薔薇の王子様と監督生の話
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暗唱ラブレター!
皆さん、こんにちは。
突然ですが、私は絶体絶命のピンチです。
「……監督生」
可愛いお顔からは想像も出来ない低音に、私はビクッと肩を震わせて「は、はひっ」なんて情けなく裏返った声しか出せなかった。
オンボロ寮のひび割れた壁を背にして追い込まれた私、その眼前で、赤い薔薇を思わせる美少年──リドル・ローズハート先輩は、むっすりと不機嫌そうに口を尖らせている。女王様は珍しく怒鳴りさえしないが、静かに、とても冷静に、怒っていらっしゃるのだ。
「このボクが、何故こうして怒っているのか。賢いキミなら当然、おわかりだね?」
心当たりはある。けれど、私は苦しくなる胸元を両手で押さえ込んで、返事をせずに俯くばかりであった。
──事の発端は、昨日の"なんでもある"日のパーティーに遡る。
それは、私にとっていちばん大切な日だと言っても全く過言ではない、大好きなリドル先輩のお誕生日だった。
夏の青空が眩しい日に生を受けた彼へ、産まれ出会えた感謝を伝えて、これからまた健やかで過ごせますようにと、皆で祝福をする大切な日。
私はクラスメイトのエースやデュースから彼のお誕生日を教えてもらい、ひと月前からこの日を楽しみにしていた。プレゼントは何を贈ろうか悩んで、やっぱり彼の好きなケーキが良いだろうと、美食研究会の活動ついでにたくさんの試作を繰り返して。お誕生日の前日にようやく完成した、私に出来る精一杯のイチゴタルト。当日は白い箱に赤いリボンのラッピングも完璧に施して、先輩にホール丸々ひとつをプレゼントするつもりだった。
けれど、この特別な日に彼を心から祝福したいと思うひとたちは、もちろん、私以外にもたくさん居るので──。
「えっ! こ、これ、全部リドル先輩の為に、作ったんですか!? す、すごい……!」
お誕生日パーティーに招待されてやって来たハーツラビュル寮。主役が登場する前に寮のキッチンへお邪魔した私は、思わずそんな言葉を叫んでしまった。
何せ、そこにはいつぞやのマロンタルトと同じくらい大きくて、山のように豪華で彩り鮮やかなタルトが、3種類も聳えていたのだから。ふわふわの雲を思わせるシンプルだけど華やかなクリームチーズのタルトや、ナッツがたっぷり飾られたチョコレートのタルトに、当然、宝石みたいなイチゴの入ったフルーツタルトも用意されている。
「ふなあ〜っ、どれもウマそうなんだゾ!!」
我が親分、グリムが大きな丸い瞳をキラキラ輝かせてはしゃいだ。
主役の幼馴染みでもあるトレイ先輩は少し照れ臭そうにはにかんで、ケイト先輩はスマートフォンを構えて楽しげにパシャパシャとタルトたちを撮影している。
「いやあ、張り切って作り過ぎたな、はは……」
「良いじゃん、たくさんある方が選ぶ楽しみも増えるし! リドルくん、喜んでくれると良いなあ〜♪」
純粋に、心から、凄いと心打たれてしまった。大好きな彼の為に、こんな愛情いっぱいのプレゼントを作ってくれた先輩たちを素敵だと思ったし、まるで自分のことのように嬉しくて。目蓋の奥がじんわり熱くなる。
でも、同時に──ここまでずっと後ろ手に隠し持っていた、小さな白い箱の中身が、ひどく陳腐でみっともないモノに思えてしまう。
「さすが、先輩たちですね! きっと、ううん、間違いなく喜んでもらえますよっ」
本心の言葉であった。
ぐしゃ、と箱の潰れる音がした。
パーティーは滞りなく始まる。
談話室に入った途端、大量のクラッカーが鳴り響く音と「お誕生日おめでとう!」の声、目の前には豪華なお菓子やケーキの山、たくさんのプレゼントに華やかな飾り付け。そんな寮生たちからのサプライズを受けたリドル先輩は「このボクを驚かすなんて、良い度胸がおありだね」なんて相変わらずの女王様発言をしながらも、眩しいくらいにキラキラと笑っていた。
