緑の帽子屋と寮母さんの話
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三倍返しの恋心
私は、悪い大人だ。
ほんの少しだけ、後悔をしている。
バレンタインデーとは『親しいひとへチョコレートを贈るイベント』である──それは決して、間違った情報ではない。
私の元いた名も無き異世界、住んでいた国のバレンタインは、友達同士や家族、仕事仲間などに甘いお菓子を贈り合って楽しむイベントへ変わりつつある。ただ、それは割とごく最近の話で。本来は、何処かの製菓会社が『女性から意中の男性へチョコレートを贈ろう』と広告を打ち出した事で盛んになった、愛を告白するキッカケが生まれる日なのです。
でも、その日、私は本来の意味を伝えずに、甘くて悩ましい贈り物をしてしまった。想いに気付いてもらえなくて良い、意味が伝わらなくても構わないから。この秘めた愛情をどうしても形にしたくて、特別なチョコレートを贈ってしまったのだ。……トレイ・クローバー君に。
もうすぐバレンタインデーですね、そう言ってキッカケをくれたのは監督生ちゃんだった。あら、いつの間にかそんな季節ねえ、なんて窓の外の寒空を眺めた時。ふと、彼の甘やかに蕩ける蜂蜜色の瞳を思い出して、胸の奥をじんわり熱くした。
七歳も年下の子に、ましてや職員の身でありながら幼気な生徒に、こんな感情、抱いてはいけないものだと、わかっている。だから、本来の意味を伝えなかった。伝える、勇気なんて無かった。
贈り物をする相手はオンボロ寮の可愛い生徒ちゃんたちや、日頃お世話になってる教師の方々だけと決めて、変わらず心の奥底へ秘めておけば、良かったのに。
あんな、ずるい方法で、身勝手にも想いを押し付けるだなんて──。
「……
ぽつりと零した微かな音を、足元の猫型モンスターがこちらを向いて拾い上げる。グリムちゃんは「ふなあ?」と不思議そうな顔で首を傾げた。
「浮かない顔して、どうしたんだゾ。腹でも痛いのか」
私はたぶん、酷く物憂げな表情を浮かべていたのでしょう。心配そうに耳を垂らしてションボリするグリムちゃん。私の身に付けたエプロンに少し爪を引っ掛けて、ぎゅっと抱き着いてきた。ふふ、私の可愛い生徒ちゃんは、本当に優しい子だ。自然と笑みが溢れる。
私はその場へしゃがみ込んで、いい子いい子、と小さくて丸い頭を撫でた。灰色の毛並みは今日もフカフカで触り心地抜群、いつもブラッシングしてる甲斐があるなあ。
「心配してくれるんだね、ありがとう。大丈夫、今日のお夕飯を何にしようか考えていたの、それだけ」
「……ウソ、ついたら駄目なんだゾ」
「ホントだよ。グリムちゃんは、なにか食べたいものある?」
「ふなッ、なんでも作ってくれるのか!?」
キラキラの晴れた空色をした瞳がめいっぱい輝いて眩しいものだから、私は目を細めて「なんでも作ってあげるよ」と柔らかに微笑んだ。
「じゃあ、うーんと、えっと、アレ! アレが良いんだゾ、何だっけ……クリスマスに食べた、ツナと甘いプチプチがいっぱい入ってて、熱々でほくほくとろとろのヤツ……」
「ツナとコーンのポテトグラタン、かしら?」
「あ、それなんだゾ! オレ様、今日の夕飯はアイの作ったグラタンが良いっ」
「ふふ、気に入ってくれたのね、良かった。また火傷しないように、気を付けるんですよ」
「ぐぬぬ、この大魔法士グリム様をオコサマ扱いするんじゃねーんだゾ、もう! 今度はちゃんとフーフーするから大丈夫なんだゾ」
エッヘンなんて誇らしげに胸を張るグリムちゃんは、とっても可愛らしいから。子供扱いを怒られたばかりなのに、私はだらしなく顔を緩ませて、その丸い頭を両手でモフモフ撫で回してしまうのでした。
よーし、帰りに購買部でチーズやコーン缶を買わないと、だね。
♣︎♣︎♣︎
愛の記念日は終わり、桃の節句も過ぎて、ようやく春めいてきたある日の夕暮れ時。
学園の雑用係も兼任している私はいつも通り、竹箒をせっせと振るいながら、メインストリートの清掃に勤しんでいた。初春らしい強風に翻弄されながらも、正門前まで何とか掃き終えて「ふうっ」と一息ついた時でした。
突然、背後から足音も気配もなく「寮母さん」なんて声を掛けられたものだから、私はビックリ肩を震わせて振り返る。
「……えーっと、こんにちは」
ぱちり、蜂蜜色した甘さを感じる瞳と、厚いレンズ越しに目が合った。短い抹茶の髪が春風でさやさやと揺れる。
密かな想いを寄せている青年の姿を前にして、私は恋する乙女さながら胸を高鳴らせてしまった。
「あら、クローバー君!」
驚きと喜びで、思わず声も弾んでしまう。向こうに私をビックリさせるつもりはなかったのでしょう、彼は少し困った様子で苦笑いを浮かべた。
私は自然に口元を緩ませてしまいながら「こんにちは」とお返事する。けれど、挨拶だけで会話は途切れてしまった。彼はとりあえず口を開いて「あー」とか「その」とか何か話そうとはするのに、先の言葉は続かない。やたら視線をきょろきょろ泳がせたり、後ろで組んだ手をもじもじさせて、変に緊張した様子である。ほんのりと頬も赤い気がした。なんだか、照れ臭そう?
