トランプ兵と雛鳥ちゃんの話
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みにくいアヒルに、真心を
「はーっ、疲れた……」
寮のシャワールームで汗を流した後、まだ明かりの付いている談話室まで戻ってきた途端、そんな言葉が自然と溢れて、オレは近くのソファーへずっしり腰を下ろした。ヘトヘトに疲労した身体は、そのふかふかなクッションによく沈み込む。
今日は"寮対抗マジカルシフト大会"が開催されて、なんとオレは色々あって特別に、その本戦が始まる前のエキシビジョンマッチに出場することが叶ったのだ。
まあ、相手はサバナクロー寮、どんなに魔力を消費して身体もぼろぼろで弱っていたとは言え、プロ選手にも匹敵するような流石の動きを見せ付けられて、結果は見事に負けてしまった(ゴーストもモンスターも入り混じる即席メンバーだから仕方ないっちゃ仕方ない)けど、結構、いや、正直とても楽しかった。
しかし、シャワーで今日の汗を流した途端に、ドッ、と疲れが一気に出たらしい。そして心身共に疲れ切っているのは、当然、オレだけでは無い。公式戦に出場した先輩方はもちろん、オレ──エース・トラッポラ君と同じく特別枠で参加したデュース・スペードも、応援側だった生徒たちも、今日は興奮しきって相当疲れたことだろう。だからこそ、いつもなら消灯時間ギリギリまで賑わう談話室にも、オレ以外ひとの姿がないのだ。ほとんどの寮生はもう自室に戻って、早いとこ夢の中へ落ちたんだろうなあ。
お気に入りの赤いフェイスタオルでがしがしと湿った頭を拭いながら、オレは気紛れにスマートフォンを取り出した。パッと光を点したホーム画面に、珍しい通知を見て「お?」と驚きの声を溢す。その声には思わず、喜びの音も混ざっていた。
メッセージアプリに伝言が届いたという簡易通知。そこには「シロちゃん」なんて可愛らしい文字が並んでいた。送信者の本名は、シロネ・アンカナールちゃん。ウチの姉妹校であるシャノワール魔女学校に通う1年生、交流会で仲良くなった可愛いお友達だ。姉妹校との交流会において、オレは面倒ながらもその代表生徒に選ばれてしまった訳ですが、おかげで彼女と親しくなれたから、まあ、割と悪い役職でもない。(ちなみに、シロちゃんとはオレが勝手に付けたニックネームである。実際に呼ぶと怒られるけど、ぷんすこ怒った顔も可愛くて懲りずに呼んでしまうのだ)
珍しいなあ、あの子の方からメッセージをくれるなんて。ドキドキと胸を甘く高鳴らせながら、アプリを開いた。
『マジフト大会すごかったね。エース君が出場しててビックリしました。かっこよかったです。おつかれさま』
絵文字もスタンプも無い地味な文章だったけど、その文章から、きっと、本当にびっくりして自分のことみたいに喜んでくれたのであろう彼女の姿が、容易に想像出来てしまったから。うっかり「へへ」なんて笑い声が溢れて、口元がだらしなくニヤける。オレはすぐに返信した。
『ありがとー! お前も観に来てたんだな。ぼろ負けしたわ』
やや間を開けて、また彼女から次のメッセージが届く。
『まだ起きてたんだね。先輩に誘ってもらったの。観られて良かった。負けても楽しそうで、素敵でした』
大会前の、選手入場パレードの際に起こった事件には触れてこないから、どうやら彼女とその先輩は巻き込まれなかったようで、ホッと安心した。
『今度来る時はオレに連絡してよ、いっしょに出店とか回りたかった』
『いいの?』
『いやオレの方がお願いしてるんですけど! だめ? オレといっしょは嫌?』
『嫌じゃないです。連絡します』
『約束な。来年はちゃんとハーツラビュル寮の選抜選手として出る!』
『エース君ならきっと来年も出られるよ。楽しみだね』
誰かと画面越しにただ他愛のない会話を交わしているだけで、こうも幸せ気分にフワフワ浮かれてしまうのは、たぶん初めてだ。来年こそは選抜選手としてのカッコいい姿を見せたい、なんて我ながら柄にもなく胸を熱くしてしまった。
それから少し話を続けたが、彼女から来た『おやすみ』の言葉を最後に、アプリを閉じてスマホの画面も消して、寝巻きと化したジャージのポケットへしまい込んだ。
早寝早起きなあの子を見習って、オレも今日はさっさと寝ようかなあ。
そう考えながら、ふわ〜っと大きな欠伸をこぼした時──
「エースちゃん、やっほー☆」
「うおわッ!?」
横から突然ヌッと現れた端正な顔に、オレはビックリして心臓が口から飛び出んばかりの声を上げた。その整った顔の持ち主は。
「け、ケイト先輩!!」
一瞬、前髪を下ろしているので誰だか即座に認識出来なかったけど、恐らくシャワーを浴びてきたばかりであろう、ケイト・ダイヤモンド先輩だった。
いつから隣に座ってたんだろ、全ッ然、気配が無かったんですけど……。オレがシロちゃんとの会話に夢中で、気づかなかっただけ、なの?
