トランプ兵と雛鳥ちゃんの話
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初めまして、恋心
あれは、初めての中間テストからようやく解放された、とある何でもない日のことだ。
放課後。久しぶりのバスケ部の活動は楽しくて、テスト期間中に鈍ってた身体を動かしまくって、心地良い疲労感でへとへとになりながら体育館を出た。鏡舎へ向かう途中、ちょうど同じように陸上部の活動を終えたらしいジャック・ハウルや、クラスメイトのデュース・スペードと合流。さっさと寮へ戻ってシャワー浴びたいとか、お腹空いたなあとか、明日の1限目なんだっけー? なんて、いつも通り他愛もない話をしていた。
くだらない会話の内容でケラケラ笑い合いながら、鏡舎の扉を抜けたその時。背の高いジャックを見上げて前を向いて居なかったオレは、どんっ、と小さな何かにぶつかった。
「ひゃっ!」
甘い実が弾けたような、まるで少女みたいな声だった。
「おわッ!? す、すみません──」
完全にオレの不注意だ。ぶつかった相手にすぐさま謝りながら、慌てて正面を向いて、オレはぎょっと驚きに目を見開いた。
そこには例えではなくて本当に、ウチの制服によく似た格好でプリーツスカートを穿いた、オレよりも遥かに小柄な"少女"が、ぺたんと弱々しく座り込んでいた。
えっ!? な、何で──
「お、女の子ッ……!?」
──いや、何でオレよりデュースがいちばんに驚いてんだよ。
どうやらオレがぶつかったせいで、その少女は大きく後ろへバランスを崩して、尻餅をついてしまったらしい。
どうして男子校であるウチの学園に女の子が居るのかはともかく、ヤバい、やらかした。女子、という存在にあまり良い思い出のないオレは、泣かれたり騒がれたり変な噂流されたりしないように、心の底から願いながら。即座にその場へしゃがみ込んで、打ったお尻をさすりながら「うぅ」とか細く唸る少女へ、恐る恐る手を差し伸べる。
なんとなく、今まで絡まれてきた女子たちに比べたら妙に派手さのない、地味な印象の少女だった。白鳥の雛みたいなフワフワした灰髪、特に前髪を邪魔そうなくらい長く伸ばしていて、その俯いた顔はよく見えない。マジカルペン付きのスケッチブックを、とても大切そうに抱えているのが、少し気になった。
「えっと、ほんとにごめん。大丈夫? 怪我とか、してない?」
声を掛ければ、ようやく彼女はこちらへパッと顔を上げる。その瞬間、ふわっと少女の長い前髪が揺れて、灰色の隙間からキラリ宝石みたいな青い瞳が覗いた。不安げに震える小さな唇まで愛らしい。一瞬しか見れなかったその少女の素顔は、とても、可愛らしかった。心臓がやけに大きく高鳴った。
は? ……どきん、って何、今の。
少女は差し出されたオレの手に、あ、と小さく声を溢して手を重ねようと伸ばしてくれたけど。慌てたようにその手を引っ込めてしまった。代わりに前髪をササッと整えて、おろおろと焦った様子で立ち上がる。
「だいじょうぶ、です。こちらこそ、ごめんなさい、でした」
ぽそぽそと絹糸のような細い声を残して。少女は逃げるように、しゃがみ込んだままのオレとジャックの間を抜けて、走り去ってしまった──。
オレは行き場を失った手を下ろして、あー、と言葉にならない声を溢しながら立ち上がる。少女への罪悪感だろうか、胸の奥が妙にどきどきと忙しなく痛い。
「オレの第一印象、最悪過ぎでしょ……」
絶対初対面から嫌われた、と変に落ち込んでいたら、ジャックにまで「あれは嫌われたな」と追い討ちをかけられて、ますます凹んだ。
「しかし、何でウチの学園に女子生徒が居たんだ……?」
男子校では見慣れない姿にやたらと戸惑っていたデュースの疑問は最もだけど、オレにはその理由に思い当たる節があった。
「たぶん、シャノワール魔女学校の生徒だと思う」
「しゃの、わ……なんて?」
デュースにはこれも聞き慣れない言葉だったらしいが、ジャックは知っていたようで「ああ、聞いたことがある」そう言って大きな獣耳をピンと立てた。
「ウチの学園の姉妹校にあたる、女子校だろう?」
「そ。オレもそんな詳しくは知らないけど、ケイト先輩から聞いたんだよね。ウチの、ナイトレイブンカレッジとは昔々から仲良しの姉妹校らしくて。悪戯で魅惑的な黒猫ちゃんが集まる秘密の花園、なんて言われてるとか、言われてないとか?」
「どっちなんだ、それは」
シャノワール魔女学校、その正式名称はナイトシャノワールカレッジ。こちらも名門の魔法士育成学校であり、ウチの学園とは定期的に交流会が行われるほどに良好な関係らしい。
