緑の帽子屋と寮母さんの話
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愛を見守るテディベア
朝の柔らかな日差しをめいっぱい浴びて、辺り一面に色とりどりの薔薇が咲き誇っていた。西洋の異国情緒溢れる家々の壁や屋根、石畳の道路に電灯、その全てに薔薇の蔓が絡まり、立派な花を開いている。定番の赤や白、桃、黄色はもちろんのこと、珍しい青や黒の薔薇も時折見かけた。
街全体がまるでお花畑のような光景は、まさに薔薇の王国──そう呼ぶに相応しい姿だった。
改めて、ここは私の生まれた世界とは違う全くの異世界なんだと、感動の溜息を零すほどに実感する。
青空が霞むくらいの鮮やかさ、絵画と見紛う絶景。こんなにも美しい光景を、私は見たことがない……筈、なのだけど、不思議ね。昔いちど訪れたことがあるような、夢の中で見たことがあるような、懐かしい感覚で胸が高鳴っている。ううーん、これがいわゆるデジャヴ、というものだろうか。
「アイさん?」
愛しいひとの、心配そうな低い音で名前を呼ばれて、ハッと我に返る。慌てて振り返れば、朝の日差しよりも柔らかで優しい蜂蜜色の瞳が微笑んでいた。私が着ているワンピースとお揃いの、爽やかな白詰草柄のYシャツがよく似合っている。
「急にぼんやりして、どうした? 寝不足かな」
昨日は随分と夜更かしさせてしまったからなあ……なんて。つい数秒前とは別人みたいに、ちょっぴりやらしい悪戯っ子の顔でニタリと笑うトレイ・クローバー君。もう。きっぱり「違います、大丈夫です」と怒ったふりをして見せたら、今度は「からかって悪かった」と楽しそうに声をあげて笑ってくれるから。私も彼につられるように唇を緩めてしまう。このひとのコロコロ変わるたくさんの笑い方が、私は好きだ。
「ほんとうに綺麗な街だなあと思って、改めて感動していたの」
ぼんやりしていた真の理由を告げながら、彼の隣へ跳ねる白ウサギが如くピョンと並ぶ。彼に近寄るとよりいっそう、街全体を包み込む薔薇の香りが濃くなった気がした。ふふっ、そうか、と弾む吐息交じりに呟く彼の声が嬉しそう。
「この王国の景色を気に入ってもらえたなら、良かった。将来は飽きるほど末永く、ほぼ毎日眺める光景だからなあ」
「まあ、飽きたりなんてしませんよ。きみの生まれ育った街、きみとこれからいっしょに生きる国なんだから。私、きっと大好きになれるわ」
彼の頼もしくて大きな左手、その指先を幼子みたいにキュッと握る。隣で私を見下ろす蜂蜜色が驚いて見開かれた。照れ臭かったのかしら、すぐにぷいっと顔を背けてしまったけれど。彼は空いている右手で、春の草原を思わせる抹茶の髪をわしわしと掻きながら「ほんと、あなたには敵わないな」そう呟いて、私のちっぽけな手を握り返してくれた。ふふ。
「それじゃあ、お言葉通り大好きになってもらえるよう、しっかりエスコートさせて頂きますよ。お姫様?」
「うん、とっても楽しみです。よろしくお願いしますね、薔薇の
「ぐっ……いい加減、その呼び方はやめてくれないか……」
「あら、先にふざけたのはトレイ君でしょう?」
ナイトレイブンカレッジを卒業した今でも、当時の懐かしいニックネームは恥ずかしくなってしまうらしい。そんな照れ屋さんな騎士様に手を引かれて導かれて、私は薔薇の街並みを歩き始めた。
こうして薔薇の王国へ訪れた理由は、何も観光の為だけではない。第一の目的は、彼のご家族に会うことだった。
最初はただの学園職員と生徒、可哀想な雑用係に手を差し伸べてくれる優しい魔法使いさん、その関係も気が付けばお互いに深く離れ難い、恋焦がれて一生を誓い合う仲になってしまったものだから。彼が無事に学園を卒業したら、彼のご家族にきちんと「健全なお付き合いをさせていただいております」そう挨拶をしに行こうと誓っていた。仮にも大人であり、臨時とは言え学園の職員を務めているにも関わらず、まだ学生の身分である大切な子供に手を出してしまった事。心から謝罪をしようと思っていた、怒鳴られて追い返される覚悟すらしていたのに──。こんな身元不明の異世界人を、クローバー家は温かく招き入れて、私が彼の恋人であることを嬉しい話だと喜んで、早くも家族同然に迎えてくれたのでした。