しばらくトレイ先輩やケイト先輩と談笑していたけれど、ふと私の存在に気が付いてくれたようで、彼の瞳だけがこちらを向く。視線が絡み合ってビックリ目を丸くしていたら、先程とは一転、リドルさんは眉を下げて柔らかく微笑んだ。その優しい表情に、どきんっと心臓が高く跳ね上がる。そのまま、彼はツカツカとこちらへ歩み寄って来た。
「あっ──お誕生日、おめでとうございます」
私は慌てて、祝いの言葉を贈る。すると今度は、ニコッと目を細めて「ありがとう」と明るく笑った。この日の為に真っ白なスーツ姿で粧し込んだ彼の姿は、いつにも増して王子様のようで、うぅ、ど、ドキドキする。
「キミも来ていたんだね、嬉しいよ」
「オレ様も来てやったんだゾ、喜べ!」
リドルさんの足元で、親分がビタンビタン尻尾を床に叩き付けながら吠えた。
「ははっ、ありがとう、グリム。……おや、口元に何か、赤いソース? が付いているけれど、」
私と相棒の体が同時にビクーッと震える。私は何も持っていない両手を伸ばし、すぐさまグリムの体を抱き上げて、少し乱暴にその口元を制服の袖で拭った。
額に冷たい汗をかきながら、リドルさんの方を向く。笑顔の消えた彼は、じっとりした疑いの目をグリムに注いでいた。
「まさか、女王様のタルトを盗み食いしたのではないだろうね……?」
私たちは揃ってブンブン首を横に振る。
「ち、ち、ちがうんだゾ!!」
「えっと、その、今朝はいっしょにジャムトーストを食べたので、たぶん苺ジャムが口元に残っちゃってたんですね! あはは、もう、グリムったら〜」
……うまく、誤魔化せただろうか。
「ふうん? まあ、監督生が違うと言うなら、信じてあげよう。疑ってすまなかったね」
彼は問題児のグリムではなく、私を信頼して納得してくれたらしい。そのお言葉にチクリと胸の奥が痛んだ。
「そんなことよりも、先輩! 本日はNRC校内新聞用の、インタビューにご協力お願い出来ますか?」
「ああ、そういえば……。キミはまた、学園長から大層な役目を任されているんだったね。もちろん、構わないよ」
「やった、ありがとうございます!」
「ところで──」
突然、彼は私を頭から爪先までじっくり観察したり、そわそわと背後や近くの机の上などに視線を泳がせ始めるから。何事だろうと首を傾げて、すぐに「あっ」と理由を察して。私の胸の奥は、また焼けるように痛みを増した。
「ごめんなさい、せんぱい……。実はお誕生日プレゼントを忘れてて、用意がまだ出来てなくて、その、良かったらインタビューついでに欲しいものとか、教えてもらえたら、嬉しいです」
一瞬、あからさまに驚いた様子で目を見開いた彼は「そんなもの気にしなくて良いのに」と、また眉を下げて優しく微笑んだ。でも、寂しそうな目をしていた、気がする。
……少しでも、私からのプレゼントを楽しみにしてくれていたのだろうか。そんな自惚れた考えが、頭を過ぎった。
「ボクの欲しいもの、か……。フフ、それなら、詩の暗唱をリクエストしても?」
「詩、ですか?」
「ああ、なんでも構わないよ。不思議の国にまつわる詩でも、キミの生まれた世界で覚えた詩でも、勿論、愛を紡ぐような詩でも……ね?」
「え、えっ、あい、って!? そんな、いきなり言われても、お、思い出せないです!」
「じゃあ、また今度だね。楽しみにしているよ」
「うっ……が、がんばり、ます……」
こうして私は、彼に嘘を吐いてしまった挙句、とんでもない約束をしたのだった。
そして翌日、お誕生日の終わってしまった現在に話を戻そう。
黙り込んで俯いたままの私を見て、呆れてしまったのか、リドル先輩は深々と溜息を吐いた。
「可笑しいと思ったんだ」
エースやデュースはもちろん、トレイやケイトのお誕生日にも欠かさずプレゼントを贈っていたキミが、ボクの時だけ忘れるなんて──と。
「キミの親友たちから、話は聞いたよ。本当はちゃんとプレゼントを用意してくれていたそうじゃないか」
