薔薇の王子様と監督生の話
名前変更
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
称賛サプライズ!
放課後。いつにも増して、廊下のどこもかしこもガヤガヤと騒がしい。それもその筈、今日はやっと期末テストの結果発表が行われ、上位50名以上の名前と成績が廊下へ張り出される日である。この日ばかりは、どんな生徒も浮き足立って仕方ないだろう。
まあ、しかしボクには興味のないものだ。見ても見なくても、結果なんていつも同じなのだから。さて、そろそろ寮へ戻ろう──と思った、その時。
「リドル先輩、みーっけ!」
ぽんっ、と軽快に肩を叩かれて振り返れば、やっぱり。桃薔薇のような可愛らしい笑顔を咲かせる、オンボロ寮の監督生が居た。
「おや、随分とご機嫌だね。何か特別良いことでもあったのかな?」
「はい、まさに良いことありました!」
じゃん! と、自らの口で奏でる効果音付きでボクに見せたそれは、監督生の期末テストの成績表だった。
「先輩にテストの結果をすぐ報告したくて、来ちゃいました! まだ順位は確認してないんですけど……」
「へえ、飛行術の筆記98点、錬金術96点、魔法史は満点か、その他の成績も、中間テストとは比べ物にならないぐらいの好成績だね。凄いじゃないか」
「魔法も使えない私が、何者でもない筈の私が、こんな良い点数取れるなんて夢みたいです。リドル先輩が対策ノートをくださったおかげですよ、ありがとうございます!」
「キミが頑張った結果だよ、さすがはボクのアリスだね」
ボクが教えたのだから当然だよ、といつもなら偉そうに言ってしまったのだろうけれど。監督生はこの結果を見せる為にわざわざボクを探しに来てくれたのだから、どうしてもこの素直さが過ぎる後輩は可愛くて甘やかしたくなってしまう。
「ところで、リドル先輩の期末テストの結果はどうでしたか?」
「ああ、それなら廊下に貼り出されているから、見ると良いよ」
ボクは特に見ていくつもりはなかったけれど、監督生がとても期待に満ち溢れた顔で廊下の張り紙を見に行くから、ボクも後を着いて行った。
「ええっと、リドル・ローズハート先輩のお名前は……あれ、すぐ見つかった、いちばん上に……一番上ッ!?」
やはり見る必要は無かった、隣の監督生はとても驚いているけれど。
「りっ、リドル先輩、学年1位じゃないですか! しかも唯一の、全教科満点だ!?」
「そうだね。どんな教科でもボクが一番であると、これで監督生にも証明出来たかな」
「す、すごい、凄いじゃないですか、きっと先輩とっても頑張ったんですね!」
「え、」
「えっ?」
あまりにも、予想外の言葉で聞き間違いかと思った。けれど目の前の後輩は、何故聞き返されたのか理由がわからず首を傾げている。
「……このくらい、ボクにとっては当然だよ。一年生、いや、エレメンタリースクールの頃から、ずっと。ボクは常に、一番であり続けなければならないからね」
「ほほう、なるほど、リドル先輩は本当に凄いんですね!」
「いや、だから、ボクにとってはこんなこと、」
「だって、努力を続けることは魔法を操るより遥かに難しいことなんですから。そこまで頑張れるひとって、想像以上に少ないんですよ。ずっと1番でいることは、誰にでも出来ることじゃないんです。先輩はもっとご自分を誇って良いと思います。何なら私が自慢しちゃいますよ、私の先輩こんなにすごいんだぞー、って!」
──えへへ、ちょっと偉そうなこと言っちゃいましたね。魔法も使えない一年生が生意気にごめんなさい、と苦笑いを浮かべる監督生。
褒め言葉なんて「さすがローズハート寮長」とか「やっぱり天才は違うなあ」とか、嫌味っぽく言われた覚えはあるけれど。そんなキラキラした瞳で、憧憬の眼差しで見られたことが、今まであっただろうか。肩書きや才能ではない、自分の頑張りを、努力を、誰かに認められることには慣れていなくて、しばらく声を失い茫然としてしまった。
「リドル先輩、勉強の教え方もお上手ですし、皆さんが一目置く理由もわかります。凄いなあ……──って、え、せんぱい、何で泣いて、」
監督生が突然おろおろ慌て出したことに気がついて、は、と驚き我に帰る。
指摘されるまで、ボクは自分が泣いていることすら気付いていなかった。恐る恐る目元に触れてみると、確かに生温い滴で指先が濡れた。
「……本当だ。涙が出ているね」
「先輩、妙に冷静ですね!? と、とりあえず、ハンカチどうぞ」
すぐさま常備していた苺柄のハンカチをボクに差し出してくれた彼女。今は訳あって男子生徒用の制服を身につけて性別を偽っていても、やはりこういう細やかさ、可愛らしい小物のセンスに女性らしさを感じた。
さらに、彼女は急に慌てて周りを見渡してキョロキョロし始めると、近くの誰もいない空き教室へボクを引っ張り込んだ。静かに扉を閉めて、ほっ、と息を吐く監督生。
「……よし。ここなら、いくら泣いても大丈夫です、先輩」
ハーツラビュル寮の厳格な長が廊下の真ん中でぼろぼろ泣いている姿なんて、確かに、監督生以外の生徒に見られたら大騒ぎになるかもしれない。ボクの立場や性格などを色々考えて行動してくれたこと、ただひたすら、感謝しかなかった。