トレイ君とそっくり可愛い弟妹ちゃんたちに懐かれながら、想像していなかった展開で驚き慌てふためく私に、彼がやたら自慢げな顔をして「ほら、俺が言った通りだろう? アイさんならウチの家族にもすぐ気に入ってもらえる、ってさ」と言ってくれた記憶はまだ新しく、きっと一生忘れないだろう。
まあ、そういう訳で。オンボロ寮の管理人と雑用係のお仕事はゴーストさんたちにお願いをして、学園長にはしっかりと休暇を貰って、薔薇の王国へ旅する二泊三日の予定を押さえたのである。
旅行初日は前述の通り、クローバー家に予想外の大歓迎で迎え入れて頂き、まるでお誕生日パーティーのような楽しい一日を過ごした。二日目は少しでもご家族へのお礼になればと思い、お店の手伝いをさせてもらうことに。簡単な接客や清掃ぐらいしか出来なかったけれど、クローバー印のケーキ屋さんの美味しさは特別知っているつもりだから、お客様からオススメを聞かれた際にはついつい熱弁してしまった。トレイ君が気恥ずかしそうに笑っていたこと、お義父さんにも「本当にうちのケーキが大好きなんだなあ」と驚いた様子で感心の言葉を頂いたことは、私もなんだか照れ臭くなってしまいましたね。えへへ。
そうして、最終日の今日。せっかくだから彼の生まれ育った街を歩いてみたくて、帰りの飛行機が飛び立つ夜が来るまで、トレイ君にご近所のエスコートをお願いした──という訳です。
見慣れない異国の風景は、どこもかしこも不思議で惹かれてしまうものばかりだ。
巨大な薔薇のアーチがお客様を歓迎する、昔ながらのショッピングストリートは特に心躍る。ショーウィンドウ越しにお洋服屋さんを覗いてみると、やはり薔薇の模様や装飾の施された商品が多く、どれもこれもお洒落に見えてしまう。大きな桃薔薇のコサージュが付いたキャペリンハットなんて、とっても可愛い。あっ、お隣の、紅茶と珈琲の専門店も惹かれます。監督生ちゃんへのお土産に、ローズティーの缶でも買って行こうかしら。……あら、お向かいにはパン屋さんもあるのね。
「わあっ、薔薇の花びらパンですって!」
焼き立てパンの良い香りがする店先、控えめに置かれた立て看板に描かれたその文字とパンのイラストを見て、私は思わず子供みたいにはしゃいでしまった。瞳もキラキラ輝いていたと思う。トレイ君に「ふはっ」と噴き出すように笑われて、少し恥ずかしい。
「懐かしいな。俺も寮住まいになる前までは、ここのお世話になってたよ。学校帰りにチェーニャとよく買い食いしてたんだよなあ。見た目が薔薇の花を真似てるだけじゃなくて、中にローズジャムも入ってて……いや、聞くより実際に食べた方が早いよな。寄って行こうか」
「ええ、是非!」
テイクアウト用の小窓からトレイ君が「すみませーん」と声を掛ければ、店の奥からエプロンと三角巾が似合う奥様がすぐに出てきてくれた。彼の顔を見た途端、嬉しそうにあらあらと声を弾ませて「クローバーさん家の! お久しぶりねえ、ずいぶん大きくなって、まあ」なんて笑っている。同じ言葉を返す彼の反応も慣れた様子で、常連客だった、という話は本当らしい。彼の成長を心から喜び、懐かしい表情をしてくださる地元の大人がいること、なんだか嬉しかった。きっと大切に育まれた、彼の子供時代を想像出来るから。
それから私の存在に早速気が付いた奥様に、はじめましてのご挨拶をしたら「それじゃあコレは結婚祝いのサービスね!」とずいぶん気の早い事を言いながら、なんと薔薇の花びらパンをふたつ多く紙袋に入れてくださった。なんだか申し訳ないほどに、気前の良い奥様だった。
店先に置かれたベンチへ腰かけて、買ったばかりの紙袋を広げる。カラフルに色を変えた薔薇が四つ、ほわほわと詰まっていた。トレイ君の話では色によってジャムの種類が違うらしい。私は定番の赤薔薇パンを、彼は黄色の薔薇パンを選んだ。焼き立てふわふわの触り心地がもうたまらない。手のひらサイズの可愛らしい薔薇に「いただきます!」あーんっと勢い良くかぶりついた。
ふわあ……。やんわり香る薔薇と混ざって、苺ジャムのあま~い味がお口の中にふわふわ、もちもち、パン生地といっしょに広がる。うん、美味しい!
