薔薇の王子様と監督生の話
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悠々シエスタ!
ナイトレイブンカレッジの中庭。そこに一輪、秋の涼しいそよ風に吹かれる真っ赤な薔薇が咲いていたから、少し驚いた。
「あれ、リドル先輩──」
林檎の木の下、ベンチに深く腰掛けて俯いている先輩へ、声を掛けようとした私はすぐにその口を利き手で塞いだ。
「──ね、寝てる?」
側に近寄るまで気が付かなかったけれど、彼の瞳はしっかり閉じられていて。その寝顔はとても安らかだ。うわあ、びっくりした、とても。
だって、あのリドル・ローズハート先輩が、ぽかぽか陽気の中でお昼寝だなんて。二年生にしてハーツラビュル寮の長であり、ハートの女王が作った不思議な法律を厳格に守り、常に冷静で凛としたイメージの強い先輩が……こんな、無防備に眠っている姿なんて……レアだ! スペシャル・スーパー・レア!! 思わずゴーストカメラを取り出して撮影したい気持ちに駆られたが、バレたら間違いなく首をはねられるので、やめておきます。
私はなるべく先輩を起こさないよう、ゆっくり、忍び足でベンチに向かって、彼のお隣に腰掛けた。図書館で借りた本たちを、たまには外で読もうと丁度良い日光浴場所を探していたから。せっかくだし、先輩のお隣にお邪魔しようと思った。だって、このまま立ち去るなんて勿体無い。今の内に、彼の貴重な寝顔をしっかりこの目に焼き付けておこう。
それにしても、初対面から思っていた通り、美しいひとだ。赤薔薇を思わせる髪がまた、そよ風にさらさらと揺られて。羨ましくなるほど長くて上向きの睫毛が、目を閉じているとよく目立つ。日焼けを知らないような白い肌。いつもキリッと吊り上がっている眉も、今は穏やかに垂れ下がる。その寝顔は実年齢よりも幼く見えて、可愛い。まるで可憐な少女のような、ってこんなこと言ったらお顔真っ赤っかにして怒られちゃうね。でも本当に、綺麗で。ずっと、いつまでも、見ていられる。
嗚呼、飽きないな──なんて、しばらく見惚れていたら。突然、ぱちり、妖しげに光り輝くグレーと目が合った。
「おやおや、」
「えっ」
「誰かと思えば、ボクの可愛いアリス。ひとの寝顔を盗み見るなんて、ずいぶん良い趣味をしているね?」
「わ、あっ!? ご、ごめんなさい!」
先程までうっとり見惚れていた美しい顔が、鼻先の触れそうなほどズイッと近付いてきた為に、私は反射的に勢いよく後ろへ身を引いてしまって。私の膝からバサバサと落っこちた本たちを、慌てて拾い上げる。し、心臓、飛び出るかと思った。
恐る恐る、リドル先輩の顔を覗き見る。グレーの瞳から妖しい光は消えて、悪戯好きの子供みたいなお顔でクスクス笑っていた。
「いや、ボクの方こそ。キミがそこまで驚くなんて、ふふ、狸寝入りで騙したりして、すまなかったね」
「い、いえいえ、そんな。先輩がお昼寝なんて、珍しいと思ってしまったから、つい……お休み中のところ、すみませんでした……」
「ユウ君なら、構わないよ」
花のように柔らかな微笑。その含みのある言い方は、私の心臓をどきんと高鳴らせた。
「少し前から、昼食後は15分から20分ほど仮眠を取るようにしているんだ。適度に脳を休ませることで、この後の作業効率が格段に良くなるからね」
「そう、なんですか」
「このシエスタの効果は、科学的にも実証実験が行われ、その効果が証明されていて──」
心臓の音がうるさくて、この感覚を気のせいにしたくて、先輩のお話があまり耳に入ってこない。顔、熱い。
「──と言う訳で、キミにも是非シエスタをお勧めするよ。監督生。ボクの話、聞いていたかい?」
「は! はい、勿論!」
「まあ、大した話ではないから、いいけれど。キミは、どうして中庭へ? 問題児の、いや、賑やかな友人たちに囲まれていないキミこそ、珍しいね」
先輩の言葉で、一気に現実へ引き戻される。私の膝の上、ずっしりと詰んだ本たちを見ていたら、浮かれた熱はすぐに冷めていった。
「お勉強、しようと思って」
「へえ。まだ中間テストが終わったばかりだと言うのに、感心だね。さすが監督生だ」
「いやあ、その中間テストがボロボロだったもので……」
なんとか赤点は免れたものの、正直全教科ギリギリの成績だった。当たり前だ、と心の中の私が嘆く。私はついこの間まで、剣や魔法のファンタジーとは無縁の世界で生きてきた、ごく普通の"何者でもない"人間だったのに。毎日の授業に必死で食らいついて、休み時間もこうしてエレメンタリースクール程度の知識から学ばなければ、この世界の普通に追い付けない。頑張らなきゃ。ときどき、酷く疲れてしまうことも、あるけれど──。
たはは、なんて情けなく苦笑いを浮かべるしかない私に、リドル先輩の瞳が鋭くなった。うっ、努力不足だって怒られるのかな……?
