灰かぶり君と王子様ちゃんの話
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逆さまシンデレラ
これはオレがまだ、ナイトレイブンカレッジに通い出す前──ミドルスクール最後の、夏休みが終わる頃の話だ。
いつものように、姉たちから良いようにこき使われているオレは、その日も二人の荷物持ちとして街を連れ回されていた。可愛い弟の両手にいっぱい洋服屋の紙袋を抱えさせておいて、今度は靴屋を見に行くというから、その恐ろしいほどの物欲には毎回引いてる。先をどんどん歩いていく姉たちを追うように、石造りの階段を駆け下りた。その時。
がくん、と、身体が前のめりに落ちる。あと残り二段降りれば、というところで、ウッカリ足を踏み外した──なんて理解する間もなく、オレは思いっきり石畳の歩道へ膝から倒れ込んでしまった。慌てて地面についた両手と、右の膝に激痛が走る。
「いっ、痛ぁ……」
はああ、最悪、だ。階段から落ちたとはいえ、まだ低い位置から素っ転んだ為、大怪我にはなっていない。けど。
「ちょっとケイト、いい歳して何すっ転んでんのよ」
「あんた本当鈍臭いんだから」
相当派手な音で転んだ筈だが、こちらを振り返った姉たちの台詞はこれだ。もちろん、大丈夫? とか心配する一言もない。いや、このひとたちにそんな期待、今更するもんじゃなかったな。正直、すっごい腹が立つ。
でも──
「あっ、はは! ごめんごめん、ちょっと足踏み外しちゃった〜!」
──ここで下手なことを言って、姉たちを不機嫌にさせる方が後々面倒になる。だから、いつも通り笑って、ヘラヘラして、何でもないフリをした方が賢明だ。膝から垂れる血には気付かないフリをしよう。本当は痛くても、苦しくても、我慢、しなくちゃ。
落っことした紙袋を抱え直して、よろよろ、立ち上がったその時「あ、やば」と声が出る。左足の靴下越しに伝わる、石畳の感触で気が付いた。靴が、片方ない。振り返れば、階段の下から二段目にオレの靴が転がっていた。そして、それをヒョイと拾い上げた"誰か"が居た。
「え……」
階段の上に突如、真っ白な天使が降り立ったのかと錯覚する。そんな馬鹿なことを考えるくらいに、美しい少女の姿があった。
白いロング丈のワンピースをふんわりと夏の風になびかせて、胡桃色の長い髪をさらさらと揺らし、大きな麦わら帽子が彼女の顔に魅惑的な影を作っている。その少女の周りだけ、やたらキラキラ輝いているようにすら見えた。その姿は、まるで。
「お姫、様──?」
オレが転んで落とした靴を持って、そのお姫様が駆け寄って来る。白い少女は酷く心配そうに、その整った顔を歪ませていた。
「お兄さん、大丈夫ですか!?」
鳥が歌うように優しい声だと思った。
「え? あ、ああ、うん、へーき、このぐらい、全然、」
大丈夫だよ──って、本当はちっとも大丈夫じゃないし、膝すごく痛かったんだけど。しどろもどろになりながら答えようとした言葉は、少女の「大変!」という焦った声で遮られた。どうやら負傷したオレの右膝に気が付いたらしい。
ワンピースの裾が地面について汚れることも気に留めず、その場へすぐさましゃがみ込んだ彼女の姿にギョッとする。
「おわっ、ちょっと! お姫様が、そんなことしちゃダメだよ!?」
慌てた拍子に溢れた本気の言葉だった。
いつの間にか取り出したレース付きの白いハンカチを片手に、きょとんと目を丸くした少女がオレを見上げる。「ふふ」なんて弾むように笑い、そっと口元をハンカチで隠す姿すら優雅で、本当にお姫様みたいだった。
「お姫様だなんて。私はどこにでも居るような、ただの村娘ですよ。失礼しますね、王子様」
お、王子様!? オレがッ!?
