薔薇の王子様と監督生の話
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悪道ドーナッツ!
甘いお菓子、砂糖の塊、あんなものは毒である。
ボクはそう教え込まれて育った。
でも、たまに通りかかるケーキ屋さんの、ショーウィンドウの向こうに見えた、宝石みたいなイチゴのタルトは、とても毒には思えなくて。幼いボクの、密かな憧れだった。
──いや、駄目だ。望んではいけない。食べてはいけない。あれは毒だ、毒なのだ。ボクの楽しい時間を奪い去り、母をひどく怒らせてしまった、悪い、わるいものだから。
毒の対象は砂糖だけに留まらなかった。
油を大量に使用した、高カロリーで、高塩分、栄養素の偏った加工食品。例えば、低価格で素早く食べられるハンバーガーやピザなどの、いわゆるファーストフードと呼ばれる物だって、絶対に食べさせてはもらえなかった。まさにジャンクフード、ガラクタもしくはクズのような食べ物、あんなものを食べたら身体だけでなく頭も馬鹿になってしまう!──なんて叫んだ母の言葉を、うちのヤンチャなハートのトランプ兵がもしも聞いたら、顔を真っ赤にして怒り狂いそうだ。……ふふ。
ボク自身それらがグロテスクに見えたのか、あまり進んで食べたいとは思わなかった。ナイトレイヴンカレッジに入学して、誰からも身の回りを管理される事なく、ひとりで自由な食事を選べるようになった今も、好んで手を伸ばすことはない。
まあ、食わず嫌いも良くないか……と思って、お調子者なダイヤのトランプ兵から遊びに誘われた先で、初めてファーストフードを食べた。噂で聞いていた通り、提供スピードの速さや価格設定の手軽さには非常に驚かされた。しかし、それなりに舌が肥えているらしいボクには、この濃過ぎる味付けが合わなかったのである。いつか、初めて真っ赤なイチゴタルトを食べた時のような、あの感動は得られなかった。けれど、決してガッカリする気持ちも無かった。ああ、なんだ、やっぱり大したことはない、極端に毒と呼ばれるような悪い物ではなかった事を知って、少し安心出来たのだった。
確かに栄養バランスは偏っているから、毎日ファーストフードばかり食べ続けたら身体を壊すだろう。でも、それは他の食事にも同じ事が言える。結局、どんな食べ物だって過剰摂取はよろしくない、という話なのだ。……その事を理解するまでに、ボクは随分と時間がかかってしまったけれど。
ボクは少しずつだけど、摂取カロリーや栄養バランスなどに過剰な気を使わず、恐ろしい強迫観念にも囚われる事なく、気軽に食事を選べるようになった……と思う。
特に最近は、このワンダーランドに迷い込んだ、愛らしい少女──かわいくてけなげな後輩──大切なお友達で──我が最愛のアリス、オンボロ寮の監督生であるユウ君が、ボクにたくさんの"わるいもの"を教えてくれるから。ふふ、まったくもう、困ったものだ。
「リドルさーんっ、お待たせしました!」
待ち合わせをしていた校門の前で、ぴょんっと軽快に跳ねる白ウサギが如く現れて、ふわりとボクに春風を届けに来た監督生。しかし、その姿は普段の、サイズが合わないブカブカの男子制服姿ではなかった。
優しいアイボリーカラーのカーディガンに包まれて、桃色の薔薇が花畑のように写されたワンピースを、可憐に淑やかに揺らす姿はまるでお姫様だ。小さなリボンと王冠を模した飾りが控えめに主張する、ピンクのカチューシャもよく似合っていた。可愛い、世界でいちばんの可愛さだ、そんな浮かれた言葉で頭がいっぱいになる。
今日は久しぶりに、この可愛らしい恋人とデートの約束をしていたのだ。
偶然にも彼女のカーディガンと同じ、アイボリーカラーのジャケットを羽織ってきたボクは、自然とお揃いのコーディネート風になれたことを喜び、内心密かにガッツポーズを決めた。が、そんな照れ臭い感情はおくびにも出さず(顔がニヤけている自覚はあったけれど)ボクは穏やかに首を横へ振る。
「大丈夫、少しも待たされていないよ。きちんと約束の時間ぴったりだ、遅刻をしない立派な白ウサギだね」
「当然です、女王様との約束は完璧に守りますとも。ふっふーん」
小さな拳でトンッと自らの胸元を叩いて、誇らしげに笑う彼女が可愛くて堪らない。ボクも自然にフフッと声を出して笑ってしまった。
「今日のコーディネート、お揃いみたいですね」
彼女もボクと同じことを考えていたようだ。照れと嬉しさが混ざり合って、クスクスッとまた笑い合う。
「それでは我が愛する女王様、お手をどうぞ!」
少しニヤリと格好付けながら、彼女の小柄な手が差し出される。
いつもならボクがエスコートする方だけれども、今日は特別だ。彼女にはどうしてもボクを連れて行きたい場所があるらしい。
「迷子にならないよう、よろしく頼むよ? ボクのかわいい王様」
王様呼びにビックリしたのか、顔をぽっと赤くした彼女。そんな可愛らしい彼女の、差し出された手を素直に取って、ボクは柔らかく握り締めた。
さあ、ボクの恋人はいったいどこへエスコートをしてくれるのだろう?