「脅かさないでくださいよ、もー!」
「あははっ、ごめん、ごめん。そこまで脅かすつもりはなかったんだけど、エースちゃんがとーってもご機嫌にスマホ見てニコニコしてるから、何がそんなに嬉しいのか気になっちゃって、ね?」
「はあ、いや別に、友達とメッセージしてただけですけど」
まったくもって、嘘は、ついておりません。──が、ケイト先輩は口を尖らせて「ふうん?」なんて意味深に呟き、ニンマリ妖しい笑顔を浮かべた。
「てっきり、愛しの雛鳥ちゃんと楽しく会話してたからゴキゲンさんなのかなー、と思ったのに」
「ひなどり?」
「最近、ちょっと仲良いんでしょ。ノアールラック寮、期待の新1年生、得意科目は実践魔法で美術部所属の、シロネ・アンカナールちゃん」
なん、何でそこまで知ってるんだ、このひと!? 怖ッ!
オレの驚きと怯えはそのまま表情に出ていたのか、先輩は当たり前のような顔をして「オレも姉妹校に仲良しの"お友達"が居るからねー」そういう噂話には敏感なんだ、と軽くウインクして見せた。
まあ、何年も姉妹校交流の代表生徒やっていたら、自然と詳しくなるモン──なのか?
「な、仲良しっていうか、ちょっと、気が合うだけですよ。愛しの〜、とか、そういうんじゃなくて、ただの友達っす」
「へえ、なあんだ、残念。エースちゃんには割と無理言って代表生徒を任せちゃったから、せめて、恋のお手伝いくらいはしてあげようかなあ〜、とか考えてたけど、余計なお世話だったね?」
わざとらしく肩をすくめて「ごめん、ごめん。じゃ、おやすみ〜」そう立ち去ろうとするケイト先輩。オレは、咄嗟に、その肩をがっしり掴んで引き止めていた。
「……先輩。お手伝い、って?」
ああ〜っ、何してんだオレ。今の会話の流れで引き止めたら、もう、認めてしまったも同然だ! オレが、アイツのこと、好きだって。
「えー、気になる? でも、その子とは何でもないんでしょー? ただのお友達じゃないの、エースちゃん」
うぐぐ。先輩はニヤニヤと愉しげに笑い、オレは頬へ集中する熱を感じながら唸った。
「……すっ、」
「す?」
「好きな、女の子、です。あの子と、お、オ近ヅキニナリタイ、ッス」
自分の気持ちを素直な言葉にすることは、ああ、なんて難しいんだろう。先輩にも「何でカタコトなの!?」と、ひとしきり大爆笑された。ちくしょう、恥ずかしい。
「はーっ、ごめんね、からかい過ぎた。そういう事なら、素直で可愛い後輩ちゃんのために、けーくんもお手伝いしてあげる」
にこっ、と人懐っこい笑顔を向けるケイト先輩の背中には後光が差して、まるで救世主のようにさえ見えた。
「オレ、けーくん先輩がこんなに頼もしく思えたの、初めてです!」
「んん、なんか引っ掛かる言い方するね? まあ、いーけど」
マジカメチェックを日夜欠かさないケイト先輩は趣味がカフェ巡りだと言うし、人気のデートスポットにも詳しいだろう。
そして、何より、姉妹校交流の代表生徒としても先輩のこのひとは、女子生徒との交流にも人一倍慣れている筈だ。正直、頼もしい事この上ない!
「じゃあ、早速なんだけど──」
ケイト先輩は機嫌良くニンマリ笑って、ぽんぽん、とオレの肩を叩いた。
「ちょーっと"また"エースちゃんにお願いしたいことがあるんだよね♪」
❤︎❤︎❤︎
寮対抗マジカルシフト大会から明けて、翌日の放課後。
オレはひとり、特別に闇の鏡を通り抜ける許可を貰って、シャノワール魔女学校へと訪れていた。えっほえっほ、と重たい段ボール箱を抱えながら。ケイト先輩に預けられたコレの中身はよくわからないが、クリスマスの合同ダンスパーティーに関するプリントとか、新1年生を含めた代表生徒のリスト表、交流会で扱った備品など、何やら色々重要なものも詰まっている……らしい。
ケイト先輩の頼み事とは、この段ボール箱を姉妹校の職員室へ届けること。ついでにその帰り際、こっそりと愛しの雛鳥ちゃんにも近付こう、という作戦らしい。──って、言葉巧みに送り出されたけど、まーた、オレが都合良く雑用仕事やらされてるだけだよな!?
