トランプ兵と雛鳥ちゃんの話
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きれいな白鳥は、愛と踊る
「昔々のお話です。アヒルのお母さんは巣の中のたまごたちを、大切に大切に温めていました……」
──ああ、なんだっけ。この話。
「……卵がひとつ、またひとつと割れて、たくさんの黄色いヒナたちが次々に産まれます。ところが、いっぴきだけ、おおきな灰色のヒナが産まれました」
幼い頃、母さんがなかなか寝付けない愛子のために話してくれた、その童話が。オレはどうにも、好きになれなかった。
何故か、1羽だけ灰色の羽毛を持って産まれてしまったばかりに。黄色の兄弟たちから虐げられて、最初は庇ってくれていた母親のアヒルからも見捨てられて、あちこち何処へ行っても嫌われてしまう。なんとも哀れな、みにくい雛鳥の物語だ。
「ねえ、どうして、みんなと見た目がちがうだけで、きらわれちゃうの?」
そんな質問をして、何で何でと繰り返して、母さんを困らせてしまった覚えもある。だって、理解出来なかった、納得いかなかった。
その雛鳥が何をしたと言うのか。ただ、周りと少し見た目が違った、物珍しい色をしていただけで。雛鳥自身に悪いところなんて、無かった筈だ。
どうして。なんで。みにくいなんて、ひどいこと言うんだよ。
結局、母さんからは子供にもわかるような説明なんて返ってこなかった。大きくなればわかるものかと思ったけれど、少し背の伸びた今でも、オレには理解出来ないままだ。
そうして物語は、最後──……ああ、だめだ、肝心な部分が思い出せない。エンディングを忘れてしまった、きっと好きじゃないから覚えていないのだ。
悲しみに暮れる雛鳥は、もう死んでしまいたいぐらいの思いをして、ひとりぼっちの冬を過ごして、それから。
あの子は、いったい、どうなってしまうんだっけ……。
──ぐらぐら、と。
身体が大きく揺さぶられる感覚で、じんわりしたぬるま湯から抜け出すように、意識を取り戻した。
オレは重たい瞼を擦りながら、伏せていた頭をゆっくりと起こす。何度も瞬きを繰り返して、ぼんやりする視界の中。何故だか、ひどく怯えた様子の監督生と目が合った。
「おぁ、やば……オレ、寝てた……?」
「う、うん。それはもう、グッスリ寝てたよ」
ふわ〜あ、よく寝たわ。昨晩、ちょっと遅くまで起きてたせいだなあ。オレは大きなあくびをしながら、うーんと軽く背を伸ばした。
あー……なんか、めっちゃ懐かしい夢を見ていた気がするけど、ボンヤリしてて、よく思い出せねー……。
監督生の座る隣を見ていたオレは、よっと姿勢を真っ直ぐ前方へ整えたところで、ヒュッ、と声にならない悲鳴を零した。
ぎろり。冷やかにオレを見下ろす、エバーグリーンの瞳と、視線が交わってしまったからである。
「あ、あはは、」
もはや乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
「……とっ、トレイン、先生、」
「随分と良い夢を見られたようだな。安らかな寝顔だったぞ、エース・トラッポラ」
モーゼズ・トレイン先生の腕の中、丸くなった愛猫ルチウスの「オアァ〜ッ」と鳴く声が響き渡る。や、やばい、やらかした。どうやらオレはいつの間にやら、思いっきり魔法史の授業中に寝ていたらしい。
「……さて。居眠りをした生徒の末路は、分かっているな?」
「す、すみませんッしたァ!!」
その後、誠心誠意謝っても当然ながら許される訳はなくて──。
放課後居残りを命じられたオレは、授業内で終わらせる筈だったレポートを2倍の量やらされる羽目になり、オマケの反省文までたっぷり書かされて。
前日の夜更かしを酷く後悔したことは……もはや、言うまでもない……。
❤︎❤︎❤︎
「は〜あっ、昨日は散々だったわ……」
「お前が魔法史の授業中に居眠りなんてするからだろう」
「んだよ、優等生のデュース君だって、午後思いっきり寝てた癖にー。クルーウェル先生に『Bad boy!』されてたじゃん」
「うぐッ……つ、次の魔法薬学では、寝ない!!」
そう言って、結局ウトウト寝ちゃう癖に。やる気満々で意気込むデュース・スペード君を、俺は冷ややかな目で見ていた。まったく、朝から元気だなあ。
今度はバレないように上手くやろ、なーんて、悪いコト考えながら。オレは本日も元気に登校するべく、友人と共にハーツラビュル寮を飛び出した。
玄関を出て噴水広場を抜けた先、前方に見慣れたワインレッドとアイビーグリーンのデコボコな後ろ姿を見つけて、デュースが「あっ」と明るい声を上げる。
「ローズハート寮長、クローバー先輩っ、おはようございます!」
元気いっぱい過ぎるデュースの声にちょっと気圧されたけど、オレものんびり「おはようございまーす」と背後から声を掛けた。
ゆっくり、こちらを振り向いた先輩方は、なんだか──?
