短い話まとめ
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ふわふわの隠し味
カーテン越しに射し込む朝日、そして、ほんわりと卵の焼ける美味しそうな匂いに鼻をくすぐられて、目を覚ました。──が。ここ、俺の寮室じゃない、な? いつもと違うボロい天井を見上げて、俺はしばらくぼんやり混乱していた。
ああ、そうだ。昨夜は可愛い1年生の後輩たちと、いつの間にかオンボロ寮にて定期開催されるようになった勉強会(と言いつつ、普通にトランプ大会や映画鑑賞会などして遊ぶような日もある)が行われて。つい夜の深い時間まで居座ってしまったから、そのまま泊まらせてもらったことを思い出した。
手探りで枕元にある筈の眼鏡を探す。視界を良好にしてから、のそのそ、とベッドから這うように抜け出した。魔法で寝巻きを変えることすら忘れて、もう泊まり慣れた客室を出る。階段から見下ろす談話室には、誰もいない。うちの寮の奴らも監督生も、まだぐっすり寝ているらしい。ひとまず洗面所をお借りして、洗顔と歯磨きだけはきっちり済ませよう。
ほんの少し、目が覚めてきた。先程よりも強くなった食欲をそそる匂いにつられて、俺の足はふらふらとキッチンへ向かっていた。
「おはよう、クローバー君。早起きさんだね」
足音ですぐ俺の存在に気が付いたらしい。オンボロ寮の寮母であるアイさんは仕事着のエプロン姿でこちらを振り返り、柔らかく微笑んだ。キッチンの小窓から差し込む朝日をまとったその姿は、まるで聖母のように美しいと思った。
「おはよう、ございます」
「あら、まだ少し寝惚けてる?」
絵画のような光景にぼうっと見惚れていた俺を、歩み寄ってきた彼女が心配して、いつものようにふわふわと頭を撫でてくる。驚くあまり「おわッ」と変な声が出て、我に返った。一気に目も冴える。
「もう少し寝ていても大丈夫だよ」
「い、いえ、もう目は覚めたんで、」
「そう?」
「あー、っと、それより、朝ご飯の準備中ですよね。何か、俺に手伝えることありますか」
彼女はようやく撫でる手を止めると、その手で自身の口元を隠しながら「ありがとう」と笑った。可愛い。
「きみはいつでも優しい子ね。でも、まずは着替えてきた方が良いかも」
「え、あっ、」
そこでようやく、俺は自分が寝巻き姿のままだったことを思い出す。恥ずかしさに唸りながら片手で半分顔を隠した。すぐに魔法で着替えようかと思ったが、寝泊りした部屋にマジカルペンを置いてきたことにも気がつく。忘れてた。彼女のそばに居ると、どうしてもリラックスし過ぎて気が抜けてしまうのか、結構こういうウッカリをやらかしてしまう。
「……すみません、先に着替えてきます」
「あ、ちょっと待って」
おや、何だろう。不思議に思いながら、引き返そうとした足を止めた。カウンター越しに、まな板の上で何かしている様子の、彼女の後ろ姿を黙って見守る。
くるり、と再びこちらを振り返った彼女は笑顔で、片手に菜箸を掴んでいた。その箸の先には、見るからに出来立てぷるぷるの柔らかそうな黄色をした、ひとくちサイズのオムレツを挟んでいる。
「今日の朝ごはんはスペード君からのリクエストでね、オムレツサンドにしようと思うの。良かったら味見、してくれる?」
そして、それを「はい、あーん」なんて綿飴のような甘い声を添えながら、俺の口元まで差し出した。羞恥心が沸き起こるも、しかし抗える訳もなく、俺は頬の熱を感じながら素直にぱくりとひとくち頂いた。
バターの利いた洋風の味わい、焼きたて卵の優しい素材の味が口いっぱい広がる。更に、フワフワとまるで雲を食むような舌触りに、もはや感動すら覚えるほどだった。
「美味しい、すごくふわふわですね」
「ふふ、良かった」
「デュースのやつも喜びますよ。このオムレツ、何か……マヨネーズとか、入ってます?」
「えっ、よくわかったね? ほんの少しだけ、味が変わるほど入れては無い筈だけれど」
「ここまで色鮮やかに柔らかく仕上がる理由は、絶対何かあると思って。まあ、結構、隠し味当ては得意なんですよ」
「へえ、クローバー君すごいねえ」
味覚も優秀さんで、きっとケーキ屋さんのご実家を小さい頃からよく手伝っていたおかげね、えらいなあ。
──なんて、キラキラ輝く眼差しで真っ直ぐ褒められてしまうと、なんだか少し鼻が高くなった気になる。
卵に適量ほんの少しマヨネーズを混ぜ合わせることで、油や酢の効果で卵の凝固をゆるやかに、ふわふわした食感を長持ちさせてくれて、色も鮮やかになるらしい。と、細かい説明もしてくれた。それは恐らく日々仕事として料理をこなす経験から得た知識なんだろう、彼女の方こそさすがだな、と感心する。
嗚呼、今の俺と彼女の姿は、まるで。
(新婚夫婦、みたいだな)
とか、こっそり思ったりして。
「さ、着替えておいで」
いや、しかし、こうしてぽふぽふと再び頭を撫でられてしまうと、夫婦なんて程遠い、例えるなら寧ろ親子の方が近い姿に見えるのだろうけど。
それでも、いつか。そう遠くない未来に、彼女と幸せな家庭を夢見てしまう──そんな、穏やかな朝だった。
2020.07.27公開
(トレイ君の特技を活かしてみたかったお話。マヨネーズ入りオムレツ美味しい)