「んふふっ、しあわせの味がします〜♡」
「はは、よっぽど美味しかったんだな」
「まさか薔薇と苺のジャムを混ぜてるとは思いませんでした、なんだか贅沢ねえ。トレイ君の薔薇は何味?」
「こっちは……あ、せっかくだから食べてみるか?」
「わ、ありがとう!」
私はまったく遠慮せず、彼の差し出してくれた黄色の薔薇にもかぶりつく。こちらはローズジャムが入っていない、シンプルなマーマレードのみだけれど、それもまた絶妙な甘酸っぱさがパンによく合っていて美味しかった。
「はい、私のぶんもひとくちどうぞ」
「おっ、良いのか? ありがとう」
お礼に(トレイ君には食べ慣れた味で珍しさもないだろうけど)私が選んだ赤薔薇のジャムパンを差し出せば、彼も喜んでかぶりついてくれた。ふふ、大きなひとくちね。いつの間にか、こうしてお互いが選んだ食べ物をシェアすることが多くなって、それだけ心の距離が近い関係になれたのだと実感出来る。えへへ、嬉しいな。
元気いっぱいで気持ちの良い奥様、子供でも入りやすい優しいお店の雰囲気、そして、癖になるパンの美味しさ。トレイ君が気に入るのも納得だ。これはもう間違いなく、私もこのパン屋さんの常連客になってしまうだろうなあ。ふふ。
パン屋さんで美味しい軽食を済ませた後も、私たちはまだまだ薔薇の街散策を続ける。
あっちへこっちへ、私が気になるもの、トレイ君が懐かしさで足を止めたもの、ふらふらと自由気ままに巡るチェシャ猫のような旅。お店だけに留まらず、彼の通った学校や公園などにも足を運んでいた。
「あ、この公園……ここで、幼馴染みの──チェーニャやリドルと、よく遊んでたんだ」
懐かしそうに目を細めて、私も知っている少年たちの名前を口にしたトレイ君。チェーニャ君のお名前が話の中に上がることは、さっきも、これまでにも多くあったけれど。ローズハート君の名前が、幼馴染みとして語られることは記憶にあまりなくて、珍しいと思った。そもそも幼少期の思い出をあまり話さない、あっても弟妹ちゃんたちとの思い出ばかりを語る子だったから。ほんの少し驚いてしまって、へえ~と言葉を返すのが遅れた。彼は特に気にした様子もなく、話を続ける。
遊具は滑り台がひとつ、ブランコがふたつ、子供たち数人でボール遊びの出来そうな広場が少し、後は真ん中にひときわ目立つ噴水がある程度のささやかな公園。初めて訪れた筈なのに、やはり不思議な既視感を覚えてしまう、妙に落ち着く場所だ。
「ここはリドルの家にも近くて、アイツが自習している時間はコッソリ集まってさ、色んな遊びを教えたっけ。友達とサッカーどころか、鬼ごっこもかくれんぼもしたことがないって言うから、ほんと思いつくだけ片っ端からやったよ。……楽しかったなあ」
「ふふ、良いなあ。私も小さい頃のトレイ君たちと遊んでみたかったかも、皆とっても可愛かったんでしょうね」
「リドルやチェーニャは確かに、でも俺は……どうだろうな。まあ結構、やんちゃなイタズラ小僧だったし……」
「え、そうなの?」
困ったように申し訳なさそうに「ははは」と笑うだけで詳しくは話してくれない彼。意外……でも、無いかもしれない。トレイ君ったら、今でもなかなかの悪戯好きですもの。
「あー、はは、今日の俺、なんか話し過ぎてるよな。昔の退屈な話ばっかりしてて、ごめん」
「ううん。退屈なんて思わないよ、とっても楽しい。どんな過去だろうと、こうして話してもらえるのは、嬉しいって思う」
「そう、か?」
「うん! だから、もっと、もーっと、教えてほしいな。私が出会う前の、私の知らないトレイ君の思い出、たくさん話してください。変な気を遣わないで、ね?」
「ん……そっか……うん……やっぱり、まだ少し照れ臭い気持ちはあるけど、アイさんがそう言ってくれるなら。そうだな。あの大きな木の上に、三人で秘密基地を作ろうと思い立ってさ、試しに登ってみたは良いものの、三人揃って降りられなくなっちゃって──」
「あらあら、まあ」
「ウチの父さんが偶然見つけてくれたから怪我もなく助かったけど、はは、さすがにその日ばかりは、おやつ抜きにされるぐらい怒られたよ」
「もー、やんちゃさんですねえ」
幼馴染みとの思い出を語るトレイ君の話がその後も尽きることはなく、私も飽きる気配なんか微塵もなくて、ほんとうにいつまでも笑って聞き入ってしまうのでした。
