時計ウサギと三月ウサギの話
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可愛い先輩は三月ウサギ
初めてそのひとを見た時は、ぴょんっと長く伸びた大きな耳にとても驚いたものだ。
(わっ、うさぎだ、可愛い。ハーツラビュル寮にも獣人属の生徒は居るんだな)
やっとの思いで入学式を終えて、ハーツラビュル寮への在籍が決まり、見慣れぬ寮内のぐにゃぐにゃした廊下を彷徨っていた時、偶然すれ違ったうさぎのひと。獣人属には生まれつき身体能力の高いひとが多いため、運動や格闘が得意なサバナクロー寮に多く群れを成して在籍しているから、失礼な話だけど他の寮にも居たなんて驚いてしまったのだ。
彼はうさぎらしく小柄な体型ではあったけれど、入学式の日に華やかな白の寮服姿で寮内を歩いている、という事はここの先輩だろうと察する。式典服姿の俺──じゃない、僕の存在に、彼も気が付いた。すぐに新入生だとわかったのだろう、長い耳をぴこぴこと揺らしながら、すれ違い様に手を振ってニコリと妖しく笑った。
「頭の可笑しいヤツらの巣窟、ハーツラビュル寮へようこそ。新入生クン」
なんだか不安になる言葉を残して通り過ぎていくから、思わず振り返ってしまったが。
「一年生の部屋はそこから右の階段を降りて、ポット夫人の肖像画を通り過ぎたら左へ曲がって、後はまっすぐ進んだ先だよ」
彼は名前すら名乗ることなく、再び手だけを振ってスタスタ歩き去っていった。変な言葉を言われたけど、丁寧な道案内はしてくれたから、間違いなく良い先輩だと思った。
「あ、ありがとう、ございます!」
咄嗟にお礼の言葉を叫んだけれど、聞こえているだろうか。長い耳がぴくぴくと揺れていたし、うさぎは聴覚に優れているらしいから聞こえた筈だ。
このナイトレイブンカレッジは男子校であるから、当然、女子生徒は居ない。だから、あの少女みたいな童顔の彼も勿論、男なんだけど。
(……後ろ姿、可愛いなあ)
長い耳だけではなく、お尻の上でもちょこんと丸くてフワフワの尻尾が揺れていて。その様は、キュンと抱き締めたくなるような甘い気持ちに駆られるほど、やっぱりうさぎで、愛らしかった。
まだ名前も知らない小さなうさぎのひと、仮にウサチャン先輩としておこう。
あれから彼と寮内で出会すことは残念ながら無かったけれど、今度は学園内で再会した。
それはまだ何の部活動に入ろうか悩んでいて、陸上部の見学へやってきた時だ。長い耳をピンと伸ばした運動着姿の彼はすぐ目に付いた。そして、うさぎの彼に気付いた僕は思わず「あっ」と声を上げてしまい──
「ウサチャン先輩!?」
名前を知らなかったから、自分の心の中だけで勝手にあだ名をつけて呼んでいたことが、まさかの仇になった。
同じ見学に来た新入生たちの僕に集中する冷ややかな視線、部活紹介のために集まった先輩たちは必死で笑いを堪えており、例のウサチャン先輩はポカンと呆けていた。カッと全身に熱が回る。
「──ああ! 誰かと思えば、入学式の日にすれ違った、迷子のアリス──もとい、新入生クンか」
けれど、彼は不快に思っているような素振りもなく、初めて出会った日のようにニコリと笑った。
「ぼくはウサチャン先輩じゃなくてマーチ、マーチ・ル・ラパンだから。しっかり覚えるように」
ニコニコ笑顔のまま僕の元へ歩み寄ってきた彼、マーチ先輩は、10㎝ほど差のある僕を見上げると。
僕の喉元へ、ズイッ、とマジカルペンを突き付けた。よく見ればその顔は笑ってなどいなかった、目が据わっている。
「可愛い可愛い後輩クン、今度ぼくをか弱いウサチャン扱いしたら──その時は、この愛らしい喉を噛みちぎってしまうから、覚悟するように。ね?」
「す、すみませんッした!!」
「……なんて、冗談だよ。少しリドル寮長の真似をしてみただけさ、ふふっ」
マジカルペンを下ろした彼は、今度こそ本当に楽しげにニコニコ笑って「おまえ、ちょっと面白いね」なんて、僕の肩をぽんぽんと優しく叩いたりするものだから。どこからなにが冗談だったのか、酷く混乱した。
しかし彼の微笑みに、どきん、と己の心臓が高く跳ね上がったのは何故だろうか。
その後も他の運動部や、いちおう文化系の軽音部なども見に行ったが、僕は最終的に陸上部へ入部することに決めた。
