緑の帽子屋と寮母さんの話
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魔法使いは愛に弱い
初めて、年上の彼女をデートに誘った。しかし、その会話の中で。
『俺があなたの魔法使いになります』
──なんて、我ながら柄にもない、後から恥ずかしくなるような個人メッセージを送ってしまった俺は、ハーツラビュル寮の談話室でひとり頭を抱えていた。
異世界からやってきた彼女は色々と事情が複雑で、まるでおとぎ話の可哀想な灰かぶり姫のように、初めてのデートで着ていく服すらないことを酷く嘆いていたものだから、俺がなんとかしてやりたいと思った。まだ魔法士を目指す学生とは言え、彼女ひとりの衣服を魔法で仕立てるくらいは出来る筈。けれど、衣装変えの実践魔法を自分に使うことはあっても、他人に使ったことは一度か二度しかない。そこまで難しい魔法ではないものの、授業で少し学んだ程度の腕前では、かなり不安があった。デート当日、絶対に失敗したくはない。
さて、どうしたものか。
「あれ、トレイくん? まだ談話室に居たんだ、お風呂入んないのー?」
「ん、ああ、ケイトか……」
スマートフォンと睨めっこしていた俺の元へ、風呂上がりで寝巻き姿のケイトが、何かを察した様子でニコニコ近づいて来る。挙句、俺のマジカメで会話中のスマホ画面を覗き込もうとするものだから、コイツが首から下げてたタオルを引っ掴んで顔面に勢いよく被せてやった。「わぷっ!」なんて間抜けな声を上げた友人に、ちょっと笑う。
「何すんの、もー! トレイくんってば、ひとに見られちゃまずいことでも話してんの?」
「まずいも何も、ひとの個人情報をそう軽々しく覗き込もうとする行動の方が、俺はどうかと思うぞ」
「良いじゃん、どうせ寮母さんと喋ってたんでしょ。最近、年上の恋人が出来た超羨ましいトレイくんのために、学園から近くてレアチーズケーキの美味しいお洒落なカフェを教えてあげた親切なお友達は、いったい誰だったカナ〜?」
「その件については心から感謝しているし、報酬にキッシュも焼いてやっただろう。……ありがとうな」
「ふふ、どーいたしまして♪」
人懐っこい友人の顔を見上げていたら、はっ、と思い出した。そういえば。
「なあ、ケイト。お前、衣服や装飾品を変える魔法、得意だったよな?」
「え、衣装変えの実践魔法? アレちょー楽しいから大好きだけど、別にトレイくんも出来るじゃん。二年生で習うレベルの魔法だし、どうして今更」
「そう、なんだが……。自分ではなくて、他人に魔法をかける時はまた勝手が違うだろう。少し復習しておきたいんだ、手伝ってくれないか」
こうも真摯に頼み事をする俺は珍しかったのだろうか、ケイトは一瞬キョトンと目を丸くして静止したが、すぐに「ふうん、なるほどねー?」と悪どい顔でニヤニヤ笑った。
「わかる、わかるよー。男なら人生でいちどくらい、特別なひとの魔法使いになりたいモンだよね!」
「お前は本当に察しが良すぎて、時々怖いくらいだな」
「あははっ、オレのそういうところを買ってくれてるんでしょ? お礼に今度は何を頼もうかなあ〜♪」
「あまり無理難題はやめてくれよ?」
それから数日ほど、ケイト相手に衣装変えの実践魔法を繰り返し練習していたことは──出来れば、彼女には一生秘めておきたい話だ。
デート当日。友人が付き合ってくれた練習の甲斐もあって、彼女へかけた魔法は我ながら大成功、古代呪文の詠唱も完璧で、テストなら満点のパーフェクトを貰える出来に仕上がった。
寮母さんの一張羅であるシンプルなメイド服は、春を思わせるパステルグリーンのワンピースへ早変わり。ロング丈の裾に咲いた白薔薇の模様が揺れて、ちらりと覗く足元は緑色のベルトシューズが飾る。きっちりとお団子ヘアに編み込まれた美しいホワイトの髪には、エメラルドの如く光るクローバーの髪飾りなんて着けていて。"対象の衣服を望んだ形に変えてやれる魔法"で着替えた姿に、自分を象徴するスートがほんの少しあるだけで、こんなにも愛おしさで胸が熱くなるとは想像もしなかった。その姿は本当に──おとぎ話の、お姫様のようだった。