「キミはよく頑張っているね」
スッと静かに挙げられた彼の右手は、てっきり私の頭を叩くのかと身構えたら。ぽんぽん、その手は私の頭を撫でた。予想外過ぎて「へ?」と拍子抜けしたお間抜けな声が溢れる。
「確かに、中間を終えてから期末までの残り時間は少ない。だらだらとサボっていれば、瞬きの間に赤点を見る事態となるだろう。けれど、根を詰め過ぎてはよくない。その事をボクに教えてくれたひとは、キミだった筈だよ。アリス?」
「せ、先輩の努力に比べたら、私の頑張りなんて努力とも呼べないくらいですよ」
「キミ、自分を卑下する言い方はおやめ。ボクは頑張り屋で疲れ切った後輩に、これ以上の労苦を求めるほど、冷めた人間ではないよ」
瞳が鋭くなったなんて、とんだ勘違い。先輩は大きなぱっちりおめめを細めて、また柔く微笑んだだけだった。私の髪をさらさらと解かすように撫でる手は、優しい。
「適度な休息を取る事も大切だ。その方が効率良く──ああ、この話は先程の繰り返しになってしまうね。とにかく、今この時だけは休みなさい」
「あっ、」
私が持っていた本たちは素早くリドル先輩の手に奪われて、彼の膝の上へ置かれてしまった。
「えっと、リドルせんぱ、」
「返事はYESしか許さないよ。……NOと言うなら、その首をはねてでも眠らせてしまうけれど」
それって永眠では!?
「わかりました休ませて頂きます!!」
一瞬の極悪女王様顔にビビって早口の返答をすれば、リドル先輩はうんうんと満足気に頷いて、無邪気を体現したベビーフェイスの微笑みに戻った。
ぽふぽふと私の頭を撫でていた彼の手が離れていく。少し名残惜しいけど、リドル先輩が再び目を閉じてシエスタに微睡んでいってしまうから、私も諦めて目蓋を下ろした。
(あー……これ、結構……)
きもちよくてだめかも。
優しい秋の風と、林檎の甘い匂い。そして、隣で共に眠る先輩、その肩が僅かに触れて感じる体温が、とても心地良くて。ああ、こんなの数秒も耐えられない。私の意識はゆるゆると、眠りの穴に落っこちていった。
幸せな微睡の中、白いうさぎを追って不思議の国へ迷い込むような、たのしい夢を久しぶりに見られたのは、きっとリドル先輩のおかげだろう。でも。
『可愛いアリス、良い夢を……』
真っ赤なドレス姿の美しい女王様から、頬にキスをされる──なんて、その熱を帯びた唇の感触は、夢の中なのに、やたら現実的だった気が、する。
翌日、リドル先輩から天使のような笑顔で、悪魔のような物量のテスト対策ノート(全500ページ)を頂いて、エースやデュースも巻き込んだ大賑わいの勉強会が行われた話は──また、今度にします。
2020.06.17公開