「ああ、おはよう……」
「おはよう。エーデュースたちは、今日も元気そうだなあ」
リドル寮長も、クローバー先輩も、酷く疲れ切った様子だった。その目の下には薄らと隈が見える。って言うか、いつの間にかエーデュース呼びが定着してんな? まあ、今ツッコむべきはそこじゃないか。
そりゃあ、二人とも問題児が多いハーツラビュルの寮長と副寮長だし、バタバタ忙しそうにしている姿はよく見るけど。こんな、あからさまにげっそりしている姿は初めて見た。
「な、なんか、顔が死んでるっつーか、生気を感じられないんすけど、大丈夫ですか……?」
さすがのオレも思わず、二人が心配になってしまう。
幼馴染みでもある彼らは、困ったように顔を見合わせて「はぁーっ」とほぼ同時に深々と溜息を吐いた。再びこちらを向いたクローバー先輩が「……実はなあ、」と重たい口を開き掛けたその時。
「リドルくんもトレイくんも、最近モテモテで困っちゃってるんだよねー?」
ひょっこり、二人の間から突然ケイト・ダイヤモンド先輩が顔を出して、その場に居た全員ワッと声を上げて驚いた。
「ケイト!? なんだ、お前も居たのか、びっくりした……」
心臓に悪いから勘弁してくれ、と頭の痛そうに眉間を押さえるトレイ先輩に「ごめん、ごめーん☆」なんて軽〜く謝るケイト先輩。
「えっと……寮長たちがモテモテで困ってる、とは、どういう事ですか?」
オレも気になっていたことを、デュースがきょとんと不思議そうに目を丸くして聞いてくれた。
ケイト先輩は苦笑いを浮かべながら、お疲れ気味の二人に変わってスラスラと口を滑らせる。
「ほら、期末テストが終わって12月になって、もうすぐシャノワ校とのクリスマスパーティーが近いでしょ?」
あ、そうだ。期末テスト後、ちょっと色々(イソギンチャク事件とか、無賃労働させられたりとか)やらかしてたから、つい忘れかけていたけど。
このナイトレイブンカレッジの姉妹校である、シャノワール魔女学校と合同で行われるダンスパーティー。姉妹校同士の生徒間交流、また品格ある紳士淑女の立ち振る舞いやダンス学習を目的とした伝統行事(※学園長談)その開催が、もう来週に迫っていた。
オレもいちおう姉妹校交流に於ける代表生徒で、ダンパに向けた準備とか手伝ってるけどさ、正直、1年生ってやる事あんま無いんだよなー。他の生徒にダンパのこと聞かれたら説明するとか、お知らせのプリント配りぐらいしかしてない。
「……でね、リドルくんもトレイくんも、立場上どうしても目立っちゃうからさー、シャノワ校の数多の女子生徒ちゃんたちから、ここ最近たくさんお誘いされててね、」
「お誘い、って?」
デュースがまた首を傾げて聞いた。いや、お前それはわかるだろ。どんな鈍感だよ。ダンスパーティーを控えたこの時期にされる、お誘いと言ったら。
「私と貴方でダンスのペアを組みませんか、って話でしょ」
オレの答えに、それそれ、と頷くケイト先輩。デュースは馬鹿みたいに「えぇ!?」なんて驚いてるけど。
リドル寮長が大変苛々した様子で、また深く溜息を吐いた。
「まったく、ほんとうに困ったものだよ。使い魔を利用した手紙が次々に飛んで来るんだ、それも昨日は夜遅くに届いてね。おかげで、普段より2時間も睡眠時間を削られてしまった……」
ちなみに「いつも何時に寝てんすか?」と聞いたら「消灯時間の22時きっかりだ。当然だろう」と返ってきた。わあ、健康的。
トレイ先輩も心底困り果てた様子で、寮長に続いて口を開いた。
「いつの間にか、マジカメのアカウントやメッセージアプリの連絡先が知られていたりして、話したことも会ったことも無い女子生徒から突然お誘いが来たりするんだ。正直、いちいち断るのも面倒になってきたよ……」
なるほど。例え新1年生であっても魔法で戦って勝てさえすれば寮長になれる──なんて特殊な制度である為か、そんな大層な立場にいる生徒は魔法士として将来有望とも捉えられるから。他校から見た先輩方は随分と天高い憧れの存在になっているようで、積極的に声を掛けられるらしい。
それは、まあ、何つーか。ご愁傷様です、と言うしかなかった。モテ過ぎるのも困りモンだなあ。オレも会った事すらない相手とホイホイ踊るとか嫌だわ、面倒くさいし。
そもそも「ダンパに参加しなければ良いのに」なんて思ったけど、リドル寮長曰く「寮長、副寮長の役職についている生徒は、参加をする義務がある。他の生徒たちの手本となるような、紳士淑女の模範的な姿を見せなければならないからね」との事らしい。えー、マジかよ。
「……じゃあ、もう既にパートナーが居るからゴメンナサイ、って嘘吐いてでも断れば良いんじゃないですか?」
「ああ、俺はその手で断ってるよ。いずれ噂が回って連絡も来なくなるだろう。こういうのはどうも、苦手だしな」
はは、と苦笑いするトレイ先輩に対して、リドル寮長は「ボクにはそんな不誠実な真似は出来ない」とか、相変わらず頭の硬いこと言ってたけど。
でも、そうか……。オレも代表生徒だからダンスパーティーには強制参加なんだけど、パートナーに誘う相手とか考えてなかった。
ふと、脳裏に。あのふわふわした灰色の雛鳥みたいな髪、美しい湖を思わせる青い瞳、愛らしい少女の笑顔が、パッと花の咲くように浮かんで。オレはじんわりと頬に上がってくる熱を感じた。ああ、もう、恋とは厄介だ。いつでも気を抜くとアイツの可愛い顔が浮かんでくる。
そんなオレを見透かしたかのように、ケイト先輩とばっちり目が合ってしまった。
「エースちゃんは他人の心配なんかしてる場合じゃないでしょ、そろそろ自分のために頑張らないと……ね?」
にっこりと意味深な妖しい笑みを浮かべるケイト先輩を前に、オレはつい「ゔっ」とみっともなく唸ってしまった。
あ、まずい、今ここで、そんなあからさまな反応を見せたら──。
「ん、どうしたエース、顔が赤いじゃないか。もしかして、ダンスのお誘いをしたい相手でも居るのか?」
さっきまで瀕死だった癖に、面白そうな気配を察知したトレイ先輩までニヤニヤし始めた。ほおら、やっぱりな、絶対からかってくると思ったわ!