どうしたのかしら、こんなクローバー君は珍しい気がする。いつも皆の頼れるお兄さんとして、ちょっぴり冗談を言って揶揄うぐらい、余裕そうな大人っぽい姿を見せているのに。他の子が見たら『熱でもあるのかな』と心配しちゃうかもしれない。けど私は、そんな何事かを恥ずかしがっている彼の姿も、年相応の男の子らしくて可愛らしいと思ってしまう。
「ふふっ、どうしたの、何か大切なご用事?」
愛おしいあまりに溢れた笑い声を落としながら、こちらから言葉をかけてみる。途端、彼は覚悟を決めたと言わんばかりにキリッと表情を引き締めて「はい」そう声を張った。
「お仕事中に邪魔をして、すみません」
「もう、そんなこと気にしなくて大丈夫だよ。いまちょうど、ひと段落したところだから」
「そうか、良いタイミングだったかな。実は、寮母さんに渡したい物があって、探してたんですよ。もし良かったら、受け取って欲しいんだが──」
思いもよらぬ(けれど何故か不思議な既視感を覚える)言葉に、私の口から「えっ」なんて呆けた声が落ちる。
彼は先程からずっと背中に隠していたものを、丁寧に両手で差し出しながら「どうぞ」と柔らかく微笑んだ。それはベージュ色した大きめの丸い箱で、ご丁寧に白いレースのリボンが飾られている。私は持っていた竹箒をいったん門柱へ立て掛けて、自由になった両手でその箱を受け取った。甘くて上品な、洋菓子の香りがする。
何が入っているんだろう? わくわくと好奇心が抑えられなくて、私はすぐにリボンを解いてしまう。箱の中身を見た途端、思わず「わあっ」だなんて、子供のようにはしゃぐ声を上げてしまった。
「すごい! ハートがたくさん詰まってて、かわいい……!」
丸い箱の中には、なんと、ピンク色で可愛らしいハート型の"マカロン"が、所狭しとぎゅうぎゅうに詰め合わされていたのです。ひ、ふ、みー、と数えて十二個も。
ひとつひとつ透明な袋で個包装されたマカロンたちは、まるで高級な製菓店に売られているような美しい出来映えだけど、彼の手作りかしら。ケーキ屋さんのご長男という肩書きがあっても感心するほど、本当にその腕前は素晴らしい。彼の美味しいお手製ケーキをよくご馳走になっているから、きっとマカロンの味も間違いないと思う。
ピンク色のマカロンって何味かしら、ラズベリー? それともピーチかな、あっ、ストロベリーかも! 味の想像をするだけでも心が弾んで、口元がふにゃふにゃ緩んだ。ふふ、後で食べるのが楽しみね。
「喜んでもらえたみたい、だな」
心の底から安心したように、良かった、と小さな声が彼の唇から零れ落ちる。
「もちろんっ、こんなに素敵で美味しそうな贈り物、とても嬉しいよ。……でも、どうして──?」
ただ、純粋な疑問符は浮かんでしまう。彼から贈り物を貰える心当たりが、何にも無い。私のお誕生日ではないし、ハロウィンやクリスマスもとうの昔に過ぎて、バレンタインデーもちょうどひと月前に終わっているから、不思議で首を傾げるしかなかった。
彼はまた照れ臭そうにもじもじ頬を掻きながら、甘く熟した林檎のお顔でキュッと目を細めて笑った。
「今日はホワイトデーだから……な」
その言葉に、ハッとする。ああ、そうだ、忘れてた、思い出した。
今日は、3月14日。バレンタインにチョコレートを貰ったお返しとして、今度はキャンディやマシュマロなどのプレゼントを贈る日。受け取った愛に答えを返す、純白の記念日である。
でも、その習慣は私の生まれ育った国が発祥したものであって、この異世界に同じような記念日が存在すると聞いた事もない。つまり本来なら、彼はホワイトデーなんて知っている筈がないのだけれど──。
「監督生から教えてもらったんだ。なんでも、バレンタインのお礼に何かお菓子を返す日だと聞いてます。アイさんに美味しいチョコレートを貰えて嬉しかったから、そのお礼ですよ」
俺の故郷でもそんな記念日があったら、ケーキ屋が繁盛するのになあ──なんて面白そうに笑う彼を見て、なるほど、とすぐに納得した。