ナイトレイブンカレッジの校門前から、バスに乗って麓の街までガタンゴトン揺られること暫く。バスを降りた後は、彼女と変わらず手を繋ぎながら、春の香る街を進んだ。
まだ少しだけ肌寒いけれど、街のあちこちには春の気配が訪れている。道沿いに飾られた満開の花壇や、春の妖精たちが楽しげに内緒話をしている風景が、季節の変わり目を知らせていた。
「あ、あった! ここですよ、ここ!」
嬉しそうに目を輝かせる彼女に導かれるまま、石畳みの道を歩いた先、そこにあったのは――。
「あれはドーナツ、だね……?」
ぱっと見はお洒落な喫茶店、しかしその扉の上にデカデカとチョコレートがけしたドーナツを模した看板が飾られた、甘い焼き菓子の匂いを漂わせる派手なドーナツショップだった。窓ガラス越しに見える店内は賑やかで、更に外でもズラリと並ぶお客の数を見るに、かなりの人気店だと伺える。
「わわぁ、すごいひと! 私たちもはやく並びましょう!」
「ああ、そうだね」
ボクらもいそいそと列の最後尾へ並んだ。
なるほど、ドーナツか。そういえば、あまり食べたことが無かった。これもファーストフードまたはジャンクフードに含まれる、栄養価は少ないが糖や油たっぷりの洋菓子だ。
確か、同級生のハイエナ君はドーナツが大好物だったなあ、なんてことをボンヤリ思い出した。
「ここのドーナツ屋さん、種類豊富で美味しくって大人気なんですよ」
「へえ……!」
「実はー、うふふ、この日の為に"食べ放題チケット"を用意しちゃいました!」
「たっ、食べ放題?」
「そうです、食べ放題です!」
彼女がまたもや自慢げに「じゃじゃーん!」と効果音付きで取り出したのは、二人分の派手なピンク色したチケット。
ボクは思わず目を回した。頭の中でぐるぐると、カロリーが、糖質が、栄養素が、等と嫌な事ばかり考えてしまう。……けれど、ニッコニコで笑う彼女を見ていたら、そんな考えは全て吹き飛んだ。
だって、彼女はボクを喜ばせたいが為に、この場所を選んでくれたのだから。
「グリムには内緒ですよ、バレたら後でどれだけ羨ましがられる事か」
「……ふふっ、そうだね。二人だけの秘密にしておこう」
いまはここに居ない、彼女の親分がプンプン怒る姿を想像したら、思わず笑ってしまう。
「あっ、そろそろ順番ですね」
意外と待ち時間はなく、スムーズに店内へ入れた。
彼女が先程のチケットを店員さんに見せると、店員さんは営業スマイルで「どうぞお楽しみください」そう言って、トングとお盆を手渡してきた。これは、セルフサービス、というヤツだろうか。どうしたら良いかわからず戸惑うボクに代わって、彼女はドーナツがたくさん並べられたショーケースへぱたぱたと向かう。ボクも慌ててその後を追った。
「ほらほら、すごい量でしょう、リドルさん!」
「ほ、ほんとうだね、色んなドーナツがある……」
「自分の好きなものを、好きなだけ、このショーケースから取って良いんですよ。――あっ、私まずはチョコレートにしよーっと♪」
彼女はルンルンと音が鳴りそうなほどご機嫌に、ショーケースの扉を開けて、その中からチョコレートとナッツがかかったドーナツをひとつ取ってお盆に乗せた。とても手慣れたトング使いだ。
それにしても、こんなにたくさんドーナツも種類があったなんて知らなかった。チョコレートのフレーバーも様々で、ストロベリー、ピスタチオ、バナナにホワイトチョコなど。お花の形をしたモチモチのドーナツもあって。半分切って中に生クリームや果実を挟んだ、まるでケーキみたいなドーナツもある。おや、ドーナツだけではなく、パイもあるのか! すごいお店だ……。
どれにしようか、これではいつまでも悩んでしまいそうだ。えぇい、思い切ってしまえ。今日は彼女と"わるいこと"をしに来たのだから。