突然の恥ずかしくなるような呼び名に(いやオレも同じようなこと言った仕返しなんだろうけど)一気に顔が熱くなる。どきどき戸惑っている間に、少女は水魔法で濡らしたハンカチで、オレの怪我した膝を拭う。血で赤く染まっていく白に罪悪感が湧き上がる。常備しているのか、擦りむいた箇所に絆創膏まで貼ってくれた。それでも血がじわじわ滲んでくるし、痛々しいその見た目を隠すように、細く折り畳まれた彼女のハンカチがオレの膝に結ばれる。
どうして、そこまで、してくれるの。なんで、こうも自然とひとを助ける行動が出来るのか、理解できない。普通、赤の他人が目の前で転んだって、見て見ぬ振りをするものじゃないの? たとえ血の繋がった家族でさえも、オレを助けてはくれないのに。
「お兄さん、左足あがりますか?」
おまけに、落っことした靴まで丁寧に履かせてくれて。キュッと靴紐を結び直してもらった瞬間、ちょっとだけ、泣いて、しまいそうだった。
ようやく立ち上がった彼女は、ひと仕事終えて満足げにニコニコと笑っていた。必死に泣き出しそうな思いを堪えていたオレはハッとして、慌てて声を張る。
「あっ、ご、ごめんなさい! 何から何まで、ありがとうっ」
「いいえ、ただの応急処置ですから。おうちへ帰ったら、きちんと洗って消毒してくださいね。手も、少し擦り剥いていますけれど、大丈夫ですか?」
「う、うん、大丈夫。ありがとう。っていうか、君のハンカチ……」
「差し上げます」
「はッ!?」
びっくりして弾けるような声を上げるオレなんて気にも留めず、白い少女はにこりと微笑むばかりで。
「それではお気をつけて、王子様」
お淑やかにぺこり頭を下げて、そんなことを言う彼女の方が、オレなんかよりも遥かにかっこいい王子様みたいだ。階段の方へ踵を返し、立ち去ろうとする彼女へ手を伸ばすも、両手は大量の荷物で塞がっていたことを思い出す。
「ま、待って! 連絡先──い、いや、名前! 名前だけでも教えて!?」
このままお別れなんて嫌だ。咄嗟に大声で呼びとめる。階段を上り切った先で、白い少女は再び振り返ってくれた。
「私の名前は──、──」
だけど、その彼女のそよ風のように遠い声は。
「ケイト、いつまでボサッとしてんの!?」
「さっさと行くわよ!」
姉たちの甲高い声に掻き消されて、オレの耳には届かなかった。少女はきっと、姉たちに急かされているオレを気遣ってくれたのだろう。慌てた様子でもう一度ぺこりとお辞儀をして、早足に去って行ってしまった。
ああ、せめて、名前だけでも、知りたかったな──。
♢♢♢
あれから数ヶ月が経った。
オレは無事にナイトレイブンカレッジの新1年生となり、全寮制の寄宿学校だからようやく実家を離れることが叶い、傍若無人な姉たちから解放された悠々自適な新生活を送っていた。
同じクラスで隣の席、しかも所属も同じハーツラビュル寮だった、トレイ・クローバーという薔薇の王国出身の友人も出来た。トレイくんはさっぱりした深緑の短髪で眼鏡の似合う、歳の割には大人びた雰囲気の頼れるお兄さんって感じ。やたら普通を自称するような、ちょっと変なところはあるけど。今までの交友関係には居なかった「可愛い」なんて言葉の似合わない感じが、結構気に入ってる。あ、ちゃんと褒めてるんだよ、うん。
最近の若者に大人気のSNSであるマジカメもやり始めて、楽しい高校生活を満喫している陽気な"けーくん"は、今日も放課後、友人と共に映えそうなスポットやアイテムを探して街を巡る。まあ、本当は明日の授業で必要な材料を買いに来たついで、なんだけどねー。学園の購買でも買えるようなものばかりだけど、やっぱり街まで出掛けた方が楽しい。
