緑の帽子屋と寮母さんの話
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お菓子の夢と願い事
星送りの夜。巨大で恐ろしいクジラ雲さえ吹き飛ばして"願い星"の流星群が降り注いだ、あの日。
「とっても、綺麗だったね」
「ああ、凄かったな。俺もこんな星送りは初めてだよ」
「ふふ、お星様だけじゃなくて。トレイ君の舞も、綺麗だったよ」
「ははっ、普通の男子校生には結構恥ずかしかったんだが、そう言ってもらえると救われるな。ありがとう」
あの流星群を見上げて、赤い瞳を星のように輝かせていた、あなたの方が何倍も綺麗だった──とは、普通の男子校生にはキザ過ぎて言えないが。
あまりに幻想的な光景とその場の非現実的な雰囲気に呑まれていたせい、だろうか。普段なかなか言えないようなことも、今なら言葉に出来てしまいそうな気がした。
彼女とふたり、来年も、再来年も、その先もずっと、あんな美しい光景をたくさん、何度でも見たい──そう思った。
「アイさん」
なあに、と真っ直ぐ俺の方を向いた彼女。月明かりで光る瞳が、愛おしいものを見るように細まる。どきん、どきん、と心臓の音がうるさい。
「俺が、無事にこの学園を卒業して。あなたに相応しい、大人の男になったら──……」
「……トレイ君?」
「あ、いや……なんでも、ない」
俺は途中でハッと我に帰り、周りに大勢ひとが居たことも思い出して、慌てて口元を覆い隠した。
ついうっかり、心の奥を通って口から溢れかけた、一生に一度しか言わないだろう告白。その時は結局、最後まで続けることが出来なかったけれど。
この言葉の続きを、いつか必ず言える日が来ますように──なんて、満天の星空へ向かって密かに願ってしまった。
星送りの夜から、一週間が経った。
その日の俺は自分でも少し笑ってしまうほど、朝からとても機嫌が良くて。親友のケイトが「うわ、珍しい顔ー! ツーショ撮ってマジカメにあげて良い?」とまで面白がるくらいだから、相当緩んだ表情をしていたのだと思う。
ナイトレイブンカレッジの数ある伝統行事の中でも、不人気な"星送り"において、運が良いのか悪いのか"スターゲイザー"なんて役目を強制指名された時には、また面倒な事になったと酷く肩を落としたものだ。全校生徒分の願い星集めや、星に願いを届けるための舞と太鼓の練習、スターゲイザー同士のいざこざも多少あったりして。普段の授業と両立しながらの日々は、もう毎晩、自室へ戻った途端すぐ気絶するように眠るほど忙しなかった。しかも、星送りの本番当日は悪天候が予想されて、一時はどうなることやらと悲観したが──シュラウド兄弟たちの活躍で、例年とは比べ物にならないほど素晴らしい結果を生み出してくれた。まさか、宇宙まで飛んで願い星を届けにいくスターゲイザーなんて、前代未聞だろう。
おかげさまで、と言って良いのかわからないが、俺の願いも叶えられた。デュースの将来に対する願い、オルトの家族を想った願いに比べたら、あまりに現実的な"最新のフードプロセッサーが手に入りますように"という俺の願い。出来る限り叶えられそうな物を願ったが、俺が欲しい物は家庭用ではなく業務用の、学生個人では財布の開き難い10万マドル以上するタイプだから、すぐに手に入れられるものじゃない。──けど、もはや面白いくらいにトントンと上手く話が進んで、ハーツラビュル寮のキッチンに俺の望んだそれを置いてもらえる運びとなったのだ。
正直なところ、ウィッシュ・アポン・ア・スターなんて都合の良いおとぎ話は信じていなかったんだが、まあ──年に一度くらいなら"願い星"にも祈ってみるもんだな。
そんな訳で、今日は例の"最新のフードプロセッサー"が届く日だった。お昼頃に業者が運び込んで設置までしてくれるそうだから、放課後には早速キッチンでその性能を試せることだろう。