彼女は魔法で着飾った姿をよほど気に入ったらしい。オンボロ寮から学園の麓にある街へ出た後も、商店街のショーウィンドウに映る自分の姿を眺めながら、嬉しそうにずっとニコニコしていた。くるっとその場で一回転してみたり、前髪を何度も整え直しては、また、ふやけた顔で笑うものだから。
「可愛いな、よく似合ってるよ」
つい俺も、今日だけで何度言ったか忘れるほど、甘い言葉を溢してしまう。街の景色が反射するショーウィンドウ越しに、彼女が俺を見て笑った。
「ありがとう、私の魔法使いさんはとっても優秀なの。すごいでしょう?」
自慢の恋人だよ、なんて。まさか俺自身に俺のことを誇らしげに話すとは、このひとはどうして、こうも可愛いんだろう。たった数時間の幻でもこんなに喜んでくれるなら、何日もかけて頑張った甲斐もあった。
るんるんと鼻歌まで奏でてご機嫌な彼女を見ていたら堪らなくて、つい、気が付けば自然と唇で彼女の前髪越しの額に触れていた。ショーウィンドウに映る一部始終を見ていた彼女が、顔をほんのり赤くして慌てた様子でこちらを見上げてきたものだから「おや、」と俺の方も目を見張った。額、というか、髪に少し触れただけなのに。普段の大人の余裕はどこへやら、そこに居るのは軽い口付けにも慣れていない、初々しい少女がいた。
「と、トレイ君って、意外と大胆ね」
「そうか? このくらい、挨拶みたいなもんだろう」
実際、俺の生まれ育った王国は家族間でも挨拶に頬へキスをする当たり前が存在し、恋人同士の触れ合いもまあまあ濃い傾向にはあると思う。彼女はそのこともいちおう理解はしてくれているようで「うぅん、異文化コミュニケーションすごい」と照れ臭そうに前髪を整えながら謎の言葉を唸っており、それが可愛くて面白い。こんな様子で、もし唇に直接触れてしまった時には、いったいどんな反応を見せるのだろう。一瞬、ぞくりと若い悪戯心が刺激されたが、今日の目的がブレそうだからやめておこう。また今度、だな。
恥ずかしさを誤魔化すためか、そろそろお腹空いちゃった、と苦笑する彼女に、今日の最初の目的地を思い出した。ケイト曰く「人気店だから早めに並んだ方が良いよ」との事なので、ゆっくり街を見て回ることは後回しに、早速目的のカフェへと向かった。
白い石畳の歩道を進み、大通りから外れた路地を抜けていくと、モダンな真っ白の壁が目印の、お目当てのカフェが見えてきた。その建物に彼女も見覚えがあったようで、あ、と声を上げる。
「ここ、ダイヤモンド君のマジカメで見たことある。ケーキが種類豊富で美味しいお店なんだって『良かったら今度一緒に行きましょう』なんて、誘われて、」
「おっと、付き合って早々浮気ですか、アイさん?」
「もう、そんなことしませんったら。私の恋人さん、とってもヤキモチ焼きだもの。トレイ君とふたりで来てみたいなって思ってたから、嬉しいよ」
思わず意地の悪い言い方をしてしまったにも関わらず、そんな俺すらクスクスとからかうように楽しく笑う彼女。少し照れ臭い気持ちはあるが、俺の嫉妬深さもすっかりご理解頂けているようで、何よりだ。
幸い、昼のピークが始まる直前だったようで、店の前まで人が並んでいる様子はない。しかしさすがは人気店、店内に入ればもう一目でわかる満席状態で。ちょうど退店する客とタイミングよく入れ替わりで、窓際のいちばん隅のテーブル席へ座れたことは偶然、運が良かった。外装の真っ白な壁の派手さと打って変わって、店内はわざと照明を少し落として薄暗くなっており、白と黒を基調にした洒落た家具が並んでいる。客の声は賑やかだが、ゆったりくつろげそうな落ち着いた雰囲気で、良い感じだ。
