灰かぶり君と王子様ちゃんの話
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寂しがりやのプレゼント
「最近、オレの恋人ちゃんが冷たい」
それはとある日曜日の昼下がり、悲しくも男友達と二人きりでやってきたお洒落なカフェの真ん中にて、オレはとても深刻な悩みを打ち明けた。
「……は?」
しかし、目の前の友人──トレイ・クローバーくんはポカンと間の抜けた顔で首を傾げるばかりである。
暫くの沈黙。甘いものが苦手なオレに代わって、賢者の島に出来たばかりのカフェでマジカメ映えすると話題の、豪華なチョコレートパフェを無言でぱくぱく頬張るトレイくん。ほんと甘いもの似合う顔してないよなあ、とか失礼な事を考えながら頬杖付いてたら、彼は呆れたように溜息を吐き出した。
「──お前それ、去年の今頃も俺に同じようなこと言ってなかったか?」
「えっ! ……そうだっけ」
去年、どうしよう覚えてない。確か、軽音部のメンバーとスナック菓子摘みながら、文化祭の発表どうしようか〜、なんて話し合ってた記憶はあるけど──。
「アッ、思い出した! 去年はるーちゃんがVDCに出ること決まって、忙しいからなかなか会えなくて寂しい〜、とか相談した覚えある」
「お前……忘れるなよ……」
「あはは、ごめん」
やれやれ、と二度目の溜息を吐く友人に、オレは手元の珈琲を啜りながら苦笑う。
ちなみに。VDC(ボーカル&ダンスチャンピオンシップ)とは、全国魔法士養成学校総合文化祭で行われる音楽発表会の事である。今年はオレも参加してみようかなと思ってオーディション受けたけど、見事に落選しちゃったんだよねえ。結構ダンス練習とか頑張ったんだけどなー、トホホ。
今年も文化祭の準備が忙しいだけ、なら良いけど……。オレは苦味の深い珈琲を半分ほど飲んでから「でもさー」とまだ言葉を続けた。
「今年は彼女がVDC出場するって話聞いてないし、運動部だからこの時期はそんな忙しくない筈なのに、ここ最近ずっとデートのお誘い断られ続けてるんだよね」
「別に毎週必ず恋人とデートしなきゃいけない決まりは無いだろ」
「無いけどさ、他校の生徒同士でなかなか会えないんだもん、会ってデートしたいじゃん。マジカメとかで個人メッセ送っても、なんか、反応悪いっていうか、全然返事してくれない時あるし。前までそんなこと、無かったのになあ……」
「めんどくさい彼女か、お前は」
「今日のトレイくん、冷たくない?」
「こんな真冬にチョコアイスを山盛り食べてるせいかもなあ、ははは」
彼はそう笑いながら、パフェ用の長いスプーンで全く溶けないアイスを掬っている。表情は柔かだけど、笑っていない目が「面倒だな」と訴えていた。
オレのマジカメ映えの為とは言え、いちおうパフェ奢ってるんだから、もう少し親身に恋愛相談ぐらい乗ってくれても良くない? まあ、話聞いてくれるだけでも有り難いけど。
オレはぐったりとテーブルへ伏せて「ゔあぁ〜」なんて猫のルチウスもビックリな唸り声を上げた。
「まさか、これがいわゆる"倦怠期"ってヤツなのかな……うう、やだなあ……」
姉妹校とは言え他校の生徒同士でお付き合いしている身の上、決して毎日のようには会えないのに。週に一度(下手したら月に一度)しか出来ないデートを、オレは凄く楽しみにしているのに。いつでも彼女の甘くて優しい言葉が欲しいから、スマートフォンを手放せないのに。こうも連続して理由さえ教えてくれず「少し忙しくて、ごめんね」とデートのお誘いを断られてしまうのは、悲しかった。寂しくて、胸が苦しくて、どうにかなってしまいそうだ。
こうもみっともなく項垂れるばかりの寂しがりやなオレは本当に、誰がどう見ても面倒臭い男なんだろう。いくら懐の広い彼女だろうと、こんな男は愛想を尽かされて当然、仕方ないのかもしれない。