どうやら『お誕生日プレゼントを用意出来なかった』という私の嘘は、あれからグリムの口元に付いていた苺のカケラがどうしても気になったリドルさんにより、エースやデュースへの聞き込み調査やグリム本人の自白であっさりとバレてしまったらしい。
「ボクのためだけに作った、イチゴタルト。ひと月前から一生懸命に試作を繰り返して、よく味見役をさせられたなんて、彼らは嬉しそうに話をしてくれたよ。……あまりにも羨ましくて、トランプ兵どもの首を刎ねてやろうかと思ったくらいだ」
今更ながら、親友たちもしっかり口止めしておくべきだったなあ、とか。グリムを共犯者にしたのは失敗だったなあ、等と現実から逃避した思考を巡らせた。
「そこまで頑張ってくれたのに、当日やっと完成したキミの自信作は、何を思ったかグリムの底無し胃袋へ放り込んでしまうなんて……」
ああ、ホントに全部バレてる……。
今すぐ逃げ出してしまいたい。リドル先輩がオンボロ寮へやって来た途端、危険を察知してサッサと何処かへ逃げて行ったグリムの後ろ姿を思い出しながら、うぅっと泣きそうな声で唸る。
「……なんで、」
ハッと顔を上げる。呟かれた彼の声が、私よりも泣いてしまいそうに震えていたからだ。
「どうして、ボクに贈ってくれなかったの?」
弱々しい音。改めて重なった視線の先、雨雲に隠れた月を思わせる潤んだ瞳が、私を信じてくれていた光が濁っている。その瞬間、私は自分の愚かな行動を心の底から後悔した。
「あっ、ご、ごめんなさい……せんぱい、泣かないで……」
「なッ!? 泣いてなんかッ、ばっ、馬鹿をお言いでないよ!」
無自覚だったのか、真っ赤に染まる顔を慌てて隠そうとするリドルさんの手を遮って、私は咄嗟に赤い頬へ両手を伸ばして触れる。
「ほんとうに、ごめんなさい。私、すごく自分本位な感情で、リドルさんに喜んでもらえないと勝手に思って、嘘を吐いて──ひどい、ですよね。ごめんなさい」
彼は濁った瞳にほんの少し光を取り戻すと、私の目を真っ直ぐ見つめたまま、頬に触れる私の両手に自身の手を重ねた。
「ちゃんと、理由を教えてくれるかい?」
私はゆっくりと、自らの愚かしい罪を告白した。
「トレイ先輩と、ケイト先輩が、あなたの為にとっても豪華なタルトを3種類も用意していて、」
「……うん、どれも美味しかった」
「はい、今まで頂いた中でも格別、美味しかったです。ただ、私も似たような、いいえ、比べ物にならないほど小さくて不出来なタルトを用意していたから、」
「エースやデュース、グリムたちの感想を聞いた限りだと、ボクはそう思わないけれど」
「私が、自分勝手に駄目だと思ってしまったの。大好きなリドルさんに贈るプレゼントとして、こんなモノでは相応しくないと思って……だから……」
贈ることを、諦めてしまった。
みっともないのは頑張って手作りしたイチゴタルトじゃない、私自身の醜い嫉妬心だろうと、今なら反省出来る。けど、もう遅い。
「──それはつまり、プレゼントのクオリティで彼らに勝てないからと、ヤキモチを妬いて拗ねてしまったという事?」
ゔっと図星を突かれた為に汚い声が漏れる。
「ハッキリ言えば、そう、ですね……ごめんなさい、悪い子ですよね……最低な、後輩だ」
我ながら、なんて面倒臭い女だろうと思う。幼馴染み、同性の学友、先輩である彼らをほんの一瞬、少しでも羨んでしまった結果、せっかくのプレゼントを自ら無かった事にして、彼を悲しませてしまったとは。さすがの女王様にも愛想を尽かされてしまった、かもしれない。
しかし、それは私の杞憂だった。
「ふっ、あはははっ」
彼は数日前と同じような、キラキラの明るい顔で楽しげに笑い出したのである。
キョトン、と呆気に取られてしまった私。彼の頬に触れていた私の両手は、強制的にだらんと下ろされて。代わりに、今度は彼の利き手が私の頬をスリスリと撫でる。まるでハリネズミたちを可愛がる時のように、優しい手付きだった。
「キミも、そんな可愛いヤキモチを妬いたりするんだね」
「えっ、えぇ〜っ??」