背筋のピンと伸びたウェイターに水をふたり分頼んでから、カフェにしては思いのほか分厚いメニューを開く。ご自慢の種類豊富なケーキを全て写真付きで掲載している為、やたら分厚いようだ。
「わあ、すごーい。本当に色んなケーキがあるのね」
「へえ、季節限定物も良いな、参考になる」
ぱらぱらとページをめくりながら他愛もない会話を交わす。彼女の大好物であるレアチーズケーキを見つけると途端に表情が明るくなったり、一風変わった苺のモンブランを見て「これはローズハート君が好きそうね」と声を弾ませて、ランチメニューにツナのサンドイッチを見つければ「グリムちゃんがとっても喜びそう」なんて楽しそうに微笑むから、また、可愛さのあまり口付けてしまいそうだった。
俺はこのひとの、大切な誰かを想って優しくなる表情が好きだ。時々、妬いてしまうこともあるけれど。
あまりのメニューの多さで結構迷ったものの、ふたり分の水を運んでくれたウェイターへ、半分ずつ分け合っても十分足りそうなツナのサンドイッチと、ドリンク付きのケーキセットをふたつ注文する。よく冷えた水で喉を潤した後、またもうひとつ、今日の大事な目的を思い出した。
「あ、そうだ。料理が運ばれたら、写真を撮っても良いか?」
「うん? もちろん構わないけれど、トレイ君にしては珍しいね、マジカメにあげるの?」
「まあ、ちょっと。この店を教えてくれたケイトに、頼まれてな、はは、」
衣装変えの実践魔法の練習に付き合った対価として、ケイトから言い渡された内容は「寮母さんとのラブラブなデート写真を撮ってマジカメに載せること!」という、俺を全力で辱めたい気持ちがよくわかるものだった。しかし、これを実行しなければ「トレイ君の努力の日々を寮母さんに即バラす」と脅されたので、やらない訳にもいかなかった。
「アイさんの姿も少し、一緒に写ってしまうけど大丈夫か?」
「いいよ。代わりに、私も写真を撮らせてもらえたら嬉しいな。お料理の写真もだけど、トレイ君の写真が撮りたいの」
「え、俺を?」
「うん。ユウちゃんのゴーストカメラがずっと羨ましかったんだ。私も、トレイ君との思い出の写真がほしい。ひとりできみに会いたくて寂しくなった時も、きみとの写真を見てニコニコしたいの」
そんな、スマートフォンで口元を隠しながら照れ臭そうに微笑まれてしまっては、もう、熱くなる頬を押さえて「好きなだけ撮ってください」と答えるしかなかった。可愛いが過ぎると思った。ああ、テーブル分だけ彼女と離れた距離が恨めしい。隣り合って座っていたら、間違いなく唇を奪っているところだった。
「ふふっ、ありがとう! 後で、ふたり並んだ写真も撮ろうね」
「ああ、もちろん」
俺も彼女の笑顔がはっきり写った一枚を撮らせてもらったが、これは自分の観賞用に隠しておこう。
そうこうしている内に注文したサンドイッチとドリンクが運ばれてきたので、約束通りもう一枚写真を撮らせてもらう。机の上に並んだ美味しそうな料理をメインに、彼女の華奢な手と胸元が映り込んでいる、いわゆる匂わせ写真──あからさまに恋人とデート中です、というアピール全開の写真が撮れた。正直こんな、自分の彼女を自慢げに晒すような写真なんて公開したくないものだが、これでケイトも文句はないだろう、ハッシュタグは「#ツナのサンドイッチ #美味しそう」とだけ書き込んで投稿した。どうしても嫌な予感がするので、マジカメの通知は全て切っておく事にする。
次の日、俺のマジカメにアップされたこのデート写真を見て、寮の後輩たちやクラスメイト等から散々からかわれる羽目になるのだが──それはもうあまり、今後も一切語りたくない話である。
さて。スマートフォンをしまって、再びふたりきりの時間に戻る。