監督生ちゃんがホワイトデーをどんな風に伝えたかはわからないけれど、優しい彼の事だから、純粋に姉を慕うような好意で準備してくれたのだろうなあ。えへへ、嬉しいね。
「そういうことなら、遠慮なく頂きますね。ありがとう、クローバー君! けど、ほんの少しチョコを贈っただけで、こうもたくさんお返し貰っちゃうのは、なんだか贅沢過ぎないかしら」
「いや、これぐらいが普通だって聞いたぞ。ホワイトデーのお返しは三倍返しが基本、なんだろ?」
「まあ、とんでもないっ、そんなお話に根拠なんてありませんよ。もう、監督生ちゃんったら、優しい先輩に変な事まで教えて……」
「ははっ、まあ気にしないでくれ、俺はたくさん作れて楽しかったですよ。これだけあったら、監督生やグリムたちとも分け合えるだろうし。それに、マカロンは──」
彼は何か言いかけて、あっ、と慌てたように片手で自身の口を塞いだ。
「……いや、なんでもない」
ええっと、それは、絶対なんでもある時の言い方じゃないかなあ、って思うのだけれど……。
ただ、フイッとそっぽを向いた彼のお顔は、先程よりも更に、ぽふぽふ湯気が出そうなほど赤みを増していたから。下手に追求する事は悪いような気がして、言葉をかけることが出来なかった。
「今度、味の感想でも聞かせてくれたら嬉しいです。じゃあ、また明日」
そうして彼は、遅刻した白ウサギさんを思わせる早足で、逃げるように去ってしまうのだった。
夕陽の沈んで空が薄紫に滲み始めた頃。本日の雑用仕事を終えた私は、やっとの思いでオンボロ寮へ帰ってきた。
まるで幽霊屋敷のような風貌の寮は、こうして夜が近くなると一層その不気味さを増すし、実際にゴーストさんたちも住み着いて居たりするけれど。それでも、この寮で管理人を任された私にとっては、大切で温かな居場所である。
ギィッと少し嫌な音の鳴る扉を開けて「ただいま」と溜息混じりの声を溢す。途端、談話室の方からドタバタ騒がしい足音が聞こえてきて、思わずフッと笑みを浮かべた。
「寮母さんっ、おかえりなさーい!」
「おかえり、アイ! 遅えーんだゾ!!」
そう元気いっぱいお出迎えしてくれたのは、うちに二人しか居ない寮生の監督生ちゃんとグリムちゃん。可愛い彼女らが駆け付けた瞬間、ふんわり焼き菓子の美味しそうな匂いが漂ってきて、私は不思議に首を傾げた。
「あらあら、今日はとってもご機嫌さんね。それに、なんだか良い匂いがするよ。ふたりで、お菓子でも作っていたの?」
聞くと、彼らはお揃いの嬉しそうな顔でニーッと歯を見せて笑う。声まで揃えて「じゃーん!」「だゾ!」そんな効果音付きで差し出されたものは、お皿いっぱいに盛られた、チョコ味とバニラ味であろう市松模様のクッキーだった。
「わあ、美味しそう!」
素直な感激の言葉を溢したら、グリムちゃんが照れ臭そうに鼻先を前足で擦って笑った。
「へへっ、ユウとオレ様がいっしょに作ったんだゾ。バレンタインのチョコ美味かったからな、トクベツにホワイトデーのお返しだ!」
これまた予想外の贈り物を前にして「まあ」なんて情けない声しか出せない私に、監督生ちゃんがご機嫌なニコニコのお顔で言葉を続ける。
「知ってますか? ホワイトデーにお返しするお菓子には、色々と意味が込められるものなんですよ! 私も少しだけしか知りませんけど、クッキーには『これからも仲良しで居てください』なんて意味があるんですって」
素敵ですよね、と微笑む監督生ちゃんを見て、嬉しさにますます心が温まる。なんて優しい子たちだろう、ギュッと抱き締めたくて堪らない気持ちになってしまう。
「うん、ええ、ほんとうに、素敵ね……。嬉しくて泣いてしまいそうだよ、ありがとう。監督生ちゃん、グリムちゃん」
しかし、ホワイトデーにお返しするお菓子に意味があるだなんて、知らなかったなあ。私は手に持っている丸い箱を抱き締めながら、高まる好奇心を抑えきれなかった。
「──ところで、他のお菓子にはどんな意味があるの?」
監督生ちゃんは元の世界での記憶を必死に呼び戻すべく、斜め上へ視線を泳がせる。