でも、せめて、今週の日曜日──つまり、今日だけでも会いたかった。何せ、あと数日も過ぎれば。
「もうすぐ、オレの誕生日なんだけどな、るーちゃん……忘れちゃってるのかなあ、」
思いのほか、泣きそうに震えた声が自分の口から溢れた。
机に伏せたままのオレの頭目掛けて、ゴチンと何か硬いものが降って来る。あまりの振動で(音の割にそんな痛くはなかったけど)驚いて「痛いッ!?」と頭を上げれば、それがトレイくんのグッと振り上げられた拳骨である事を知った。
「ちょっと!? 傷心気味のお友達にグーは酷いと思う!」
「いや、あんまりにもウジウジしてたから、一発気合い入れてやった方が良いのかと思って」
「唐突に脳筋思考なるのやめてよ」
「ははっ、まあ、俺なんかに言われても仕方ないだろうが、そう不安がらなくても大丈夫じゃないか?」
くくっと喉を鳴らして、今度は心から楽しげにニヤニヤ笑うトレイくん。その慰めであろう言葉が、なんだか無責任極まりない発言に思えて、オレはムッと口を尖らせてしまう。
「……その根拠は?」
「うーん。可愛い恋人とやらの惚気話を毎日のように繰り返し聞かされているせい、かなあ」
「何それ、全然理由になってないじゃん」
遠回しに普段のオレも喧しくて面倒だって言ってるよね、それ。すっかり拗ねてしまったオレは、プイッと子供みたいにそっぽを向いてしまったけど。
「いやあ、でも、俺はやっぱり心配要らないと思うよ」
微笑ましげなトレイくんの主張は変わらず、山盛りだったチョコレートパフェもいつの間にか空になっているのだった。
「何せ、1年生の頃からお前たちを見守ってるから──な?」
♦︎♦︎♦︎
それからも"なんでもない日"は平和に何でもなく過ぎ去って。
相変わらず彼女と会える事はなく、あまり連絡も取れないままに、オレは18回目の誕生日を迎えてしまった。
嬉しい事に日付が変わる瞬間から、家族や学友、マジカメで繋がっている知り合い等々、色んな人のお祝いメッセージが届いてスマートフォンの通知は鳴り止まない。もうあんまりにも煩過ぎて、夜中の間はスマホの電源を落としてしまったくらいだ。
朝起きてから改めてマジカメの通知欄をチェックしていると、その中に彼女からのメッセージも短文だったけれど、届いていた。
『けーくん、お誕生日おめでとう! 放課後、プレゼントを渡しに行っても良いかな?』
思わず飛び上がってしまいそうなほど、嬉しかった。それはちょうど午前0時に送られた個人メッセージだったので、オレは慌ててすぐに返事を打ち込んだ。
『返事遅くなってごめんね、大丈夫だよ! 楽しみにしてるね♡』
送信ボタンを押してから、ほっと胸を撫で下ろす。ああ、よかった、本当に。オレの誕生日を忘れられていなかったことはもちろん、不安に思っていたよりも、彼女はいつも通りだったから。
やっと彼女に会える、そう思うと自然に胸は弾んで頬がニヤけてしまう。オレは急いでベッドから飛び起きて、素早く朝の身支度を進めた。
真っ白なスーツを羽織って、バースデーボーイのサッシュに華やかなロゼット、そしてダイヤ型のブローチも飾り、小綺麗に粧し込む。髪も普段通りふんわりアップのポンパドールにキメて、いつものスートメイクを施せば、よし、完璧だ。この正装も3年目だから見慣れたものだし、自分で言うのも何だけど、結構似合ってると思うんだよね、フフン。
さあ、今日はオレが主役の日だから、めいっぱい楽しまないとね! そう意気込みながら、自室の扉を開ければ。途端、廊下に喧しいくらいのクラッカー音が鳴り響くのだった。
お誕生日は賑やかであればあるほど、オレは良いと思うんだ。勿論、オレ自身も嬉しいし、お祝いしてくれる側も楽しいものだからね──。