他愛ない会話を交えながら街散策を続けていたら、お昼もおやつの時間も過ぎて夕暮れが近付き始めていた。もう帰りの飛行機の時間が近い。彼のご家族にも再度挨拶をしてから空港へ向かいたいし、そろそろ旅を終わらせるべきだろう。
しかし、そんな時間に追われる帰り道、朝も歩いた商店街を今度は夕暮れの中で歩きながら、私はまた気になるお店を見つけてしまった。
「……テディベアの、専門店?」
黄色いクマがニッコリ笑う看板に書かれていた文字を、私はそのまま読んだ。
建物の外観は年季の入った白レンガ造りの古民家、しかしドアを挟むように並ぶ大きな窓──ショーウィンドウには、所狭しと可愛いテディベアたちが並んでいるのだ。単なるオモチャ屋さんではない。どこを見てもフワフワのクマさんぬいぐるみしか置いていない、看板に一切の偽りなくテディベアの専門店である。
初めて目にする、そのファンシーかつ夢のような光景に、私は「わあ、可愛いっ」なんて思わず声を弾ませてしまう。窓ガラスに映り込むトレイ君のお顔は、はしゃぐ私の方を見て「おや」と驚いていた。
「普通のショップだと思うけど、アイさんの地元ではあまり馴染みがない……のか?」
「ただのオモチャ屋さんじゃなくて、テディベアだけのお店は初めて見ました。薔薇の王国では、そんなに珍しくはないのかしら」
「そうだな、どこの街にも必ずあるんじゃないか。ケーキ屋さんと同じくらい、ありふれてるよ」
薔薇の王国と言えば、やはり薔薇が象徴的で有名だけれど、テディベアもこの国では古くから民に愛され続けている物なんだ──と、彼は更に詳しい説明をくれる。
この国の人々はテディベアと共に成長する、とも言われるくらい馴染み深い物らしい。王国に老舗のぬいぐるみメーカーがあることも大きな要因だろう。結婚記念や出産祝いなどの贈り物としては大定番。また、子供たちはある程度の年齢になると、自分だけのパートナーになるテディベアをひとつ買ってもらえるそうだ。教育現場にも有効に使われているようで、お気に入りのぬいぐるみを連れて学校へ通ったり、ピクニックに出掛ける子供たちの光景も、珍しくはない。きっと、テディベアという小さなぬくもりに触れて、幼い頃からお世話をすることが、他者を思いやる優しい心を育むのでしょう。
ふんふん、なるほど、そこまで国民の多くから愛されている存在なら、こうした専門店が必要であることも納得だ。そこまで話を聞いた私はちらりと彼を見上げて、更なる興味が生まれた。
「じゃあ、トレイ君にもパートナーのテディベアさんが居るの?」
「ああ、もちろん」
予想外の即答だったから、思わずビックリ目が真ん丸になっちゃったけれど。彼がまた、大切な友人を想う優しい顔をしているから、私の表情も自然と緩む。テディベアを抱いて眠る、幼い頃の彼を想像したら、胸の奥がきゅーんと高鳴った。かわいいなあ。
「このお店で出会ったんだ。寮生活中も一緒だったし、いまは実家の俺の部屋で留守番してもらってるよ」
「へえ~、そうだったの、仲良しさんなのね! 私、その子にもご挨拶したいな」
トレイ君のお友達、もうひとりのご家族だ。ぜひ一目お会いしたい、と思ったのだけれど。
彼は何故だか「えッ」と大袈裟な声を上げた後、きょろきょろ目の中で金魚を泳がせて、まるで悪いコトを隠そうとする子供みたいにモゴモゴと「あー、いや、それはちょっと、困る」なんて拒否されてしまった。えぇーっ、何で、どうして駄目なの、とこちらも負けずに幼子みたいな口調で迫ってみるが、彼は困った顔で笑うばかりである。むむむ。
「あはは、まあ、良いじゃないか。見ても面白いことは別に無いし、それより、お店の中を覗いてみないか。こっちの方が面白いと思うぞ?」
確かにお店の中も興味はあるけど、それはトレイ君が話題を逸らしたいだけの提案でしょう、もう。トレイ君のいじわる、なんて少し唇を尖らせて拗ねた振りをしてみたが「そんな可愛い顔しても駄目」と軽く頬を突かれてしまった。
彼が率先して専門店への扉を開き、カランコロンと軽快なドアベルの音に導かれるまま、私も続いて入店する。夕暮れの薄暗い店内を優しいランプの灯りが照らし、ほんのり甘い蜂蜜の香りがする中、ぎしぎしと木製の床を踏み鳴らしながら、ゆっくり周囲を眺めた。壁一面、並ぶ棚の全て、天井にぶら下がるハンモックの上まで、至る所にたくさんのテディベアたちが居て、こうも並ぶとさすがに圧巻の光景だった。
わっ! すごい。お店のいちばん奥に、ひときわ目立つ大人ぐらい大きな黄色いテディベアが、ロッキングチェアに座って──!?
