薔薇の王子様と監督生の話
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祝福デコレーション!
誕生日を祝うケーキというものに、ボクはあまり良い思い出がない。
生クリームで真っ白に塗られたスポンジの上へ、艶々の真っ赤なイチゴをいっぱい並べて、チョコレートで出来たプレートに『お誕生日おめでとう』なんて書かれているような、まるで絵に描いたようなホールのケーキが──幼いボクの、憧れだった。
たまに通りかかるケーキ屋さんの、ショーウィンドウ越しに見た、宝石みたいなイチゴのタルト。両親に連れられて訪れたパーティー、その会場のテーブルに所狭しと並ぶ、様々な種類のショートケーキ。モンブランや、アップルパイに、ミルフィーユ。色鮮やかでキラキラしていて、とても美味しそうだった。それを頬張って嬉しそうに笑う、よそのお家の子が──とても、羨ましかった。
(*歳のお誕生日おめでとう、リドル。今年のお誕生日のケーキは、あなたの大好きな、頭が良くなるレシチンたっぷりの大豆粉とナッツの低糖質ケーキよ)
(……ありがとう、お母様)
ボクの誕生日を祝うケーキには、たっぷり盛られた生クリームも、真っ赤なイチゴも、おめでとうのチョコレートも、乗っていない。幼い頃からずっと変わらない、質素で栄養面のみを重視した、甘さなんて微塵も感じられない、ケーキの形をしただけの、別物。
愛情のこもった料理は格別に美味しい、なんて言うけれど。お母様はイチゴタルトを砂糖の塊、毒のようなものだと仰っていたけれど。
じゃあ、この、ほとんど味すら感じられないようなケーキには、いったいお母様の"何"が込められていたんだろう。
ねえ、ママ。ボク、お誕生日の時ぐらい、宝石みたいに真っ赤なイチゴタルトが食べたかった。
あの、お誕生日を象徴するような真っ白なデコレーションケーキに、ロウソクで火を灯してみたかった。
もうワガママなんて、言わないから。たったいちどだけでも、良かったんだ。
あなたの甘い"愛"がこもった、お誕生日のケーキを、食べてみたかった──。
──久しぶりに、嫌な夢を見た。
ようやく成人を越して独り立ち、実家を離れて自由の身になることが叶った、というのに。最近はあのひとを思い出すことだって、めっきり無くなっていたはずなのに。どう足掻いても、完璧にその呪縛から逃れることは不可能なんだ、と。そう思い知らされて、あの息が詰まるような感覚すら蘇ってしまう。
引っ越してもうすぐ1年になる、そろそろ見慣れてきたマンションの白い天井をボンヤリ見つめて、ボクは深く溜息を吐き出した。カーテンの隙間から差し込む光が、目の痛いほどに眩しい。ごろん、と窓の向こうの光から背を向けるように寝返りを打って、そこでやっと違和感を覚える。
「……ユウ?」
毎日ボクの隣ですやすやと安らかな寝顔を見せてくれる、愛しいアリスの姿がない。
ああ、先に起きたのか、いま何時だ? ベッド横の棚に放っているスマートフォンへ手を伸ばし、時間を確認したら10時を過ぎていた。一瞬焦って心臓が跳ね上がるけれど、そういえば今は大学も夏休みだから、気にする必要なんて無かった。とは言え、普段よりだいぶ寝過ぎてしまっている。いちおう休暇中も規則正しい生活を心掛けて目覚ましだって設定していたけど、それも気付かずグッスリだったらしい。ナイトレイブンカレッジの生徒だった頃、あの"厳格な女王様"として振舞うボクを知る人物たちが今のボクを見たら、酷く驚かれてしまいそうだ。
我ながら気が緩んでいるというか、浮かれているというか。それも多少、許されたいところはある。何せ、今日はボクの誕生日だから。──幼い頃の夢を見てしまったのも、恐らく、そのせいだろう。でも、今年は違う。実家で息苦しい誕生日を過ごす必要はない、同棲している恋人がめいっぱい祝おうと約束をしてくれた。少しぐらい、わくわくとした期待で胸を膨らませたって良いはずだ。