そして同じハーツラビュル寮の所属で、部活動も一緒となれば、うさぎの彼と仲良くなるのはあっという間だった。
「──おっ、またタイム伸びた! すごいよ、デュース!」
陸上部のマネージャーを自称している彼は、よく僕の個人練習にも付き合ってくれた。彼の手で嬉しそうに掲げられたストップウォッチを見れば、確かに0.2秒以前より速くなっていて、思わず「っしゃあ!」なんてガッツポーズしてしまう。
「調子は抜群に良いようだね。これなら今度の大会、きっと良い成績が残せるよ」
「へへっ、マーチ先輩が特訓付き合ってくれるおかげですよ、ありがとうございます!」
「はは、デュースはほんと素直で可愛いなあ」
いつの間にか、背の低い彼がめいっぱい手を伸ばして、僕の頭をぽんぽんと撫でてくれるほど仲を深めていた。僕よりも一回りくらい小さな手に撫でられると、ふにゃ、と顔がゆるゆるだらしなく緩んでしまう。
「あとは期末テストで赤点さえ免れたら、という話だけど、不安だね」
「ぐぅッ、すみません、どうしても勉強って上手く出来なくて、また、教えてもらえませんか……」
「まったく、仕方ない優等生だなあ」
やれやれ、なんて呆れつつも彼は勉強までも面倒を見てくれる。こんなにも、マーチ先輩ほど根気よく特訓に付き合ってくれるひとなんて、今まで出会って来なかった。
出会って間もない頃の彼は時々怖い言動をしてきたけれど、自分の懐に入ってきた存在にはどこまでも甘く優しくなってくれるひとであると、この頃ようやく気が付いた。
いつかもう少し仲良くなれたら、俺、じゃなかった、僕の方から、彼のもふもふの頭や耳を撫でてみたい──と思っているのは、内緒だ。
時々、うさぎの彼と食堂で相席することもあった。彼は僕と同じハーツラビュル寮の一年生、エースとも仲が良いので、その日はアイツも一緒にいた。
ナイトレイブンカレッジの食堂はバイキング形式になっているから、各々その日の献立から好きなものを取って良い。たまに麓の街から大人気のベーカリーショップが出張販売にやってきて、そういう日の食堂には長蛇の列が出来て腹を空かせた生徒たちの戦場となる。今日はそういう日で、僕がふわふわのオムレツランチを持って席へ戻ると、戦場から人気パンの数々を獲得したマーチ先輩とエースが待ち構えていた。
「デュースはまたオムレツかよ、好きだねえ。それ」
「うるさいな、お前だってまたチョコクロワッサン食ってる癖に」
ほかほかと湯気を立てるコーンスープをすすりながら、お気に入りのチョコクロワッサンをかじるエースと向かい合うように座った。別にコイツとわざわざ顔を合わせて食事がしたい訳じゃなく、マーチ先輩の隣に座った結果、エースが向かいの席になっただけ。
一方、僕の隣で大きなエビカツサンドを頬張っているマーチ先輩は、僕にもエースと同じコーンスープを「はい、どうぞ」と差し出してくれた。「ありがとうございます!」と今日も優しくて素敵な先輩の気遣いに心を温める。先輩は他にも、大人気のイチゴチョコクロワッサンまで獲得していて、そのさすがの食欲に感心した。
「そういえばオレと先輩ってえ、実はハートのスートメイクがお揃いなんですよね〜? いやあ、嬉しいなあ、マーチ先輩とお揃いだなんて!」
エースが急に気持ち悪い猫撫で声でそんなことを言い出すから、何だ急に、と眉間にシワがよる。けれどマーチ先輩は何かを察したのか、クスクスと笑い返した。
「なんだい、エース。随分と可愛らしいことを言ってくれるね。そもそもハーツラビュル寮の生徒は皆、スートメイクをすることが決まりだから、お揃いのヤツだらけだよ」
「まあまあ、そう言わずに」
「まったく……。このイチゴチョコクロワッサンが食べたいなら、最初からそう言いなさい。もちろん、おまえのチョコチップメロンパンを対価に頂くからね。半分こしようか」
「ッシャ、やったぜ! さっすがウサチャン先輩、話がわかるな〜♡」
なるほど、マーチ先輩と戦利品の分け合い交渉だったのか、と気が付いたのは随分後で。
そんな事よりも僕は、エースの発言が気になっていた。マーチ先輩と、お揃い。先輩は右目の下に小さくハートマークを入れていて、エースは左目の端に大きくハートマークを入れているから、お揃いだと言われたら、確かにそうだ。
それってつまり、彼らは"マブ"も同然の関係、ということになるのか──!?