すっかり日の沈んだ帰り際、美味しそうなハンバーガーショップを見つけて立ち寄った。トレイくんは野菜いっぱいのフレッシュなバーガーとオニオンリングのセット、オレは三種のチーズたっぷりのバーガーとポテトセットを注文する。手際良く運ばれてきたそれは、とっても美味しそうで。見るからにふわふわしてそうなパンと肉汁がじんわり滲むハンバーグの間から、溢れたチーズがとろ〜りとお皿まで垂れていく様に、思わずごくりとよだれを飲み込む。これは間違いなく超映える! と即座に思って、スマートフォンのカメラを向ける、が。
「あ、やばー。充電切れそう」
画面の右上で電池マークが赤く染まっていたから、慌てて鞄の中に入れていた筈の充電器を探す。鞄の中身をあれやこれや机に広げていたら、不意に向かいの席に座る友人が「あれ」なんて不思議そうな声を上げた。
「お前、随分可愛らしいハンカチ持ってるんだな?」
彼の指差す先にあるのは、ふりふりのレースがついた、真っ白なハンカチ。
「あー……それは……」
「ケイトの?」
「……オレの、じゃない」
「じゃあ、お姉さんたちの物か」
「はあ? あのひとたちの物な訳ないじゃん、全然趣味違い過ぎるし、清楚系とか絶対似合わないし」
「いや、何で怒るんだよ」
「ゔ、別に怒ってはないけど……」
「それで、誰のハンカチ?」
「えぇ、これ、そんな気になる?」
モゴモゴと言葉を濁すオレに、友人は明らかに面白がったニヤけ顔で、白いハンカチを手に取った。でも、なんか、誰かにそれを触れられるのは、たとえ友人であっても嫌で、彼の手からすぐにハンカチを奪い返す。オレの反応は彼にとって珍しく感じられたのか、トレイくんはちょっと驚いた様子だったけど、すぐ意地の悪い顔で笑った。
「そう怖い顔するなよ、大事なものだったんだな。悪かった」
全然悪びれる様子もなく笑って謝る辺り、コイツ優しくて無害なフリして結構イイ性格してるよなー、と思う。
まあ、変に隠しても意味ないか。オレは深々と溜め息を吐き出しながら、大切なハンカチを鞄の中へ仕舞って、代わりに充電器を取り出した。
「あのハンカチはオレの宝物、超かっこいいお姫様から貰ったんだよね」
「おひめさま」
「そ。みっともなく素っ転んで怪我したオレを、童話の中の王子様みたいに助けてくれた子が居たんだよ。あれはその子からの贈り物、怪我の手当てのついでにくれたんだ」
オレの口から「お姫様」だ「王子様」だなんて単語が出てきたことが可笑しかったらしく、トレイはまた噴き出すように爆笑し始めやがった、この野郎。
「ちょっとぉ、ひとの初恋を笑わないでもらえますー?」
「ふははっ、くくっ、悪い悪い」
「微塵も悪いと思ってないでしょ。まったく。写真撮るから、ちょっとお皿寄せて」
「はいはい」
美味しそうなバーガーたちとオレらの姿をばっちりスマートフォンのカメラ機能で記録して、早速マジカメへアップした。ハッシュタグは「#放課後 #今日のディナー #超美味しそう #まじチーズたっぷりでヤバい #トレイくんは草食系」っと。
「で、その初恋のお姫様とは良い関係になれたのか?」
「いいや、ちっとも。ここに入学する前の夏休みに初めて出会って、それっきり。連絡先どころか、名前すらちゃんと聞けなかったし」
「それは、なんというか、残念だったな」