もぞもぞとベッドを転がるように抜け出して、寝巻きのままで廊下へ出る。洗面所で手早く洗顔や歯磨きを済ませてから、そぉーっと、音を立てぬよう静かにリビングへ顔を覗かせた。まるでクリスマスの朝を迎えた子供のように、どきどき、胸が高鳴って仕方ない。
そこには、赤いエプロン姿が可愛らしい、恋人の後ろ姿があった。いつもふたりで食事をするテーブルの前に立って、何やら手際良く作業中の様子。ボクは気配を悟られないよう、そのままゆっくり、ゆっくりと、その愛らしい後ろ姿へ歩み寄って──……
「……うん、上手く出来、ひゃあッ!?」
ぎゅうッ、と背後から声も掛けずに抱き付いた。くびれたお腹にぐるり両腕を回して、彼女の耳たぶへ口付け出来るほど密着する。いきなりのことに驚き慌てた悲鳴をあげる彼女が可愛くて可愛くて、にんまり口元が緩んだ。
真っ赤な顔で黒曜石の潤んだ瞳をこちらに向けてくる、愛しいアリスへ「おはよう」と少し遅めの朝の挨拶をして微笑む。
「り、リドルさんったら! もお、びっくりしたあ」
最初は怒るような口調だったのに、すぐ慈しみを含んだ柔らかな眼差しになって、くすくす微笑み返してくれた。「おはようございます」と挨拶を返しながら、銀の指輪が薬指でキラリ主張する左手を伸ばして、ボクの頭をふわふわ撫でる。「寝癖ついてますよ」なんて優しい注意に、照れ臭さでじんわり頬が熱くなった。
ふと、彼女の右手に、生クリームまみれのヘラが握られていることに気が付く。ひとくち舐めたら蕩けそうに甘そうな白さを目にして、もしや、と期待が最高潮に高まる。目の前のテーブルにもパッと視線を向けたボクは、思わず「わあっ」なんて驚きと歓喜の入り混じる高い声を上げてしまった。少し恥ずかしい。
「ふふ、どうですか、今まででいちばん良い出来栄えですよ」
嗚呼、すごいね、彼女が自慢げに胸を張る気持ちも納得だ。
ふわふわの生クリームがたっぷり塗られた、真っ白なケーキ。その上に所狭しと並べられたイチゴたちは、甘い白粉を被って粧し込んでいる。いちばん目立っているハート型のクッキーには『ハッピーバースデー』の拙い手書き文字とボクの名前が、ホワイトチョコレートで書き込まれていた。
まるで絵に描いたお手本のような、イチゴのデコレーションケーキ。幼い頃のボクが夢に見た"お誕生日のケーキ"が、そこにあった。
「どんなケーキにしようか迷って結局、お誕生日といえば! って感じの、定番ケーキに落ち着いちゃいました」
イチゴタルトとギリギリまで悩みましたけどね、なんて苦笑する彼女。ボクはその小さな身体からスルリと離れて、テーブルの縁に手を付き、憧れだったそれを真上から覗き込んだ。ボクの大好きな、焼き立てのケーキの香りで包まれる。
「ボクのアリスはすごいな、クローバーのケーキ屋さんにだって負けていないよ。とっても甘くて、美味しそうだね」
クッキーに書き込まれたボクの名前は、よくよく見れば少々不格好に歪んでいたけれど、それも彼女の手作りらしくて愛おしかった。
「喜んでもらえてよかった、早起きして頑張った甲斐がありましたね」
「ああ、嬉しいよ。本当に、心の底から、嬉しい」
じわじわと目の奥が熱くなる感覚がする。感激のあまり泣いてしまいそうだ、なんて思った瞬間、ぽたり、生クリームの上に生温い滴が落っこちた。それが溶け消える様を見て、ボクはすぐさまテーブルから飛び退いた。
どうしたの、大丈夫? そんな優しい声には振り向かず、焦って自らの手の甲で乱暴に目元を擦る。手を退かすと、彼女の真っ直ぐな瞳がボクを心配そうに覗き込んでいた。
「……リドルさん、」
ただ、ボクの名前を呼んで、少し濡れた頬にそっと左手を伸ばして、撫でてくれる彼女。思わず涙を溢してしまった理由も、ボクの過去を深く詮索するような事もしないで、何にも知らない無邪気な