リドル寮長も何だか嬉しそうに「なるほど、あの子か」と合点のいった顔をする。うわ、やめろやめろ、納得するな。思い出すな。
「先日話していた愛しの雛鳥とは、無事に仲直りが出来たのかい、エース。もうパーティーは来週だよ、今すぐにでも誘っておかないと──」
「だああっ、もお! 言われなくても、わかってますよ!!」
ここで根掘り葉掘りアイツのことを聞かれてしまうのは恥ずかしくて、オレは慌てた白ウサギの如く迷路の庭へ向かう。しかし、おーいっ、とすぐさま後を追い掛けてくる、同学年のクラスメイトが居ることを忘れていた。
「待ってくれ、エース! まさか、お前に好きなヤツが居たなんて、知らなかったぞ! なあ、どんな子なんだ? 僕にも教えてくれ」
「ゼッタイやだね!!」
「なっ、そこまで嫌がらなくても良いだろう!?」
嫌に決まってんだろ。これ以上の噂を広げたくないんだよ、バーカ!! ああーっ、もう、恥ずかしい!
──しかし、1年A組の教室に辿り着いてもまだしつこく聞いてくるデュース、そして、教室で合流した監督生やグリムにも興味津々なキラキラの眼差しを向けられた末に。
オレは結局、愛しの雛鳥ちゃんについて話してしまうのだった……。
❤︎❤︎❤︎
……なんだか、また今日も朝から散々な目に遭ってしまった気がする。
そんな精神的な疲労感を抱えたまま、時は過ぎて放課後。
オレは合同ダンスパーティーを来週に控えた、大事な代表集会へ参加する為、またひとりで学園の講堂に向かっていた。期末テストを挟んで1ヶ月振りぐらいか、久しぶりにあの子と会える。そう思ったら自然と足が弾んだ。
しかし、彼女がよく座っている一番後ろの窓際の席に、あの灰色の後ろ姿はなかった。どうも浮かれて早く来過ぎてしまったらしい。講堂に集まる代表生徒たちの姿も、まだオレを含めて指で数えられる程しかいない。仕方ないので、オレはいつもの席へ座って待つ事にした。
窓の外でマジフト部が練習している姿をぼけーっと眺めながら、しばらく時が過ぎて──トントン、と誰かが控えめに優しくオレの肩を叩いた。
すぐさま振り返れば、そこには、愛しの雛鳥ちゃん……もとい、オレが密かな恋心を寄せるシャノワール魔女学校の新1年生、シロネ・アンカナールちゃんが居て。心臓が喜びを表現するみたいにどきどき喧しく鳴った。
「エース君、えっと、こんにちはっ」
久しぶりだね、なんて彼女は嬉しそうに青い瞳を細める。先日、オレが贈ったハートのヘアピンをちゃんと付けてくれている事に気がついて。思わず、にへっ、とだらしなく自分の口元が緩むのを感じた。
この間まであんなに素顔を晒す事を嫌がっていたのに、今はその湖みたいなキラキラした瞳をハッキリと見られることや、オレの贈り物を大切に使ってくれていることが嬉しくて堪らない。
「ん、久しぶり」
オレはそう挨拶を返しながら、窓際の更に奥へよいしょと移動して、ひとりぶん開けた席をぽんぽん叩きながら「どーぞ」なんて隣へ座るよう笑顔で促した。素直に「ありがとう」とお礼を言って腰掛けた彼女は、今日も大切そうに愛用のスケッチブックを抱えている。
「オレのあげたヘアピン、使ってくれてんだね」
「あ……うんっ、大切にしてる、よ。コレを付けていると、仲良しの先輩や、クラスのお友達もね、褒めてくれるの」
「へえ、何て?」
「……か、かわいい、って、」
彼女はとても恥ずかしそうに、抱えていたスケッチブックで口元を隠してしまったけど、青い瞳はふにゃっと緩く細まって嬉しそうだ。
「今までは、ね。どんなに褒めてもらえても、きっと、お世辞か冗談だろうと、思ってたの。ずっと、ずっと、わたしは、醜くて気味の悪い子、なんだって──そう、思ってた」
でも、と彼女は自ら"呪い"の言葉を否定する。
「エース君がね、可愛いって言ってくれたから。すごく、うれしかった、から」
ありがとう、そう言葉を続けた。
「ちょっとだけ、自信、ついたような気がする。あなたにもらったハートのお守りと、やさしい言葉のおかげ、だね……って、あれ? え、エース君、何でそっぽ向いちゃう、の??」
真っ直ぐに喜びとお礼の気持ちを伝えてくれるのは嬉しいんだけど、なんか、めっちゃ、照れ臭くって。オレはまたフイッと窓の外へ顔を背けてしまった。
そりゃあ、コイツは自分の顔の良さを自覚するべきと思ってたし、元々可愛いんだから周りに褒められるのも当然で、会えない間にゆっくりと言葉の呪いが解されたのなら良い事だ。オレも嬉しいよ。ただ、あの……ね?