さっきまでゲラゲラ笑っていた癖に、急に真面目な顔で哀れむような眼差しを向けるとか。変なやつ。
「せめて、ハンカチだけでもいつか返せたら、と思って、毎日持ち歩いてるけど。ま、叶わない願いだろうね」
あの時、たとえ姉たちにいくら怒られようとも、荷物なんて放り捨てて痛む足も無視して、白い少女の後を追って引き留めていたら。お友達くらいには、なれたかもしれないのに。何度、そう後悔したことか。
なんだか少し暗い空気になりながら、スマートフォンを机に伏せる。落ち込んだ気持ちを吹き飛ばすつもりで、両手で掲げたチーズバーガーに思いっきり大きな口を開けてかじり付いた。見た目通りジューシーなハンバーグから、じゅわ、と溢れる肉汁。そこに絡む濃いチーズがたまらなくて、んんっ、とその美味しさに思わず声が漏れる。
「うわ、美味し〜ッ!」
「ケイトの店を選ぶセンスだけは確かだよな」
「トレイくんって素直にひとのこと褒められないの?」
友人と軽口を言い合いながらも、ジャンクで美味しいハンバーガーを堪能する。あー、最高。可愛さとかお行儀とか何にも気にせず笑っていられるのは、やっぱり良い。
「ところでケイト、お前、来週の交流会について、寮長から何か聞いてるか?」
「交流会って、えーっと……」
突然トレイくんにアイスティーをすすりながら問われて、オレはセットのポテトをほくほくと摘みながら首を傾げる。
なんだっけ、交流会。この間のハーツラビュルの寮生集会で、寮長が何か言っていたような気はするけど。──あ、思い出した。
「アレか。姉妹校の学生さんが、うちの寮内を見学に来るってやつ?」
「そうそう。俺、何故か寮長に『1年生代表として案内役を頼めないか』と声をかけられてしまって、な。しかも今朝」
「へえ、さっすがトレイくん。成績優秀で真面目にやってるもんね」
「俺としては、普通に過ごしているだけなんだが。そもそも本当に真面目な生徒だったら、門限ギリギリまでバーガーショップに居座って、くつろいでたりしないだろ」
「あはは、確かに。寮長見る目ないね」
トレイくん大変だなー、なんて、完全なる他人事だからオレはけらけらと笑っていた。
オレたちの通うナイトレイブンカレッジには、姉妹校が存在する。その名もナイトシャノワールカレッジ。こちらも名門の魔法士育成学校で、名前もよく似ている。シャノワール魔女学校、なんて呼ばれていたりするその学校は、お察しの通り女子校だ。その姉妹校から来月、各寮へ新1年生が2人ずつ見学にやって来るらしい。で、こちらも案内役として各寮から新1年生の代表が2人ずつ必要なんだって。最後は大食堂に集まって、食事しながら意見交換をするとか、何とか。いや正直なにそれ? って感じだよね、学校同士の交流会とか、いまいち意味や目的のよくわからない行事が多い。
女っ気ゼロの男子校に、他校の女子生徒たちがぞろぞろとやってくるなんて。普通の生徒だったら浮き足立つ内容かもしれないけど、オレはあんまり興味がなかった。姉たちの影響か、女性という存在に対しては良いイメージが無いというか、少し苦手意識があるくらいだ。いつかに出会ったお姫様なら話は別だけど、ね?
「先輩がた曰く『悪戯で魅惑的な黒猫ちゃんたちが集まる憧れの花園』だっけ? なんか性格イイ子たちが大勢来そうだね〜、まあ、頑張ってよ」
「ああ、ちなみに寮長から『知り合いにもうひとり案内役向いてそうな奴いないか?』って聞かれて、ケイトのこと巻き込んでおいたから」
──は!?
