緑の帽子屋と寮母さんの話
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魔法使いと灰かぶり姫
「ユウちゃん、お風呂沸きましたよ」
「あっ、はーい! グリム、ちょっと先に寝ないでよ、お風呂の時間だよ」
「むにゃ……こんな山盛りのツナ缶、食い切れないんだゾお……むふふ」
「もう、グリムったら! 起きて!」
オンボロ寮にふたりしか居ない可愛い寮生たちが、賑やかにお風呂場へ向かう様を微笑ましく見送って。
ここの寮母である私は談話室のソファーに腰掛け、ふう、と一旦ひと息ついた。机の上には、とても難しそうな分厚い本たちが大きな山を作り、自習用のノートはびっちりと細かい手書きの文字で埋め尽くされ、監督生の努力の後が残っている。ユウちゃん、毎日お勉強頑張ってえらいなあ。そうだ、お風呂上がりのふたりのために、温かいハーブティーを入れてあげよう。今日もぐっすり寝て、明日に備えてほしいものね。そう閃いて、キッチンへ向かうべく立ち上がろうとした瞬間。
机の上に放置していた私のスマートフォンが、ピロン、と軽快な音を鳴らした。今時の学生たちに大人気のSNSアプリであるマジカメに、私宛の個人メッセージが届いたことを知らせる音だ。しかし、私とマジカメの連絡先を交換している相手は少ない。しかも個人メッセージなんて、たぶん仕事関係だろう。先生方からの頼み事ならまだしも、学園長から厄介な仕事を押し付けられるのはちょっと嫌だなあ、なんて少し憂鬱に思いながらアプリを開いてみる。
『寮母さん、今週の日曜日って予定空いてますか』
トレイ・クローバー君から、そんな短いメッセージが届いていた。
歳の差や、学生と職員の関係、生きてきた世界の違い、そんなしがらみを全て振り切って。彼と健全なお付き合いを始めて、すぐの連絡だったから。
それが、初めてのデートのお誘いであることはすぐに察してしまった。ああ、私ったらダメね、彼より年上で、お姉さんなのに。どきどきして、お返事するために文字を打つ手が震えてしまって。彼の前では寮母さんじゃなくて、ただの恋する女の子になってしまう。
『何にもトラブルが無ければ、いつも通りお休みですよ』
『じゃあ良かったら、ふたりで街へ遊びに行きませんか。この間、学園の外へめったに出たことが無いと言っていたから、俺が近くの街を案内しますよ』
『本当? 凄く助かります、是非お願いしたいな。でも、それってまるでデートみたいね』
にっこり笑顔の絵文字付きで返信する。なかなか確信の言葉を言ってくれない彼に、なんだか悪戯心を刺激されてしまった。1分ほど間が空いて。
『デートのつもりです』
そんな淡々とした文章が返ってきたことの、なんと可愛らしいことか。私は間髪入れずに『嬉しい』とだけ返した。
『よかった。じゃあ、日曜日の11時頃、オンボロ寮まで伺ってもいいですか。是非オススメしたいカフェがあるので、そこで昼食なんてどうですか』
きっちりと予定を立てて、お迎えもしてくれるという彼へ、嬉しくて嬉しくて堪らないのに──私の、文字を打つ手が止まる。
……どうしよう。
『ありがとう、その時間で大丈夫だよ。でも、少し困っちゃった』
『どうしました?』
『私、デートに着ていけるような可愛らしいお洋服、持ってないの。だから、いつものメイド服でお出掛けすることになっちゃうけれど、許してくれるかな。ごめんね』
いちおう伝えておいた方が良いと思って、困っている理由を告げた。この世界には身ひとつで来てしまったし、ここでの衣食住は学園に頼っているから、お洋服も化粧品も仕事で必要な最低限のものしかない。お給料のほとんどが寮の修繕や生活費に回っているから、手取りも少ない。本当は、自分が納得できる、自分のいちばん可愛いと思える姿で、彼の隣に立ちたかったけれど──。