「じゃあ、ボクはこっちの……カスタードクリームがたっぷり詰まった、シュードーナツっていうのを食べてみようかな。それから、シンプルにストロベリーチョコのドーナツも……」
「うんうん、先輩その調子ですよ! 私はー、期間限定のお花ドーナツ食べてみようかな、薔薇の花びらが乗ってて綺麗〜♪」
「わ、それも美味しそうだね。ボクも、ひとつ頂こうかな」
「ふふ、いくらでも選べますからね! なんせ食べ放題ですから」
ドーナツショップも食べ放題も未経験のボクは、ドキドキしながら、そのあと四つもドーナツを選んでしまった。彼女はその倍、八つも山盛りにしていたけど。気になった物は後で取りに来ても良い、との事だったから、ひとまず席に着く事にする。彼女と窓際の二人席を選んで腰を下ろした。
ふう、選ぶだけでも楽しいけど、なんだか疲れてしまった。あのチケットは飲み物もドリンクバーとやらで飲み放題らしく、彼女がおススメのメロンソーダを二つ持って来てくれた。一息吐こうと、彼女のおススメを口にした――途端!
「わっ!?」
「ど、どうしました!?」
「いま、舌がピリッとして、これが、炭酸?」
「そうですよ、もしかして初体験でした?」
「うん、びっくりした……でも、」
正直、甘味料の体に悪い味しかしない、ぴりぴりぱちぱちと舌を痺れされる"毒"の一種だろうけれど。まさにジャンクの味わいだけれど。ああ、この独特の濃い甘さが、不思議だ。
「……美味しい」
ボクの一言に、ホッと胸を撫で下ろした様子の彼女。「良かった!」パッと桃薔薇が咲くように笑った。
「ささ、ドーナツも食べましょう」
「うん、いただきます」
「いっただきまーす!」
丁寧に手を合わせてから、彼女が手に取ったのはチョコレートとナッツがけのドーナツ。片手で持って、がぶりとそのままかぶり付いた。「んん〜っ♡」なんて幸せそうな声が鳴る。
「美味しいっ、このナッツのコリコリ感とふわふわドーナツの食感が相まって口の中が幸せ〜、チョコレートはやっぱり最強です!」
最高ではなく最強なんだ、彼女らしくも愉快な言い回しに少し笑ってしまう。
お行儀が悪い、とは思うけど、今日は特別、特別だから。そう自分に言い聞かせながら、紙製ナプキンで包んだストロベリーチョコのドーナツを手に取る。彼女を真似して、がぶりっとそのまま食らいついた。
「んむっ」
――美味しい! パリパリと口の中いっぱいに広がるストロベリー、ふんわりほどけるドーナツの食感、ジャンクだとわかっているからこそ、この背徳感が更に美味しさを加速させている気がする。
「あはは、リドルさん可愛いっ、おめめキラキラですよ」
「むぐっ、このボクに、か、可愛いは失礼だよ」
「えー? でも本当に可愛いんですもん! ふふっ」
……ボクはいったい、どんなだらしない顔をしていたのだろうか。でも、まあ、彼女の前だから良いか。やっぱり不思議だ。彼女と一緒なら、どんなことも楽しいと思える。なんだって、幸福な味に変わってしまう。
「確かに、これならいくらでも食べられそうなぐらい、美味しいドーナツだね」
「でしょでしょ! あっ私のチョコナッツドーナツも食べますか? はい、あーん♡」
「ちょっ、ちょっと、それはさすがに、恥ずかしいのだけれど」
「いつもはせんぱいの方が恥ずかしいこといっぱいしてくるじゃないですかー! たまには良いでしょ? ね、ねっ?」
そうか、たまには。――たまには、こうやってファーストフードを味わうのも、彼女に何もかも甘えてしまうのも、悪くはないんだ。
「……あー、むっ」
「どうですか?」
「うん、美味しい。チョコレートは最強、だね?」
「はい、最強なんです!」
満面の笑みを浮かべる"悪い子"はとても満足そうだ。ボクもきっと、同じ顔をしているのだろう。
さて、次はどんな"悪さ"を教えてくれるのかな。ふふっ、これからも楽しみだ。
2024.03.11公開