時計ウサギと三月ウサギの話
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ウサギとニンジン
マロンタルト事件をきっかけに仲良くなったハーツラビュル寮の先輩方、そして同じ新1年生のエースと共に、大食堂でワイワイ昼食を楽しんでいたある日のこと。
「うげ、」
僕の隣に座っていたマーチ先輩が突然、苦虫を噛み潰したような声を上げた。「どうしたんですか!」と驚き慌てて問い掛ける、彼は青い顔で口を押さえていた。ま、まさかスープに毒でも入って──!?
「今日のスープ、ニンジン入ってるう」
彼は涙目で、そんな子供のような発言をした。え、ニンジン?
俺の向かいの席に座っているクローバー先輩が「やれやれ」と呆れ顔で溜め息をついた。
「マーチ、お前まだニンジン嫌い克服してなかったのか」
「こんなもの、幾つになっても食べられる気がしないよ」
「このあいだ俺の作ったニンジンケーキは、美味そうに食ってたじゃないか」
「あれはトレイが見た目や味や匂いを上手く誤魔化してくれていたからね。こういう、あからさまな赤い固まりは、見ているだけで腹が立つ。ちぇっ、このぼくが憎きニンジンの匂いに気付かなかったなんて。厨房のゴーストどもに騙されたな」
すっかり不機嫌になってしまったウサチャン先輩。彼がまさかニンジン嫌いだなんて知らなかった、ウサギなのに。
マーチ先輩は不意に悪いことを考えついた様子でニタリ笑って、僕と反対の隣に座るリドル寮長へ、ニンジンの欠片を乗せたスプーンを差し出した。
「リドル、口開けて」
「嫌だよ」
きちんと自分で食べなさい、ピシャリと即答で断るローズハート寮長。そもそも寮長にそんな真似が出来る、しかも軽く叱られるだけで怒られない彼が凄いな、と謎の感心をしてしまう。
クローバー先輩とローズハート寮長、そしてマーチ先輩の三人は同郷の幼馴染みらしいので、会話がまるで家族や兄弟のように気安い。それがほんの少し、羨ましいなんて。
「……デュースクン」
しかし、幼馴染みのふたりを頼れないとなれば、彼の視線とスプーンはちょうど隣に居る僕に向く訳で。
「はい、あ〜ん♡」
片手で緩く握り拳を作るとそれを顎の下に添えて、まるでぶりっ子のようなポーズを作り、きゅるんと大きな瞳を上目遣いで向けてくるマーチ先輩。ゔあッ、可愛い。このひとはどうも、ウサギである自身の愛らしさをよく理解しているらしい。
その可愛さに易々と魅了されて思わず口を開けそうになるが、斜め向かいに座るダイヤモンド先輩に「こらこら」と止められる。
「デュースちゃん、あんまりマーチちゃん甘やかしちゃ駄目だよ〜? マーチちゃんも、後輩をからかい過ぎないの」
ハッとして慌てて開きかけた口を固く閉じた。マーチ先輩が悪い顔で「チッ」と舌打ちする。が、そんなムッとした顔すら可愛らしいなんて、僕はダイヤモンド先輩の言う通り彼を甘やかし過ぎなんだろうか。
向かいの奥の席で、視界の端にニタニタいやらしく笑うエースの表情が見切れて、とても腹立たしい。
「マーチ先輩、そのニンジン、オレが食べてあげましょうか♡」
「え、良いの?」
わざとらしいほど甘ったるい声で提案したエースに、ぱあっと明るい笑顔を見せたマーチ先輩。それにムカついて、僕は気付けば差し出されたままのニンジンへ思い切り齧り付いていた。勢い余ってスプーンに歯を立ててしまい、ガチンと嫌な音が鳴る。先輩の驚いた表情が再び僕に向いた。
「わっ、ありがとう、デュース」
「いや、せっかく先輩から出されたものを突き返すなんて失礼ですから」
いつもお世話になってますし、とごにょごにょ言い訳した。エースは相変わらずニタニタ笑って「意外と嫉妬深いんだよなデュース君は〜」とか言ってるけど無視だ、無視。
