薔薇の王子様と監督生の話
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愛玩モナムール!
「──私、そろそろ心臓がパァンって破裂して死ぬんじゃないかと思うんですよ」
一通り私の話を聞いてくれた後、ハーツラビュル寮の優しくて頼れるお兄さんであるトレイ・クローバー先輩は、飲んでいた紅茶を噴き出しかけながら笑い出した。それはもう今まで見た事ないぐらいの爆笑っぷりで、下手をしたら私の命に関わる悩みをお話した筈なんですけど、ちょっと酷くないですかね。
「くっ、はははッ、ご、ごめんな、思っていたより全然、可愛い相談だったから、つい、ふふふっ」
「トレイ先輩、真剣に聞いてくださいよ! リドル先輩の幼馴染みでしょう!?」
「わ、悪い悪い、真剣に聞くから、少し待ってくれ、あー、お腹痛い」
何がそこまで笑いのツボにハマったのかよくわからないが、ひーひー言いながら腹を抱えるトレイ先輩の意外な姿に驚きつつも、とりあえず事の発端を振り返ろう。
トレイ先輩に声を掛けたのは、今日のお昼休みだ。「少し困っていることがあって、ご迷惑とは思いますがお話聞いてくれませんか」と頼み込む酷く深刻そうな私を見兼ねたのだろう、その時のトレイ先輩は真面目なお兄さんの顔で了解してくれた。そして、放課後。申し訳なくもオンボロ寮までわざわざ来て頂いて、寮母さんが淹れてくれた熱々の紅茶を啜りながら、真剣に話をしていたら──先程の大爆笑である。やっぱり酷いです、この先輩。
「そんな怖い顔をするなよ、悪かったって。いや、しかし、そうか、あのリドルが、ね……」
ようやく笑いの波が引いたらしいトレイ先輩は、幼馴染みの彼を思いながらフッと優しく微笑んだ。
「まさか、監督生から相談なんて何事かと思ったら"リドルから毎日何度もキスの嵐を受けて困っている"なんて可愛らしい悩みを聞くとは、なあ」
今度は静かに紅茶を飲み直したトレイ先輩。なんか他人の口から改めて復唱されると、うう、恥ずかしい。
もう少し詳しく説明するなら、私のここ最近の悩みは、リドル先輩──リドルさんと、交際を始めてからの大き過ぎる変化に上手く心が付いて行けない、という話だった。いつかの放課後デートをきっかけに、普段の凛とした厳格な寮長の姿からは全く想像がつかないほど、リドルさんからの優しくて甘いスキンシップが激増しているのだ。
「お付き合いをする以前から、その、手が触れ合ったり、頬や頭を撫でたり、って先輩後輩同士の微笑ましいスキンシップはあったんですけど、」
「うん、元々周りがビックリするほど仲の良い先輩後輩だったもんな」
「毎朝、おはようの挨拶と共に、き、キスをされるくらいは、全然嬉しいんですよ、グリム以外には誰からも見られてませんし。触れる場所もほっぺたですし」
「可愛いじゃないか、それぐらい」
「でも、お昼休みに皆で食事をした後、エースやデュースも居たのに、彼らの目の前で、私の手に口付けたり。いや『次の授業も頑張ってね』って苦手な毒薬精製の授業を応援してくれたのは、嬉しかったですけど!」
「ああ、それは俺も見てた」
「それだけじゃなくて、下校時間に鏡舎の前で『また明日』って言いながら、おでこにキスを落として去って行ったり。あんな、たくさん人が集まる場所で、なんて……嫌では、なかったですけど……」
「はは、まるで新婚だな」
「しッ!? と、トレイ先輩、もはや私をからかって楽しんでませんか!?」
「おっと、バレたか」
トレイ先輩は時折見せる意地の悪い顔でニタリと笑った。今更ながら相談相手を間違えたかもしれない、と思う。
「しかし聞いてみた限り、監督生はあまり困っていないようにも思えるけどなあ、俺は」