その後は彼からの返信が来なかったので、私はまたスマートフォンを机の上に戻して、今度こそ立ち上がりキッチンへ向かった。ガッカリ、されてしまったかな。仕事着でデートへ行こうとする恋人なんて、当たり前だけど嫌だよね……。そんなことを不安に思いながら、ハーブティーを淹れる支度を進める。
ほかほかと真っ白な湯気を立てるカモミールのハーブティーを淹れて、談話室へ戻ると、スマートフォンにトレイ君からのお返事が来ていた。
『そんなこと気にしないでくれ。俺はアイさんと一緒に居られるだけでも、十分嬉しい』
不安な気持ちが、一瞬で吹き飛ばされる言葉だった。ほんとうに、優しくて良い子だ。思わず『ありがとう、トレイ君すき』と愛おしさの溢れるままに返信してしまった。再び、やや間を空けて『そういう言葉は直接言ってほしいです』とあっさり返されてしまったけど。
『でも、女性として街へ出る為の身嗜みは気になるものだと思うから、とりあえず俺に任せてくれないか』
『任せるって、どういうこと?』
ただ、その後にスマートフォンの画面上へポンッと現れた彼の言葉は、少し意味を理解できなくて首を傾げてしまった。
『俺があなたの魔法使いになります』
そうして、ついに迎えた日曜日。
心優しいゴーストさんたちに寮内の家事をお願いして、最低限のお化粧といちおうのアイロン掛けはしたメイド服を見にまとい、オンボロ寮の門の前で待つこと数分。約束の時間きっちりに彼が来てくれた。
「あ、トレイ君、」
「お待たせしました」
初めて見る彼の私服姿に、心臓が高く飛び上がった。おはよう、と挨拶する事すら忘れるくらいに。寮服とは正反対の真っ黒なハットが素敵で、清潔感のある白いYシャツの上に、カーキ色のテーラードジャケットを緩く羽織って、黒のデニムパンツもスラリと長い足によく似合っている。いつもの制服姿じゃないと、もう全然、学生さんには見えないや。背の高くて大人っぽくて精悍な、男のひと、だ。
つい「格好良いね」と本音が溢れる。でも「ありがとう」と照れ臭そうに頭を掻きながら、にこにこ歯を見せて笑うところはやっぱりまだ高校生らしくて、可愛く思えた。
それに比べて私は、みすぼらしい使用人の仕事着のままで──。
「少しの間、目を瞑ってくれないか」
せっかくのデートなのに何のお洒落も出来なくて落ち込む私を他所に、彼は笑顔のままで、赤い宝石のついたマジカルペンを取り出した。
「えっ、と……?」
「大丈夫、ほんの少し特殊な魔法をかけるだけだ。まだ見習いレベルとは言え、俺だって魔法士だからな」
魔法、を──? いまいち彼のしたい事が察せないけれど、悪いことはされないだろうと思い、私は素直に目を瞑った。
「よし、そのまま、じっとしていてくれ。出来れば、頭の中で"今日のデートに着てみたかった服"とか"やってみたい髪型"とか、想像してみてくれるとやり易い」
「う、うん? わかった……」
割と難しいお願いに戸惑うけれど。そう、だなあ、今の彼の隣に並ぶなら。ふわふわのワンピースとか、着てみたかったかも。髪は涼しげに、編み込みのお団子にしてまとめたかったな。それから、クローバーの──。
「サルガドゥラ メチカドゥラ──♪」
トレイ君が、歌ってる。いや、魔法を操るための呪文を唱えているだけとわかるけれど、低めの綺麗な音に耳がうっとりしてしまう。
「ビビディ・バビディ・ドゥ!」
その呪文はやけに聞き覚えのあるもので、だけどいったい何処で聞いたものか思い出せなかった。
突然、ふわ、と訪れる身体の不思議な浮遊感。目蓋の向こうで強く真っ白な光を感じて、魔法をかけ終えたことを察する。
もう目を開けて良い、との声を聞いて、恐る恐る目蓋を上げた。
「我ながら大成功だな。とてもお綺麗ですよ、シンデレラ」
やたら満足げなトレイ君はマジカルペンを仕舞った代わりに、折り畳み式の小さな手鏡を見せてくれた。そこに映る私は。
「……う、嘘、すごい、」