「ん? おやおや、お客さんだね。こんにちはぁ……いや、こんばんはかな?」
あ、違った。お店の人でした、ごめんなさい。
ふにゃふにゃと眠たそうに挨拶してくださったのは、ぬいぐるみと見間違えたほどモフモフと恰幅の良い老紳士だった。真綿のようにふわふわな金髪の隙間から、丸くて黄色いクマさんのお耳が生えている。獣人属のお爺様らしい。丸眼鏡と赤いベストがよく似合っていた。
老紳士はのんびり「よっこいしょ」椅子から立ち上がり、私たちの顔をそれぞれ見比べると、おやおや嬉しそうに「お久し振りだねえ」と笑った。この人もやはり、トレイ君を知るご近所さんらしい。彼が丁寧に一礼したので、私も合わせて頭を下げた。
「お久し振りです。お爺さんが相変わらずお元気そうで安心しました」
「あっはっは、ぼくはいつだって元気だよ。昔にお迎えしたあの子とは、今も仲良くしているかい」
「今も幼い頃と変わらず、仲良くやってますし、支えてもらっていますよ」
「うんうん、よかった、よかった。とにもかくにも、いらっしゃいだね。今日はそちらの、お嬢ちゃんのパートナーを探しに来たのかな?」
トレイ君と老紳士が朗らかに会話を弾ませる中、私に目線が向けられる。あっ、ええっと、どうしよう。かわいい雰囲気に惹かれて入ってしまったのは確かだけど、正直、購入するつもりではなかった。ふわふわの優しい存在を、こんなフラリと気紛れにお迎えして良いものか、迷う気持ちがある。少し見学させてもらえたら──と、私は答えるつもりだったのに。
「はい。俺の方から、彼女に贈り物をしたいんです」
トレイ君が素早くそう答えたのである。
「えっ!?」
「そうか、そうか。君も愛するひとにプレゼントが出来るくらい、おおきくなったんだねえ。ゆっくり、店の中を見て回ると良いよ。僕はおふたりさんにお茶を淹れてあげようね」
「あ、わっ、待ってお爺さん──!」
突然の急展開におろおろと慌てる私のことは放って、老紳士は店の奥の扉へ姿を消してしまった。
私はビックリした顔のまま、予想外の一言を放った彼を見上げる。トレイ君は少し照れ臭そうに微笑みながら私を見下ろしていた。
「いきなり、驚かせて悪かった。でも、せっかく俺の為に薔薇の王国まで来てくれたんだから、何か旅行の記念になる物を贈ってやりたいとは元々考えててさ、途中で見かけた薔薇のコサージュが付いたキャペリンハットもお洒落で良かったけど、やっぱり、贈るならテディベアが良いと思ったんだ」
「やっぱり?」
「だって……これからはしばらくの間、一緒に居られなくなるだろう?」
寂しそうに落とされた彼の言葉で、胸の奥でほんの少し、チクリと針を刺すような痛みを感じた。
トレイ君は無事にナイトレイブンカレッジを卒業した為、今後はプロのパティシエになる為の道へ真っ直ぐ進むことになる。私もそんな彼を近くで応援してあげたい気持ちはあったものの、監督生ちゃんとグリムちゃんが学園を無事に卒業するまでは、オンボロ寮の管理人として支えてやりたい──そちらの気持ちを優先してしまった。せめてあと二年だけは〝寮母さん〟を続けたかった。彼は困ったように笑って「寮母さんならそうすると思ってました」なんて、すぐに納得してくれたけれど……。
これから少なくとも二年は遠距離になってしまうから。やっぱり、以前よりも更に会える時間が限られること、同じ時間を共に過ごせなくなることが、身体のみならず心まで離れてしまう原因になりはしないかと、不安だったのでしょう。それは、私もいっしょの気持ちだ。
「もちろん、少し離れたくらいで俺の気持ちは変わりませんが」
「私が例え異世界に呼び戻されたって、お迎えに来てくれるんでしょう?」
「ああ、どんな手を使ってでも必ず、攫いに行くよ。……とは言え、心配は心配なんだ。独占欲丸出しで正直すごく恥ずかしいんだが、俺の代わりにあなたを守ってくれるように、あなたが寂しくないように、テディベアのパートナーが居てくれたら、まあ、少しは安心出来るから。だから、どうか俺の気持ちを受け取ってくれますか?」
私への想いを素直に語ってくれるトレイ君がいとおしい。まだ夕飯も食べていないのに、胸の奥からあったかい気持ちが溢れて満腹の気分。ぽわぽわと頬も熱くなってきてしまう。
「まあ、そんな……うれしい……。ただ、えっと、気持ちはとっても嬉しいのだけど、その、ほんとうに良いのかしら。私、この旅行中、トレイ君はもちろん、トレイ君のご家族にもたくさんお世話になってしまって、ご近所さんにも優しくして頂いて、その上プレゼントまで貰ってしまうのは、あまりにも……贅沢過ぎませんか? 幸せいっぱいでどうにかなってしまいそう」
私は熱い頬を両手で押さえて必死の想いを告げたのに、トレイ君には「面白いこと言うなあ」なんてケラケラと涙目になるくらい笑われてしまった。
「あははっ、良いんじゃないか? いまの嬉しくて照れちゃうアイさんも可愛いけど、もっと幸せいっぱいでどうにかなってしまったアイさんも見てみたいな」
「も、もう、お姉さんは真剣に話してるのに、トレイ君ったら!」
そうこう話している内に、店主の老紳士が紅茶のポットとカップをお盆に乗せて抱えて、戻ってきてくださった。思ってたよりお早くて驚いたけれど、元々お客さん用に用意がされていたみたい。なんて親切なお店だろう。
「はあい、おまたせ~。蜂蜜もたっぷりあるよ、うふふ」
やたら蜂蜜の匂いがする店内を少し不思議に思っていたら、どうやら店主さんの大好物だったらしい。私たちの紅茶を淹れてくれたついでに、自分のぶんの紅茶も用意していた老紳士は、蜂蜜の詰まった大きな瓶から直接、ぼたぼたと溢れんばかりの蜂蜜を紅茶に注いでいた。わあ~、すごい、もはや紅茶より蜂蜜の方が多いんじゃないだろうか……?