「わ、エース君、耳真っ赤! だ、だいじょうぶ? お熱、ある?」
「いや、健康状態は超良好だから。うん」
変なとこ素直過ぎて、ほんっと恥ずかしいんだよなあ、もう! 心臓がギューッて締め付けられたり、かと思えば爆発しそうなくらい早くなったり、全然落ち着かない。好き、なんて気持ちが口から溢れ出してしまいそうだった。
心配そうな声に負けたオレは、渋々頬杖をついて熱い顔の半分を隠しながら、チラリと彼女の方を見る。きらきらの水面を思わせる青い瞳は、相変わらずオレを真っ直ぐ映していて、きれいだった。
「……まあ、その、良かったじゃん」
「うんっ、ありがとう、エース君」
「どーいたしまして」
照れ臭いけど、やっぱり嬉しい気持ちの方が優って、お互いに「えへへ」なんて笑い合う。もうすっかり身の震える寒さを感じる12月なのに、胸の奥はポカポカと温かだった。
もうじゅうにがつ、という事実を再確認した途端、オレは「ハッ」と思い出す。
あっ、そうだ、ダンスパーティーのパートナー探し! 彼女を誘ってみるつもりだったのに、ちょっと忘れかけてた。
「シロちゃん、あのさっ、」
オレは慌てて、彼女にダンスのペアが居るかどうかの有無だけでも聞き出そうと口を開いた──が。
「はーい、皆ちょっと静かにしてね。出席取りまーす!」
この代表集会に於いてリーダーである(違う違う、と本人は否定するけど実質そんなポジションになってる)ケイト先輩の声が、拡声魔法により大きく講堂中へ響き回って。オレは仕方ないのでキュッと口を閉じた。
……まあ、別に帰り際でもいっか。
出席確認を終えた後は、来週行われるダンスパーティーのスケジュールと、オレたちがやるべき仕事についての説明が始まった。
代表生徒たちは、前日の夜からパーティー会場となる食堂の清掃や飾り付けがある事、また当日の朝早く再びこの講堂へ集合する時間帯、搬入される予定の楽器や魔法具、振る舞われる料理や飲み物、交代制で行う受付係についてなど、ケイト先輩の口から淡々と話されていく。1年生は飾り付けやパーティー後の片付け中心に、簡単な雑用仕事を任されるようだ。
……なんか、いつものチャラい雰囲気と全然違う、年上らしく凛とした先輩の姿には少し格好良さすら感じた。さすがは3年生、慣れたもんだなあ。
「──はい、説明は以上になります。来週は忙しいけど、せっかくのパーティーだから皆で楽しもうね!」
ニコッ、といつも通り人懐っこい笑顔を全体に向けたケイト先輩の言葉を締めに、代表集会は本日も滞り無く終了した。
3年生はまだ講堂に居残って、最終確認なり何なりあるらしいけど。1年生と2年生はとりあえず、スケジュール表のプリントだけ貰って解散だ。
──よし、今度こそ。
早速もう帰り支度をし始めた愛しの雛鳥ちゃんへもう一度、声を掛けようとした時である。
「トラッポラくーん!」
普段ほとんど呼ばれないオレのファミリーネームが、何処かで甲高い声によって叫ばれた。え、なっ、なに? どうしてか、すっごい嫌な予感がする!
声のした方へ恐る恐る振り返ると、見慣れない女子生徒たち3人組が、ズカズカ講堂に入って来る姿を見た。その3人組は明らかにオレの方を見つめて、こちらへ向かって来ている。
「ちょっとー、お嬢さんたち。まだ3年生が会議中だから、お話なら外に出てからしてねー!」
ケイト先輩が遠くから柔らかな口調で注意するも、その3人組は全く聞いてなんかいない。
いったい何事か呆然としている内に、オレの前には蛍光色みたいなレッド・ブルー・グリーンの、それぞれ個性的な髪色をした女子生徒たちが並んだ。
「え、えーっと、……どちら様?」
その3人の内、誰1人もオレの知らない生徒だった。
オレの言葉にかしましい少女たちは「えぇー!?」なんて驚いた声を同時にハモらせる。
「まあっ、ひどいわ、トラッポラ君!」
と、赤い髪の少女がわざとらしく手持ちのハンカチで目元を押さえて悲しむ。
「私たち、この間シャノワ校の廊下ですれ違ったじゃない!」
そう言って金切り声を荒げて怒るのは、青い髪の少女で。
「せっかく、来週のダンスパーティーでペアになりましょ、ってお誘いしに来たのに〜」
なんて、緑髪の少女が棒付きキャンディーを舐めながらモゴモゴ話した。
……すれ違った? ダンスのお誘い? いや、いやいや、知らないって! たぶん、一度だけ、ひとりきりでシャノワ校の職員室へお届け物をしに行った事はあるから、その時にオレの姿を見られていたんだとは思うけど。オレの方は見かけた覚えがないし、本当に申し訳ないけど知らないのだ。
誰だかわからない女子生徒たちに絡まれて困っていると、シロちゃんが小声でこっそり3人組について教えてくれた。
どうやら彼女たちは、シャノワール魔女学校のフィアドローム寮──ハロウィンタウン「影の支配者」の聡明な精神を重んじる寮──の新1年生らしく、入学早々あれこれ厄介事を起こしては周りの先生や生徒たちを困らせる"イタズラ3人娘"なんて呼ばれて、悪い意味で有名らしい。オレ、めっちゃ面倒臭そうな子たちに好かれたってコト? うわあ。