(そう。お誕生日は皆で楽しくハッピーに、誰の機嫌も損なう事がないよう、過ごさなければいけないものだ)
ハーツラビュル寮の問題児コンビであるエーデュースちゃんたちから、朝一番にクラッカーで大歓迎されるというサプライズを食らった後も、主役のオレはあちこちで引っ張りだこになった。
寮内でも学園内でも、色んなひとがお祝いの言葉をくれて。寮生だけでなく、クラスメイトの友人たちや、同じ部活の仲間にも、たくさんプレゼントも貰った。歯ブラシやら、よく知らないアニメキャラのスタンプやら、個性豊かで、ちょっと笑ってしまうような物ばかりだったけど。オレが辛いもの好きである事を知った後輩ちゃんたちが、ハバネロ入りの激辛キッシュや、辛いラーメンをお昼に振舞ってくれたのは格別嬉しかったし、美味しかったな。
ああ、楽しい! 映える写真もいっぱい撮れるし、なんだか歌って踊りたいぐらいテンションも上がってきて、もう最高!! ──なんだけど、嗚呼、駄目だなオレって、最低で酷いやつかも。
(やばい、ちょっと疲れてきた……)
お誕生日は皆で楽しむものだ、主役は笑顔で居続けるべきだ、でも、朝からずっとニコニコし続けるのは、少しだけ辛くなる。もう十分だ。この狂おしいほど賑やかなパーティー会場を抜け出して、自室に引きこもって静かな時間を過ごしたいなんて、ワガママで子供な自分がほんの少し顔を出す。人酔いしたかのような気分の悪さに、頭の中がくらりと回る。口の端をいつまでも吊り上げていることがツラくなってきた、そんな時。
ピロン、とスマホの通知音が鳴る。その画面に恋しい人の名前が浮かび上がった瞬間、オレは大袈裟にガタンッと椅子を鳴らすほど素早く立ち上がって、主役そっちのけで賑わい始めるパーティーから逃げ出した。
「ケイト!? どこへ行くんだいっ」
リドルくんが慌てて呼び止めてくれたけど「ごめんっ」とニヤける顔を堪え切れずに叫ぶ。
「今日、どーしても会いたいひとが待ってるから!」
すぐ戻りまーすっ、と恐らく嘘になるであろう言葉を返して、オレはそのまま足を止めずに白薔薇の迷路を駆け抜けるのだった。
飛び出した外はもう夕暮れだ。ひんやりとした寒さが、夜の近い事を教えてくる。
それでも構わず、鏡舎を抜けて正門まで走り続けると、その先に美しい恋人の佇む姿が見えてきた。白いコートを羽織った華奢な背中に、オレは勢いよく抱き着いて──。
「るーちゃん!」
大きな声でその愛しいニックネームを呼んでやれば「きゃあ!?」なんて驚いた声が上がる。こちらを顔だけ振り向いてくれた彼女は、もう、と呆れたように溜息を吐いて、だけど愛おしそうに蜂蜜みたいな甘い瞳を細めてくれるのだ。
この学園の姉妹校、シャノワール魔女学校に通っている3年生の女子生徒、ルーシャ・ベスティアちゃん。オレの大好きで可愛い恋人ちゃんだ。
「ふふ、けーくんったら、びっくりした」
「えへへ、ごめんね。るーちゃんと、久しぶりに会えると思ったら、嬉しくなっちゃって……」
名残惜しいけど、きちんと顔を合わせてお話したいから、渋々その細い身体を離してあげる。身体ごと振り向いた彼女はこれまた白いマフラーに顔を埋めて、その隙間から白く火照った息を吐き出す姿は、相変わらず天使みたいで可愛らしかった。また抱き締めたくなる気持ちをグッと我慢する。
あんまりベタベタし過ぎると、やっぱりしつこいとか、鬱陶しいとか、思われちゃうかもしれないし……。未だに引き摺っている勝手な不安で悶々としているオレを、彼女は何だか怪訝そうな顔をして見つめていた。
「今日のけーくん、なんか……」
何かを言い掛けて、むっ、と口を噤んでやめてしまう彼女。それから無言でオレを頭の天辺から足の先までじろじろと観察し始めた。えっ、なに、ど、どうしたんだろう?