個性的な店主さんに圧倒されながらも、薔薇の爽やかな香りがするフレーバーティーを美味しく頂いてから、改めてゆっくりとテディベアたちを見て回る。いざ、この中の誰かを今日お迎えするのだと思ったら、どの子もあの子も魅力的に見えてしまって、ああ、なんとも幸せな悩ましさだ。
ぐるりと店内を一周して、入口付近まで戻ってきた私はふと、窓際に目が行った。ショーウィンドウにぎっしり並んでガラスの向こうを眺める仲間たちの中で、ひとりだけ、こちらを向く蜂蜜色に気が付いたのである。その子は少しだけ珍しい、美味しそうなメロングリーンの毛並みをふわふわさせていた。
わあっ、と思わず小さな喜びの声が零れる。その緑色の元へ即座に駆け寄り、私は生まれたての赤子サイズのフワフワをそっと抱き上げていた。きっと、一目惚れだ。なんだかこの子、トレイ君に似ている気がする。言葉にはしなかったけど、そう思った。
「どうかな、お嬢ちゃん。お友達は見つかった?」
タイミング良く老紳士が声を掛けてくださったので、私はすぐさま振り返る。見初めた緑色のテディベアを抱き締めて、何度も頷いた。
「私、この子が良いです。この子にします!」
老紳士は私とテディベアを交互に見比べると、丸眼鏡越しに目を細めて微笑み、うんうんと頷き返してくれた。その後、トレイ君の方を見て「うふふ、嬉しいなあ」と言った。
「まさか、昔のクローバー君とまったく同じ反応をして、同じ職人が生み出した子を選んでくれるなんて──ねえ」
のんびりと告げられた事実に、トレイ君共々驚いて顔を見合わせる。彼とは好みや趣味などがよく合うと日頃から思っていたけれど、まさか、こんなところまで似通うなんて。老紳士は続けて「まあ、その職人って言うのが、ぼくなんだけどねえ。あっはっは」と笑っていて、ますます驚いてしまった。
いったん最終的な状態確認のため、老紳士の手に預けられたテディベア。お迎え記念に、と首に可愛らしい黄色のリボンを結んでもらう。そうして正式に、トレイ君からのプレゼントとして、私は生まれて初めて〝テディベアのパートナー〟を授かったのでした。
「また、いつでもおいで。紅茶を飲みに来るだけでも良いからね」
帰り際まで優しい店主の老紳士に「ありがとうございました」ふたりで声を揃えて、さようなら、また今度と手を振った。
カランコロン、再び軽快なドアベルの音を鳴らして店を出た時には、もうすっかり日が沈んでいた。空は優しい紫色に染まっている。
帰りの飛行機の出発時間が近い。彼と一緒に夕飯を食べる余裕ぐらいはあるけれど、あと少しで、彼とはまたしばらく会えなくなってしまうのか。そう考えたら、肌寒さを感じる夜風が、胸の奥までヒュウッと通り過ぎたような寂しさを感じた。それでも、泣き出しそうな気持ちが、ここにずっと残りたい気持ちが抑えられているのは、胸に抱いたフワフワのぬくもりのおかげだろう。
メロングリーン色の毛並み、優しいハニーの眼差しをした、私のお友達、私だけのテディベア。幼い頃にこうした玩具を与えられた記憶がないから、本当に初めての宝物を手にした感覚。寂しさよりも嬉しい気持ちの方が勝って、私はギュッとそのぬくもりを強く抱き締めた。
「ありがとう、この子のおかげでもう寂しくありませんよ。この子もトレイ君と同じくらい、たくさん甘やかして、いつまでも大切にするね」
「うーん、それはちょっと……嬉しいような妬けるような、複雑な気持ちだな……」
「やだもう、トレイ君が自分の代わりにって言ったのでしょう? ふふ、可愛い子ね」
「今の〝可愛い〟は、どっちに言ったんだ?」
「どっちも、ですよ」
ちょっぴり拗ねてしまった私の大きなテディベア君には、えいっと全力の背伸びをして、頬にお礼のキスをしてあげるのでした。
♣︎♧♣︎
薔薇の王国へ旅行をした、あの日から。
数年が経った今でも、私のそばにはずっと変わらず、テディベアのパートナーが居てくれている。
トレイ君と離れている間、彼を想い恋しくなってしまった時には、ふわふわのメロン色をぎゅーっと力いっぱい抱き締めて、眠ることもあった。普段は枕元の棚の上で鎮座している私のお友達、ただそこに居てくれるだけでも、不思議な安心感がある。トレイ君によく似た、蜂蜜色の瞳がそう感じさせるのだろう。
さて。可愛いお友達のおかげで長い遠距離期間を乗り越えた私は、オンボロ寮のたったふたりだけの生徒ちゃんたちも無事に卒業したので、ようやくトレイ君からのプロポーズをお受けすることが叶った。