「面倒だけど、寮長から直接頼まれたら断れないよな。頑張ろうケイト」
「ちょっ、ええっ! 嘘でしょ、事後報告とか酷くない!?」
「今更断ったりしたら、寮長たちからの評価下がるだろうしなあ」
ニタニタとまた意地の悪い笑顔を浮かべている友人を前に、けーくん、ちょっとだけお友達選び間違えたかもしれない、なんて思った。
はあ、なるほど、だから今日はすんなり放課後の暇潰しなんて付き合ってくれた訳だ。とんだ策士だった。
「ほんッと、お前イイ性格してるよね!?」
「はは、ありがとう」
「いや、褒めてないから!!」
♢♢♢
そして、1週間後。交流会当日。
結局、改めて寮長から案内役を頼み込まれてしまったため、断ることなんて出来ず。嫌々ながらも良い子に、闇の鏡の前までやってきた。オレは諸悪の根源もといトレイくんと共に寮長の後ろに並んで、他校生徒がやってくる時を待つ。
鏡の間に集まった他の代表寮生たちがなんだかそわそわ浮かれている中、オレはげっそりと生気の抜けた顔をしていたことだろう。はーあ、嫌だなあ。初めて会う女の子相手に王子様ごっこのエスコートとか、ニコニコご機嫌取りしなきゃいけない、なんて。超めんどくさ……。
「だいぶキャラ崩れてきてるけど大丈夫か、けーくん?」
面白そうに笑いながら小声で話しかけてくるトレイくんもとい諸悪の根源。誰のせいだと思ってんだコイツ、けーくんキレそう。
「トレイだって、こんなの面倒だし嫌がるタイプでしょ。何ノリノリでオレまで巻き込んでるわけ?」
「言っただろ、断りきれずに仕方なく引き受けたんだ。ひとりで心細い思いをするよりは、仲の良い友人がひとり居てくれた方が助かる」
胡散臭いぐらいニコニコ笑って、ここぞとばかりに仲良しアピールしてくる感じ、クッソ腹立ちました。チッと軽く舌打ちしたら、寮長に聞かれていたらしくギロリ睨まれた。ひえ、ごめんなさい。
そうこうしている内に、闇の鏡の前に居た学園長が「おおっ」と声を上げた。闇の鏡がカッと光を放つ。来た。
「ようこそ、ナイトレイブンカレッジへ!」
学園長の歓迎の声を合図に、闇の鏡を通ってぞろぞろと、個性豊かな生徒たちが姿を現した。うちの制服とよく似ているけど、ふんわりと揺れるスカートが男女の違いを主張する。どこからどう見ても女の子ばっかりだ。しかも結構、どの子もレベル高い。これは確かに、浮かれ切った先輩の言葉も頷ける。
最後のひとりが、とん、と鏡の間へ現れた姿に、オレは驚いて目を見開いた。その少女のあまりの美しさに目を奪われた、いや、違う、天使が降り立ったのかと見間違う感覚を、オレは一度経験していたからだった。
「……え?」
あの日、真っ白なワンピースをなびかせていた時とは打って変わって、真っ黒な制服姿だけれど、でも。
「どうした、ケイト?」
大丈夫か、なんて心配そうに声をかけてくれる友人へ、返事をする余裕もなかった。どきん、どきん、胸が高鳴って、今にも喜び叫んでしまいそうなのを、必死に堪えていたのだから。
あの少女が、先輩らしきお姉さんと学友と共に、こちらへ歩み寄ってきた。ずっと見つめていたオレとぱちり、目が合う。
「あっ──」
オレに、気がついてくれた。
「──お兄さん?」
あの時と同じ、鳥が歌うような可愛らしい声だった。ああ、やっぱり、間違いない!