「どしたの、オレの顔に何か付いてる? 走ってきたから、髪とか乱れてるかな、」
「ううん、そうじゃないよ。とってもカッコいい、やっぱりけーくんは白い服が似合うね」
「でしょー、オレもそう思う!」
何だ、カッコいい恋人くんに見惚れていただけなのか、と思えば安心して口元がフニャリ緩んでしまう。しかし。
「──ね、ケイト君」
彼女はいったい、何を思ったのか。港から学園までの移動手段として持ってきたのだろう、愛用している魔法の箒を片手に構えると、その場でふんわり空中へ浮かび上がらせた。白のロングコートを翻して箒へ華麗に跨ると、これも白いグローブに包まれた左手を差し伸べて、にこり、整った顔に花のような笑みを飾る。
「よろしければ、私と少しお散歩しませんか」
まるでお姫様をダンスに誘う王子様みたいな言い回しはキザだけど、不思議と彼女に似合っていた。でも、やっぱり急にそうも格好付けられると可笑しくて、オレは思わず声を噴き出して笑ってしまう。
「ふはっ、もー、どうしちゃったの、本当に。白馬の王子様みたいじゃん」
「そうだね、君の為なら王子様でも悪くないよ。だって私、今日の主役をこれから無理やり連れ去ろうとしてるんだから、ね?」
あーあ、もう、学園外で箒の二人乗りとか、オレに至っては外出許可も貰ってないから、先生たちにバレたら絶対大目玉を食らうことは分かってるのに。ウチの女王様にも後で「随分と帰りが遅かったね」とか怒られてしまうかもしれない。けれど、良いや。オレも悪い子だから、その手を振り払う事なんて出来なかった。
「じゃあ、今日のオレは
「さすがケイト君、理解が早くて好きだよ」
オレはギュッと彼女の手を取り、箒に跨って、彼女の細いけど頼もしい背中に抱き着いた。まっ、たまには内緒の空中デートも、悪くないよね。
魔法の箒で高く高く空を飛んで、彼方へ沈んでいく夕陽を眺めながら、ゆっくりと降り立った先は──賢者の島の密かな映えスポット、ロイヤルソードアカデミー近くの海岸だった。
ここから見る景色はいつだって綺麗だけど、夕暮れ時はよりいっそう映えてると思う。砂浜から眺める海が夕陽に照らされて、淡く優しい橙から夜の色へ着替えて空と同化していく様子は、スマホのカメラを構える事さえ忘れてしまうくらいに美しい。冬の海って寒いけど特別綺麗に見える、という話は本当だったんだなあ。
ここまでオレを連れ去ってきた可愛い悪役さん、もとい恋人の方をチラリ覗いてみれば、夕陽を帯びた瞳とばっちり目が合った。どきん、と心臓が跳ねる。彼女の白い冬の装いにも夕焼け色が反射して、キラキラ輝いて見えたから、綺麗過ぎてびっくりした。
「……あの、さ」
喉が詰まるような胸の高鳴りを押し退けて、何とか声を振り絞る。
「なんで、ここへ連れて来てくれたの?」
至極当然の疑問だった。例え、この景色が君への誕生日プレゼントです──とか言われても、オレは納得してしまうほど今の雰囲気に呑まれているけど、さすがに彼女もそこまでずるいひとじゃないから。何か、別の理由があるのだと思う。
彼女は海風で靡く横髪を掻き上げながら、少し申し訳なさそうな様子で眉を寄せて、ゆっくりと口を開いた。
「……その、勘違いだったら、ごめんね。ケイト君、ちょっとだけ疲れているように見えたから」
オレのポカンと開いた唇からだらしなく、へっ、なんて間の抜けた声が溢れ落ちる。
聞けば「髪の乱れはまだしも、せっかくの白いスーツがくたびれて、顔色が少し悪かったから」と彼女は言った。そういえば、さっきオレのことをジロジロ観察していたけど、まさか、それだけで見抜かれたの? オレはいつも通り、元気で明るい"けーくん"で居た筈、なのに。