嘘でしょう。こっちは嫌われてしまうとまで不安がっていたのに、予想外過ぎる反応で心が全く着いていけない。混乱する。
「いつも、ボクばかりがキミの周囲に嫉妬を向けてばかりだと思っていたから、ふふっ、これは意外で嬉しいプレゼントかもしれない」
そもそも、先輩がそんなヤキモチ妬いていたらしい事すら私には驚きなんですが!? と内心思いながらも、やたら嬉しそうな彼を前にしたら、あまり深く突っ込めなかった。
「……リドルさんは、おかしなひとですね」
「キミがそんなことを言うのかい、面白い子だね。ボクの可愛いアリス」
私の頬を撫でていた彼の指先はスルリと顎まで滑って、くいっ、軽く上を向かされた。わあっ、ちか、近い。まだ幼さの残る整った彼の顔が、至近距離にある。もしやキスをされるのかと思い、反射的に目を強く閉じたが、予想と反して甘い感触はいつまでも降って来なかった。
「せ、せんぱい……?」
期待で激しく高鳴る心臓の音が聞こえてはいないかと、恐る恐る、片目だけを薄く開いて彼の様子を伺う。
「ふふ、ほんとうに可愛いね、キミは」
彼はギリギリ唇の触れ合わない距離で、妖しく微笑むだけ。ちょん、と軽く鼻先だけを触れ合わせたら、パッと離れて行ってしまった。
「ボクにキスをされてしまうと、期待をしてくれたのだろう?」
チェシャ猫も恐ろしくて震え上がりそうなほど、彼はニンマリと笑う。指摘された途端、全身が燃え上がるように熱り出した。
なるほど、これは私に対する"仕返し"なのだと理解する。もう、なんて意地の悪い顔だろう。
「……あの、もしかして、思ってたよりもだいぶ、怒ってますか?」
「ふん、このボクがそう簡単に嘘吐きな罪人を許すとお思いかい」
リドルさんはまたツンと口を尖らせて、眉間に皺を寄せ、腕を組む。
嗚呼、なんてこと、一瞬許されたのかと思ったら、女王様は相変わらずお怒り真っ最中でした。
でも、彼がぷっくり頬を膨らませたその拗ねた表情さえ、愛おしいなんて思ってしまうのは惚れた欲目でしょうか。
「ごめんなさい、もう二度とこんな勝手な真似はしません。ハートの女王様に誓って」
「当然だよ。しかし、謝罪の言葉だけでは足りないね。せっかく好きなものを食べられる筈のお誕生日を台無しにされたのだから、キミにはそれ相応の罰を受けてもらわなければ」
「罰ですか……」
いったい、どんな恐ろしい仕置きを受けるのか。ごくり、緊張で喉が鳴る。
「──女王様のためにイチゴタルトを作り直す刑だよ」
思わず、へ、と間の抜けた声が落ちた。
「お返事は?」
「えっ! あ、はいっ、誠心誠意、愛情込めて作ります!?」
「ふふん、よろしい。期限は今週の日曜だ。もういちど、ボクのためにお誕生日パーティーをやり直してくれるかな」
照れ臭そうにはにかむ年相応の彼を見て、きゅう、と胸の奥が痛みではない甘さで締め付けられた。
「はい! 約束、します」
あなたが喜んでくれるなら、私は胸を張って自信を持って、この愛情を形にしよう。
時折、醜く歪んでしまう事さえあるけれど、あなたも私と同じ気持ちを抱えていたのなら、今はなんだか愛おしくて堪らないものに思えるから──。
その時、ふと彼が求めたもうひとつの"プレゼント"を思い出した。
「……はかなくて おなじ心に なりにしを 思ふがごとは 思ふらんやぞ」
「ユウ、君?」
「わびしさを おなじ心と 聞くからに わが身をすてて 君ぞかなしき」
「それは……もしかして、キミの生まれた世界で覚えた詩、かい?」
「はい。授業で少し習った程度だから詳しくはないんですが、和歌というもので。いま歌った二つの短い詩は、昔々の恋人さんたちが送り合ったラブレターらしいです。リドルさんのイメージされる詩とは、また違うかもしれませんけれど、意味は……な、ナイショ、です!」
「おや」
「うぅーっ、暗唱するだけでも、恥ずかしかったんですからねっ」
「ふふ、構わないよ、近い内に必ず読み解いてあげよう。言葉のパズルは得意だから、ね」
2021.08.24公開