「ねえッ、君!」
オレはいつの間にか前にいる寮長を押し退けて、天使のような少女に迫り、その小さな手を掴んでいた。今度はもう、名前も聞けぬまま、目の前から去ってしまわぬように。
「あの時の、お姫様──だよ、ね?」
オレの言葉にまた「ふふ」と弾むように笑ってくれる天使が、そこにいた。
「私なんてただの村娘ですよ、王子様」
ぎゅ、と手を握り返しながら、あの時と同じ言葉を返してくれて。オレはなんだかもう、泣いてしまいそうだった。──が、今は感動の再会を手放しで喜んでいられる状態ではない。
後ろから聞こえる「ゴホンッ」という寮長のわざとらしい咳払い。他校の先輩やもうひとりの女生徒から怪訝な目で見られていることに気が付いて、慌てて彼女からパッと手を離した。
「ご、ごめんね、いきなり……」
「いいえ。またお会い出来て嬉しいです。あの時はあなたのお名前も聞けずに、立ち去ってしまいましたから」
彼女がオレを覚えていてくれた、それだけでもこの上なく嬉しいのに。
彼女はなんと、シャノワール魔女学校の新1年生で、今日ハーツラビュル寮を見学する生徒のひとりだった。こんなの月並みだけど、運命とか、感じちゃっても仕方ない、よね?
「なるほど、彼女がお前の言っていた初恋の"お姫様"か」
「うわ、びっくりした」
ちょっと存在を忘れかけていたトレイくんが、オレの横からひょっこり顔を出す。凄い偶然だなあ、とニヤニヤ笑う友人に、今なら少し感謝しても良いと思う。
「王子様のご友人ですか?」
「ああ、今日の交流会で案内役を務めさせてもらうトレイ・クローバーだ。よろしく、お姫様」
「こちらこそよろしくお願いします、トレイ君」
いや前言撤回、今すぐぶっ転がしたい。今まで見たことのない爽やかな笑顔で手を差し伸べて、自然な流れで彼女と握手するなんて。なんだその王子様ムーブは。
「ちょっ、と、トレイくん、そこは王子様が先に自己紹介するとこでしょ!?」
「はは、これは失礼しました。王子様」
自分で自分のこと王子様とか言うの超恥ずかしいんだけど。悪い悪い、と全く気持ちのこもってない謝罪を聞き流して、トレイくんと彼女の手を引き剥がし、改めて彼女に向き直る。
「オレはケイト・ダイヤモンド、今日の交流会の案内役です! 同い年なんだし、敬語とか抜きにして、タメで、気軽に、えーっと、その、」
あれ、可笑しいな。いつもの陽気で可愛い"けーくん"のフリが、できない。なんか、どきどきしちゃって、ダメだ。
「私はルーシャ・ベスティアです、改めてよろしくね。ケイト君」
「あ……う、うんっ、よろしく!」
ルーシャちゃん、って言うんだ。やっと名前を知ることの出来た嬉しさと、オレの名前を呼んでくれた喜びで、幸せ過ぎてふわふわ意識が飛びそうだった。
それから、他の見学生徒や彼女の先輩とも挨拶したけれど、正直もう名前を覚えてない。学園長の「それじゃあ皆さん! お嬢様方を各寮へご案内致しましょう、素敵なエスコートをお願いしますよ」という一声で解散となった後、見学のため寮へ向かう。その間、ずーっと隣に並ぶルーシャちゃんに見惚れていて、見惚れ過ぎて、うっかり階段で転げ落ちそうになったりした。トレイくんに何やってんだと呆れられたし、ルーシャちゃんにもすごい心配させちゃった、ごめんなさい。
寮長から見学者に向けた寮の成り立ちや伝統行事などの説明を聞きながら、ようやく鏡舎を抜けてハーツラビュル寮まで辿り着いた。
「わあ、すごい……!」
目の前いっぱいに広がる美しい白バラの庭園、そして遠くに見える赤い壁の豪華な寮舎を前に、ルーシャちゃんの金色の瞳がキラキラと輝いた。
「写真で見るよりも、実物は何倍も綺麗だね。でも、迷路のバラは、写真で見た時には赤色だったけれど、」