前から作ってみたかったんだよな、スパイスを使ったお菓子。うーん、まずは何から手をつけてみるか、帰りに購買寄らないとなあ……香辛料は果たしてどのぐらい「IN STOCK NOW!」しているだろうか……。
「──トレイ先輩?」
楽しい想像に耽っていたら、不意に声をかけられて足を止める。
「ん? ああ、ジャミルか、おはよう」
声の主の方へ視線を向ければ、スカラビア寮の副寮長であるジャミル・バイパーが、何故か、酷く驚いた様子で目を丸くして俺を見上げていた。
「おはようございます」
「どうかしたか?」
「いえ。特にこれと言って用があった訳ではないんですが、随分とご機嫌な様子が珍しくて、つい……」
他寮の後輩にまでビックリされてしまうほど、今日の俺はやけに浮かれているらしかった。ははっ、と思わず声を上げて苦笑いする。
「いきなり失礼しました、すみません」
「いやいや、謝ることないって、少し恥ずかしさはあるけどな。実は──」
何とも言えない照れ臭さで、ズレてもいない眼鏡を直しながら、俺は自分の機嫌が良い理由をサラリとジャミルに教えた。
俺のささやかな願いが叶って最新の調理器具が届くことや、試してみたかったスパイス入りのお菓子にようやく挑戦出来ること。多分、大変だったスターゲイザーのお役目からようやく解放されて、スッキリしている気持ちもあるのだろう──なんて話をした。
副寮長で何かと調理係を任される機会が多い、お互い似たような立場に居るジャミルだからか、彼は共感するように「なるほど」と深く頷いて納得してくれた。
「それは、俺も同じ状況なら嬉しさのあまり、鼻歌を奏でながら登校してしまうかもしれませんね」
「……え? 待ってくれ。俺、まさか鼻歌を、歌ってた?」
「はい。とてもご機嫌なリズムでしたよ」
ニタリ、後輩の口元が少し意地悪く吊り上がる。彼は慌てたようにその口元を掌で覆い隠したが、ぷくくっ、と溢れる笑いを堪えきれていなかった。
「どうか他言はしないでくれると助かる……」
俺は自分のあんまりな恥ずかしさに痛む頭を押さえた。それはジャミルも驚くはずだ。無意識に鼻歌って、子供か。いや「18歳なんてまだまだ子供です」と笑う、綿飴のような甘くて優しい声が思い出されるが、さすがに年下の後輩の前ではそういう一面を晒したくは無かった。
耳まで熱くしている俺をさすがに哀れに思ったのか、ジャミルは「勿論ですよ」ともう堪えることすらやめて楽しげにケラケラ笑っていたが、あーあ、少し嫌な予感がするな。カリム辺りには絶対言い触らさないでくれ、頼むから。
それにしても。彼は良い顔をするようになったものだ、なんて今更、年上の先輩染みたことを感じた。今年度の入学式の時、突然に声を掛けてきた彼は、何というか──砂漠のように乾き切った、世の中の全てに失望したかのような、冷めた目をしていたように思い出される。きっと今日に至るまでの"何か"によって、彼の心境にも、良い変化があったんだろうな。
「それにしてもスパイスを使ったお菓子とは、興味深いですね。俺の故郷にも、マアムールっていうシナモンの効いた伝統的な菓子がありますし──」
「へえ? 俺はそっちも興味あるな……」
「せっかくスパイスを使うのなら、是非、熱砂の国の品を勧めたいですね。スカラビア寮で山になるほどありますよ。良ければ、お分けしましょうか?」
「えっ! それは、凄く有難いな。こちらには願ってもない提案だが、良いのか?」
また先程と同じように「勿論」と頷く彼、しかし、その爽やか過ぎる笑顔は(俺が言うのも何だが)どうも胡散臭くて。ああ、なるほど、と察する。
「──で、そっちの望みはなんだ?」
「さすがトレイ先輩、話が早くて助かります」
「まあ、元・スターゲイザーだからな」
ニヤリと軽口を返した。ジャミルも同じように悪い顔で笑った。──が。