くそう、まんまと騙された気がしてならない。でも、こういう特別な理由や月一の交流会なんてものが無ければ、なかなか他校へ足を運べる機会なんて無いし、意中のあの子と直接会う事も難しいから。まあ、確かに、有難いっちゃ有難いんだけど……。
「失礼しましたー」
とりあえず、職員室へのお届け物は無事に配達完了。女性の先生たちばかりで、妙に甘くて良い匂いのする職員室はさっさと後にして。廊下で擦れ違う女子生徒たちの奇異な目線にドギマギしながら、遅刻して慌てる白ウサギのような早歩きをする。
なんだか、初めてシロちゃんと出会った時、慌ててオレやジャックたちの前から逃げ出してしまった気持ちも、いまさらになってわかるような気がした。異性しか居ない空間とか、なんか変に緊張しちゃって、居た堪れない。
早いとこ本来の目的地へ向かおう。確か、今朝のスマートフォン越しの会話によると『放課後は中庭に居るから。声を掛けてもらえたら嬉しい』なんて、あの子は可愛いことを言ってくれた。
外廊下を抜けて、目的の中庭へ出ると。そこは、華やかな桃色が美しい、一面の薔薇の庭園だった。
「うわ、すっげー。ウチの地味な中庭とは大違いだ……」
思わず、独り言が溢れるくらいの光景に、オレは目を見張る。自慢の薔薇園ならハーツラビュル寮の迷路だって負けてはいないけど、シャノワ校内に咲く薔薇はピンク色ばかりで華やかだ。リンゴの木と井戸ぐらいしか見所のない、レイブン校の中庭が少し地味に思えてしまう。
桃薔薇に囲まれた白いレンガの道を歩いて行くと、奥の方に綺麗な池が見えてきた。その傍らには生徒たちの憩いの場になっているであろう、屋根付きのベンチもある。そんな休憩所の隅っこに、ひっそりと腰掛ける灰色が居た。
見覚えのある小柄な後ろ姿を見つけたことが嬉しくて、どきどき胸の奥が踊る。タッ、と駆け足でその背後へ近付いた。
「シロちゃんっ♪」
語尾に音符でも付きそうなご機嫌な声色で、俺が勝手に付けたあだ名で声を掛ける。──が、しかし。
「……あれ、」
白鳥の雛鳥みたいな灰色が振り返ってくれる事はなく、返事すらしてくれなかった。え? 無視??
「おーい、シロネさーん」
今度はちゃんと名前を呼びながら、横からひょっこり彼女の顔を覗き込む。──けど、全くこちらを向く気配が無い。長い前髪の隙間から覗く青い瞳は、目の前の池を何度も繰り返し見直している。
彼女のすぐ隣まで近付いて、ようやく気が付いた。愛用のスケッチブックに、マジカルペンの先を魔法で色変えしながらサラサラと動かして、彼女は"絵"を描いていたのだ。紙の中には、もうひとつの桃薔薇に囲まれた池と、仲睦まじく戯れるアヒルの親子の姿を映した、風景画が描かれている。
オレ、そういう美術系とか全然詳しくないんだけど。一切の迷いもなく動かされる華奢な手や、その色鮮やかに足されていく一筆一筆が、ただ純粋に、すごい、と感心してしまった。きれいだなあ。オレにはなんか綺麗な池、としか見えていない景色が、彼女の目にはピンクにも緑にも青にも輝いて見えるようで、その繊細な指先によって、よりいっそう美しいものへと昇華されていくから──。
オレは集中している彼女の邪魔をしてしまわないように、そーっと意中の人の隣へ腰掛けて。しばらくの間、時を忘れてしまうほど、彼女が描く美しい景色に見惚れていた。
リーンゴーン、夕暮れを知らせる鐘の音が耳に届いて、オレは「はっ!」と我に返る。気が付けばもう、部活動をしている生徒が帰り支度を進めるような、夜の近い時間になっていた。辺りは既に眩しいオレンジ色へ染まっている。
彼女はまだ描画に集中しているようで、なんだか申し訳ない気もしたが、再び声をかけた。
「シロネ、もう帰る時間だぞー?」
やはり返事が無いので、さすがにちょっと腹も立ってきたオレは、彼女とスケッチブックの間にヌッと横から頭を差し込んだ。鼻先が触れ合いそうな距離まで近付いて、ようやく、長い前髪の隙間から覗く青い瞳と、視線が絡む。途端「ひゃあッ!?」なんて、高く可愛らしい女の子の悲鳴が響いた。
「え、えーす、くッ、な、何で!? いつから、ええっ!?」
大袈裟なくらいビクーッと仰け反り慌て出す姿が可笑しくて、オレはケラケラ笑いながらパッと距離を取る。
コイツ、本当にずーっとオレの存在に気が付いてなかったのか。どんな集中力だよ、凄いな。お互いの肩が触れそうなぐらい、割とすぐ隣に座ってたんだけどね。
「たぶん、1時間前? くらいから、見てた。お前、めっちゃ絵うまいんだなあ」
未だに状況把握が上手く出来ていないのか、首を傾げて戸惑う彼女に「今朝、シャノワ校に届け物しに行くってメッセージしただろ?」と再確認する。何故オレがここに居るのか、という疑問はそこで解決したようで、彼女は口元を緩ませて「ほんとうに来てくれたんだ」とか、嬉しそうに言うから。あー、もう、ドキドキする。