それにしても、リドル寮長やトレイ先輩がぐったりしてる姿を見た時から思ってたけど、シャノワ校の生徒って、結構強気な感じでグイグイ積極的に来るんだな……。シロネみたいな控えめタイプとか実は珍しいのかもしれない、なんて現実逃避じみた事を考えた。
「ちょっと、なあに、トラッポラ君ったら、そんな地味で陰気臭い子とコソコソしちゃって!」
オレの傍らにずっと寄り添ってくれていたシロネを、3人の中でも特に気が強そうな青髪の子がキッと睨み付ける。臆病な雛鳥は、それだけでもビクッと大袈裟に肩を震わせてしまった。
正直、カチンと来るものはあった。ただ、ミドルスクール時代にも似たような事があって、こういう大勢で気が強くなってしまった女子グループには、こちらが何を言っても無駄である──という余計な経験があったせいで、何も言い返せずにいる自分が腹立たしい。でも、オレが下手に変なこと言ったりした結果、もしシロネがコイツらにオレの知らないとこで虐められたりなんかしたら、嫌だ。
ここは我慢、すべきだよな。冷静に、落ち着いて対応するんだ。丁重なお断りをして何事もなく、平和にこの場から去ってもらおう……と。
そう考えて黙り込むオレに何を思ったか、赤髪の少女がいきなり、オレの片腕にギュッと両手を絡めてきた。
「ねっ、そんな子よりアタシとペアになりましょ♡ こーんなお子様みたいなハートのヘアピン付けた、ダッサい子なんか放っておきなさいよ!」
──ああッ、でも、やっぱりムカつくもんはムカつくわ!!
絡んでくる女子生徒の両手を、オレは思いっきり振り払った。代わりに自由を取り戻したその手で、怯えて俯いていたシロネの手首を掴む。
「エース、くん?」
潤んだ瞳が不安げにオレを見上げた。彼女の手首が想像以上に細くて、ちょっとビックリしたけど。今は淡い恋心に胸を高鳴らせている場合じゃないから。
「悪いけど、オレのパートナーはもうこの子に決まってるから」
ゴメンナサイ、他を当たってほしい、と女子生徒たちには丁寧に頭を下げて。
オレは"パートナー"の手首を掴んだままに、なんとか人の壁の間を抜けて、まるで逃げるように講堂を飛び出したのだった。
──お互いに黙ったまま、廊下を早歩きで通り抜ける。見慣れたリンゴの木がある中庭まで逃げて来たところで、オレはようやく足を止めた。
振り返れば、頬を真っ赤な林檎色に染め上げた彼女が居る。その赤色は恐らく、夕焼けのせいではない、と思う。
ふと、彼女の細くて折れそうな手首を、未だに強く握りしめていた事を思い出して、はっと我に返る。思わず公衆の面前でとんでもない発言をした上に、彼女を無理やりここまで連れ出してしまったけど、これではさっきの女子生徒と同じやり口じゃないか。オレは慌てて、その手を離した。
「あ……いきなり、ごめん」
彼女は胸の前でぎゅっと両手を握り締めながら、ぶんぶん首を横に振った。
「わたしは、へいきだよ。でも、エース君、は……あんな嘘をついて、良かったの……?」
彼女の真っ直ぐな瞳がオレを射抜くように見つめた。どきん、どきん、緊張でまた心臓が音を鳴らし始める。
「──オレは、嘘になんかしたくないんだけど」
えっ、と戸惑い震えた声が落ちた。
「だからッ、その、来週のダンスパーティー、お前さえ良ければオレと一緒に、お、踊ってくれ、ください……」
だんだん小さく弱くなってしまったオレの声、ほとんどヤケクソのように吐き出した言葉だった。軽く裏返った気もする。ああ、もうっ、こんな勢いで言うつもりはなかったのに。顔が燃えるように熱い。
恥ずかしくて堪らないけど、オレは顔を背けることはせず、誠意を見せるつもりで、彼女の青い瞳をじっと見つめた。夕陽を浴びてキラキラ光る湖の瞳で、彼女もオレを見つめ返してくれる。
しばらくの沈黙の中、どきどきとオレの心臓の音だけが喧しくて、彼女に聞こえてしまうんじゃないかと思うほどだった。
彼女は赤い頬のまま、眩しそうに瞳を細めて、ゆっくりと口を開き──
「はい。喜んで、お受けします」
そう、笑顔で答えてくれた。
「え……ほ、本当? マジでいいの?」
「そ、それはこっちのセリフ、です。わたしなんかで、いいのかな。ダンスとか、あんまり、自信ないよ」
「オレはシロネがいいの! ダンスなんて、今からでも練習すれば少しは様になるでしょ」
「そう、かな。でも、うん、そうだね。練習、頑張ってみる。わたしも、エース君といっしょに踊りたい、から」
照れ臭そうに、それでも相変わらず、その好意はストレートに伝えてくれる彼女。オレは感激のあまり、彼女の胸の前で組まれた両手を、自分の両手で包み込むように握り締めてしまった。
はあーっ、よかった。断られなかった。好きなひとに自分を受け入れてもらうことは、こんなにも幸福感で満たされるものだったのか。嬉しくて嬉しくて、魔法のホウキが無くても飛べてしまいそうな気分だ。