「でも、なんと言うか意外です、先輩がニンジン嫌いだなんて」
照れ臭さを誤魔化したくて適当な話を振ってみる。マーチ先輩はまた可愛らしく口を尖らせてムッとした。
「それは、ぼくがウサチャンだから?」
「えっと、そう、ですね。何故かウサギってニンジン好きなイメージあります」
「ふん、ぼくはそういう偏見も含めてニンジンが嫌いなんだ。実際はニンジンを好きなウサギの方が珍しいよ」
「へえ、知らなかった。僕あんまりウサギには詳しくなくて、すみません」
可愛いなあ、とは常日頃から思ってますけど。
「まあ、構わないよ。そもそも獣人は人間と同じ雑食だし、ぼくはロールキャベツが好きだ。覚えておくように」
「あ、ロールキャベツ美味しいですよね。母さんの得意料理のひとつだったなあ」
ふと母親を懐かしんでホッコリしていると、彼は何やら良いことを思いついた様子でニヤリと笑った。
「じゃあ、デュース。実はね、ウサギは寂しいと死んじゃう生き物だって、知ってた?」
え──ッ!?
「なっ、さ、さすがに嘘、ですよね?」
「ほんとうだよ、ぼくもウサギの獣人族だからね。寂しくなると、どんどん食欲が減退して衰弱していき、緩やかに餓死を迎えるんだ。誰からも愛されなかった者は、簡単に自分を殺せてしまうからね」
「そ、そんな──ッ!?」
エースがブハッとスープを噴き出した音や、クローバー先輩とダイヤモンド先輩から必死で笑いを堪えるような声がクスクスと聞こえるが、笑い事じゃない!
「こら、マーチ。あまり後輩をからかってやるのはおよし、酷いと首をはねてしまうよ」
ローズハート寮長が冷ややかな目でそう彼を注意するものだから、余計混乱する。
ええっと、僕をからかってる、だけ? 確かにマーチ先輩はニヤニヤ楽しげに笑っているし、いつもの冗談、なのか??
でも──簡単に自分を殺せてしまう、なんて、物騒なことを語っていた彼の瞳は、本当に、心の底から悲しそうな寂しそうな色をして見えた。あれも見間違い、もしくは彼の真に迫った演技だったのだろうか。
「もう、余計な口を挟まないでくれるかな、リドル。さすがにこんな冗談、いくらデュースでも信じるわけ──」
「マーチ先輩ッ!」
俺はダンッと両手で机を叩きながら立ち上がった。本当なのか嘘なのかは関係ない。驚き目を丸くする彼に、これだけは、きちんと伝えておかなければ。
「誰からも愛されないなんて、そんな寂しいこと言わないでください。先輩はちゃんと周りから好かれてますし、勿論、俺も先輩のこと大好きです!」
「へっ!?」
ボッと火が付いたように顔を赤くする彼は珍しいと思ったが、構わず言葉を続けた。
「マーチ先輩のこと、絶対、寂しくなんてさせませんから、安心してください! 俺が一生、あなたのそばに居ます!!」
このひとを寂しくて死なせたりなんて、間違ってもするものか。
「……あれ? 先輩?」
見下ろした彼は赤くなった顔を隠すように両手で覆っており、ぺたん、と長い耳を弱々しく垂らしていた。オマケに「うー」とか「あー」とか唸るだけで、全然返事もしてくれない。
困ってしまったので周りへ視線を向けると、エースは腹を抱えてげらげら爆笑しており、あのクローバー先輩でさえ爆発しそうな口を両手で必死に押さえており、ダイヤモンド先輩に至っては何故かキラキラした目でスマートフォンのカメラを僕に向けて構えていた。え、いつもの写真じゃなくて、なんか、録画してます? 更には、大食堂全体がやたら静まり返っており、その場に居た生徒全員の視線が僕へ集まっている。
ますます戸惑う僕に、なんとか笑いを抑え込んだクローバー先輩がようやく口を開いた。
「デュース、とても一生懸命にマーチを慰めてくれたことはわかるが、ウサギは別に寂しくても死なないから、安心して良いぞ」
な、なんだって──!?