「声、かけてくれたら、良かったのに」
「何度も声掛けしましたー、シロちゃん全然気付いてくれなかったけどな!」
「あ……そ、そうだったの、ごめんね……って、あの、その呼び方、恥ずかしい、から、や、」
「ふーんだ。ゼッタイ、やめてやんね」
「い、いじわる……」
むっと口を尖らせるコイツも可愛いけど。何回も無視されて寂しかったから、これからも遠慮なくシロちゃん呼びしてやろうと思います。べーっ、と舌を出してやった。
「──ところで、お前やっぱり、絵描くの好きなんだな」
「やっぱり?」
「ほら、いつもスケッチブック持ってたからさ。実際、描いてるとこ見たのは今日が初めてだけど、美術部って聞いたし、」
「うん。好き」
短い二文字の言葉は、決してオレに向けられたものではないのに、オレを真っ直ぐ見つめて言うものだから。どきんッ、と心臓が跳ね上がってしまう。夕日の光で、どうか、オレの顔が赤いことはバレませんように、なんて密かに祈った。
「絵を描くことは、好き。夢中になれるし、魔法士としての想像力も鍛えられる、から」
彼女の言葉にふと、いつかの全校集会で、ディア・クロウリー学園長も似たような事を言っていたような記憶が、ぼんやり思い出された。
思い描いた通りの魔法を使うのに必要なのは、イマジネーション。想像をより具体化する力を鍛えるために絵や文章を書く習慣をつけている、なんて魔法士もいます。──とか、言ってたっけ。
なるほどねー。彼女も実際に成績優秀のようだし、その効果は確かにあるんだろう。
「あの、エース君、お願いしたいことが、あるんだけど……」
突然改まってどうしたのかと思えば、何故だか恥ずかしそうに目線を逸らしてモジモジし始めた彼女。そんな姿も可愛らしいなんて惚れた盲目になりながらも、何事だろうかと、今度はオレが首を傾げた。
「え、エース君のこと、描いても、良い?」
へっ、と驚いて変な声が出た。
スケッチブックの真っ新な白いページを見せて、誠心誠意「おねがいしますっ」なんて頭を下げる彼女に、オレは慌てて「恥ずかしいからやめろって」とすぐに頭を上げさせた。
「寧ろ、描いてもらえるなんて、嬉しいっていうか、うん、なんか照れるけどさ、良いよ?」
「あ、……ありがとうっ」
じゃあ、早速! なんて嬉しそうな彼女はすぐにマジカルペンを構えたものだから、まーたビックリ驚かされる。
「いまから描くの!?」
「だいじょうぶ、すぐ出来るから」
「どのくらい?」
「10分か、15分ぐらい」
「え、はやッ」
ひとの似顔絵ってそんなに早く描けるもんなの? 昔、エレメンタリースクールの頃に描いた自画像とか、何時間も苦労させられた記憶があるんだけど。
まあ、すぐ描けると言うなら、良いか──って、オレが渋々納得した時にはもう、彼女は先程と同じく真剣な顔付きでスケッチブックに向かっていた。
オレの顔を数秒まじまじと見つめて、かと思えば手元に目線を落として、ペンを軽やかに走らせては、またオレを穴が開きそうなくらいに見つめる。それを何度も繰り返すから。その、まるで愛しい者を見るような、熱っぽい視線がどうにも気恥ずかしくて、サッと反射的に顔を逸らしたら。
「だめ。こっち、向いて」
普段よりも大きめの声で叱られた。はい、すみません。照れ臭さに耐えながら、再び彼女の方へと向き直す。顔から熱くて火が出そうだ。
仕方ないので、オレも彼女の真剣な姿を観察することにする。いつもの引っ込み思案でオドオドしているアイツじゃない、キリッと凛々しい顔をした絵描きの姿があって、ちょっとだけ、カッコいい──なんて思う。でも時折、さっさっ、と自分の長い前髪を邪魔そうに払う仕草が気になった。
「……なあ、」
思わず声を掛けようとして、描画に集中している彼女はなかなか呼び掛けに応じてくれなかったことを思い出し、口を閉じた。
仕方ないから、似顔絵が完成するまではじっと黙っていよう。
それから、本当に10分くらい経って「できたっ」という彼女の嬉しそうな声が弾んだ。おおっ、とオレの期待に満ちた声も溢れる。
改めて、スケッチブックを見せてもらった。少し丸みのある可愛らしい雰囲気のイラストになっていたけれど、そこには紛れもない"オレ"が居た。鏡以外で見る自分の顔って、不思議な感じ。彼女から見たオレは、パチンとウインクしながらニッと歯を見せて明るく笑うらしい。
「へぇ、オレ、こんな風に見えてんだ。ふふーん、カッコいいじゃん。やっぱりモデルが良いと絵も映えるなー」
「うん。エース君、綺麗なお顔してるから、いちど描いてみたかったの。ありがとう」
「お、おう……あんまり、素直に返されても困ると言うか、照れる……」