「この海岸なら、静かであまり人気もないし、ゆっくり休みながらお話出来るかな、って思ったんだ」
じわり、と目頭が熱くなるのを感じた。だめだ、泣いちゃダメ。必死に下唇を噛んで、溢れそうな雫を堪える。
「……なーんて、ね。本当は私がけーくんを、誰にも邪魔されず独り占めしたかっただけだよ、ふふっ」
オレが変な気を遣ってしまわないように、悪戯っ子みたいな顔をして笑う彼女。その優しさは、あまりにも温かくて。
「あ、そうだ! これ、お誕生日プレゼント、忘れる前に渡しちゃうね」
もうオレは涙を堪える事に必死で会話もままならないというのに、彼女は構わずにコートのポケットから小さな箱を取り出した。
パカリと口を開けたその箱の中に入っていたのは──。
「……ゆっ、指輪!?」
飾りは何もない、シンプルな銀のペアリングだった。
思わず大声を上げてしまったオレを見つめて、彼女は照れ臭そうに頬を赤く染めながら「やっぱり、びっくりされるよね」と苦笑いしている。
「あのね、こういうのけーくんの趣味じゃないかも、とか。学生のプレゼントとしては重過ぎるかな、とか。今更ながら、ちょっと後悔してるんだけど……」
指輪とはいえ、そこまで高価な物じゃないし、派手な飾りもないし──と彼女は真っ赤な顔でモゴモゴ言い訳を繰り返しているが、それでも学生が買うには少し厳しいお値段だった事は、容易に想像が付いてしまう。
確かにパッと見はシンプルだけど、よくよく見たら、指輪の内側に小さな宝石が埋め込まれていた。紫色が控えめに主張するそれは、アメジストという2月の誕生石で、彼女が錬金術で作り上げたらしい。お互いの名前と誕生日、それからダイヤのマークもご丁寧に刻まれている。
そこまで観察して、ハッと気がつく。あれ、まさか、彼女が最近なんだか素っ気ないというか、やたら忙しそうにしていた理由は、もしかして──。
「……このお誕生日プレゼントを買う為に、放課後や休みの日はバイトとか、してたの? だから、忙しかった?」
彼女はますます顔を赤くして林檎のようになってしまったけど、少し間を空けて、コクリと小さく頷いた。
なに、それ。彼女はずっとオレの事を想って、オレの誕生日をめいっぱい祝う為、頑張ってくれてたのに。オレの方は勝手に勘違いして、不安になって、寂しいと駄々を捏ねて、ああ、嫌だな、もう。けーくんってばホント最低だね、格好悪くて恥ずかしい。
嬉しいやらダサいやら、色んな感情がごちゃ混ぜになった途端。それまで堪えていた涙腺が呆気なく決壊して、ぼたぼたと両目から生温い雫が溢れ出した。
「わ、わっ、ケイト君!? どうしたの、泣くほど嫌だった……?」
突然泣き始めたオレを見て、彼女は大慌てだ。片手に箒、もう反対の手にはペアリングの入った小箱を持っているせいで、オレの涙を拭ってやれなくて狼狽えている。
「っ、んなわけない、でしょ!」
オレは構わず、そんな両手が塞がって無防備な彼女を真正面から抱き締めた。きゃっ、と可愛らしい声が上がって胸の奥は甘く震える。
「嬉しい。嬉し過ぎて、泣いちゃったの!」
嘘じゃない、この全身を包み込むような喜びは本当で、オレの不安も悲しみも何もかも吹き飛ばして幸福感でいっぱいにしてくれる彼女が、大好きで堪らなくなってしまったのだ。
オレの腕の中で、彼女はなんだか安心したように「ふふっ」と声を弾ませて笑った。
「……良かった。こんなの重過ぎって、引かれちゃったらどうしようかと思った」
「重いとか、思わないよ。だって、オレは君と結婚を前提にお付き合いしてるんだから、こういう人目にも分かりやすい指輪とかあったら良いなー、って密かに考えてたし」