ケーキが自慢の店と聞いていたが、ツナのサンドイッチも相当美味しかった。ひと切れの量がかなり大きくて、具は多過ぎて溢れそう。おまけにサラダ付きだから、お得感もある。
「んん、おいし〜。グリムちゃんなら『たっぷりのツナとマヨネーズの完璧なマリアージュ、これぞ至福の海のお味なんだゾ〜!』なんて言いそうね」
「ははっ、よく似てる。アイツ、モンスターの癖にやたら食レポが達者なんだよな」
「毎日あの子たちのご飯を作ってる身としては嬉しいよ、いつも美味しい美味しいって喜んで食べてくれるから」
「羨ましい話だな」
「あら、うちの可愛い寮生ちゃんたちを、ハーツラビュル寮にはあげませんよ?」
「いや、そっちじゃなくて、」
アイさんのご飯が毎日食べられる監督生とグリムが羨ましい、という意味で言ったのに。数秒静止した後、ようやく意味を理解した彼女の顔がぽっと赤くなる。
「……もう。あと数年もしたら、トレイ君も嫌になるほど毎日食べることになるんだから、ね」
「嫌になんてならないさ、きっと」
何気なく、ふたりの未来の話をしたりして。
ボリューム満点のサンドイッチは一皿を半分ずつして食べた筈なのに、すっかり腹が満たされてしまった。お腹いっぱいだね、なんて言っていた彼女だけど、デザートは別腹、という言葉はしっかり適用されるようで。
食後に運んでもらえるよう頼んだ、レアチーズケーキと苺のモンブランがやって来ると、彼女はサンドイッチの時よりもその赤い瞳をキラキラ輝かせた。見るからにクリームチーズの濃厚そうな純白のケーキを前に、すっかりメロメロになっている。それをひとくち頬張った途端、きゅうっと顔が幸せいっぱいになる彼女。
その姿に、少しムッとしたなんて。
「わあ、美味しいっ、ほんのり蜂蜜の味がして、幸せなお味ね」
可笑しいな。彼女が喜んでくれるのなら、それが別に俺の作ったケーキであろうがなかろうが、どうでも良いと思っていた筈、なのに。プロの作ったケーキに素人が嫉妬するなんて、馬鹿な話だ。
心から幸せそうにケーキを頬張る彼女をしばらく黙って見つめていたら、彼女は何を思ったのか、フォークに乗せたクリームチーズをずいっと俺の口元へ差し出した。
「はい、あーん」
そして満面の笑みで、口を大きく開けるよう急かされる。彼女の恥ずかしがる行為とそうじゃない行為の違いはよくわからないが、出されたフォークを突き返す訳にもいかず。すぐに口を開いて答えた。
「ねっ、美味しいでしょ?」
正直、心臓の高鳴りと頬の熱であまり味がわからなかった。おかげで「ああ、確かに」なんて少し、素っ気ない返事にはなってしまったけど。可笑しな嫉妬の感情はじわじわと引いて行った。
食後のケーキを楽しんだ後は、ゆっくりと食休みもしてから、店を出た。太陽の光が煌々と天辺から降り注いでいるから、まだまだ自由に過ごせる時間が残っている。
次は洋服屋でも見て回ろうか、と提案すれば、私服の足りなさを嘆いていた彼女はとても喜んでくれた。──が、カフェからしばらく歩いたところで、彼女は急に俺の腕を掴み、足を止めた。
「ね、トレイ君、ちょっと屈んでもらえるかな」
「ん、どうした?」
いったい何事だろうかと、彼女の指示通りに引っ張られるがまま身を屈める。彼女はそっと俺の耳元へ唇を寄せて、フワフワくすぐったくなる声で囁いた。
(さっきのお店も美味しかったけど、私はきみの作ってくれるケーキがいちばん好きだよ)
そんな言葉を告げた後、ちゅっ、と耳奥が蕩けそうな甘いリップ音と共に、耳朶へ軽いキスを落とされて。突然のことで呆気に取られている俺を、彼女は悪戯好きの幼子の顔で満足げに見上げていた。
ああ、もう、俺は一生、このひとには敵わないのだろう──と。その瞬間、己の人生を捧げる決意をした。
「……また今度、オンボロ寮にレアチーズケーキ差し入れますね」
「わあ、嬉しい! 楽しみだなあ」
2020.07.01公開