ジャックとオレの説明に、ようやくデュースのヤツも納得が行ったらしい。更に何か思い出したようで「あっ、そういえば」と声を張った。
「今朝の寮生集会で、ローズハート寮長が『今日の放課後は、姉妹校であるシャノワール魔女学校から、新一年生の見学者たちが訪れる予定だ。伝統や規律を重んじるハーツラビュル寮生として、くれぐれも可憐な少女たちへの失礼が無いよう、重々気をつけるように』──って、言ってたっけ……」
デュースとジャックからの冷たい視線がオレに突き刺さる。オレもその寮長の厳格なお言葉を思い出して、サッと血の気が引いた。
「……あの〜、さっきの件はどうか誰にも、特に寮長様にだけは、内密でお願い出来ます?」
すると、ふたりはニタァとほぼ同時に悪い笑みを浮かべて。
「うーん、どうするジャック? 僕は優等生だから、うっかりローズハート寮長に伝えてしまうかもしれないなあ」
「俺はそもそもハーツラビュル寮の生徒じゃないんだが。まあ、女に痛い思いさせた挙句、逃げられるなんて、男としてあまりに情けねえ話だよなァ」
「まったくだ。……ところで、全然関係ない話ではあるけど。明日のお昼は麓の町から人気のベーカリーショップが、出張販売に来てくれるらしいぞ。エース?」
それは、明日の昼飯でも奢ってもらえたら黙ってやっても良いけど〜? という、あからさまな脅しであった。
「お前ら、ほんっとイイ性格してんなァ!?」
翌日、結局リドル寮長への告げ口を回避するため、オレはこのふたりの分のデラックステリヤキチキンサンドを買わされる羽目になるのだった。
くっそー、この悪友どもめ! いつか仕返してやるから覚えてろよ!!
❤︎❤︎❤︎
言葉巧みな悪友たちに昼飯を奢らされるという、苦い思い出から更に数日が経ったある日の夜。
いつぞや例の姉妹校について話してくれたケイト・ダイヤモンド先輩に、オレはちょうど風呂から上がったばかりのところを呼び止められて、少し談話室で話し込んでいた。
「……魔女学校との、ダンスパーティー?」
ハーツラビュル寮生の中でも特に陽気で親しみやすいキャラクターで知られる、ケイト先輩。そんな彼から全く馴染みのない言葉の数々を聞かされて、オレ──エース・トラッポラ君はポカーンとアホ面を晒していた。
「あれ、エースちゃん知らない? ウチの学園と姉妹校で毎年クリスマスの時期に行われる、由緒正しい伝統行事のひとつだよ」
「あー……なんか、兄貴から聞いたことある、かも……」
ボンヤリとした記憶ではあるけれど、ウィンターホリデーに実家へ帰ってきた兄貴が嬉々として「兄ちゃんモテモテで困っちゃった〜♡」なんて、ダンスパーティーのお相手に色んな女の子から引く手数多でそれはもう大変だったとか、鬱陶しく語ってきたっけ。それが本当の話だったかどうかは、知らないけど。
先日も友人たちとの会話で名前のあがった、シャノワール魔女学校。その姉妹校と生徒間交流の一環として、毎年クリスマスの時期には合同ダンスパーティーが開催される、という話だった。今年はウチの学園がパーティー会場になるらしい。つまり、女っ気が極端に少ないこの男子校に、キラキラとお姫様の如く粧し込んだ女子校の生徒たちが大勢やって来て、オレらはそのエスコートなんて王子様の真似事をしなければならない、という事か。
正直、これまた面倒臭そうな伝統行事だなあ、とか思っちゃうんだけど。ふっと脳裏に浮かんだのは、あの日、偶然出会った少女の、宝石みたいな青い瞳だった。
(あの子も、参加するんだよな……?)
もしかしたら、また会えるんじゃないだろうか、そんな期待に胸が高鳴ってしまう。
オレの不注意でぶつかってしまったことをきちんと謝りたい、という罪悪感が半分。あわよくばお近付きになれないだろうか、という邪な気持ちが半分。いや、別に、一目惚れとか、そんなんじゃないんだけど。何であんなに可愛い顔を隠しているんだろう、とか。大事そうに持っていたスケッチブックには何が描かれているんだろう、とか。少し、気になるから。もういちど、あの青い瞳に出会いたかった。
オレが合同ダンスパーティーについては理解したところで、ケイト先輩は更に話を続ける。
「……で、さ。見学会とかダンスパーティーとか、そういう姉妹校との交流会での代表役を、エースちゃん頼まれてくれないかなあ〜? って声かけたんだよね」
思わず「はい?」と間の抜けた声が出た。
ケイト先輩曰く。姉妹校との交流会においては、その定期的に行われる会の計画や運営などに携わる代表生徒を、各寮から学年別にひとりずつ募らなければならない──という決まりがあるらしい。
いやいや、何それ凄い面倒臭そうなんだけど、っていうか何でオレなの?
