短い話まとめ
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プレゼントは一生モノで
清々しい秋晴れの、とある日。
サイエンス部の活動で少しお菓子を作り過ぎてしまったからお裾分けしたい──と言って、トレイ・クローバー君がオンボロ寮へ遊びに来てくれた。
この幽霊屋敷の寮母さんとして働く身の上で、年齢差がありながらも彼の恋人である私は、もちろん喜んで迎え入れた。彼はお付き合いを始める以前からも、こうして手作りお菓子をよく差し入れに来てくれたり、うちの寮生たちを何かと気にかけて勉強まで見てくれたり、時には私の仕事を手伝ってくれたりもして、本当に優しくて良い子だ。彼自身は「寮母さんに会いたいから適当な理由付けて来てるだけですよ」なんて冗談めかして笑うけれど、まあ、何にせよ、親切であることには変わりない。
残念ながら、可愛いオンボロ寮生たちである監督生ちゃんとグリムちゃんは、野暮用で他寮へ出張中だけど。もうしばらくしたら帰って来るだろうから、ひと足先にこっそりと、ふたりきりのお茶会を堪能させてもらうことにしよう。
「トレイ君、今日はどんなお菓子を作ったの?」
「今回はカボチャを使ったマフィンやクッキーを作ってみたんだ、パーティー用の練習も兼ねて、な」
「あ、そっか。もうハロウィンの時期だものね。ジャック・オ・ランタンのお顔が描いてあるの可愛いし、美味しそう……!」
「はは、寮母さんはいつも俺のお菓子を喜んでくれるから嬉しいよ。作り甲斐がある」
「ふふ、トレイ君にはまんまと胃袋を掴まれちゃったからね」
「それは嬉しいな、計画通りだ」
古くて狭いキッチンにふたり並んで、彼のお気に入りの紅茶を淹れたり、取り皿やカップの支度をしながら、他愛もない会話が弾む。その途中で、ふと、私にとってはハロウィンよりも大事なイベントが近いことを思い出した。
「ハロウィンも大事だけれど、そんなことより、もうすぐトレイ君のお誕生日でしょう? 何か欲しいものとか、リクエストはあったりする?」
秋の深まる頃、ハロウィンが訪れるよりも先に、彼はお誕生日を迎える。彼がまたひとつ成長する祝いの日に、何を贈ってあげようか少し悩んでいたから、いっそのこと本人に聞いてしまおうと思ったのだ。
「それは……答えたら、寮母さんがプレゼントしてくれるんですか?」
「うん。私の手の届く範囲であれば、どんなものでも、出来る限り叶えてあげたいと思ってるよ」
彼は困った様に笑いながら「うーん、そうだなあ」と唸った後、急に真面目な顔をして、黙り込んでしまった。
キッチンから談話室へ戻り、今度は横長のソファにふたり並んで腰掛ける。私は静かに、淹れたての紅茶をふたり分カップに注ぎながら、彼の返答を待った。
「……アイさんが差し出せるものであれば、どんなものをお願いしても、良いんだな?」
ようやく口を開いてくれたトレイ君。それは私の言葉の再確認だったけれど、私は「もちろん、お誕生日のプレゼントなんだから遠慮しないで」と笑顔で答える。ひとに甘えることを恥ずかしがってしまう彼は、いったいどんなおねだりをしてくれるのだろう、と。期待に胸を踊らせながら、じっと隣に座る彼を見つめた。
私は少しだけ、驚き怯んでしまった。だって、その時の彼はあまりにも真剣な顔つきだったから。私を見つめ返す彼の眼差しには、焦げそうなくらいの熱を感じた。
「じゃあ──」
ふたり腰掛けたソファが、ぎしり、と軋んだ音を鳴らす。突然、ずいっと彼の顔が、鼻先が、触れ合いそうなほどに近付いたものだから。私の心臓はどきん、と大きく跳ね上がった。
「俺は、あなたが欲しい」
彼の唇は一瞬だけ私の頬を掠めて、耳元へ近付き、そんな低い囁き声を落とす。私の唇からは情けない、ひぁっ、なんて殆ど声にもならない息が溢れた。
どきん、どきん、私の心臓はうるさく鳴り始めて、じわじわと胸の奥から首へ頬へ熱が増していく。私の肩に顎を乗せて擦り寄る彼の表情は、近過ぎて見えないけれど。きゅっ、と緩めに握られた手はひどく熱かった。
「と、トレイ、くん……?」
私が欲しい、だなんて。それは、どんな意味を込めて言ったんだろう。
名前を呼んでも返事がない彼に、恐る恐る、握られていない方の手を伸ばして、アイビーグリーンの髪に触れてみる。いつものように、よしよし、と頭を撫でた。すると、彼は私の手を逃がした代わりに、両腕で私の腰をぐるり捕らえてギュッと強めに抱き寄せられた。
もしかして、自分から積極的に甘えようとしてるの、かな? 私の愛情を、求めてくれている? ああ、そうだったら、とっても愛おしい。かわいい、可愛いなあ。