「しかし、近年はウサギがペットとして飼われることも多い。でもウサギは草食動物だし鳴き声もあげないから、例え病気や怪我をして弱っていても、それを周りに勘付かせようとはしないんだ。だから飼い主が居ない間に死んでしまっていた、という場面が多かったんだろう。それをヒトが勘違いして"ウサギは寂しくて死んでしまう"生き物なんて好き勝手に言い出しただけ、という話だ」
な、なるほど。クローバー先輩の丁寧な説明はストンと耳に入って腑に落ちた。僕は勢い余ったせいか疲れてしまって、がくんと崩れ落ちるように席へ座り込む。
じゃあマーチ先輩はそんなことで死んだりしないんだ、はあ、よかった、なんて安心したのも束の間。
クローバー先輩がニタリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「いやあ、それにしても──随分と大胆なプロポーズだったなあ、デュース」
──は、い?
「あれはけーくんもビックリだよ! あんまりにも面白いから、つい動画まで撮っちゃった〜」
ダイヤモンド先輩にまでニコニコ笑顔でそう言われて、改めて、自分が叫んだ言葉を振り返る。カッと全身に熱が回った。
「あ"!? いや、別に違ッ、違くもないけど、や、あの、せ、先輩が死んでしまうと思ったら、つい!?」
うんうん、わかってるぞ、と黙って頷き返してくれるクローバー先輩とダイヤモンド先輩は、なんだかやたらと微笑ましげな表情だった。
「……キミたち、」
マーチ先輩の隣から、恐ろしく冷え切った声が聞こえて、ひゅっと喉奥から嫌な空気が漏れる。ローズハート寮長の鋭い瞳がギラリと光った。
「楽しく食事をすることは構わないけれど、周りに迷惑をかけるほど騒ぐことは感心しないな。これ以上、うるさくするようなら、全員まとめて──おわかりだね?」
マジカルペンを構えて静かなお怒りをあらわにする寮長へ「ごめんなさい」とその場にいた全員の震えた声が揃った。
叱られて少し冷静になる。僕の顔はまだ酷く熱を持ったままだけど。
改めて隣を向けば、マーチ先輩はようやく顔を隠すのをやめて、再び飲みかけのスープに口をつけ始めた。が、その顔はまだ真っ赤で、ふたつめのニンジンをすくった手が止まる。
「……デュースクンって、ほんと、真面目馬鹿。ちょっとは疑ってほしいよ、頭に麦藁でも刺さってるの?」
「えッ、すみません、っした……?」
そもそも変な嘘ついた先輩も悪いじゃないですか、とは思ったが言わないでおこう。
「もうッ、バカ。責任取って、ぼくのニンジン全部食べてよね」
寮長にまた叱られてしまわないようコソコソとした小声で、彼はまたも僕の口元へスプーンを向ける。まるでニンジンのように赤く染まった頬、うるうると恥ずかしさで潤んだ瞳に見上げられては、ぎゅうううと胸の奥が強過ぎる甘さに締め付けられた。
どうして、こんなにも可愛いんだ、このひとは。同じ男のはずなのに、こうもドキドキしてしまうなんて、僕はどこか可笑しくなってしまったんだろうか。うう、駄目だ、駄目だっ、これ以上、彼に心奪われてはいけない。甘やかし過ぎては先輩のためにもならないし、僕はぶんぶんと首を振って拒否した。「ちゃんとご自分で食べてください」と心苦しさを堪える。
が、しかし。彼に眉を潜めた不安そうな顔で「食べてくれないの?」なんて、こてん、と甘えるように首を傾げられてしまっては──ああ、くそっ、可愛いなあ!?
「いただきまァす!!」
「ふふっ、ありがとう」
その日食べたニンジンは、もはや元の味すら忘れてしまうほどに甘く感じたのだった。
2020.07.05公開