例の3人娘には、ちょっと申し訳ない気もするけど。例え勢い任せでも彼女を誘えた、そのきっかけを作ってくれたことだけは、いちおう、感謝してやりたい──なんて。
「へへっ、ありがとうな、すっげー嬉しい。当日はめいっぱい粧し込んで来いよ、オレもばっちりエスコートしてやるから」
「う、うん。がんばって、みます」
「よっしゃ、約束な。楽しみにしてる!」
「わたしも、とっても楽しみ。エース君かっこいいから、きっと、タキシードも似合うね」
「いや、あんまりこっちのハードルは上げないでほしいんだけど……まあ、それなりの期待はしてくれても良いぜ?」
フフンと自信あり気に笑って見せれば、彼女もその整った顔をふやけさせて面白そうに「あははっ」と声なんて上げて笑ってくれた。
ああ、可愛いな、そんな思いっきり笑ったりもするんだ。会うたびに色んな表情を、知らなかった顔を見せてくれる彼女が愛おしいし、もっとたくさんのかわいい素顔を見せて欲しいと思うから。
彼女の為なら、オレは王子様にだってなってやる──そう決意したので。
「寮長! どうかオレにっ、完璧なエスコートの仕方をご教授お願いします!!」
その日の夜。無事にハーツラビュル寮へ戻ったオレは、いつぞやエスコートは得意だなんて語っていたリドル寮長へ、深々と頭を下げるのだった。
❤︎❤︎❤︎
そうして、ついに。
ナイトレイブンカレッジと、シャノワール魔女学校の、合同ダンスパーティーの行われる日がやってきた。
前日からパーティー会場の飾り付けや楽器の搬入など、結構な力仕事をさせられた翌日ではあるけれど。正直、そんな疲れも忘れるくらいに、そわそわと浮かれているオレが居る。リドル寮長の厳しいダンス指導も、今となっては良い思い出にさえ感じられた。
今朝、再び講堂で顔を合わせた時の彼女はいつも通りの制服姿で、どんなドレスを選んだのか、なんて事すら「まだ内緒」とか恥ずかしそうにはぐらかされてしまったから、期待値ばかりがめちゃくちゃに高まっている。
昼間、開場前に自分の身支度や化粧を整えている間も、今頃同じように彼女もオレの為に色々着飾ってくれているんだろうか──なんて考えてしまって、メイク中の鏡に映るオレの顔は、だらしなくニヤけた。同室のデュースに「気持ち悪い顔してるぞ」なんて言われてしまうほどに。ベストの色とお揃いの赤い蝶ネクタイをキュッと締めて、浮かれ気味の口元もキリッと引き締める。
夕方、ようやく開場時間になって支度も万全だ。オレと揃いのフォーマルな黒いタキシード姿に身を包んだデュースと共に、鏡舎を出たところで合流した監督生やグリムも交えて、いつものメンバーでパーティー会場の大食堂へ向かう。オレのパートナーからは『まだもう少しかかりそう、会場で待っててください』とメッセージが来ていた。
あー、なんか、やばい。すっげー緊張してきた……。心臓はちょっと前から喧しく飛び回っているし、オールバックにきっちりセットした前髪を何度も整え直してしまう。
いつもより人が多く賑わう廊下を歩きながら、ちらっ、と友人であるデュースの顔を覗き込んでみたら。コイツも緊張しているらしく、眉間にシワの寄った厳つい顔をしていた。
「おーい、デュース君、顔から元ヤンが滲み出てんぞ」
「ゔっ、元ヤン言うのやめろ……こういう畏まった格好も、ダンスパーティーなんてイベントにも、全く慣れていないんだ。し、仕方ないだろ……」
「はあ、でしょうねー。けど、せっかく先輩が誘ってくれたんだからさ、もうちょい軽〜い気持ちで楽しんだら?」
「そ、そうだな。努力はするッ」
「いや、言ったそばから、余計に顔つき険しくなってるし……」
表面上は余裕そうに友人をからかったけど、正直、オレも心臓が口から溢れ落ちそうな気分だった。
大食堂へ辿り着いた瞬間、華やかに飾り付けられたパーティー会場を見て、まず一番に感激の声をあげたのは、グリムである。
「ふなあ〜っ! すっげえご馳走がいっぱい並んでるんだゾ!!」
さすがは食欲モンスター。グリムは大食堂のキッチンから次々運ばれてくる、ビュッフェスタイルの豪華な食事を前にして大いに喜んだ。まあ、やっぱりこの猫が食い付くのはそこだろうな。
ローストビーフにフライドチキン、種類豊富なピッツァなど、クリスマスを祝うに相応しい料理ばかりが並んでいて、オレも思わずゴクリと喉を鳴らした。先日、ケイト先輩が「今年は、賢者の島で有名な三つ星レストランのシェフがパーティー料理を作ってくれるんだよ。いやあ、試しに頼んでみるもんだよね!」なんて嬉々として話していたっけ。出される料理にもめっちゃ気合い入ってんな、すげー。
「飾り付けもすごいね、クリスマスツリーがあるよ! 素敵だなあ」