寮の管理人と雑用係の兼任は安月給の割に合わない大変さだったけれど、可愛い男子高校生君たちを見守る日々は充実していて、なんだかんだ楽しい思い出ばかりが残っている。それでも、私の夢は「薔薇のたくさん咲き誇る王国で、大好きな旦那さんとふたり、クローバーが目印のケーキ屋さんを開くこと」だから。退職の日、お見送りに来てくれた寮のゴーストさんたちがわんわん泣き笑いながら「お幸せにね」「孫娘を見送るジジイの気分だ」「喧嘩したら帰っておいでね」そんな嬉しい言葉の数々をくれた時には、私も一緒になってわんわん泣いてしまったし、一生忘れない思い出のひとつになりました。
それから、それから。すっかりプロのパティシエとして腕をあげたトレイ君は、王国主催の洋菓子コンテストで最優秀賞を取るほどの実力を堂々と見せつけ、尊敬するご両親からも一人前を認められて、ついにクローバー印のケーキ屋さん二号店を任されるまでになったのです。ふふん、私の旦那さまったら凄いのです! 場所はご実家から随分と離れた、薔薇の王国の端っこにある田舎町。スミレの花が年中咲き誇るその土地で、カフェが併設された小さなケーキ屋さんを、これからは夫婦ふたり、仲良く力を合わせて営んでいくつもりだ。
──という訳で、新店舗であり新居への引っ越しが決定した為、今日はトレイ君のご実家での荷造りに忙しく、朝からバタバタとしていた。
そうは言っても、身体ひとつで異世界トリップなどしてしまった身の上だから、元々私の荷物は少ない。段ボールを四つ詰んだら、もう荷造りが済んでしまった。オンボロ寮を出た後は、トレイ君のご実家の客室をお借りして住まわせてもらっており、お義母さんには「狭い場所しか無くてごめんなさいね」と気を遣わせてしまったけれど。オンボロ暮らしの長かった私には、上等で広過ぎるくらい快適なお部屋だった。ガランと広くなった客室の真ん中で、メロングリーンのテディベアを抱きながら、ふうと一息。
あ、そうだ。トレイ君の荷造りを手伝ってあげよう。お部屋に大きな本棚があるから、詰め込み大変だろうし、こういう時も夫婦の力を合わせなきゃね! なーんて、うふふ。新婚ほやほやの浮かれ思考に、自分で少し呆れてしまいながらも、早速、彼のお部屋へ向かうことにした。
あれ。荷物整理で埃が舞うから換気の為だろうけれど、お部屋の扉が開けっ放しだなんて珍しいね。私はノックの代わりに「おーい、トレイくーん」とのんびり声を掛けながら、腕にふわふわの緑色を抱いたまま、ひょっこりと彼のお部屋を覗いた。
「うおわッ!?」
何かを大切に箱詰めしていたトレイ君は、私が顔を出した途端、まるでゴーストさんに脅かされたぐらいの反応を見せた。箱を引っくり返さんばかりの大声に私の方まで「ひゃあ!?」とビックリしてしまう。
「えっと、ご、ごめんね、驚かせちゃって……?」
「あ、ああ、俺の方こそ、大声あげて悪かった。その、あまりにもタイミングが悪い、いや、寧ろ良いと言うべきかもな」
ううん、困ったように片眉を下げて笑う彼の言葉の意味が、よくわからないのだけど。
おいでおいで、と彼の方から手招きをしてくれたので、恐る恐る、物が乱雑に散らばったお部屋へ失礼した。そうしてトレイ君の隣にちょこんと座り、改めて彼が大切そうに扱っていた箱の中身を覗かせてもらう。
箱の中には、随分と年季の入った白いテディベアが眠っていたのである。その瞬間、あっ、と気が付いた。
「もしかして、その子……」
綿飴を思わせる真っ白ふわふわな毛並み、赤い苺みたいな瞳がキラキラ光って、可愛らしいテディベア。片耳に深緑色のリボンを結んだ、お洒落さんの女の子。
私が偶然ここまで持ち込んだ、メロングリーンのテディベアと顔の形や作りもよく似ている。ああ、きっと、間違いない。この子は、いつか訪れた専門店で、幼い頃のトレイ君が選んだパートナーのテディベアちゃんだ。やっと、彼のもうひとりのご家族に会えた。
「……はじめまして。あなたが、トレイ君とずっと一緒に居てくれた、お友達だね」
真っ白な彼女へ丁寧にご挨拶をして、よく手入れされた白い毛並みをいい子いい子と撫でてみる。不思議と、優しい微笑みを返してくれたような気がした。
ちらり、トレイ君のお顔を覗き見る。彼はなんだか、悪いことのバレた子供みたいにそっぽを向いて、ほんのり耳を赤く染めていた。
「あのね、トレイ君。自惚れ過ぎだと怒ってくれても良いのだけれど」