「すまないね、ありがとう……何故だが、突然、涙が止まらなくなってしまって……」
「いえ、もしかしたら、私が何か、気に触るようなことを言ってしまったんじゃないかと……」
「ううん、そんなことはない。絶対、ないよ」
「じゃあ、どうして……?」
自分のせいではないのか、と。一人ではしゃいでしまって申し訳ない、とあからさまにしょぼくれてしまう彼女を前に、ボクは何と答えたら良いか分からなくなってしまって。しばらく、お互いに沈黙した。
彼女のせいではない、しかし、彼女の言葉によって溢れた涙であることは確かだ。監督生が、ユウ君が、ボクを──めいっぱい、褒めてくれたりなんて、するから。
ボクは"一番"であることを、褒められた覚えが無かった。幼い頃からずっと、ボクにとっては、そんなこと"普通"だったから。お母様にとっては、こんなこと、出来て当たり前だから。
出来なければいけない、一番以外は怒られる、だけど一番になってもお母様が頭を撫でてくれることは無くて、ご褒美なんて青臭いケーキしか貰えないのに。これは努力なんて美しいものではない、義務だ。ボクがボクとしてある為に、お母様の自慢の息子である為に、やらなければならないこと。
だから──
「……そうも純粋に、手放しで褒められてしまうと、困るんだ」
「えっと、困っちゃうんですか?」
戸惑う。混乱する。今までずっと当然だと思っていた事を、凄いだなんて、誇らしいだなんて、こうも簡単な言葉を魔法のように告げられたら、ああ。
「嬉しくて、堪らなくなってしまうよ」
自分の表情の、だらしなく緩んでいく感覚がわかる。きっと今のボクはふにゃふにゃのマシュマロみたいな顔をしているんだろう。
どんなに頑張って一番であり続けても、褒めてくれる家族は居ない。大半の学友からは、嫉妬の視線や嫌味な世辞の言葉しか貰えない。孤立した狭い世界を必死で立ち続けるボクの心に、このひとはいとも容易く入り込んでしまうから。
「ありがとう、ユウ君。キミの言葉はとても、あたたかいね」
何にも知らない、何者でもないキミからの、何も飾らない言葉が。嬉しくて、嬉しくて、泣いてしまったんだ。
「リドル先輩、」
監督生がボクに呼び掛ける声は優しくて、不意に利き手をボクの頭上まで伸ばすと。
「先輩は、とっても頑張り屋さんですね。学年1位おめでとうございます。期末テスト、お疲れ様でした」
良い子良い子、なんて幼子をあやす母親のようにわしゃわしゃとボクの頭を撫で始めた。ぎこちない手つきで髪に指を絡ませる華奢な手が、くすぐったくて、心地良い。
「……ありがとう」
「ふふっ、先輩えらいえらい!」
「ちょっと、キミ。ボクをからかって楽しんでいないかい?」
「えへへ、尊敬しているのは本当ですよ。でも素直な先輩が可愛いから、つい」
ボクの頑張りを褒めてもらえることは嬉しいけれど、その"可愛い"という言葉はなんだか気に食わなくて、ムッと膨れたシュークリームのような顔になる。いつの間にか、涙なんて引っ込んでいた。
「キミ、どうやらお忘れのようだけど」
ボクは思わず、頭を撫でてくれている監督生の手を掴んで止めて、ぐっと口元まで引き寄せた。そして、その手の甲へ乱暴に口を付ける。ちう、とわざとらしい音が鳴った。
「男であるこのボクを可愛らしい少女のように扱うだなんて、良い度胸じゃないか。ボクの"可愛い"アリス?」
ちょっとした警告、からかった仕返しのつもりが、監督生の顔がみるみる赤く薔薇色に染まっていくから。ボクの体も変にじわじわ熱が上がり始めて、はっ、と気が付いた。
あれ。つい、カッとなって行動してしまったけれど。今の行為はまるで、どこぞの王子様がお姫様に求愛をするような──。
「あっ!? ご、ごめん、咄嗟に、」
「い、いいえ!? こちらこそ、男のひとに可愛いなんて失礼なこと、ご、ごめんなさい」
数歩後退りして床へ顔を向けてしまう監督生、ボクも酷く狼狽てしまった。もう泣いたり怒ったり照れたり、今日は感情が忙しい。しかし、なんとかこの甘ったるい空気を脱したい、そう思って慌てて話を戻すことにする。
「ああ、そうだ。キミも、今回のテストをよく頑張ったのだから、ご褒美があって然るべきだろう。何か欲しいものや、食べたいものは? ボクが用意してあげるから、好きなものをお言いよ」
「……いま、頂いたもので、十分です」
「そ、そういう、わけには、いかないだろう」
「せ、せんぱいこそ、学年1位のご褒美に欲しいものとか、ないんですか?」
「ボクは……」
そんなことを聞かれると、また、ぐるぐる悩んでしまうけれど。
「……キミと、ふたりでお茶会がしたい」
なんて、我ながら弱々しい声だろう。きちんと彼女まで聞こえていたか、不安になる。
しばらくの沈黙の後、ようやく恥ずかしそうに真っ赤な顔を上げて、監督生は小さくこう言った。
「じゃあ、私は──先輩の作った、イチゴタルトが食べたいです」
先程ボクの口付けた手の甲で、自身の口元を隠しながら照れ臭そうに笑うキミはもう、狂いそうなほど愛おしくて。
ああ、もう、タルトでもボクの心でも全てあげてしまうよ。ボクはキミの優しい魔法の言葉さえあれば、これから何だって頑張れてしまう気がするから──。
「あ、オイスターソースは入れないでくださいね」
「わっ、わかっているよ!」
2020.06.18公開