「え、ほんとう?」
「うん、まさか先越されちゃうとは思わなかったけどねー」
他校の生徒同士でお付き合いしている今でも、彼女と触れ合える時間が足りないのに。このまま順調に4年生へ進級したら、お互いそれぞれの研修先で魔法士見習いとして働き始める訳で、研修先が近場ならまだしも遠く離れてしまったら、今よりもっと会えなくなっちゃうだろうから。何か、お互いの関係を約束するような、物的な繋がりも欲しいとは考えてたんだよ、オレも。
「──婚約指輪だって、思ってもいいよね?」
ゆっくりと彼女の身体を解放して、だけど、その細い肩は両手で捕らえたまま。熱い眼差しをじっと彼女の瞳に向ける。
「……うん。そのつもり、だよ」
にこ、と控えめに照れ臭そうに微笑んでくれる彼女は可愛くて。また愛おしさが溢れて我慢の効かないオレは感情のまま、その寒さで赤い鼻先にチュッと口付けてしまった。
「わ! けーくんったら、突然はびっくりしちゃうよ、もう」
「へへ、ごめんね。でもさ、オレもるーちゃんも白い服着てるし、なんか結婚式みたいじゃない? ちょっと言い過ぎかな?」
「ふふ、ううん、そうかもね」
「じゃあ、今度はちゃんと、ココに誓いのキスしてもいーですか」
マフラーに隠れている彼女の口元を、ちょんちょん、指先で突く。彼女は擽ったそうに笑いながら「いーですよ」と返してくれた。
では早速──と、オレは改めて彼女のくれたペアリングの箱を受け取って、アメジストが光る方を自分の左手薬指へはめる。もうひとつ、彼女の誕生石がキラキラと輝く方を手に取って、箱をスーツの内ポケットへしまってから、彼女の空いた左手を持った。
どうか、健やかなる時も病める時も、死がふたりを分つまでずっといっしょに、君と並んで生きていけますように。
そんな事を願いながら、細くて柔い左手薬指へ、スッと指輪をはめる。
「素敵な贈り物をありがとう。また、来年も再来年も、これから一生、オレの生まれた日を忘れず祝ってくれますか」
「ふふ、それって誓いの言葉?」
「そーです」
「……はい、誓います」
未来の事を想像するのは、少し苦手だけど。でもね、君とだけは絶対、何があっても離れたくないって、この先もふたりで居たいと思うから。
マフラーを自ら解いてくれた彼女に顔を近寄せて、その赤く色付いた唇に触れるだけのキスを、永遠の約束を交わすのだった──。
あー、でも、ちょっと待って。
お話が終わる前にもうひとつ、大好きな恋人ちゃんにお願いしたい事があるんだけど、ね?
「こういうふたりの大事な宝物になる指輪とかは、事前に相談してほしかったなー。ふたりで折半して買った方が絶対良かったと思います」
「あう……確かに、そうだね……。デザインとか、いっしょに選んだ方が楽しかったかも」
「いや、デザインセンスは信頼してるから、別に良いんだけど……」
「けど?」
「……えっと、ね。あんまりデート出来なくなったり、メッセ入れてもなかなかお返事帰って来ないの、すごく、寂しかったです」
「──んふ、あははっ、そっか! せっかくのお誕生日だからサプライズしたかったんだけど、寂しい思いをさせちゃったよね、ごめんね」
「ほんと、そこだけは反省してください」
「はい、ごめんなさい。ふふっ」
彼女はこんな寂しがりなオレを「可愛いなあ」なんて笑いながらも、ギュッと抱き着いて謝ってくれたので、この件はもうお終い。
不安だった日々はもうぜーんぶ、嬉し涙で海に流してしまおうと思います。
2021.02.04公開
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