信じられないけれど、まるで本当に、童話の中のお姫様みたいに、心の中で想像した通りの姿に変身していた。
髪は丁寧に編み込まれて、翠玉のようにキラキラ光るクローバー型の髪飾りをつけて。睫毛はしっかりと上を向き、ほんのりと桃色のチークまで塗られていて、口紅も完璧。使い古されたメイド服は、ふわふわパステルグリーンのワンピースに早変わり、ロング丈の裾を飾る白薔薇の模様がそよ風に揺れる。靴は──さすがにガラスの靴ではないけれど、大きめのリボンがついた緑色のベルトシューズで可愛かった。
パチン、と彼の手で手鏡が折り畳まれたことで、私は驚きのあまり飛んでいきそうだった意識を取り戻し、はっと我に帰る。折り畳み式の手鏡も仕舞った後、彼の逞しい手が私の頭──髪飾りへと伸びた。
「この魔法は、対象の衣服や装飾品を望んだ別の形に変えてやれる魔法なんだが……。そのクローバーの髪飾りは、俺のことを考えてくれていた、と自惚れてもいいか?」
「うん、きっと、そうね。デートに誘ってくれた時から、ずっとトレイ君のことを考えてたから」
「……可愛いな」
幸せそうに細められた瞳で見つめられ、きゅう、と心臓が甘い音で鳴った。
「ちなみに、魔法の効果は長くても1日の半分程度が限界だ。この時間からだと、ちょうど日付が変わる頃、深夜0時には完全に解けてしまうだろうな」
「まあ、そんなところまで完全再現なのね、素敵。ありがとう。例え短い間の幻だとしても、とっても、嬉しいよ。トレイ君は本当に優しくて、良い魔法使いさんね」
私は心から嬉しくて褒めたつもりだったけれど、目の前の彼はなんだか不満そうな顔をして。
「残念だけど、俺は悪い魔法使いだ。ただ待ってるだけの王子様の元へ、こんなにも美しいひとを差し出すなんて馬鹿な真似、俺には到底出来そうもない」
なんて、お伽話に自分を重ねて拗ねてしまうから、可愛い。私は王子様なんて求めていないのに。だって予定調和の、台本通りの、誰もが結末を知ってる物語なんて面白くないもの。いっそ、歪んでいるくらいがちょうど良い。
「じゃあ、このまま魔法使いさんが私を連れ去ってくれる?」
「勿論、あなたが望むなら、どこへでも」
「ふふ、素敵ね。私、架空の王子様より、悪い魔法使いさんの方が好きだよ」
「その言葉を聞けて安心したよ。さ、お手をどうぞ、お姫様」
少しふざけ合う会話の流れで、自然と手を差し伸べる彼。どうやら、この優秀な魔法使いさんは王子様にも変身出来るらしい。私は喜んで、その手を取った。
「さすが、薔薇の
「そッ……その呼び方は恥ずかしいからやめてくださいって、前に言ったじゃないですか」
「あら、お付き合いしているのだから敬語はやめてくださいって、私も以前言いました」
「ゔっ、」
罰の悪そうに唸り、むぐぐ、と眉間にシワを寄せてしまうトレイ君。
元々の関係が学生と職員だし、年上を敬うタイプの礼儀正しい彼は、まだ自然な口調で居ることに違和感を覚えるようで。
「あー……駄目だな、俺は。あなたの前では出来る限り格好良くありたいのに、すぐボロが出る」
「大丈夫、トレイ君はいつでも格好良いよ」
「……アイさんがそういうこと言うから、ちっとも格好つけてられないんですよ」
「ふふ、無理なんてしなくて良いのに」
皆の頼れるお兄さんも、悪い魔法使いさんも、薔薇の騎士さんも、どんなあなたも好きだけれど。
「トレイ君、好きよ」
「とッ、突然だな、また」
「この間『直接言ってほしいです』って、頼まれたから」
「確かに言ったけど、ほんとっ、そういうところが、だな……」
「うーん、正直なお姉さんは嫌い?」
「…………好きだ」
「あははっ」
「はー、もう、熱くなるのは得意じゃないんだけどな。困ったひとだよ」
やっぱり私は、そのままの彼が。年相応に笑ってくれるトレイ君がいちばん好きだなあ、なんて思うのでした。
2020.06.27公開