監督生がわあっと無邪気に弾んだ声を上げた。キラキラ瞳を輝かせる監督生の指差す先は、いま入ってきた扉のすぐ側。そこには普段無い筈の、ドーンッと天井に付きそうなほど大きくて迫力あるモミの木が、堂々たる姿で置かれていた。枝には色鮮やかなオーナメント、可愛らしいベルやリボン等が、めいっぱいぶら下がっている。そんなツリーのトップを飾るは勿論、ぴかぴか眩しいお星様だ。
正直、交流会の代表生徒なんてめんどくさい役を引き受けちゃったなー、とか、やっぱりサボっちゃおうかなー、とか、何度も思ったけど。ケイト先輩の信頼は裏切りたくなかったし、シロネちゃんも居てくれたから、オレもなんとか続けられたワケで。1年生の代表生徒たちでせっせと頑張ったクリスマス装飾を見て、友人たちに凄い凄いと喜んでもらえたせいか、自分のやり遂げた仕事をちょっとだけ誇らしく思えた。
「なんだか、綺麗な音も鳴ってる……。奥の方で、楽器を演奏しているのか?」
デュースの気が付いた通り、会場には賑やかな人々の声に混ざって、美しい音色が聞こえていた。
大食堂の奥には低めの演台があって、本日はそこに様々な楽器を運び込んでいる。ここでパーティー用のダンス・ミュージックを生演奏してもらう為、吹奏楽団用の特設ステージが出来上がっていたのだ。あの楽器搬入がめっちゃ力仕事で大変だったんだよな……。
ちなみに生演奏をしてくれるのは、シャノワール魔女学校の吹奏楽団に所属する生徒たちである。確か「当校の吹奏楽団は数々のコンクールで立派な賞を頂いていますし、パーティーでも気合いの入った素敵な演奏を聴かせてくれますよ」とか、シャノワ校3年生の美人な先輩が言っていた。うちの姉妹校は魔法だけでなく芸術関係にも結構な力を入れているらしくて、吹奏楽団や美術部の実力は学外にも有名なんだとか。……オレは最近まで知らなかったけど、シロネも絵が上手いもんね。
オレの話を聞き終えた監督生は、へえーっ、と感心の声を上げた。
「なんだか思っていた以上に、大掛かりなクリスマスパーティーだ。凄い!」
「ふなあ……オレ様、ちょっとだけ緊張してきたんだゾ……」
上手く踊れるかドキドキしちゃうゾー、なんてソワソワ尻尾を揺らしているグリムに「いやお前はまず誘われないから大丈夫でしょ」とか笑ったら、思いっきり手を噛まれた。痛えーッ!? これから可愛いお姫様をエスコートする王子様の手に、なんてコトすんだよ、ったく。
「まあ、去年がわからないから何とも言えないけど、今年は特に気合入ってるっぽいわ。ケイト先輩たち3年生が、めっちゃ頑張ってくれたみたいでさ──」
ひと足お先にパーティー料理をつまみ食いしながら、友人たちとしばらく談笑して過ごした。
夕陽が半分も沈んでしまって、そろそろ記念すべき本日の一曲目が流れようとしている頃である。
さっきまで楽しく談笑していたけど、なかなか姿を現さないパートナーがいまさら心配になってきて、オレはひとり不安でそわそわ落ち着かなくなっていた。
シロちゃん、大丈夫かな……。オレと踊る気が失せてしまったのだろうか。それとも、やっぱり粧し込むのが恥ずかしくなって、逃げてしまった? いや、あの子に限ってそれはない。約束はちゃんと守ってくれる子だから。じゃあ、例のイタズラ3人娘とやらに、虐められていたりして──? ああ、せめて鏡の間までは迎えに行くべきだったかも、なんて良くない想像ばかりしていた。
(お、おいっ、あれ見ろよ!?)
(うわっ、すげえ美少女!)
なんだか、やけに周囲がザワザワと騒がしい。
(あんな子、ウチの学園に居たかしら!?)
(素敵な子ね、まるで天使みたい)
男子生徒も女子生徒も、全く同じ方向へ釘付けになりながら、ひそひそと興奮した声を口々に囁き合っている。そんな彼らの視線は扉の方を向いていた。
周囲の視線を追ってオレが振り返ると、同じように振り返った監督生が「わあ!」と感嘆の声をあげた。
「エース、見て! あの子、とっても綺麗だよ」
えっ、なになに、と間の抜けた声で返事をしながら、オレは言われるがままに大食堂の扉へ目線を向ける。
──現れたのは、一羽の白鳥だった。
いいや、それは美しく着飾った、オレのお姫様だけど。瞬間的に、そう思ったんだ。ああ、なんて綺麗な姿だろう。絶世という言葉を添えても申し分無いくらいだ。
会場にようやく姿を現した彼女は、全てが真っ白なショートドレスを身にまとっていた。大胆に肩を魅せるオフショルダースタイルで、膝丈のスカートが羽毛のようにフワフワと揺れる。まるで白鳥の翼が生えたように見えた物は、腰に飾った長いリボンだった。
邪魔そうな前髪も、今日ばかりは横へ流して、ハッキリとその整った素顔を見せている。ドレスに合わせて白い髪飾りでも付ければ良いものを、オレの贈った赤いハートのヘアピンが、当然の如く彼女の左耳元に飾られていた。三つ編みを解いた灰色は、緩やかなウェーブに巻かれていて、ああ、もう、ほんとうのお姫様みたいだ。
「──シロネ、ちゃん?」
彼女だとわかっていても、その変貌ぶりは信じ難いもので。魂が囚われたかのように呆けた疑問符が出てしまった。
