緑の帽子屋と寮母さんの話
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自称普通の男も愛を歌う
突如、幽霊の大群に占拠された学園での大騒動。幸せな花嫁を夢見るお姫様のゴーストに、何故かイデアが花婿に見初められ、校舎は結婚式会場に選ばれてしまった。彼と校舎を取り戻すべく、厄介な事に俺たちまでも巻き込まれ、それはそれはもう、酷い目に合わされたのだが──まあ色々あって、リドルやエースたちの活躍で、なんとか無事にイデアと校舎を取り戻す事は叶った。
生徒たちの姿もゴーストの気配も無くなった真っ暗な夜の中庭で、俺はぐったりと近くのベンチへ座り込む。スマートフォンで時間を確認してみたら、いつの間にか深夜になっているじゃないか。ゴーストたちが荒らした(というか主にリドルやルークたちが焼き焦がした)学園内の廊下や階段を清掃している内に、どんどん時間が過ぎていたらしい。学園長め、後片付けまで全部生徒に丸投げしやがって……。もう寮まで戻るのも億劫になるぐらい疲れてしまった、なあ。
はあ、と深い深い溜息を吐き出して、ぼんやり夜空を見上げていたら。
「お疲れ様です、クローバー君」
視界にぬっと入り込んだ、優しい微笑みを浮かべる麗しい女性の顔。驚き慌てて姿勢を正せば、オンボロ寮の寮母さんである彼女は、俺の隣に腰掛けて「大変だったね」と労りの言葉をくれた。
「アイさんこそ、お疲れ様です。こんな遅くまで片付けを?」
「雑用係でもありますからね、さっき大食堂のお掃除が終わったところ。でも可愛い一年生の皆が手伝ってくれたから、思ってたより楽できちゃった」
ようやく愛しい彼女の顔を見られたことに、ほっ、と安心する。──が。
「それにしても、とっても綺麗な花嫁さんだったね。少し頭の中がお花畑と言うか、随分、夢見がちな方だったけれど。何処かの国の箱入りお姫様だったらしいし、ゴーストじゃなければ玉の輿を狙えたのに、残念ね。演技とは言え、ゴーストさんと恋人みたいな追いかけっこしたり、あんな愛の歌まで歌って見せたりして、クローバー君も本当によく頑張りましたね。でも、……酷いひと。私なら、引っ叩いたりなんて、しないのに」
なんだか、言葉の端々にちくちくトゲを感じるような、気がする。いつも優しい言葉選びで甘やかな声を鳴らすひとだから、そのツンと冷たく発せられる声に違和感を覚えたのだ。
「あの、なにか、怒ってますか?」
「ッ、怒って、なんか!」
珍しく声を荒げたことに、本人も酷く驚いた様子だった。
「あっ、うう、ご、ごめんなさい、私、いつもクローバー君のこと、子供扱いしてる癖に、こんな気持ち、おかしいってわかってるのに──」
彼女はとても申し訳なさそうに恥ずかしそうに、赤く染まった顔を両手で覆い隠してしまう。
「私、ヤキモチなんて……あの花嫁さんを、羨ましいと、思ってしまって……」
ごめんなさい、と再び小さく震えた声で謝る彼女。胸の奥がきゅんと甘く締め付けられた。
あのプロポーズの真似事を彼女にまで見られていた事実は、ちょっと、いや、かなり、いっそ首をはねてもらいたいぐらい最悪なんだが。
「俺としては正直、嬉しい話だな」
ずっと、俺だけが一方的に彼女を好きなんだと、思っていた。俺ばかりが、彼女と楽しげに話す生徒や、彼女を熱っぽい眼差しで見つめる男どもに、嫉妬していると思っていた。だから、俺だけじゃなかったんだ、彼女も同じ気持ちだったのか、と。彼女も俺に特別な感情を抱いてくれていたことに気付いたら、嬉しくて、嬉しくて。
愛らしい顔を隠している彼女の手に、触れる。ゆるゆると指先を絡めて、強制的に両手を退かさせた。あらわになったその顔は先程よりも、まるで林檎のように真っ赤な色で染まっている。俺を見つめる潤んだ瞳があまりにも艶っぽくて、不安げに「クローバー君」と俺を呼ぶ唇が赤々色付いて美味そうで、つい、喉の奥がごくりと鳴ってしまう。
「すごい可愛い顔、してる」
やだ、とまた顔を隠そうと動く彼女の手を、ギュッと強く握り締めて邪魔をする。
「好きだ」
彼女の大きく見開かれた赤い瞳が、俺を見つめて離れなくなった。
「そんな可愛い嫉妬をしてくれるあなたが、愛おしいと思うよ。俺の"お姫様"は、生涯、あなただけですから。どうか安心してほしい」
我ながら少しキザが過ぎた発言とは思う。でも、真実だから構わなかった。彼女になら、どんな歯の浮くような甘い台詞も自然に口を滑る。
「年下の癖に、格好、つけちゃって、」
「好きなひとの前ぐらい、格好つけさせてくださいよ」
「お、お付き合いするなら、結婚を前提にしてくれなきゃ嫌だよ、重くない?」
「言われなくても、最初からそのつもりなんだが、」
「わ、私、きみよりおばさん、だよ」
「お姉さん、でしょう。7歳差くらい大した差じゃないさ、俺もいずれおじさんになるんだから」
「でも、きみはまだ学生さん、だし、もっと若くて可愛い子の方が、」
「あなたは、俺がそういう別の子に心変わりしても平気なんですか?」
「……嫌、だ。ずっと、私のこと見てくれなきゃ、イヤ」