「では、そのスパイスを使ったお菓子のレシピと、先輩自慢のイチゴタルトの作り方を教えてもらえませんか」
想像していたものより随分、可愛らしいとすら思える望みに、今度は俺が驚いて目を丸くしてしまった。
「いやあ、自慢……なんて言えるほどのもんじゃないけど、えーっと、本当にそんなことで良いのか? きっと高級な香辛料ばかりだろうに、なんだか申し訳ない気がするなあ」
「いえ、そんなことはありません。オンボロ寮の監督生やグリム、マスターシェフの担当教員である寮母さんまでもが、大絶賛していたんですよ。トレイ先輩のケーキ、特にイチゴをたっぷり乗せたタルトはどこの誰が作ったケーキよりも絶品だ、と。……俺の作った料理も美味しいとは言っていましたが、ケーキに関してはトレイ先輩の方が遥か上のようです」
──へえ。オンボロ寮の可愛い後輩たちや寮母さんが、そんなことを言ってくれてたのか。自分の作ったケーキをそこまで気に入っているとは知らなくて、嬉しくて、ニヤニヤ頬が緩んでしまうのを堪えられない。
一方、その話を聞かせてくれたジャミルはどうも不満げな様子で、眉を寄せて口をへの字に曲げていた。なるほど。特技のひとつでもある料理に関して、俺に負けたような気がして悔しかったのだろうか。今度こそ彼の思惑を理解するが、これは言葉には出さないでおこう。
「わかった。そういうことなら、喜んで教えるよ。今週末には必ずレシピとイチゴタルトの実物を差し入れに行く、という約束で構わないか?」
「はい、お願いします。では、スパイスの方は今日の昼休みにでも」
「ありがとう、本当に助かるよ。……そうだ。お礼の前払いって訳じゃないが、俺のイチゴタルトが格別美味しい秘密を教えてやろう」
ほう、と期待した眼差しを向ける彼に、俺はフフフと怪しげに笑って見せた。
「実は──隠し味にオイスターソースを適量加えている」
「オイスターソース!?」
「そう、カキからたっぷり出た旨味がイチゴとよく合うんだ。特に『セイウチ印のヤングオイスターソース』がオススメだぞ」
「……トレイ先輩、それはさすがに嘘ですね」
「ははっ、やっぱりバレたか〜」
そうして、放課後。
今朝の約束通り、ジャミルから譲ってもらった熱砂の国のスパイスの数々は、どれもあまりに質が良くて香りも素晴らしいものだった。
新しいフードプロセッサーだけでなく、高級な香辛料まで手に入ったことで、俺はますます機嫌を良くしてしまった結果──
「トレイくーん、これはさすがに……」
甘い香りとスパイシーな香りの充満するハーツラビュル寮のキッチンで、俺の親友である筈のケイト・ダイヤモンドは、スマートフォンを構えながらも苦く顔を引き攣らせている。
「……作り過ぎじゃない?」
──そう、俺は楽しさのあまり、お菓子を作り過ぎてしまったのだ。
キッチンの中央を陣取るテーブルに、所狭しとぎっちり並んだ、良い香りを漂わせるお菓子たち。甘さは控えてブラックペッパーを効かせたクッキーや、カルダモン入りで爽やかに仕上げたコーヒーゼリー、4種のブレンドしたスパイスをたっぷり混ぜ込んだシフォンケーキなど──それも数人分ではなく"なんでもない日"のパーティー用ぐらい大量に拵えてしまった。
「まあ、超〜マジカメ映えはするんだけどさあ。こんなにたくさん、明日のお茶会で出しても余っちゃうよ?」
どうすんのコレ、と呆れた笑いを浮かべるケイト。彼は白い丸皿の上で山になっているクッキーへ手を伸ばすと、ひとつ手に取って頬張った。しばらく黙って咀嚼していたが、何かピリリと痺れたように眉を上げて驚いた顔をする。
「むぐッ、あれ? このクッキー、全然甘くなくて、美味しい……オレの好きな感じの味だ」
「お、それは良かった。そのクッキーはブラックペッパーと粉チーズが混ぜ込んであって、甘いものが苦手なケイトでも食べやすいだろう味付けにしてみたんだ。口に合って何よりだよ」