そういう言葉は全然恥じらわずに言うんだよなあ、コイツ。冗談のつもりが本気で返されたことが結構照れ臭くて「えへへ」とか変な笑い方をしてしまった。
「ね、これさ、写真撮ってマジカメに上げても良い? 何ならアイコンにしたいわ」
「え、そ、そんなに、気に入ってくれた、の?」
「想像以上にめちゃくちゃ嬉しい」
「……よかった。わたしも、嬉しいな」
さすがにスケッチブックを破らせることは申し訳なく思えたから、スマートフォンのカメラ機能でその絵を収めさせてもらう。すぐに似顔絵をマジカメへアップして、アイコンも変えたことを見せたら、今度は彼女が照れ臭そうに「えへへ」なんて笑うから。きゅん、と胸の奥が鳴るくらい、可愛かった。
「へへっ、ありがとな!」
「こちらこそ」
また機会があれば、もっと時間をかけて描かせてほしいともお願いされて、勿論オレは即答で了承した。
しかし、彼女がまた、自分の前髪を邪魔臭そうに払う仕草をしたものだから。
「……あのさ、」
さっきから気になって、いや、初対面の時から気になっていたことを、口に出してしまった。
「お前って、何でそんな前髪伸ばしてんの。邪魔なら、切っても良いんじゃない? 絵を描いてる時も、邪魔そうに払ってたからさ」
すぅ、とその場の空気が冷え切る感覚がした。彼女の口元から、笑顔が消える。あ、やばいこと、聞いちゃったのかも、しれない。
「……切ったら、だめなの」
前髪越しに目元を押さえながら俯く彼女の声は、なんだか、苦しげだった。
「駄目って、何で」
「見せたくない」
「顔を?」
「うん。だめ、だから」
「いや、意味わかんないし、」
「わたしは、みにくい、から」
彼女が何を言っているのか、全くもって理解出来なかった。
「──は?」
我ながら分かりやすい、怒りのこもった低い声が溢れた。びくっ、と彼女の肩が怯えによって震える。でも、無性に腹が立ったのだ。
だって、オレは。お前に、その僅かに見える青い瞳に、一目惚れをしたんだ。自分でも驚いて、呆れてしまうほどの、恋をしたのに。……それを本人が"醜い"なんて否定するとか、何だよ。
「エース君だって、きっと、わたしの顔、はっきり見たら。嫌いに、なる」
ふざけんな、と叫んでしまいたくなった。こんなに腹の奥がムカムカと煮え滾る感覚は久しぶりだ。真紅の暴君を感情のままに殴り付けた時以来、だろうか。
「……勝手に決め付けるなよ。オレはまだ、好きも嫌いも言ってないだろ」
「でも、せっかく、友達になれたから。嫌われたく、ないから」
「嫌わないよ」
「そんなの、わからない、」
「じゃあ、オレが嫌うかどうかもわかんない、でしょ」
「でもっ」
「絶対、嫌わないから。大丈夫。だってオレ、お前のこと──」
なるべく優しい声色を心掛けて、彼女の必死に隠そうとする顔へ、そろりと伸ばしたオレの手は。バチンッ、と強めに叩き払われた。
「あッ、」
彼女の口から弱々しい声が落ちる。
「っ、ごめん、なさい……」
邪魔な前髪の隙間から、ほろり、透明な雫の落ちる様を見た。
スケッチブックを両手に抱えて立ち上がり、夕暮れの向こうへ走り去っていく彼女を。オレはその小さな後ろ姿を、また、追いかける事が出来なかった。彼女に逃げられてしまうのは2度目だけれど、1度目と違って、今の行動には明らかな拒絶があったから。
激しい自己嫌悪に、頭を抱える。嗚呼、もう、オレというヤツは、どうして。自分自身の馬鹿な軽率さや空回る好意を、深く、深く恨んだ。
「あーあ……エース君ってば、好きな子泣かしちゃって、ほんッとサイテー……」
❤︎❤︎❤︎
あれから、彼女とは連絡を取れていない。
マジフト大会後のように彼女からメッセージが来ることなんて当然無くて、オレからも謝罪の一言すら送る勇気が無かった。完全に嫌われてしまったんじゃないかと思ったら、いざ送ったは良いが無視されてしまったら怖いとか、やな事ばっかり考えてしまう。我ながら本当にもう、情けない。
オレの落ち込みっぷりは側から見ても結構ヤバかったらしく、クラスメイトの監督生やグリム、あの鈍感そうなデュースにまで「何か悪い物でも食べたのか?」なんて心配された程だ。腹痛ではねえわ、バーカ。
更には、またいつぞやの夜と同じように、シャワー上がりのケイト先輩から「ここ最近ずっと、この世の終わりみたいな顔してるけど、大丈夫?」なんて声をかけられた。どんな顔ですか、それ。
恋のお手伝いをしてくれる、なんて言ってくれたケイト先輩の好意に甘えて、オレは談話室のソファーで膝を抱えて縮こまりながら、先日の出来事を──彼女を、泣かせてしまったことを、一部始終ぽつぽつと話してみた。
「あちゃー……それは、うん、やらかしたね。さすがのけーくんも、エースちゃんのこと庇ってあげられない、かも」