「……トレイ君。私、きみになら、」
ぜんぶ、あげてしまってもいいよ。
そう続けようとした言葉は、ガチャッ、バタバタッ、という玄関の方から聞こえてきた賑やかな音で遮られた。あらっ、監督生ちゃんとグリムちゃんが帰ってきたみたい。
彼もその音に気付いた途端、すぐさま慌てて私から身を離した。トレイ君はその整った顔を赤く染め上げたまま、苦手なカラシでも食べてしまったように歪めていたけど。すぐに、ははっ、といつも通り"お兄さん"の顔で笑って見せた。
「……なーんて、な。冗談だよ、冗談。突然、からかったりして、悪かった」
慌てて誤魔化したような言葉。少し途切れ途切れに震えた声。
あの甘えると言うより縋るような行動の全てが、お姉さんへの悪戯だった? そんな。あの真剣な眼差しはとてもじゃないけれど、冗談を言ってる風には見えなかった。本気のように、見えてしまった。
「寮母さん、ただいまー……って、あれ? トレイ先輩、いらっしゃってたんですか!」
「ああ、また作り過ぎたお菓子の差し入れに来てたんだ。それにしても、良いタイミングだったな? ちょうど紅茶を淹れたところだよ」
「ふなッ、美味そうなカボチャの匂いがするんだゾ〜!」
「さすがグリムは鼻が良いな。これはハロウィン用に、カボチャを使ったお菓子で──」
可愛い後輩たちに向けて、手作りのお菓子の詳細を楽しげに語る姿はもう、いつもの優しくて頼もしい先輩のトレイ君だ。……頬や耳が妙に赤いことだけを、除けば。
私もまだドキドキとうるさい心音が落ち着かず、グリムちゃんに不思議そうな顔で「ふたりして風邪でもひいたのか?」なんて聞かれたりして。ふたり揃って苦笑いで誤魔化すしかなかった。
結局、その後も彼から本当に欲しいものを聞き出すことは出来なくて、私はますます悩まされる羽目になるのだった。
♣︎♣︎♣︎
そうして、ついにトレイ君のお誕生日、本番がやってくる。
ハーツラビュル寮で行われるお祝いパーティーの準備を、私も少しだけ手伝わせてもらった。
今年はリドル・ローズハート君とケイト・ダイヤモンド君が、お誕生日のケーキ作り担当に自ら名乗り上げたそうだけど、これがちっとも上手く作れなかったみたいで。本番前日になって急遽、彼らに助けを求められた私も協力して、当日の早朝からケーキ作りに奮闘していた。おかげで、ほんのちょっぴり不格好な仕上がりにはなってしまったけれど、主役の好物であるスミレの砂糖漬けを散りばめた素敵な三段ケーキが出来上がった。大好きなひとに喜んでもらいたいと、嬉しそうな顔を想像しながら行う準備は楽しいものだ。
本日のパーティー会場である談話室へ特製ケーキを運び込むと、ハーツラビュル寮の後輩君たちが頑張ったようで、部屋中が華やかに飾り付けられていた。テーブル狭しと並んだケーキ以外のお菓子たちも豪勢に、香りの良い高級そうな紅茶や、皆で一斉に鳴らすクラッカーの用意も万全。「いつも先輩にはお世話になってますから」とデュース・スペード君は照れ臭そうにはにかんで。「今日ぐらいはオレらもちゃんと出来る姿を見せとかないと」なんて、エース・トラッポラ君が自慢げに笑っていた。彼が後輩に心から慕われていることを知って、何だか自分のことのように嬉しかった。
さて、後はお誕生日の為に粧し込んだ主役の登場をのんびり待つだけ──と、思いきや。ダイヤモンド君にぽんぽん肩を叩かれて、最後の仕上げを頼まれた。
「ねっ、寮母さん。パーティーの準備出来たよって、トレイくんを呼んできてくれない?」
え!? と驚きに声を上げてしまったけど、彼がトレイ君の親友として気を利かせてくれたのだろうと、すぐに察したから。
「うん、わかった。迎えに行ってくるね」
ありがとう、と素直に了解する。私はひとり、主役がお着替え中であろう寮部屋へと向かった。オンボロ寮から持参した、大きな黒い箱を抱えて。
コンコン。控えめに寮室の扉を叩き、彼の名前を呼べば、すぐ「はい」と声が返ってきて扉が開いた。
「まさか、寮母さんがお迎えに来てくれるとは思わなかったな」
本日の主役は私が居ることに驚いた様子だったけど、もっと驚いていたのは私の方だ。
「わあ、トレイ君かっこいい……」
自然と溢れてしまった声だった。
ナイトレイブンカレッジの紋章がついたループタイを飾る黒いシャツに、真っ白なタキシードがキラキラ眩しいくらい、よく似合っていた。バースデーボーイと書かれた赤いサッシュを、少し恥ずかしそうに掛けているのも可愛い。お誕生日の子は必ずこの格好をする決まりらしいけど、襟に飾られたブローチは生徒ひとりひとりに合わせてデザインされるようで、薔薇の蔓で象ったクラブがお洒落だ。
