緑の帽子屋と寮母さんの話
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愛妻家は薔薇に想いを込める
「先輩って、ほーんと愛妻家ですよね」
「……そうか? 別に普通だよ」
数年前に卒業した寄宿制の魔法学校で、同じ寮の生徒だった懐かしい後輩──まだ初々しいスーツ姿のエース・トラッポラは、何故だかげんなりとした表情で「うわ、出たよ。トレイ先輩お馴染みの普通発言」なんて呆れたように言った。はは、可笑しな事を言ったつもりは特に無いんだが。
俺は学園を卒業後、当時交際していた年上の恋人と早々に結婚を果たした。現在は実家から離れた遠くの、スミレの花が年中咲き誇る小さな村にクローバー印のケーキ屋を構えて、妻とふたりで平穏に細々暮らしている。あの魔法学校で出会った友人や後輩たちは、今でも俺のケーキを気に入ってくれているようで、何かイベント事があるたびウチへ買い物に来てくれるから、有難い話だ。エースもそんな可愛い後輩の一人であり、ウチの開店祝いに来てくれた以来の再会だった。
さて。何故、俺が後輩に"愛妻家"だなんて揶揄われる事になったか、と言う話に戻るが──。
「まさか、奥さんがお誕生日を迎える度に薔薇の花を贈ってたとか、初耳ですよ。意外とキザですねえ、トレイ先輩っ♡」
少し癪に触る甘い声で、悪戯好きな後輩はニンマリ笑った。困った俺は「ははは」と苦笑いを返すばかりである。
そんな話になったキッカケは、新婚ホヤホヤである彼が、妻に贈る誕生日プレゼントを悩んでいる──なんて言うから、俺はごく普通のありふれた例として「花を贈るのも悪くないんじゃないか」と提案した。そうしたら、やけに「先輩、奥さんに花とか贈ってるんですか! マジ!?」なんて驚かれたから、少しだけ昔話を聞かせたのだ。
当時、晴れて恋人になったばかりの妻を、名前で呼ぶ事すら恥ずかしくて「寮母さん」と呼んでいた頃の話である。彼女の誕生日を初めて知ったのは、俺がスターゲイザーに選ばれてしまった星送りの儀を終えた後の事だ。
「──えっ!? 寮母さん、もう誕生日を過ぎてるじゃないか!」
「うん? そうなの。いつの間にか、またひとつお姉さんになっちゃったなあ」
うふふ、と照れ臭そうに笑う彼女を前に、俺は酷く慌てていた。
波乱ばかりだった三年生も終わりが近く、サマーホリデーを目前にした時、彼女の生まれた記念日がとうの昔に過ぎていたという、最悪の事実を知った。ちょうど学園内でイベント事が重なって周囲も彼女自身もバタバタと忙しくしていた為に、ろくなお祝いもされていないと言うのだ。
どうして教えてくれなかったんだ、と思いもしたが、自分の誕生日を大っぴらに話す機会なんて早々無いだろう。そもそも、彼女は他人に愛や物などを好きなだけ与える癖に、あまり他人から何かを求めることをしないひとだ。自分から誕生日なんて宣言する筈がないのだ。もっと早い内に聞いておけば良かった、なんて後悔しても既に遅い。せめてケーキのひとつでも作ってあげたかったのに、と当時の俺は酷く落ち込んだものである。
生まれてきてくれて、俺と出会ってくれてありがとう──そう言って、好きなひとの誕生日を心から祝いたいと思うのは、別になんてこともない普通の事だろう?
さあ、どうしたものか。学年末のホリデー前だから、ゆっくり彼女の為のケーキを作っている時間もない。まだ学生の身の上であるから、高価なプレゼントを買ってやれる金銭的な余裕もない。それでも彼女の生まれた日を、どれだけ遅刻していても祝ってやりたかった。
あれこれ悩んだ結果──。俺はハーツラビュル寮の迷路へ向かい、リドル寮長からもキチンと許可を得て、日々世話を焼いている白い薔薇の花を3本だけ摘み取った。色変え魔法で赤く染めて、透明なベールと金のリボンを飾り、即席の花束を作り上げる。そんな急拵えの真っ赤な薔薇を、彼女へ初めて誕生日プレゼントとして贈ったのだ。
こんなものしか用意出来なかった事に、まだ青い自分の未熟さを思い知って、申し訳ないとさえ思っていたが。
「まあ……! お誕生日に薔薇の花束なんて、初めて貰ったよ。ありがとう、トレイ君っ、すごく……うれしいっ、ふふ、嬉しいなあ」
彼女は苺の瞳を涙で潤ませるほどに、心の底から感激して喜んでくれた。
贈る花に薔薇を選んだ理由も、本数の意味だって、恐らく彼女は知らないだろう。しかし例え知らなくても、遅刻してしまっても、自分の生まれた日を祝ってくれて「巡り会えて良かった」なんて言葉を貰えたことが何よりも嬉しい──そう、微かに頬を濡らしながら、めいっぱいの笑顔を見せてくれたのだ。