素直な後輩には優しいケイト先輩も、今回の件には苦笑いを浮かべるしかない様子だった。当然の反応だと思った。
「相手の事情も何もわからないまま、自分の好きって気持ちばかり先行しちゃったんだ?」
「はい、その通りです……。でもっ、ムカつくじゃないですか。せっかく、綺麗な目と可愛い顔してるのに、」
──なのに、どうして"醜い"なんて言うんだろう。例えそれが本人の口から出た言葉であろうとも、自分の恋したひとを貶す言葉は、気に食わなかったのだ。
「まあ、エースちゃんの気持ちもわかるよ。けどさ、その子にはその子の事情があって、隠したい、触れられたくない問題なんだろうね。すごく、嫌がっていたんでしょ。なら、そっとしておいてあげた方が、良いんじゃない?」
「……そう、すね、」
彼女の、邪魔そうに前髪を払う姿が、苦しそうに振り絞ったような声が、忘れられない。本当はアイツも、周りと同じように、当たり前に、心置きなく素顔を晒せたら良いと願ってるんじゃないだろうか。しかし、どうにも"醜い"なんて言葉が、謎の思い込みが、それを邪魔しているらしい。
ケイト先輩の言う通り、深入りせずに放っておいた方が良いコトなのかもしれない。オレはアイツにとって、なんでもない、ただの他校のお友達なんだから。けど、やっぱり、オレは──。
「キミたち、まだ起きていたのかい?」
突如、背後から鋭い声が通り抜けて、オレとケイト先輩の「うわッ」「わあっ」なんて驚く声が重なった。
「り、リドル寮長っ」
慌てて振り返れば、そこにはブランド物っぽいクラレットカラーなパジャマ姿の、リドル・ローズハート寮長がいらっしゃった。怪訝そうな顔つきで腕を組みながら「もうすぐ消灯時間だけれど」と告げる。
ケイト先輩はパッと手元のスマートフォンで時間を確認して「あっ、ほんとだ。やば」なんて、あからさまに焦った声をあげた。
「お喋りはこのくらいにして寝よっか。来週また代表集会あるから、その時にでも直接謝って、さ。そしたら雛鳥ちゃんとも仲直り出来るよ、きっと。だから元気出して……ね? エースちゃん」
憐れみのこもった眼差しで、ぽんぽん、とオレの肩を叩いて立ち上がるケイト先輩。オレは弱々しく「……はい」と返答して、彼の後へ続くように立ち上がり、談話室を出ようと廊下へ向かった。
ところが。
「ちょっとお待ちよ、エース」
まさか、リドル寮長に呼び止められるとは思わなくて、ビクッと驚きで肩が大きく跳ね上がる。ついでに心臓もバクバク早さを増すが、この高鳴り方はとても嫌な感覚だ。
え、なに、こわ。オレなんか寮長を怒らせるようなこと、したっけ? ──正直、心当たりがたくさんあり過ぎて、どれがバレたのか全然わからない。
ケイト先輩は巻き添え食らってなるものか、とでも言わんばかりに、そそくさと白ウサギの如く早足で逃げ去ってしまったし……。
「な、なんすか、寮長?」
恐る恐る、ブリキの人形にでもなった気分で、ギギギッと振り返る。しかし、オレよりも小さな女王様は決して、お怒りの表情などしていなかった。
「その、盗み聞きするつもりはなかったのだけれど、キミたちの会話が少し耳に入ってしまってね、」
バツの悪そうな顔して目線を逸らす、そんなリドル寮長の反応は珍しくて。オレはポカーンと口を開けたまま、呆けてしまった。
「……なんだい、その間抜けな顔は」
「うぇ、す、すみません」
すぐにいつもの凛とした表情に戻った寮長は、ゴホンッと咳払いで気を取り直して、そのまま言葉を続けた。
「余計なお節介とは思うし、これはボクの独り言だと思って、聞き流してくれても構わない」
ただ、キミが想いを寄せる雛鳥の少女、その複雑な心がボクには少しだけわかるような気がする──と、彼は言った。
「言葉には"呪い"が宿るものだ」
え、と呆けた声が落ちた。
「他人から掛けられる言葉は何も、全てが好意的とは限らない。時には悪意を持ってぶつけられることも、何の気無しに放った言葉で傷付け合ってしまうこともあるし、そのひとの意思や考え方を偏ったものに縛り付けることだってある」
それは、このひとが。長年、母親という存在に、厳しく管理する事こそが"愛"であると思い込まされて、可笑しな
「キミには特別愛らしく思えるその雛鳥も、恐らく、そんな呪いに苦しめられているのかもしれないね」
オレの知らない誰かによって植え付けられた、自分を"醜い"と思い込まされる、呪い──か。
「しかし、ね。そう言った言葉の呪いを解いてやれるのも、同じ"言葉"であるとボクは思うよ」
リドル寮長は、初めて見たんじゃないかと思うくらい、優しくて穏やかな微笑みを浮かべる。
「
「……ははっ、さすがは我らの寮長」
ちょっと前まで暴君に成り下がっていたこの女王様は、いつぞやはオーバーブロットなんかして派手にすっ転んでいたが、どうやら、そこから上手いこと強く立ち上がったらしい。