──このテディベアちゃん、なんだか、私に似ている気がするの。
「まあ……確かにそう、かもな」
恥ずかしそうにがしがしと乱暴に頭を掻きながら、私の問いに雑な答えを返す彼。そんな姿がどうにも可愛くて、私は「ふふっ」と声を弾ませて笑ってしまう。
初めてテディベアの話を、大切なお友達のことを語ってくれた、あの日。彼がどうして、この可愛らしい真っ白なふわふわを〝私〟には見せたくなかったのか。数年の時を経て、ようやくわかってしまった。まさか、こんな運命めいた偶然が実際あるものとは、彼も思わなかっただろうけれど。幼い頃、私とよく似た姿に一目惚れしていたことを、恥ずかしくて言えなかったのね。もう。……かわいいひと。
「いつお迎えしたの?」
「あー……9歳の頃、だったかな。俺がひどく落ち込んでた時に、見兼ねた両親が気を遣って、あの専門店へ連れて行ってくれてさ……」
「あんなにたくさんテディベアが居た中でも、この子がいちばん可愛く見えたんだ?」
「……真っ白で、ふわふわの綿飴みたいで、美味しそうだなあと思って、うん」
「へぇ~、ふう~ん?」
「アイさんって結構、意地の悪いトコあるよな」
「秘密主義なトレイ君ほどじゃありませんよ。昔から好みが変わってないの、可愛いなあと思ってるだけです、うふふ」
「そういう所が意地悪だって……まあ、いずれバレる事とは言え、やっぱり恥ずかしいな」
お互いに照れ隠しで、そんな悪態めいた言葉を交わしながら、赤い顔を見合わせて笑う。
「これからも、大事にしてあげてくださいね」
「もちろん」
箱の中に、私のテディベアも一緒に眠らせてもらった。新居へ引っ越したら、この子たちを姉弟仲良く並べてあげましょうね、と約束をして──。
さあ、荷造りを再開しましょう!
トレイ君にお手伝いを申し出たら、すぐに「助かるよ」と喜んでくれた。製菓のお勉強で買い込んだレシピ本やお菓子の歴史書、学生時代に使い込んだ教科書、意外と多趣味だから色んなジャンルの雑学書にも溢れている本棚を、とにかく全て段ボールに詰めてほしいとお願いされました。よおし、頑張るぞ。
せっせと本を詰め込んでいる最中、私はふと、悪戯的に良いコトを思いついてしまった。作業に再度集中し始めたトレイ君に、ねえねえ、なんて幼く甘えた声をかける。
「いつか 私たちの可愛いケーキちゃんにも、テディベアのパートナーを用意してあげたいですね」
やや間を空けて、うん? と不思議そうな顔をしながら、黒縁眼鏡越しの蜂蜜色が私を見つめた。
「ちょっと難しい、なぞなぞみたいだな……」
こういうのは苦手なんだが、とか言いつつも、優しい彼は作業の手を進めながら、うんうん唸って言葉の真意を探るべく悩み始めた。ブツブツと「俺とアイさんで作る、ケーキに……テディベア……?」首を傾げて考え込んでくれる姿は、可愛くてちょっぴり面白い。
しばらくしてから、唐突に「はっ!?」とトレイ君がまた大きな声をあげた。 切れ長の瞳を今ばかりは真ん丸に見開いて、眼鏡が落っこちそうなほど驚きながら、金魚さんみたいに真っ赤な顔で口をぱくぱくさせている。
「まさかっ、テディベアを贈りたいケーキって、俺たちの、こ、子供──!?」
「あはは、トレイ君ったら面白いお顔~」
「完全にからかってるな、まったく……ほんとうに、もう、意地悪なひとだよ……」
冗談ではなくて、本気で言ったつもりなのですけれど、ね。
トレイ君の相変わらず可愛い反応にくすくす笑い続けていたら、さすがに拗ねさせてしまったようで。ムッと怒った顔をした彼は、座った体勢から四つん這いのようにこちらへ近寄ってきたかと思えば、手早く私の顎を掬い上げて「ちゅっ」わざとらしいリップ音が鳴る。身構える暇も抵抗を考える間もなく、唇を啄む小鳥のようなキスをされた。
「将来的には三人分ぐらい、テディベアを用意するつもりだから。覚悟しておいてくれよ?」
まだ赤い顔のまま、ニンマリと悪い笑顔でそう告げられてしまったら。私はふやける口元を抑えられず、全身に熱が回る感覚を味わいながら「……はい」と弱々しく答える他ありませんでした。
ああ、もう。私、幸せいっぱいで、本当にどうにかなってしまったみたい。
スミレの花畑が美しい田舎町で、地元住民から愛されるクローバー印のケーキ屋さん。
その小さなお店にあるカフェスペースでは、ふわふわのお菓子みたいに美味しそうなテディベアちゃんたちが、たくさん飾られているんですって。うふふ。
2022.10.17公開