「え、マジ? トレイくんってば、そういうとこがモテるんだろうなあ。へへっ、ありがと、うれし〜!」
これならいくらでも食べられそう! なんてニコニコ喜んでくれる友人の言葉で満足感は得たものの、さて、本当にどうしたものか。
ある程度は日持ちするクッキーならまだしも、シフォンケーキやゼリーなんかは早めに食べてしまわないと、勿体ない結末になる。食べ物を粗末にしてしまっては、いつぞやのマロンタルト事件のように監督生から酷く怒られてしまうなあ、なんて現実逃避しかけた時。
閃いた。──と、同時に思い出した。俺の手作りケーキをめいっぱい頬張って「美味しい」を表現してくれる、可愛い後輩たちの顔。それから、愛しいひとの幸せそうに綻ぶ笑顔が、頭の中で花がパッと咲くように浮かんだ。
「……よし。オンボロ寮に差し入れするか」
お菓子作りは好きだ。その繊細さが求められる工程も、レシピを考える事も、材料に使う果物を一から手間暇かけて育てたり、フードプロセッサーなどの調理器具にだってこだわるほどだ。作るという過程自体が、楽しい。でも、やはりそれだけじゃ物足りないから"結果"も欲しいんだ。俺の作ったケーキを「いちばん美味しい」と、喜んでくれるひとの口に入って欲しい。
スパイスのお礼に、スカラビア寮へも差し入れがしたいな。明日にでも声を掛けてみるか。そんなことを考えながら、作り過ぎたお菓子たちをきっちり3人分、手提げ出来る純白のケーキ箱の中へ詰め込んだ。
友人にご機嫌な様子で「いってらっしゃ〜い。何なら泊まっておいで〜♡」とニヤニヤ見送られて、俺は照れ臭いけど弾むような足取りで鏡舎へと向かった。
お城の如く立派な校舎の影で、ぽつんと寂しげに建っている幽霊屋敷、もといオンボロ寮。夜にここへ訪れると、なんというか、雰囲気が出るな。
ギギィッと相変わらず嫌な音のする門を抜けて、最近整備された石の階段を上がり、ひとのいる気配と光が溢れる扉の前へ辿り着いた。
コンコン、ドアノッカーを鳴らして「こんばんはー」と大きく声を張った。はあい、と扉の向こうの遠くから柔らかな声が返ってくる。少し間を開けて、扉が開いた。
「あら、トレイ君っ」
見慣れたクラシカルなメイド服を揺らして、オンボロ寮の寮母さんは綿飴を思わせる甘い声を弾ませた。とても嬉しそうな笑みを咲かせて「こんばんは」と夜の挨拶を返してくれる彼女の丁寧な姿に、俺の表情もふやける。
「お菓子のお裾分けに来たんだ、ちょっと作り過ぎてしまったから」
「まあ、嬉しい! いつもありがとう、ユウちゃんとグリムちゃんも喜ぶよ。今度はどんなお菓子を作ったの?」
「前から作りたかった、スパイスを使ったお菓子を色々と──」
箱の中身を説明するついでに、新しい調理器具に高級な香辛料の数々まで手に入ったことで、ついテンションが上がって作り過ぎてしまったことを話せば、彼女は面白そうに笑ってくれた。
「ふふっ、トレイ君のお願い事もちゃんと叶ったんだね。良かった」
「ああ。"願い星"にも祈ってみるもんだな」
「スターゲイザーのお役目、とっても頑張っていたから、だね。お姉さんも少し星集めや飾り付けはお手伝いさせてもらったけど、それでも、皆を上手くまとめたり願いを聞き出すのは大変だったでしょう。きっと、そのご褒美だよ。改めて、お疲れ様でした」
いい子いい子、なんて幼子を褒めるような言葉を添えて、いつも通り俺の頭をふわふわと撫でてくる彼女。恋人関係になっても以前とあまり変わらない対応に、俺は未だにこの人から男として見られていないんだろうか? と苦笑を浮かべてしまうけれど、やはり嬉しくなってしまう自分も居た。
人一倍の努力でイデアを説得して見せたデュースや、天候さえ変えてしまったシュラウド兄弟に比べたら。俺の立ち位置は正直、苦労する割に地味で目立たないけれど。こうして、密かな頑張りをちゃんと見てくれているひとが居るってのは、嬉しいもんだな。