「あー、その写真はきっとパーティーの時に撮られたんだね。パーティーが行われる日のバラは赤色でなくてはならない、っていう決まりがあるから」
「パーティー? 誰かのお誕生日の?」
「んにゃ、違うけど」
「違うの??」
「"なんでもない日"おめでとうのパーティーだよ。誰の誕生日でもない日を選んで、寮長の気分次第で突然開催されるティーパーティー。なんか、ハートの女王の決まりに則った、伝統ってやつらしいよ?」
「へえ、不思議な伝統だね……。でも、どうしてバラを赤く塗ってしまうの? このままでも十分綺麗なのに」
「うーん、赤色の方がフォトジェニックだから、とか?」
「あ、特に理由はないんだ」
「きっとハートの女王が赤色好きだったんじゃないかな。1年生はパーティーのたびにバラの色塗りばっかさせられるから、超めんど、じゃなかった、大変なんだよ〜」
彼女とお喋りしながら、チラッ、と他のメンバーの様子を横目で伺う。トレイくんは何やら空気を読んだようにそそくさと、寮長たちと共に迷路の奥へ一足先に進んで行った。去り際、一瞬だけオレの方を向いて、腹立つぐらい超〜ニヤニヤしてた。後から間違いなく根掘り葉掘り聞かれるんだろうな、と思ったら憂鬱だけど。いつかアイツにも良いひとが現れたら、絶対に仕返ししてやる。そう心に決めた。
しばらくして、ルーシャちゃんが急にきょろきょろ周りを見渡して「あれ?」と戸惑った様子で首を傾げる。いつの間にか寮長や学友たちが居なくなって、オレとふたりきりになっていることに、やっと気が付いたみたいだ。オレはわざとらしく「あーあ」と困ったような声を上げた。
「皆から置いてかれちゃったねー」
「ええっ、ど、どうしよう、」
「まーまー、大丈夫だって、そんな心配そうな顔しないで? ここにちゃーんと、案内役のトランプ兵くんが居ますから。迷路の道案内からパーティーのエスコートまで、安心してオレに任せて。ね?」
不安がる彼女に「さ、お手をどうぞ」なんて、キザっぽく右手を差し出した。彼女は一瞬びっくりした顔で目を丸くしていたけど、すぐに柔らかくその目を細めて微笑み「ありがとう、頼もしいね」と左手を重ねてくれた。オレよりも一回りぐらい小さな女の子の手、そして照れ臭そうな桃色に染まる顔を見たら、きゅん、と胸が甘く高鳴って顔がにやける。オレもちょっとは、王子様みたいな雰囲気出せたかな。
彼女の手を取ったまま、トレイくんたちが進んで行った道とは、別の分かれ道へ向かった。寮舎へ繋がる道は何通りもあるので、少しルートを変えたって大丈夫。迷路の中なら他の生徒に出会すこともほとんどないし、これで彼女とふたりきりで話せる時間が出来たから、嬉しくてスキップしたくなる気分だった。
「あのさ、これ、覚えてる?」
歩きながら、いつも持ち歩いている例の宝物──ふりふりのレースがついた白いハンカチを、制服の内ポケットから取り出した。彼女の表情が「あっ」と明るくなる。
「私のあげたハンカチ、ずっと持っていてくれたの?」
「うん。もしも、また君に会えたら返そうと思って、」
「やっぱり、男の子にはあんまり好みじゃなかったかな」
「いやっ、そーいうことじゃなくて! なんていうか、お守り、みたいな感じで持ってた。これを大事に持ち歩いてたら、もう一度、君に出会えるような気がして。……実際、こうして再会出来たし」
言うならば、どこかの国の王子様が拾った、ガラスの靴のような。一夜の恋に落ちたお姫様を再び見つけ出せたおとぎ話のように、また出会えないだろうかと、そんな願いを込めていた。
「だから、はい! 受け取って」
「うん、ありがとう」