「ほ、ほんとうに困ってるんです!」
「そうかあ? もう惚気にしか聞こえないぞ、砂糖もジャムも入れてない筈の紅茶が甘く感じるよ」
はー、やれやれ、なんて呆れた様子で溜め息をつきながら、トレイ先輩は空になった自分のカップに再び紅茶を注いでいた。からかう言葉や文句を交えつつも、なんだかんだと、悩める後輩の話を気の済むまで聞いてやろうという温かな気持ちが見えて、やっぱり彼も優しい先輩だと思う。
「私の住んでいた世界、というか国では、人前で恋仲らしい姿を見せびらかすことは恥ずかしいもの、と感じる人が多いんです。キスをしたり抱き合ったりするのは、人目につかない場所でふたりきりの時だけ秘めやかに行う、特別なものなんだ、って私も長年考えていたので」
「へえ、恋人同士ならキスやハグぐらい挨拶のような感覚じゃないのか、なるほど。つまり、キスをされること自体は嬉しいが、恥ずかしいから人前では出来る限り控えて欲しい──ってことか」
はい、その通りです。魔法世界流コミュニケーションに全く慣れていないんです、と私はぶんぶん勢いよく首を縦に振った。
「それなら俺じゃなくて、本人に直接話してやったら良いんじゃないか? リドルは利口で聞き分けが良いから、お前の頼みなら仕方ないと我慢してくれるだろう」
「そう、でしょうね、きっと……」
だけどそれは、彼にとって──あまりにも辛いことなのでは、と酷い自惚れだけど思ってしまった。ずっと、自分の気持ちを押し殺して生きてきたあのひとに、もう我慢なんて、させたくない。でも、やはり恥ずかしい、と怯んでしまう自分の心がせめぎ合う。
「まあ、俺なら我慢出来ないけど」
爽やかな笑顔で余計な一言を添えてきたトレイ先輩に、薔薇の王国出身のひとは愛情表現が濃い傾向にあるんだろうか、と謎の偏見を抱いてしまった。
「きっとリドルにとって、お前は唯一、素直な自分をさらけ出せる相手なんだ。少しばかりスキンシップが激しくても、大目に見てやってくれないか」
「……けど、いちおう私、性別を偽って男装とかしてますし、ここ男子校ですし、あまり人前でキスなんてしてたら、リドル先輩が、変な目で見られたり、とか」
「今時は異種族間の恋愛だって珍しくないんだ、同性同士の恋愛なんて咎めるやつの方が可笑しいだろう」
「……で、でも、私」
どんどん小さくなる声。とうとう恥ずかしさがピークに達して、熱々の顔を両手で覆い隠して俯いた。
「私ばっかり、ドキドキして、愛情をたくさんもらって……なんというか、ずるいんですよ、あのひとは」
このままでは心臓が大爆発して死んでしまう、なんて本気で思うくらい、私もリドル先輩が大好きなのだ。私だって、彼の前では恥も外聞も投げ捨てて、素直になりたい。
ふっ、とトレイ先輩がまた楽しそうに笑う声が聞こえた。
「もしかして、そっちの方が本音だったか? なら答えは簡単だ、お前も"仕返し"してやったら良い」
こんな簡単なこと、相談するまでもなかったんじゃないか? と頭をわしゃわしゃ撫でられたけど、そんなことない。たぶん私は、誰かに背中を押して欲しかったのだから。
翌朝、私はオンボロ寮の門の前でひとり、迎えに来てくれるリドル先輩を待っていた。
今日も視界に赤い薔薇を思わせるひとの姿を見つけて、自然と頬が緩む。私はすぐ、彼の元へ駆け寄った。
「リドルさんっ、おはようございます」
「おはよう、ユウ君」
微笑み返してくれた彼の表情はなんとなく、ぎこちなくて。いつもなら当たり前に左手を差し出してくれるのに、彼は何かを堪えるように腕を組んでいて。ゼロ距離まで近付いて頬に口付けを落とされることもなく、それどころか、私は彼に数歩分の距離を空けられている。
──あれ?