ありがとう、と星が瞬くよりも小さい声でも、彼女は拾い上げて優しい微笑みを返してくれる。
「ふなあっ、良い匂いがするんだゾ!」
突然、猫型モンスターの喧しいくらいの声が響いて、俺の頭を撫でていた彼女の手が慌てたようにパッと離れていく。ぱたぱたぱた、と賑やかな足音も聞こえてきた。
あ、トレイ先輩だ! なんて嬉しそうな顔で俺の来訪を歓迎してくれる監督生。それから、すぐさま俺の持ち込んだケーキ箱へ飛び付いてくるグリムに「お前の鼻はほんと優秀だなあ」なんて、何事もなかったようにいつも通り温和な兄貴分らしい反応を返した。
俺が手作りお菓子を差し入れに来たと聞けば、きゃっきゃと喜びはしゃぐ可愛らしいオンボロ寮生たち。寮母さんもますます嬉しそうだった。
「じゃあトレイ君が作ってくれたお菓子、早速頂いちゃおっか。お茶を淹れるね、トレイ君も一緒にどう?」
彼女の提案に俺はすぐ「是非」と頷いた。門限が近付いてはいるけれど、まあ、お茶の一杯ぐらい良いだろう。味の感想も聞きたいし、な。
それじゃあ──と、寮母さんが俺の手からケーキ箱を受け取ろうとした途端、その箱は何故か、監督生の手にパッと奪われていた。
「ユウちゃん?」
「お茶の準備は私とグリムがやりますから、寮母さんとトレイ先輩は談話室で待っててください!」
監督生の思いもよらぬ発言に、え、なんて寮母さんと俺の惚けた声が重なる。
「えぇー!? メンドーなんだゾ……」
「美味しいお菓子をより美味しく食べる為だから、ちゃんと手伝ってよ、グリム。ほら、行こうっ」
イヤイヤと抵抗するグリムをぬいぐるみの如く小脇に抱えて、もう片手にはケーキ箱を持って、監督生は不思議と楽しそうに廊下を早歩きしてキッチンへ向かって行った。
二人しか居ない寮生たちの姿が見えなくなってから、俺たちはポカンと脱力した顔を見合わせる。
「……なんだか、気を遣ってもらっちゃったみたい、ね?」
あはは、と少し照れ臭そうに愛らしい苦笑いを浮かべる寮母さん。俺も何とも言えない気恥ずかしさで、熱くなった頬を掻いた。
監督生は俺と彼女が恋人関係であることを知っているし、ここ最近はスターゲイザーの役目が忙しくて二人でゆっくり話す機会も減っていたから、俺たちにふたりきりの時間を作ろうと気遣ってくれた……。多分、そういう事なんだろう。確かに、ほんの少しのひと時であっても、彼女とふたりきりで居られる時間は久しぶりで貴重だった。正直、有難いと思ってる。
彼女らの言葉に甘えてオンボロ寮の談話室へお邪魔させてもらった俺は、寮母さんとふたり並んでフカフカのソファーへ腰掛けた。しかし、久しぶりにふたりきりの空間は変に緊張してしまって、なんとなく照れてしまって、顔すらも合わせ辛い。さて、何を話したものか。ここへ来る前はあれやこれや話したい事を考えていた筈だけど、予想外の展開でどこかに吹き飛んでしまったな。
「……あ。そういえば、寮母さんは星に願い事とか、したんですか?」
俺の願いは、星送りの本番前に彼女や同じスターゲイザーたちに教えたけれど、彼女の願いは聞いた覚えがない。
星送りの夜、まるでシャワーのように空から降り注ぐ"願い星"の流星群を、彼女は熱心に見上げていたから。あの時、何かを願っていたんじゃないかと思ったんだが。
「ううん。私は生徒じゃなくて職員だから"願い星"を貰っていないし、星にお願い事もしてないよ」
失礼かもしれないけど、意外な答えが返ってきた。彼女はそういう幻想的なものを純粋に信じそうなタイプだと、勝手に思っていたから。
ちらりと彼女の方を横目で伺えば、妙に熱っぽい眼差しの赤色と目が合って、どきん、心臓が跳ね上がる。
「私の願いは、お星様に対して願うようなものじゃないから」
「……それって、どんな願いなんだ?」
気になる? なんてクスクス微笑みながら首を傾げる彼女は、どこか子供っぽくて可愛らしい。こくり、と俺が小さく頷けば、彼女はゆっくり言葉を紡いだ。