まっ、あの時のオレがした事なんて、気に入らないから、思いっきりブン殴ってやったくらいだけど。──好きな女の子相手には、当然ながら、そんな酷い真似は出来ない。
でも確かに、真っ直ぐガツンと言葉をぶつけてやる方法は、悪くないのかも。例え、また傷付けてしまう結果になろうとも、嫌われようとも。
結局のところ、諦めず声を掛け続けるしかない、ってことだよなあ……。
「さて、ボクも早々に休むとするよ。エースも、あまり深く悩み過ぎないように。色恋沙汰に現を抜かすあまり、寝不足で授業に支障が出たり、成績を落とすだなんて事がないよう。学生の本分は勉学なのだからね」
「わ、わかってますよーっだ! お説教は結構なんで、さっさと寝てくださいよ、もう。寝ない子は身長伸びねえっすよ」
「なっ、き、キミというヤツは、まったく! ……まあ、いつもの調子が戻ったようで、何よりだよ。では、おやすみ」
「へーい、おやすみなさーい」
オレは一足先に談話室を去っていったリドル寮長の後ろ姿を、ひらひらと軽く片手を振って見送った。
厳格でおっかないばかりと思ってた女王様も、なんだかんだ、オレのこと心配してくれてたのかも、な。
──よし。
意を決したオレは後日、ひとまず"ある物"を探す為に、麓の街を駆け回るのだった。
❤︎❤︎❤︎
それから、1週間後。
久しぶりの代表集会は前回と違って、シャノワール魔女学校の講堂で行われた。オレにとってはまだ不慣れな、2度目の参加である。
色鮮やかなステンドグラスに囲まれた広い室内で、前回と同じく講堂の一番後ろの窓際の席へ、三つ編みに結われた灰髪の後ろ頭を見つけたけれど、……敢えて、声は掛けなかった。
実は姉妹校交流会のリーダー的ポジションに付いていたケイト先輩が、その日の集会の司会に立って「期末テスト明けから本格的にクリスマス合同ダンスパーティーの準備が始まりますので、よろしくお願いしまーす」なんて話を聞かされる。パーティーの開催を知らせるポスターの作成、全校生徒に配布するプリントをまとめる等、雑用仕事を手際良く終わらせた後に、粛々とその日の集会は終了した。
外はもうすっかり、眩しいオレンジ色だ。リーンゴーンと、夕暮れを知らせる鐘も鳴る。
集会が終わったら真っ直ぐ自寮に帰る決まりではあるのだが、オレはまた、美しい桃薔薇たちに囲まれた中庭へと訪れていた。
今朝、ある約束をしたからだ。『集会の後、中庭へ来てほしい。この間のことを謝りたいし、どうしても渡したいものがあるから』──と。あの子に、覚悟を決めてメッセージを送った。そして、ついさっき『待ってます』と言葉が返ってきたから。
オレは桃薔薇に囲まれた白いレンガの道を走る。夕日で光り輝く綺麗な池が見えてきて、その傍らの休憩所、屋根付きのベンチにお行儀良く腰掛ける雛鳥の姿が見えた。
「シロネ!」
駆け寄りながら声を掛ければ、彼女はビクッと大袈裟なほど肩を跳ねさせて、でも、すぐにこちらを振り返ってくれた。ベンチから立ち上がり、自らオレの方へ歩み寄っても来てくれて──。
「えーす、くん、あの、」
いつも通り、辿々しくて絹糸のような細い声が、なんだか妙に安心する。
「……この間は、ごめんなさい」
しかし、その言葉が続くのは予想外だった。深く頭を下げる彼女に、オレは慌てて肩を掴んで、無理やりでも顔を上げさせる。
「な、何でお前が謝るんだよ、オレが軽率で馬鹿な真似したのが、悪いのに。ごめんな。お前のこと何にも知らない癖に、嫌な事してごめん」
「ううん、違う、わたしが勝手な怖がりで……大事なお友達を、信じられなかったのが、よくなかったと、思うから……」
ごめんね、きらいにならないで。
そんなことを、今にも泣き出しそうな震えた声で言うものだから。
なんだか、無性に抱き締めてしまいたい気持ちに駆られたけど、ぐっと踏み止まって。代わりに、彼女の華奢な手の甲に指先を伸ばして(手を握り締める勇気まではなくて)軽くチョンとだけ触れた。
「だから、嫌わないって、言ったじゃん」
今度は、叩かれて拒絶されることもなかった。
ようやく自ら顔を上げて、真っ直ぐオレを見つめ返してくれた彼女は、長い前髪の隙間から見える青い瞳を潤ませている。
「……ちょっと、お願いがあるんだけど。手、広げててくんない?」
突然のお願いに、彼女は不思議そうに首を傾げながらも、オレに言われた通り両の手のひらを広げた。
「ん、ありがと。──ところで、ここに何の変哲もないハンカチがあります」
オレは全くタネも仕掛けもない、白地に赤いハート模様が小さく大量に描かれているだけの、派手なハンカチを取り出した。それを広げたり丸めたり、振って叩いて見せたりする。
