味のする気がした。
いちばん敏感だと聞いた覚えのある上顎を舌でなぞってみれば、柔らかな女性の肉体がビクンッと大袈裟なほど跳ねる。彼女の喉の奥から甘い音が鳴って、俺の背筋がぞくぞくっと震えた。俺が彼女の口内をぐちゃぐちゃにして、その小さな肩を揺らして、細い腰を震わせて──快感を、覚えさせている、という行為自体が、もう、堪らなかった。
お互いの唇の端から漏れる唾液すら勿体無いように思えて、じゅるっ、と舌を吸い上げながら、一瞬だけ唇を離した。
「はぁっ、寮母さんっ、」
ちゅ、ちゅう、と子供みたいなわざとらしいリップ音を鳴らして、べたべたに濡れた彼女の口の端へ吸い付いたり、齧り食らいたくなる桃の唇を甘噛みした。
「んっ、やだ、名前……ちゃあんと、呼んで……?」
擽ったそうな甘ったるい声のおねだりに、俺の耳は溶けてしまいそうだ。もう一度、今度は彼女を名前で呼んでやれば、嬉しそうに声を弾ませてくれた。
「ふふ……私、きみとキスするの、好きだよ。ほんとうに、食べられてしまうみたいで、気持ちいい、から」
「こら、本当に食べちゃうぞ?」
「良いよ、私でお腹いっぱいにしてね」
悪戯好きの子供のようにクスクス笑って、俺の首の後ろにぐるり腕を回すと。今度は彼女の方から、唇を寄せてくるものだから。
ああ、もう、そんな誘い文句はずるい。お言葉通り、今夜はめいっぱい食べ尽くしてやろうと、俺はまた甘くて美味しそうな彼女に齧り付くのだった。
2021.01.06公開