「──私ね、ケーキ屋さんになりたいの」
まるで、幼子が将来の夢を一生懸命に話すような言葉だった。俺を見つめる赤い瞳は至極真剣で、思考がぴたりと停止する。数秒の沈黙の後、へ、と間の抜けた声が溢れた。
「薔薇のたくさん咲き誇る王国で、大好きな旦那さんとふたり、クローバーが目印のお店を開きたいな。いちばん人気のケーキは、きっと、真っ赤でキラキラした宝石みたいなイチゴのタルトだね」
私の好きなレアチーズケーキも置いてくれたら嬉しいなあ、なんて。
あまりにも無邪気に夢を語るものだから、彼女の周りにチカチカと星が光るような幻覚さえ見えて、目が眩む。俺はこのひとが時折見せる、子供みたいな表情に弱い。可愛らしいその一面はきっと、俺しか知らない彼女だから。
「ね、魔法使いさん」
彼女の華奢な手が、ソファーの上で無防備だった俺の手を、包み込むようにぎゅうと握り締めた。
「私の夢、どうか叶えてくれる?」
ああ、それは。
「俺にしか、叶えられない願いだな」
「うん。お星様には願えないよ。だって、きみがその"大好きな旦那さん"じゃなきゃ、嫌だから」
てっきり俺は、彼女なら愛するオンボロ寮の生徒たちの為に祈るのだろう、なんて勝手に思っていたのに。まさか、元の世界へ帰る道すら望まないで。心の底から、俺とふたりで生きる将来を願ってくれていたことが。嬉しくて、堪らなかった。
「必ず、叶えてみせるよ」
「ほんとう?」
「ああ、約束する。だから、その為にもずっと、俺の隣に居てほしい」
俺の手を大事そうに握る彼女の手を胸元へ引き寄せ、その細い腰にもう片手を回して、ぎゅう、と柔らかな女性の身体を強く抱き寄せた。俺の腕の中、胸板へぐりぐり顔を埋めて、微かに震えたような声で「嬉しい」と溢すこのひとが、愛おしくて仕方ない。耳まで赤くしてしまって、可愛いな。
毎回、彼女を愛おしく感じるたびにこれ以上ひとを愛せることはないだろう、なんて考えるんだが。そう想うほど気持ちはフワフワで厚いパンケーキの如くどんどん膨れ上がるので、どうやら、この感情には際限など無いらしい。
──よし。今なら、言える。
「アイさん」
「はい」
「俺が、無事にこの学園を卒業して。あなたに相応しい、大人の男になったら。どうか、俺と──」
結婚してください、の「け」を発した瞬間。
「ぶなーッ!!」
「うわっ、グリム! そんなに火力あげたら鍋が焦げちゃう!!」
一世一代の告白となる筈だった言葉は、元気な後輩たちの唸るような鳴き声と、悲痛な叫びで掻き消された。
俺は渋々、彼女の柔い身体から静かに離れる。はー、やれやれ、と心の底から呆れた声を吐き出した。その時の俺は相当険しい顔をしていたのか、目の前の彼女はまだ頬を赤くしながら「怖い顔してる」なんてクスクス笑っていた。
「あらあら、なんだか大変そうね。やっぱり、手伝ってあげようか」
「……そうですね」
まあ、いいか。一生に一度しか言わないであろう大事な告白なんだ、また日を改めよう。今は、彼女の願い事が聞けただけで十分だ。気を遣ってくれた監督生には感謝しよう。でもグリムのヤツは後で、腹をひたすら撫で回すの刑に処してやろうと思う。
俺は重たい腰を上げて、彼女と共に騒がしいキッチンへ向かった。その途中。
「トレイ君」
「ん?」
「さっきの言葉の続き、いつか、ちゃんと聴かせてね」
楽しみにしてるから、なんて悪戯っ子みたいな顔でにやりと笑う彼女。その可愛らしさにくらくらしながらも、ひっくり返りそうな声で「勿論だ」とだけ頷いた。
何も、焦る必要はない。彼女はちゃんと、俺のことを待っていてくれるから。
今度は、そうだな──俺のよく知る、薔薇の咲き誇る美しい王国を、彼女にも見てもらおうか。その上で次こそは、きちんと伝えよう。ふたりの幸せな未来への願いを、叶える為に。
2020.09.06公開