それから俺は毎年決まって、彼女の誕生日には真っ赤な薔薇の花束を贈るようになったのである。
俺のそんな恥ずかしくもある過去の話を聞いて、後輩は「幸せいっぱいのお惚気ご馳走さまです」等とニヤけた顔をした。
さすがに大人気なくもムッと腹が立ったので、釣り銭を渡しながらも今度は俺がニンマリ笑って仕返しをくれてやる。
「いやあ、でも、甘い物が好きな奥さんの為に豪勢なお誕生日ケーキを予約しようと、わざわざこんな遠くのケーキ屋さんまでやってくるお前だって、十分"愛妻家"だろう? エース」
釣り銭を受け取った彼はボッと燃えるように頬を赤く染め上げて、うっかり小銭を落とすほどに動揺したものだから、俺は思わず声を上げて笑った。慌てて小銭を拾って財布にしまいながら、可愛い後輩は恨めしそうにキッとこちらを睨む。が、まだ赤い顔をしていたので怖さは微塵もなかった。
「トレイ先輩、その意地の悪さはホンット学生の頃から変わってないすね!?」
「あははっ、お前の生意気さも相変わらずで、安心するよ。それじゃあ来週、腕によりをかけて準備しておくからな」
「ったく、お願いしますよー。ま、先輩の製菓の腕前は信頼してるからこそ、ここまで来たんですけどね」
「ふふ、そりゃあ嬉しいな」
ケーキを予約するついでに買った焼き菓子入りの紙袋を抱え直して、彼はニッと人懐っこい笑みで「じゃあ、また今度」そう手を振りながら、陽の沈みかけた店外へ去って行った。カランコロン、とドアベルが軽快に鳴る。懐かしくも立派に成長した後ろ姿が、街並みに紛れて見えなくなるまで見送った。
ふう、とひと息ついてから厨房へ戻る。そこには随分とご機嫌な様子で、仕事着の真っ白なエプロンをふわふわ揺らしながら紅茶を淹れている、愛しい妻の後ろ姿があった。俺の気配にすぐ気が付いたのか、彼女はパッとこちらを振り返ると、嬉しそうに頬を緩ませる。つい昔話なんてしたせいだろう、まるで学生の頃みたいに胸の奥が甘く高鳴った。
「あら、トラッポラ君は? もう帰っちゃった?」
「うん。アイツも忙しいみたいで、予約を済ませたらさっさと帰って行ったよ」
「そう、紅茶の一杯ぐらい飲んでいってくれたら良かったのに、残念ね」
少しションボリ肩を落としてしまった妻に、成る程と俺は勝手に納得をした。これからきっと良い常連になってくれるお客様で、彼女にとっても可愛い生徒のひとりだったエースの為に、紅茶をサービスするべく用意してくれていたのか。本当にもう、初めて出会った時から変わらず、優しくて可愛いひとだ。
「じゃあ、その紅茶は俺が頂くよ。ちょうど喉も乾いてたし」
「ふふ、良かった。お客様も減ってきたし、ちょっとだけ休憩したら? 私も、久しぶりに会った後輩とあなたがどんな話をしていたのか、聞きたいな」
「いやー、それは……大したことも話してないし、恥ずかしいな……」
はははと拒否混じりの苦笑いを返すが、妻はキラキラ眩しい眼差しを向けて興味津々である。新婚ホヤホヤのトラッポラ夫婦の話を聞きたいのだろうが、結局のところ話したのは俺の昔話だから、また改めて語る事はあまりにも照れ臭いが……。
妻の淹れてくれた紅茶をストレートで啜りながら、ほんのりと熱くなる頬を気にしつつも、俺は淡々と先程の話を繰り返した。すると、やや間があって。同じように紅茶を啜っていた彼女の頬が「あらあら」なんて赤く染まった。
「……もう、トレイ君ったら。私まで恥ずかしくなっちゃった」
「薔薇を贈る理由なんて聞かれてしまったんだから、答えないと仕方ないだろう。アイさんも、毎年喜んでくれるし、な?」
「それはもう、大好きな夫から愛のこもった花を貰って嬉しくない妻は居ませんよ」
「だっ、だいすき、ってお前、」
「毎年決まって三本の薔薇の花束をくれて、遠回しに『愛している』事を伝えてくださるんだもの、可愛くて大好きよ」
「なッ、知ってたのか……!?」
「初めて貰った後でね、ちゃんと意味を調べたの、ふふっ」
妻は語尾に音符でも付きそうなほど機嫌良く笑う。羞恥心で堪らなくなった俺は、ますます熱くなる顔を片手で覆い隠して項垂れた。ああ、もう、やはり何年いっしょに歳を重ねても敵わないな、このひとには。
しかし、まあ、この王国に古くから伝わる、薔薇を贈る本数によって変わる"意味"を知っているのなら、逆に好都合だ。
今年の誕生日には薔薇を百本と一輪贈って、彼女をもっと驚かせてやろう──なんて、俺は内心密かに悪巧みをするのだった。
2021.01.31公開
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