泣き出しそうに歪む表情。彼女の小さな両手が、ぎゅう、と俺の手を握り返してくれる。愛おしくて堪らなかった。
「俺も、嫌だな。あなたが他の男の元へ行ってしまうなんて、想像するだけでも気が狂いそうだ」
「こんな、みっともなくヤキモチを妬いてしまうような、女なのに、良いの?」
「この程度、可愛いもんだろう。……たぶん、俺の方が嫉妬深くて面倒をかけると思うぞ」
前科もあるし、と今まで何度か彼女を困らせてしまった過去を振り返り、なんだが小っ恥ずかしくなって苦笑するが。彼女は変わらず悲しい顔をしている。
「私……いつか、元の世界に、帰らなきゃいけなくなっちゃうかも、しれないよ。ある日突然、居なくなっちゃうかも」
「そうしたら、奪いに行くよ。あなたの世界まで」
「迎えに来てくれるんじゃ、ないの?」
「ああ、残念ながら、俺は白馬の王子様なんて柄じゃないからな。どんな汚い手を使ってでも、強引に世界を歪ませてでも、あなたを奪いに行ってやる」
わざとらしいほどニンマリ卑しく笑って見せれば、彼女はようやく「ぷはっ」と噴き出すほどに笑ってくれた。
「もう、悪い子なんだから」
「ははっ、いまさら気付いたのか?」
愛しさに心温めるばかりではなく、こんな黒く醜い泥のような感情まで自覚してしまったら、彼女の言うような"良い子"のままでは居られない。それでも彼女は嬉しそうに微笑んで受け入れてくれるから、ずぶずぶと甘えきってしまう。
「……ねえ、クローバー君。私には、きみの歌を聞かせてはもらえないのかな」
えっ、と思わず声に出た。
唐突過ぎるお願い。彼女の赤い瞳が笑っていない、口元だけをニコリと吊り上げた意地の悪い笑顔に戸惑う。
数時間前のとんでもなく恥ずかしかった、あの庶民的過ぎると酷評された歌を聞いておいて、このひとはそんなことを言うのか。彼女も大概、悪いひとだ。しかも、拗ねた少女のようにムッとした表情なんて見せて。
なるほど、嗚呼。いくら詐欺師のような真似事でも、どんなに酷い歌だったとしても、自分以外の女性を口説いていたことが、ずっと気に食わないんだ。このひとは、こうも可愛らしい嫉妬を真っ直ぐ向けてくるような、少女だったのか。何か、吹っ切れてしまったのかもしれない。ずっと大人らしく、年上らしく振る舞っていたひとが見せる、子供のような一面は堪らなく愛おしかった。
俺はきょろきょろと周りに誰もいないことを再確認してから、彼女へ真っ直ぐ向き直り、ごほんっ、と咳払いした。頬に集中し始める熱を無視して、羞恥心を必死に堪える。
「き、君の〜……♪」
震える声で歌い出せば、彼女の表情が闇夜の中でも眩しいぐらいにパァッと輝いた。
「その、美しい真白な髪は〜……ふわふわであまい、綿飴のようで〜……♪」
あの花嫁ゴーストが少し口ずさんだだけの、原曲なんて知らない、音程もめちゃくちゃな歌を紡ぐ。
「赤い瞳、は〜……熟した苺、みたいで、美味しそう、だね〜……♪」
即席の歌詞は相変わらず、庶民的で安っぽい表現しか出来なかったけれど。王子様なんて柄じゃない、平凡なケーキ屋の息子として生まれた、ごく普通の男子高校生である俺には、これが精一杯だった。
「……もう勘弁してください」
彼女にキラキラと無邪気な瞳で見上げられていることが耐え切れず、片手で自分の口元を押さえて、ふい、と目線を逸らしてしまった。恥ずかしさで心臓が破裂しそうだ。
「ふっ、うふふ、ははっ」
無理やり歌わせておいてそんなに笑うのは酷くないだろうか、と若干涙目になりながらキッと睨んでみたけど。
「クローバー君ったら、可愛い。私はきみにとって、そんな、甘いお菓子のように見えているの? ふふっ、嬉しいな、ありがとう」
すっかりご機嫌になった彼女が、ルンルンと歌うように喜んだりするものだから。俺の強張った表情なんて、すぐふにゃふにゃ蕩けたマシュマロみたいに緩んでいった。
「俺のお姫様はどうやら同じ庶民派だったみたいで、安心したよ」
「生涯を共にする結婚相手は、価値観や感性の近いひとの方が良いでしょう?」
「はは、同感だ」
くすくすと悪戯っぽく笑う彼女を見ていたら。やっぱり、俺はこのひと以外との結婚なんて考えられない、と心から思う。
彼女の苺のような瞳が、愛おしげに俺を見つめて細まる。
「私も、きみのことが好きだよ。苦手な歌も一生懸命聞かせてくれる、蜂蜜みたいな甘い瞳で、いっぱい愛情を伝えてくれるきみが、大好き」
「……ありがとう」
いきなりプロポーズの真似事なんてさせられて散々だったが、まあ、こうして結果的に得をしたから良しとするか。
「それじゃあ改めて、お姫様。俺と結婚を前提に、お付き合いしてくれますか?」
「はい、よろしくお願いします。……トレイ君」
するり、彼女の柔らかな頬を撫でてやれば、察しの良い彼女はくすぐったそうに微笑んで、まぶたを閉じた。艶々のチェリーのようで美味しそうな唇に見惚れてしまいながら、ゆっくりと、顔を近付ける。
ここには、揃いの指輪なんて無ければ、薔薇のブーケも無い、儀式のための正装だって出来ていないけれど。
生涯の愛を誓うだけなら、唇同士が触れ合いさえすれば、十分だ。
2020.07.11公開