「実は代表を任せた新一年生ちゃんが、この間の見学会ドタキャンしちゃって、ちょ〜っと大変だったんだよねえ……。それで、今はドタキャンした子の代わりを探してて。エースちゃんなら他校の女子生徒ちゃんたちとも上手くやれそうだし、お願い! 麓の町で有名なパティシエが作るチェリーパイ、奢ってあげるから!!」
「えぇッ、パイひとつで後輩のこと買収するつもりですか、先輩……それって、1年間は何かにつけて姉妹校との面倒事を、オレが任されるってことですよね……?」
「うーん、下手したら2年生と3年生も代表役やらされるね。オレがその例でーす!」
イエーイなんて朗らかなウインクとピースを決めて見せる先輩に、オレは深々呆れの混ざった溜め息を吐き出した。このひとも代表生徒のひとりかよ。
「確かに、普段あまり関わらない他寮の生徒や異性とアレコレ協力しなきゃならないから、まあまあ大変なこともあるけど〜。結構楽しいよ? 夏の合同野外学習なんかは、代表生徒たちで行きたい場所を選べるし。あ、ほら、こういうイベントに積極的に参加することで、可愛い恋人にも巡り合えちゃうかも! シャノワ校にはレベル高い子多いよ〜?」
「いや、恋人とかは別に、そんな興味ないんすけど……」
うん。全然、興味はない。無かったはず、だった。あの日、青い瞳の少女と偶然出会うことがなかったら。こんな話、すぐに断っていたと思う。でも。
オレはしばらく悩んだフリをして唸りながら俯き、渋々という雰囲気を装って顔を上げた。
「……まあ、なんだかんだ、ケイト先輩にはお世話になってますし。仕方ないから、チェリーパイで釣られてやりますか」
「あッ、良いの!? やったー、ありがとー!」
絶対断られると思ったー、なんてケイト先輩は心底ほっとしたように笑っていた。
普段こんなの嫌がるようなタイプのオレが、すんなり快諾するなんてオレ自身オレらしくないと思う。でも、交流会の代表生徒になれば、姉妹校へ何度も訪れる機会が増えるという事で。まだ名前も知らない、あの子に出会える可能性が高まる筈だから。それに、見学会の日にウチの学園に居たってことは、あの子も代表生徒のひとりなのかもしれない、って期待もあったんだ。
どうして、こんなにもあの子との再会を願ってしまうのか、今はまだ名前をつけるには曖昧過ぎる感情だけど。──逃げられると追いたくなるのが、トランプ兵の
そんな訳で。優しい後輩のエース君は、ケイト先輩に頼まれて、交流会の代表役を任される事となった。
まさか、いきなり「じゃあ明日の放課後、早速だけど合同ダンパに向けた代表集会があるから、よろしくね♪」とケイト先輩から言われた時は、急過ぎて「はーッ!?」と大声を上げたけども。
❤︎❤︎❤︎
オレの初参加となる代表集会は、ウチの学園内の講堂を借りて行われるそうで。
翌日の放課後。オレは講堂に繋がる扉を潜り抜けて、全校集会にも使われるその広々とした空間を見渡した。そこには、クセが強過ぎるナイトレイブンカレッジ生とも一切の引けを取らない、個性豊かな女子生徒たちの姿があって、なんとも奇妙な光景だった。やっぱり、普段が男子校の学園に女子が居るって、変な感じ。オマケに先輩が言ってた通り、どの子もレベル高いっていうか顔の作りが良い生徒ばかりだ。確かに、この麗しい少女たちに憧れて交流会の代表生徒に立候補するような男子が居ても、全然納得してしまう。
しかし、見渡す限り知り合いが誰も居なくて困ったなあ。ケイト先輩もまだ来てないみたいだし、見慣れぬ他校の女子生徒も混ざる中でひとりきりになるのは、正直かなり心細い。うわー、どうしよ、やっぱり先輩と一緒に来るべきだった。そう後悔しながら、どっか隅の方で座って待つか、と窓際の方へ目線を向けた瞬間。
「──あ、」
思わず、声が溢れた。
いつか見たのと同じ、白鳥の雛みたいなフワフワした灰色が見えたからだ。
もしかしたら、交流会の代表生徒になれば、またあの子に会えるかもしれない。そんな邪なオレの目論見は、見事に大当たりしたのだ。
心臓の音がドキドキと弾むように早まって、期待に足が跳ねる。オレは早歩きで、講堂の一番後ろの窓際の席へ、その三つ編みに結われた灰髪の後ろ姿へと、近付いた。