僕は愕然とした。僕の方が、俺の方が、マーチ先輩とは仲の良い後輩だと思っていたから。だって俺と先輩は同寮で、部活も同じ陸上部で、よく親身になって特訓に付き合ってくれるし、勉強だって聞けば教えてくれる、それこそ親友にも匹敵するぐらいの関係性だと思っていたのに。偶然スートマークがお揃いだと言うだけで、エースの方が仲良しに見えるなんて。しかも「ウサチャン先輩」呼びされて微笑まれているだなんて、俺が初めて呼んだ時はあれほど嫌がって怒っていたのに。どうして。いや、冷静になるんだ、俺。そもそも親しい友人と先輩が仲良くなることは、俺にとっても嬉しいことじゃないのか。その筈だ。じゃあ、どうして。
なぜ俺は、こんなにも腹わたが煮え繰り返りそうなほど、イライラしているんだ?
「……えっ、なんかデュース、顔怖くね? 今にも誰かぶっ転がしそうな顔してるぞ?」
「どうしたデュース。おまえもイチゴチョコクロワッサン食べたいの?」
ひとくちあげようか、とマーチ先輩に半分減ったクロワッサンを差し出されて、ハッと我に帰る。
「あ──い、いや、大丈夫で、」
彼の好意を断ろうと発した言葉は、その差し出されたクロワッサンに塞がれる。むごむご、と強制的にひとくち齧らされたそれは名前の通り、口いっぱい広がる苺チョコレートの甘酸っぱさとバターの香り、そしてカリカリふわふわの食感が美味しかった。なんというか、春の味がする。
「うわ、美味、」
思わず声に出た。マーチ先輩は隣でけらけら楽しそうに笑っていて。
「あははっ、マヌケな顔! さっきみたいなおっかない顔より、その惚けた顔の方が可愛くて好きだよ」
好き、と彼の口から紡がれた甘い言葉に、どきんどきん心拍数が急上昇していき全身に熱の巡りを感じた。顔が熱くて仕方ない、ほんとうに俺は、僕はどうしてしまったんだろう。
「あ、ありがとう、ございます?」
なんだか疑問系になってしまった。向かいの席でわざとらしくムッとしたエースの顔が見える。
「ちょっとォ、デュースだけズルくね? オレもあーん♡してくださいよ、先輩〜」
「エースには半分あげただろう、これ以上はマドル取るぞ」
「ちぇっ」
あからさまに不貞腐れたフリをするエースを見て、マーチ先輩はまた面白がって笑っていたけど。
先程のような嫌な感情にはならなかった。あのひとくちは、僕にだけの特別なひとくちなんだと思ったら、今度は心の中がぽかぽか心地良い温かさに満たされて。不思議とクロワッサンみたいにふわふわした幸福な感覚だった。
「……マーチ先輩、あの、良かったら僕ともお揃いしませんか?」
「ああ、スートメイクの話?」
「せ、先輩ならスペードも似合うと思いますよ!」
「ふふ、そうかな、ありがとう。またデュースの可愛い顔が見られそうで面白そうだ、考えておくよ」
楽しみにしておいて、と悪戯っぽく微笑む彼に、また胸が高鳴って。嗚呼。この感情の名を、僕はまだ知らない。
2020.07.04公開