「グリムはどうしたの?」
「え? あ、ああ、今日は珍しく朝ご飯も食べず先に出て行きました。食堂の、早朝限定デラックスフルーツミックスサンドを食べたいから、エースと競争だ、って」
「ふうん……」
聞いた割に、あまり興味のなさそうな素っ気無い返事。古びた石畳の道を歩きながら、恐る恐る、彼の顔を覗き込んでみる。むす、と不機嫌そうに眉間にシワの寄った顔、斜めに鋭く吊り上がったグレーの瞳と目が合った。
「せんぱい、なんか怒ってらっしゃるというか、ご機嫌ナナメ、です?」
私の聞き方が不味かったんだと思う。彼に無言で、ぺちん、と軽く額を人差し指の爪で弾かれた。痛い!?
「察しの悪い子だね。キミのためを思って、このボクが必死で我慢しているというのに」
「がまん? なにを?」
「……昨日の夜、トレイに忠告されたんだ。『幸せそうで何よりだが浮かれるのもほどほどにな』って」
その言葉だけで全てを理解する。あの意地の悪い帽子屋が、私の悩みを洗いざらい女王様に話したのだろう、と。自分の喉からヒュッと短く怯えた音が鳴った。
嗚呼、やっぱり私は相談相手を間違えたようです。リドル先輩には絶対内緒にしてください、ってあれほど頼んだのに! お礼(※口止め料)に差し上げた寮母さんお手製のスミレの砂糖漬け、返してほしい!!
この場には居ない人物へ心の中で激しく怒りの念をぶつけながら、なんとかその話を誤魔化したくて頭をフル回転させるも、困った事に何にも浮かばない。「えっと」とか「あの」とか、おろおろ狼狽る声しか出ない。
「言い訳は結構だよ。他の男にボクとの関係を相談するなんて不快な行為自体、許されないけれど。まさか、ボクの愛情表現で、キミを困らせていたとは気が付かなかった」
リドル先輩の表情がどんどん険しく怖い顔になる。まるで私を置いて行こうとするように彼の足取りも速くなるから、なんとか隣に並べるよう私も早歩きした。
「これからはなるべく、人前でのスキンシップを控えるから。キミに触れることは出来る限り我慢するから、もう安心して──」
「やっ、嫌です!!」
「……はあ!?」
彼が私に対してこんなに声を荒げたことなんて、マロンタルト事件以来じゃないだろうか。
私は自分の恥ずかしい気持ちでいっぱいになるあまり、彼の愛したい気持ちをちゃんと考えようともせず、ふたりの問題なのに関係ないトレイ先輩まで巻き込んでしまって、軽率だった。怒られて当然だ。
私は先を行こうとするリドル先輩の腕をグイッと両手で掴んで引き止めた。わ、とバランスを崩した彼の頬に、思い切って唇を近づける。咄嗟の行動だったため、チュッなんて恥ずかしいリップ音が鳴ってしまった。
「っ、な、何を……!?」
「ごめんなさい、私っ、こういうこと、全然慣れていないから、恥ずかしかっただけ、なんです」
「……トレイから聞いたよ。生まれた世界や国も違えば、恋愛観も異なることは当然だろう」
「でも、恥ずかしいけど、嬉しかったんです。いっぱい、愛情表現してくれる、リドルさんが好きです。だけど、このままじゃ、幸せ過ぎて心臓がもたないと、思って」
「確かに、これは……実際されてみると、心臓が爆発しそうだね」
私の唇が触れた頬を自分の指先でなぞりながら、彼は一瞬、ふにゃりと蕩けそうな笑みを浮かべた。けど、すぐにキッとお怒りの顔に戻って。
「そッ、そもそもキミがっ、可愛くて仕方ないのが悪いのだからね!?」
「なんっ、どういう話の飛躍ですか!?」
その怒りやら照れやらで真っ赤に染まった顔は今にも、うぎーってなりそうな剣幕だった。
「毎朝、キミと顔を合わせて登校出来ることが嬉しくて、おはようと笑い返してくれるキミが可愛いから、キスを落としたくなるし」
「わ、私も嬉しい、です」
「魔法を使えないのに、皆から置いて行かれないよう勉学に励む姿は健気で愛らしくて、応援したくなるから、そもそも手の甲へのキスは敬愛の証でもあるんだよ?」