「あの、さ」
緊張のあまり飛び出そうな心臓をぐぅっと飲み込んで、勇気を振り絞り声を掛ける。
ビクッと大袈裟にも思えるほど肩を揺らして、その女子生徒はゆっくり、恐る恐る、と言った様子でこちらを向いた。灰色の隙間から、あの日と同じ、キラリ光る青い宝石みたいな瞳が見えて、どきんと心臓が跳ね上がる。
女子生徒の口から小さく、微かに「あっ」と鳴る声を聞いた。どうやら、彼女もオレのことを覚えていてくれたらしい。……いや、あんな最悪の出会い方したらフツーに覚えてるか、うん。
「隣、座ってもいい、っすか」
今度はオレが恐る恐る、問い掛けてみる。正直、まあ断られるだろうと想像していた。けど、そんな悪い想像に対して、彼女はコクンと静かに頷いたのだ。
「え、いいの?」
再度の問い掛けに、今度は二度コクコクと頷き返してくれた彼女。
驚いた。びっくりした。そうも簡単に許されると思っていなくて、いや、そもそも先日の出来事について、本人はあまり気にしていなかったようで、オレは心の底からホッとした。き、嫌われてなくて良かったー!
すっかり安心して上機嫌になったオレは、きっと側から見たら気持ち悪いぐらいニコニコの笑顔で、彼女の隣に腰掛けた。
「えーっと、この間はごめんな。友達と喋るのに夢中で前方不注意だったから、怪我とかしなかった?」
彼女は慌てた様子で首を横に振った後「だいじょうぶ、です」と、周りの喧騒に掻き消えそうな声で言った。んー、ちょっとだけ、人と話すのが苦手な子なんだろうか。
「はー、そっか、なら良かった。オレ、あんな出会い方だったし、嫌われても仕方ないと思ってたから。安心した〜」
「わ、わたしの方こそ、咄嗟に、逃げて、しまって……ごめんなさい……」
せっかく手を差し伸べてくれたのに、なんて、彼女は俯きがちに謝った。いや、間違いなく悪いのはオレの方だから、この子が謝る必要ないのに。なんだか、また申し訳なさが湧いてくる。
オレはあの時と同じように、もう一度、彼女に片手を差し出した。
「じゃあ、ほら、改めて"初めまして"しようぜ。お嬢さん、名前、なんて言うの?」
我ながら慣れない真似してる、格好つけてるなあ、と思う。でも、引っ込み思案なお姫様は今度こそ、オレの差し出した手に、ちょん、と揃えた指先を乗せてくれたから。変に王子様を気取ってみるのも、悪くない。
「わたしは、シロネ・アンカナール、です。ノアールラック寮の1年生、です」
この子は名前まで可愛いんだな、とか浮かれたことを思う。
「オレはエース・トラッポラ。ハーツラビュル寮の同じく1年生です、よろしくな」
「……えーす、とらっぽら、くん」
彼女──シロネは、オレの名前を飲み込むように復唱した後、ふっ、とその口元を緩める。緊張しきりだった表情が途端に柔らかくなって、長い前髪の隙間から覗く青い瞳が、優しく細まった。
「あなたは、名前も、かっこいいんだね」
は、と息が溢れる。ぎゅ、と胸の奥を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。照れ臭さでカァッと頬に集中する熱を感じて、口元がだらしなくニヤける。でも、オレはそれが恥ずかしくて隠したくて、こちらを嬉しそうに見つめてくる彼女から、ふいっと顔を背けてしまった。
なんだよ、さっきまでビビってオドオドしてた癖に。何でそういうことは恥ずかしげもなく、真っ直ぐオレのこと見て、ハッキリした声で言えるんだよ。変なやつ!
あーっ、くそ、さっきからずっとオレの心臓うるさい、ちょっとは静かにしてろバカ。
「……お前の、シロネって名前も、可愛いと思うけど、」
堪え切れなくて思わず、本心をぽろりと口にしてしまったが。
「え? いま、何て……」
「なんっ、なんでもないッ!!」
どうも彼女の耳には届かないほどの声にしかならなかったようだ。乱暴に誤魔化してしまった。
ああ、もう、なんだか負けたようで悔しいけど、こうなったら潔く認めるしかない。
きっと、この感情は。
──"恋"と名付けるのが相応しい。
2020.12.09公開