周りから集中する視線に耐え切れないのか、付き添いらしき先輩の方を不安げに見つめていた彼女だが、その先輩からトンッと背中を押されて。わっ、とオレの方を向いた。湖のような青い瞳とバッチリ目が合って。やはり、あの美しい白鳥が、今朝に顔を合わせた雛鳥と同一人物であることを再認識する。
監督生やデュースたちが「えっ知り合い?」「まさか、噂の雛鳥ちゃんって!」等と騒ついているが、オレはそれに答えることはなく、駆け出した。彼女の元へ。
「えっ、エース君……!」
ひとに見られる羞恥や恐怖心で震えた声、それでもオレの名前を呼んで真っ直ぐに見つめ返してくれる。
近くで見た彼女は、よりいっそう綺麗だった。一生懸命にお化粧も施したらしく、元々長い睫毛もくるんと上を向いている。チェリーみたいなピンク色に塗られた唇なんて、本物よりも美味しそうだ。きっと、この間の言葉通り"頑張って"くれたんだろうな。
周囲はますますザワザワと騒がしくなっている様子だが、もうオレの耳にはそんな雑音など届きはしなかった。もう彼女しか見えていなかったから。
「──遅い、待ちくたびれた」
「うぅっ、ご、ごめ、」
「なーんて、ウソだけど。冗談だから謝んなよ。ホントは、ちょっと心配してた」
「……しんぱい?」
「うん。オレ振られちゃったかもー、って」
彼女はびっくり目を丸くして「そんなわけないっ」と慌てたけど、オレがニヤニヤ笑っている事に気が付いたら、途端、ムッと不満げにチェリーピンクの唇を尖らせた。
「いまのも、冗談でしょ。エース君のいじわる」
「ふふ、悪かったよ。でも、約束通り来てくれて嬉しいのは、ホントだから。今日のお前、すっげーかわいい」
「……ほんとう?」
「本当だって。心の底から思ってます」
可愛いよ、ともう一度伝えれば、彼女は不機嫌な顔をふにゃり崩して、嬉しそうに笑った。ほんと、可愛い。誰かが彼女を天使のようだ、と囁いた気持ちもよくわかる。
ただ、ひとつだけ気になっていることがあった。
「でも、そのダッサいヘアピンは外して良かったんじゃないの」
「だ、ダメだよ。これはわたしの、大切なお守りだから。……この間、言われたこと、気にしてる?」
「まあ、ちょっとだけ──」
不意に鋭い視線を感じて、オレは嫌な予感がしつつ、その灼けるような熱の方へバッと顔を向ける。
そこには、いつぞやのイタズラ3人娘が、レッド・ブルー・グリーンの髪色とお揃いの蛍光色なドレス姿で、こちらを恨めしそうに睨んでいた。思わず「ヒェッ」と怯んだ声が出てしまう。
しかし、再び愛しの雛鳥へ向き直った時、彼女があの3人娘に対して「べっ」と舌を出していたから。ギョッと驚いた。その後すぐに、フフンと何やら鼻高々に自慢げな顔をしたのが可愛くて、オレは「ふはっ」と声を我慢出来ずに笑ってしまった。
「お前って、意外とイイ性格してるよね?」
「……だって、わたし、ちょっと怒ってるから。わたしの宝物、ダサくないもん」
彼女があんな風にひとを挑発するような真似したり、そんな幼く拗ねた顔もできるだなんて、知らなかったな。
意外に思って、すぐに当然かと思い直した。何せ彼女も、オレと同じ闇の鏡に選ばれたひとり、立派な魔法士を目指す名門校の生徒なんだから。虐められやしないだろうか、なんて、きっと要らない心配だった。そもそも、あの程度の相手に負ける子ではないのだ。
そこまでオレの贈り物を大切に想って付けているのであれば、もう何も言うことはなかった。
「──じゃあ、お手をどうぞ。お姫様」
白に包まれた手を彼女に向かって差し伸べながら、オレはそう吐き出した。こんな、漫画とかドラマみたいな気取った台詞。恥ずかしくて絶対言えるもんかと思っていたけど、彼女の為ならオレは、王子様にもなってみせると決めたから。
「わ……エース君、かっこいい……!」
「バカ、茶化さなくていーから、早く」
「はいっ、王子様」
初めて出会った時は、この手を取ってさえくれなかった、けれど。
彼女は心の底から嬉しそうな顔をして、オレの手を大切に掴んでくれた。
「ああ、どうしよう……わたし、こんな幸せな気持ちになれたのは、初めてだよ。まるで、夢を見てるみたい……」
「ばーか、夢なわけないだろ。何なら、その可愛いほっぺた抓ってやろうか?」
「や、やだっ、もう、エース君ったら。……ふふ、ありがとう」
その美しい笑顔を見て、オレは。
ふと、あの悲しい雛鳥の童話を思い出していた。
ああ、そうだ。みにくいと蔑まれ孤独に生きた、灰色の雛鳥は、最後──誰よりもいちばん美しい、白鳥になるんだ。
この昂る誇らしさは、愛おしさは、周りに思いっきり知らしめてやらなきゃ、気が済まない。だからオレは、会場中へ響き渡るくらい、めいっぱいに叫んでやったのだ。
愛くるしい黄色のヒナたちよりも、お伽話の可哀想な白鳥よりも。この場に居る、誰よりも。
きっと、どんなお姫様にも負けないくらい。
「お前が世界でいちばん、きれいだよ」──と。
めでたし、めでたし。
2020.12.24公開