「あなたの生まれてきてくれた今日は、私にとって、どんな日よりもいちばん幸福な日ですよ」
ありがとう、私と出会ってくれて。
彼女はそう告げると、生クリーム付きのヘラから離れた右手も伸ばして、ボクの両頬をその小さな両手で包み込んだ。
どこか緊張した表情でほんのり桃色に染まった顔が、ぬっと近付く。彼女の唇がボクの鼻先に軽く触れて、ちう、と可愛らしい音を鳴らした。
「え、へへ……お誕生日、おめでとうございます」
彼女の顔も手も逃げるようにすぐパッと離れて行ってしまったけれど、カスタードみたいな蕩けた笑みではにかむ姿が、たまらなく可愛かった。
未だ恋人らしい触れ合いを恥じらうところがある、照れ屋さんな彼女にとって、今の行為は精一杯のプレゼントなんだろう。どうしてこうも愛らしいんだろうか、ボクの恋人は。
「ありがとう、ユウ。でも、せっかくなら──」
いつの間にか涙のことなど忘れたボクは、つんつん、と自分の唇を突いてニッコリ笑って見せる。
「キミからの可愛い贈り物は、しっかりと、この唇に届けて欲しいものだね」
ああ、もう、彼女のお顔が真っ赤っかだ。耳までイチゴ色に染め上げてしまうから、いっそ食べてしまいたくなるほど可愛らしい。
もはやボクの方から彼女の唇にかぶりついてしまおうかと早る気持ちを必死に堪えて、赤い顔で小さく唸りながら己の羞恥心と戦う彼女を、じぃっと強請るように見つめて待った。
ボクと視線を交わすことすら恥ずかしがって、瞳をあっちへこっちへぐるぐる回してしまう彼女。
「……あの、目、瞑ってください」
意を決したようにボクの瞳をジッと見上げたかと思えば、仕方ないね。可愛い恋人のお願いだ、素直に聞いてあげよう。
目蓋を下ろして、ひと呼吸空けてから。ようやく、ふに、と唇に柔らかな感触が届いた。いちどだけで終わってしまうかと思いきや、もういちど、何度も、精一杯の愛を伝えるように繰り返し、優しく触れてくれる。その小鳥が花を啄むような行為には、もう我慢出来なかった。
ボクは少し、悪い子だから。彼女の唇が一瞬離れた隙に薄ら目蓋を上げて、あっと彼女が戸惑う間もなく、その細い顎の先を片手で掬い上げる。かぷり、噛み付くように口を付けた。驚いて固く閉じられた唇へ、無理やり舌を捻じ込んでこじ開ける。ビクッと体の震える振動が伝わり、絡み合う舌の隙間から「んんッ」と彼女の甘やかな声が溢れて、ぞくぞくと空腹感に似た欲求が背筋を走った。
誕生日のケーキを作りながら、その生クリームやイチゴなどを味見していたんだろうか。今日の彼女は甘酸っぱくて、とろけそうなミルクの味がした。嗚呼、なんて美味しいケーキだろう。
しかし、ボクがあまりに長く味わっているせいで、さすがに苦しくなってきたのだろう。彼女の華奢な拳でポコポコと懸命に胸板を叩かれたので、ボクは渋々名残惜しくも唇を離した。至近距離で、はーっはーっ、と苦しげに口呼吸を繰り返す彼女は艶やかで、赤い薔薇のように火照った姿が、ますます美味しそう。だけど、カラメルのように蕩けて潤んだ瞳が、少し怒った様子でボクを睨むから「ごめんね」と苦笑する。
「甘くて美味しかったから、つい……」
「も、もうっ、ほんとに、食べられちゃうかと思いましたよッ!?」
「うん。そのまま食らってしまおうかと思ったけど、ボクはいちばん美味しそうなイチゴを取っておいて、最後に食べる主義なんだ」
「え? ……あっ、」
「ふふ、今日はせっかくのお誕生日だから。いつもより多少ワガママになっても、許してくれるね?」
今夜も楽しみだ、なんて意味深にニンマリ笑って見せたら、恥ずかしがり屋の彼女に照れ隠しで頬を軽く抓られてしまった。でも、そんな戯れも楽しいなんて思う。
初めて、恋人とふたりきりで過ごすお誕生日。ボクはやっと、欲しかった"愛"をたくさん貰うことが出来て、食べたかったケーキをいっぱい頬張って、ああ──幸せだ。
2020.08.24公開