ようやく元の持ち主の手元へ帰った白いハンカチは、まるで嬉しいという意思を持ったかのようにフワッと揺れた気がしたけど、持ち主である彼女はなんだか寂しそうな表情をしていた。
「どうしたの?」
「あ……いえ、差し上げたハンカチが手元に戻っただけなのに、なんだか、これではあなたとの繋がりが絶たれてしまったような、気がして……」
確かに、もう一度会いたい、ハンカチを返す、という目的は達したけれど。「せっかくまた会えたのに」なんて悲しそうな瞳を向ける彼女に、オレは繋いだ手を強く握り締めて、精一杯優しく言葉を紡いだ。
「そんなことないよ、だってオレ、まだ君にちゃんとお礼が出来てないもん」
「お礼?」
「うん、あの時オレの靴を拾って怪我の手当てまでしてくれたお礼。でもさ、まだ何を返してあげたら良いか、迷ってるんだよね。だから……」
オレはズボンのポケットからサッと慣れた手付きで、愛用のスマートフォンを取り出した。
「連絡先、交換しない?」
スマホで口元を隠しながら、にこ、と笑って見せる。今度こそオレは、彼女をこのまま逃すつもりなんてなかった。
「オレと、お友達になってくれないかな。毎日なんでもないことをメッセージしたり、時々電話をして声も聞きたいし、休日には直接会ってお喋りしたい。それで、ゆっくり少しずつ、時間をかけて、このお礼を返させてほしいな」
こういう繋がりじゃ駄目かな? と少し甘えるように首を傾けて見せれば、彼女は顔を赤くして「駄目じゃないよ」と答えてくれた。ああ、よかった。
「今度はちゃんとふたりで約束をして会おうよ、学校以外で。デート、しよう?」
「あの、それは……お友達というか、まるで、恋人、みたいな……?」
「えッ!?」
言われてみれば確かに、オレの言葉はもうほとんど愛を告白したようなものだった。毎日連絡とって常に繋がっていたいとか、オレいきなり重くない?
「あ、あーッ、いや、今時は友達相手でも複数人でも気軽にデートって言葉が使われるし! ま、まあオレは、全然、ルーシャちゃんとなら恋人もアリかなあッ、とか思っちゃうけど!」
あはは〜、って、いやいやいや、笑い事じゃない。まだ顔を合わせて二回目、それも久しぶりの再会なのに何を言っちゃってるのかなあ、けーくんは!?
慌てたあまりに余計変なことを口走ってしまったけれど、嬉しい、と彼女はほんのり赤い顔のまま微笑んでくれたから、ほっと安心する。
しかし、突然、彼女が繋がれたオレの手を持ち上げたかと思ったら──その右手の甲に、ちゅ、と口付けを落としたりなんてするものだから「びゃッ」とか変な声が出た。まるで王子様がお姫様へその愛情を見せる時のようなキスだった。
「これからたくさん、お揃いの時間を共有しよう。よろしくね、王子様」
初めて出会った時のように彼女の周りだけがやたらキラキラして見えて、ぱちぱちと光が弾けるような錯覚に陥る。どうにかこうにか捻り出した返事は「は、はひ」なんて裏返った声になった。
「よ、よろしく、おねがいします」
「ふふ、ケイト君ったらお顔が真っ赤だよ、可愛らしいね」
「男に可愛いとか言わないの! ルーシャちゃんのせいだからね!?」
ああ、もう、自然な王子様ムーブが似合い過ぎて、オレの方が彼女のお姫様になっちゃいそうだよ!!
でも、くすくすと楽しそうに笑う彼女が可愛いから、いっそお姫様側でも良いかもしれない、なんて思ってしまうほどに、オレはすっかり愛らしい王子様の虜になっていたのだった──。
それからオレと彼女は順調に仲を深めて、3年生に上がる頃には「けーくん」「るーちゃん」なんて呼び合うような甘い関係になるのだけど、そのお話はまた今度──ってことで。
2020.07.21公開