当然ながら、オレの謎の行動が理解出来ずに、ますます不思議がる彼女。
「これを、シロちゃんの可愛い手のひらに被せまして──」
オレはそんな様子に構うことなく、広げたハンカチを、ふんわり、彼女の両手に落とした。そして、ちょうど折り目が付いた、真ん中の部分を片手の指先でキュッと掴む。
「いち、にーの、さんっ」
簡単なカウントダウン後、パッ、とハンカチを取り払えば、そこには。
「えっ! わ、あ!? な、なんでっ、何にも無かったのに!」
彼女が驚き慌てふためくのも無理はない。何も無かったはずの手のひらに、突如、真っ赤なリボンと透明なラッピング袋に包まれた"贈り物"が現れたのだから。
良いリアクションしてくれるなあ。思っていた以上の反応を貰えて、大満足のオレは「ふふん」と鼻高々に笑った。
「いったい、何の魔法を、使ったの?」
「魔法じゃねーよ、ただの簡単な手品」
「て、手品?」
「そ。オレ、結構得意なんだよねー、なかなかの腕前でしょ?」
「び、びっくりした! 全然、どうやったのか、わかんない。エース君っ、すごい、すごいね!」
さっきまで泣きそうな声と瞳をしていたのに、大喜びでキラキラしちゃって。練習し直した甲斐あったわ、ほんと。
「それ、あげるから」
オレは彼女の手のひらに出した、贈り物を指差して言った。
「これは……ハートの、髪飾り?」
先日、麓の町を駆け回って探したもの。それは、彼女に似合うと思って買った髪飾りだった。
普段なかなか入り難い女性向けのアクセサリーショップや雑貨屋など、とにかく色々見て回った癖に、結局選んだ物は。なんというか、エレメンタリースクールぐらいの女子が好みそうな、赤いハートの飾りが付いたヘアピン。2本セット。……正直に言うと、まだアルバイトもした事ない学生には、大人っぽい上等な髪飾りなんて買える余裕もなくて。子供の貴重な小遣いでギリギリ買えるものが、それしかなかったのだ。
でも、彼女のことを想って、オレの出来る範囲で、一生懸命に選んだ贈り物ではあった。
「前髪、邪魔そうにしてたからさ。せめて、勉強したり絵を描く時ぐらいは、そういうの付けても良いんじゃない? オレの似顔絵を描いてくれた、お礼って事で」
そう言っても、彼女はやっぱり、戸惑っている。贈り物を両手で大切に抱えてくれてるから、嫌がられてはないんだと思う。けれど、彼女の青い瞳は悲しげに揺れて、あっちへこっちへ彷徨った後「でも」と"呪い"を吐き出そうとするから。オレの言葉で即座に遮った。
「そもそも、だけど。オレ、初めて出会った時にさ、お前の素顔、一瞬だけ見てるし」
大きく目を見開いた彼女の小さな唇から、え、と驚きの声が溢れた。
「ッ──お、オレはお前のこと、かっ、可愛いと思ってる、から!」
ああ、もう、ほんとにどうして、素直な言葉を口にする事は、こんなにも難しいんだろう。恥ずかしくて、顔から火でも噴き出しそうで、堪らない。
しかし、勇気を振り絞ったオレに反して、彼女は到底信じられないと言った様子で、未だ目をまん丸にしたままだ。
「……いつもの、冗談? えっと、嘘ついて、からかって、る?」
「は、はあ!? 冗談でこんな恥ずかしいこと言えるかよ、本気だわ!」
日頃の自分の行いも悪いとは言え、失礼過ぎるだろ!? と悲しくなって、つい声を荒げてしまった。
「……まあ、要らなかったら捨ててくれてもいいし、オレの勝手な気持ちを押し付けただけだから、」
「や、やだ!」
今度は彼女がいきなり声を張ったものだから、オレの方がビクーッと肩も心臓も大きく跳ねさせてしまった。
ぎゅ、と小さな贈り物を胸元へ引き寄せて、抱き締めるように両手で包み込む彼女。
「捨てない、もん。大事に、する……」
少し風が吹いたら消えてしまいそうなくらい、小さな声で「ありがとう」と、言ってくれた。
彼女はいそいそと、贈り物の透明なラッピング袋から、ハートのヘアピンをひとつ取り出す。そして、あまり慣れていない手付きでぎこちなく、長い前髪をほんの少し斜めに整えて、左の耳の上にサッと小さなハートを飾った。オレのスートメークを描いてる場所と同じ、左側。
今までは、前髪の隙間から僅かに見えるだけだった青い瞳が、左目だけハッキリと見える。よく見たら、その青色は深い湖のような色をして光り輝いており、初めて見た時より、もっと、綺麗だった。
「……うん、やっぱり可愛いよ」
胸の奥深くから溢れてきた想いは、すんなりとオレの口を出た。それを聞いた途端、ふにゃ、と蕩けるように綻んだ彼女の笑顔は。きっと、世界でいちばん、可愛かった。
ああ、いつの日か。オレの他愛無い言葉で、お前にかかった"呪い"をぜんぶ解いてやれたら良い──なんて。
その時、柄にも無いけどさ、心の底から、本気で思ったんだ。
2020.12.15公開