「でも、あの、エースとデュースがビックリしてたから、」
「キミがハーツラビュル寮の生徒ならどんなに良かったか。別れ際はいつも寂しいから、明日も元気で会えますように、と願っただけのキスなのに」
「だ、だって、たくさんの生徒さんたちに、見られていたから……」
「それでもキミが愛おしいから、どんな場所で誰に見られていようとも、何度でも口付けたくなってしまう。もちろん、今も──」
ようやく、彼の手が私の頬に触れて、するりと滑る指先がゆっくりと私の唇を撫でる。その触れ方はなんだか情欲的で、んっ、なんて甘い音が漏れてしまって恥ずかしい。
「ボクだって、こんな感情、初めてなんだ」
今の彼の表情に怒りはない、ただ、泣いてしまいそうに歪んでいた。
「誰かひとりをこうも特別好きになるなんて、想像すらしたことなかった。正直、浮かれていたことも否定しない。でも、キミを好きだと思う気持ちが止められないんだ、どうしても。それを我慢しろだなんて、……そんな残酷なこと、言わないでほしい。キミへの愛情まで抑え付けられたら、ボクは、気でも狂ってしまいそうだよ」
瞳に涙をいっぱい溜めて、ゆるゆると私の頬を撫で続けている彼の手に、私はそっと自分の片手を重ねた。
ああ、馬鹿だなあ、私。変に恥ずかしがってなんかいないで、私はもっと、彼に気持ちを伝えるべきだったんだ。言葉でも、行動でも。だって、こんなにも愛おしくてあったかい気持ち、伝えない方が損だもの。
「ごめんね、リドルさん。もう我慢なんてお願いしないから、大丈夫だよ」
「がまん、しなくていいの?」
「うん、私もあなたの気持ちにいっぱい答えられるよう、私の気持ちも伝えられるように、頑張りますね」
人前ではまだ、自分から愛情表現することは難しいだろうけど。受け止めることには少しずつ、慣れていこう。嬉しいと、素直に言えるようになるから。
「じゃあ、今日はいつもの朝より、もっとたくさん、キス……してもいい、かな」
照れ臭そうにたどたどしい問い掛け方をしてくる彼が、あまりにも可愛らしくて。今は人目も無いから大丈夫、と了承すれば、彼の瞳の星がキラキラと輝いた。しかし、私はまた、判断を間違えたかもしれない。
彼の両手が、しっかりと私の両頬を捕まえたかと思えば。一気にゼロ距離へ近付く、彼の愛らしい端正なお顔。目を瞑る暇すらなく、唇が重なった。何度も、何度も角度を変えて、ちゅ、ちゅっと微かな音を立てながら、数え切れないほど彼と唇が触れ合う。時々、悪戯に彼の舌先が下唇や口の端を舐めたりなどするから、その度ぞくぞくと背筋が震える。「ん、んんっ」なんて声にならない音を漏らすしかない私は、だんだん呼吸も上手く出来なくなって、息が苦しくなる。触れているだけの筈なのに、こんな熱くて長いキス、た、耐えられない──。
いったい、何分(何秒かもしれない)気が遠くなるような回数、キスされていたのか。腰の砕けるギリギリ直前で、ようやく彼の唇が十分に離れてくれた。解放された私の口は、はあ、はっ、と必死に酸素を取り込むべく呼吸を繰り返した。きっと私、酷くだらしない顔、してる。それでも、うっとり満足気に微笑む彼は、私に「可愛い」なんて囁くから。
「ああ、安心おしよ、ボクの愛しいアリス。唇へのキスは、決して人前でなんてしないから」
最後にもうひとつ、先程の仕返しと言わんばかりのリップ音と共に、鼻先へキスを落とされた。
「ボクも、キミのそんなカスタードみたいに蕩けた表情、他の誰にも見せたくはないから──ね?」
ふふ、と妖艶な笑い声を添えた後、彼は何事もなかったように、いつも通り私の手を握って歩き出す。そのお顔は先程とは打って変わって、とてもご機嫌な満面の笑みだった。
やっぱり私の最終的な死因は、幸せ過ぎによる心臓発作──もしくは、呼吸困難だと思います。
2020.06.28公開