制服も式典服も首回りを楽にして緩く着こなす彼が、今日ばかりは一番上まできっちりボタンを閉めて着こなしていることも、意外だった。
その姿は、まるで──。
「花婿さんみたい、だね。とっても素敵だよ」
「そう、か? 毎年これ着せられるの、結構恥ずかしいんだが……アイさんにそう言ってもらえるなら、悪くないな」
照れ臭そうに頬をかきながら目元をくしゃっとさせて笑う彼は、いつもより少し幼く見えて、可愛らしかった。特にこれと言った新鮮みはないとか、自分はパーティーの準備をする方が向いてるとか、なんだかんだ言って、やっぱりお誕生日が嬉しいのかもしれない。
今日だけの特別な彼の姿に思わずうっとり見惚れてしまったが、自分の両腕が抱えた箱の存在を思い出して、ハッと我に返った。
「トレイ君、お誕生日おめでとう。これは私からのプレゼント、受け取ってもらえるかな」
「おっ、ありがとう! 早速、中を見ても良いか?」
どうぞ、と私は大人の余裕ぶって微笑んで見せたけど、内心は喜んでもらえるかどうか緊張してドキドキだった。
プレゼント箱に飾られた金色のリボンを解き、ラッピングの黒紙を丁寧に剥がして。箱の中身をようやく取り出した彼は、おおっ、と嬉しそうな声をあげた。
「コレってこの間、デートした時に見かけたコートじゃないか……!?」
私が贈ったものは、オリーブグリーンのチェスターコート。彼の言う通り、先日デートで麓の街へ出掛けた時に見つけたもので、彼は気に入っていたようだけど学生には手を出し辛い値段だからと、購入は断念していたものだった。
「あの後、こっそり買いに行ったの。絶対トレイ君に似合うと思ったから」
「凄く嬉しいけど、少し複雑な気もすると言うか、こんな時にも埋められない歳の差を感じてしまうな……」
「あら、そんなこと気にしないで。素直に喜んでくれたら良いんだよ。だって、私が年上のお姉さんぶって居られるのも、きっと今だけだもの」
「じゃあ素直に喜んでおくか、ありがとう」
おめかし服を着込んでいるから、早速コートに袖を通したくても出来ないけれど。代わりに肩だけでコートを羽織って「似合ってるか?」なんて、ニコニコと嬉しそうにはしゃぐ彼の姿は年相応で、とても愛おしかった。
でも、本当は。
「もうひとつ、きみにあげたいものがあるんだけど──」
私の言葉に、はて、と首を傾げた彼。そっと両手を伸ばした私は、彼の羽織ったコートの襟を掴んで。グイッ、とこちらに引き寄せる。無理やり頭を屈めた彼の唇へ、私の唇を押し当てた。
ほんの一瞬の、柔らかな愛情表現。すぐに唇も手もパッと離して彼を解放したけれど、彼はあまりにも突然で、得意の状況把握が上手く出来ていないのか、軽く身を屈めた体制のまま静止している。私は構わずに言葉を続けた。
「きみには私の全部をあげてしまいたいけれど、ごめんね。まだ、もう少しだけ、我慢してくれる?」
きみは立派な魔法使いを目指す学生さんだし、私もオンボロ寮の可愛い生徒たちが無事に卒業するまでは、ここで働いていたいから。でも、きみがちゃんと大人の責任を持てる歳になって、私もここでの役目を終えたら。
「その時は──私のこと、トレイ君に貰ってほしいな」
ゆっくりと、私の行動と言葉の意味を理解していったのか、彼はじわじわ頬や耳を赤色に染め上げていく。恥ずかしそうに片手で顔を覆い隠して「ああ、もう、」なんて深い溜息を吐き出しながらも、その指の隙間から覗くハチミツみたいな瞳はとろけるように細まった。
「どうして、あなたはそう、俺をとことんまで甘やかすんだろうな。ダメ男にでもしたいのか?」
「ふふっ、そうだね。私が居なきゃだめなひとに、なってほしいのかも」
「安心してくれ、もうとっくにだめになってるよ……。俺はどれだけ歳を重ねようとも、あなたにだけは、一生敵わない気がする」
はあーっと何か諦めたように二度目の溜息を吐き出した彼は、また、あの時の"冗談"みたいにギュッと抱きついてくれた。
強く強く抱き締められて息が詰まるほど苦しかったけれど、絶対に私を手離したくないという彼の想いも伝わってくるようで、嬉しい気持ちの方が優ってしまう。
「ありがとう、最高のプレゼントだ」
「ほんとう? 良かった。……大切にしてね」
「ああ、一生かけて大切にするよ」
来年も再来年も、その先も。
毎年どんどん素敵になっていく姿を、どうか、ずーっと、きみのそばでお祝いさせてね。優しい魔法使いさん。
2020.10.25公開