「ええっと、マドレーヌは『もっと仲良くなりたい』とか、バームクーヘンは『幸せが長く続きますように』とか……。キャラメルには『いっしょに居ると安心する』という意味を持つので、寮母さんに贈ろうか迷いましたね。ああっ、それから、マカロンやカップケーキには『あなたは特別なひと』っていう意味があるらしいですよ! 愛の告白をくれた本命にお返しするなら、絶対コレですね。理由は何だっけなあ、買うには値段が高いし作るのも大変だから、とか?」
どきん、と心臓が跳ね上がる。えっ、なんて惚けた声が落ちた。
クローバー君がお返しにくれた、ハート型のマカロンがたくさん詰まった──丸い箱を抱き締める腕に、つい、ギュッと力が込もってしまう。
「そ、れは……その話は、あの、クローバー君にも……教えたの、かしら」
いえ、そんなわけない、きっと単なる勘違いだよね。彼が贈り物にマカロンを選んだことは、偶然でしょう。お菓子に込めた深い意味なんてある筈がない。さすがに私の過ぎた自惚れだろう──と。そう、思いたかったのだけれど。
監督生ちゃんはキョトンと目を丸くして、当たり前のように「はい」と答えた。
「トレイ先輩から寮母さんにバレンタインのお返しがしたいと相談を受けたので、ホワイトデーの習慣やお菓子に込められる意味なども、お伝えしましたよ。先輩にしては、やたら熱心に聞かれましたので……」
じわじわと全身に血が巡って、体温の上がっていく感覚。今の私はきっと頬だけじゃなく額も耳も真っ赤な顔をしていることでしょう。そのくらい、恥ずかしくて、嬉しくて、胸がどきどき熱くなって仕方なかった。
よくよく振り返ったら、ハート型だなんて露骨も過ぎる形を見た時点で、私は気が付くべきだったのかもしれない。この贈り物が"特別"な意味が込められたものであることを。
数秒の間を空けて、監督生ちゃんは「あ!」と何か気が付いた名探偵のように声を上げる。グリムちゃんがビックリして「ふなッ!?」と鳴いた。
「あーっ、もしかして!? ちゃんとお返しを渡せたんですね、トレイ先輩! わ、わっ、なに貰ったんですか、寮母さん、見せてくださいよっ」
「オマエッ、あのメガネからもお菓子貰ったのか! ふなーっ、またオマエらだけでコソコソしてズルいんだゾ、オレ様にも分けろー!!」
「ま、待って、ふたりとも、いったん落ち着いて! ね?」
きゃあきゃあとはしゃぎ始めた子供たちを慌てて宥めるけども、いやいや落ち着くべきは私の方だ。
でも、この喧しく高鳴ってしまう心音や、堪らない幸福感でニヤけてしまう口元を、どうしたら抑えられるのか、全然わからない。思えば、誰かをこんなに特別想うことなんて、初めてだから。ああ、いまさらながら、この感情が不運な人魚にも笑われるような初恋であることを、自覚してしまった。
そもそも彼がホワイトデーについて知ったという事は、バレンタインデーにチョコレートを贈る"本来の意味"も知ってしまった筈だ。……まさか、彼はそれを理解した上で、私にお返しをくれたのでしょうか。言葉の代わりに美味しい贈り物で、私たちが同じ気持ちである事を、伝えようと、してくれた?
きっと、これは彼なりの、私に対する仕返しだ。目には目を、歯には歯を、特別には特別を。私が密やかな愛をコッソリと贈ってしまったから、それならば、とお菓子にこんな甘やかな意味をたっぷり込めたのだろう。
ああ、もう、クローバー君ったら!
「ほんと、ずるい子なんだから……」
この恋心はあっさりと伝わっていた上に、三倍返しの答えまで貰ってしまうなんて。白ウサギさんのように駆けて逃げ出したい気分だけれど、もはや逃げ場なんてない。
私は可愛い子供たちの前で、みっともなく火照った顔を晒すしかないのだった。
また明日、なんて。この甘酸っぱくて幸せな味がするストロベリーの感想を、私はいったい、彼の前でどんな顔をして伝えたら良いのかしら……?
翌朝。せっかく顔を合わせても二人して照れてしまって、ギクシャクといまいち会話の弾まない私たちを、天使のように悪戯好きな
2021.03.14公開