ハートさん家の料理人
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あいことば
ゾウの上の国、モコモ公国。
百獣海賊団「災害」の襲来により、見るも無残な姿に変わり果ててしまった、おれの本当の故郷。あの長い長い五日間の全面戦争、毒ガスにより次々倒れていく同族たちの姿は、もう、あまり思い出したくはない。
だけど今は、麦わらの一味にいたトナカイの船医やぐるまゆのコックたちのおかげで、毒に苦しむ仲間たちは一命を取り留め、少しずつ災害から立ち直ろうとする空気が生まれ始めている。おれたちハートの海賊団も、誰一人欠ける事なく済んだ。おれの故郷の為に戦ってくれた船員たちは傷の治療に専念しており、後はキャプテンとの再会を待つばかりという状態だ。
そんな中、おれは皆が寝静まる夜中でも構わず、とある人物を探してえっほえっほと木登りに励んでいた。
「よい、しょ……! あ、本当に居た、"木の上のペドロ"さん」
「ん? ゆガラは──」
登り切った大木、その太い枝の先には、ジャガーのミンク族の男が胡座をかいて座っていた。白熊のおれと同じくらい、寧ろ少し大きな体格。包帯で覆い隠された隻眼。間違いない、この人はペドロさんだ。おれの兄、ゼポの相棒だったひと。
彼はこちらが名乗ろうとする前に、木から飛び降りようと立ち上がるので、おれは慌てて彼の肩を掴んで「待ってください」と引き止めた。この国に辿り着いてからずっと、おれは彼にあからさまなほど避けられている。だけどおれにはどうしても、彼と少しで良いから話をしたかったのだ。
「──ベポ、おれは、」
「知っています」
彼はその片目を驚きに見開いた。
ネコマムシの旦那から、おれは既にある程度、兄の話を聞いていた。幼い頃、年の離れた兄ゼポを追って、ひとり大海へ飛び出したおれ。紆余曲折あって、やっと故郷に帰ってきた。しかし、おれの追い続けた背中は、ゼポは、もう──。
「……おれは、海へ出たことを後悔はしていません。兄はおれの憧れで、兄のような立派な男になりたかった。だから兄の背を追って、ひとり海へ出た。当時のおれはまだ恐れ知らずの馬鹿な子供で、うっかり乗る船を間違えて、北の海に流れ着いてしまったけど……。でも、そのおかげで、おれは、種族の違うおれでも受け入れて頼ってくれる、大切な仲間たちに出会えたから。今のおれがあるのは、兄の背を追い続けたおかげだと、感謝しています」
「ベポ……」
「だから、教えて欲しいんです。兄の最後を。相棒として看取ってくれた、ペドロさんの口から、兄の生きた証を聞きたいんです」
お願いします、とおれは深く深く頭を下げた。暫くの静寂。シュボ、火を付ける音だけが響く。恐る恐る顔を上げれば、ペドロさんは再び枝の上で胡座をかいており、フーッと煙草をふかしていた。
「どうせ寝るのに困っていた所だ、昔話で夜を明かすのも悪くはない。良いだろう、話してやる。しかし我らノックス探検隊の冒険譚、一夜で語り尽くせる自信はないぞ」
ニヤリ、と牙を見せて笑ったペドロさん。おれは嬉しくなって、すぐに彼の隣にドスンッと座った。少し大木が揺れる。
「やった! ありがとう、ペドロ!」
「どうした、敬語はもうヤメか」
「へへ、やっぱりおれにはこういう堅っ苦しいの向いてないや〜」
やはりゼポの弟だな、と笑うペドロの背後に一瞬、遠い記憶に霞む兄の笑顔が重なって見えた──気がした。
それから次の日も、また次の日も、おれはペドロさんの昔話を聞いて日が沈んでから昇るまでの時を過ごした。
偉大なる昔話はやがて脱線し、いつの間にか語り手はおれに変わっていて。おれはペドロさんに、キャプテンたちとの出会いやハートの海賊団のこれまでの冒険譚を話していた。
「──で、その時のキャプテンがすっげえ格好良かったんだ! ペンギンとシャチもああ見てて強いんだぞ、いつもは馬鹿なことばっかりしてる癖に。カモメも料理人だけど、戦いとなれば勇ましく敵に立ち向かって──」
「……フッ、」
「あっ、ご、ごめん。なんか、いつの間にかおればっかり喋って、」
「いや、構わん。続けてくれ。ゼポが聞いたら喜んで大笑いする話ばかりだ、ゆガラは本当に良き仲間と出会えたんだな」
「うん。皆、人間だったり巨人だったり能力者だったりするけど、そういうの関係無く、良いヤツばっかりなんだ」
「ああ、聞いているだけでよくわかる。船長のトラファルガー・ローに、第二の故郷からの友人たち、か。特に、カモメという女の料理人を、ゆガラは心から気に入っているようだな。想い人か?」
「おもッ、な、何言っ、て!?」
ぼふんっと顔から煙でも吹き出しそうなぐらい、一気に全身の熱が上がった。
ククッと声を噛み殺して楽しげに笑うペドロを見て、つい、この人になら──おれの、長年の片想いを吐露しても良いかと、思ってしまったんだ。
「……あのさ、今までの話とは全然関係ないこと聞くんだけど、」
「何だ?」
「人間と、ミンク族じゃあ、こ、恋人とか夫婦とか、そういう風に結ばれるなんて、難しいこと……だよ、ね」
──いやいやいや、おれ、思い切り過ぎじゃないか。ペドロに何て馬鹿なこと聞いちゃってるんだろう。
恥ずかしくなったおれは膝を抱え、そこに顔を埋めて唸った。「やっぱり何でもない、聞かなかった事にして……」と弱々しく訂正するも時既に遅し、今度は噛み殺さずに笑うペドロの声が聞こえた。
「はは、そうか。やはり彼女は──」
「べ、別にそういう事じゃなくて!」
顔を上げて必死に弁解しようとするも、今更だった。違う、なんて頬の熱いまま否定しても逆効果である。
ペドロは何だか嬉しそうにニヤニヤ笑いながら「そんなお前に面白い話を聞かせてやろう」と言った。
「ベポは幼い頃にモコモ公国を飛び出してしまったから、種族の違いを酷く思い悩んでいるのかもしれないが──この国のミンク族はそもそも、人間に対して友好的で、種族の違いなどあまり深く考えたりはしない。寧ろ、人間を"毛の薄い猿のミンク"と言う風に認識している。体毛の少ない彼らを"レッサーミンク"とも呼び、それに憧れる者も意外に多く居るのだ」
「えっ、そ、そうなの?」
「ああ。ノックス探検隊が海賊団になった頃、人間と恋をして船を降りたミンク族の女もいる。しかし、人間の中には異種族への偏見が強い者も多く居る為に、二人は隠れるように暮らす道を余儀無くされた。それでも、我々が立ち会って密かに行われた結婚式で、彼女と人間の男は幸福そうに笑っていた事──おれはよく覚えている」
「それは……ほんとうの、話?」
過去を愛おしげに懐かしむ表情で、ペドロは静かに頷いた。
人間と獣が結婚するだなんて。故郷に帰る前のおれなら、信じられなかったかもしれない。でも確かに、おれの仲間たちを快く迎え入れてくれたミンク族の姿を思い出せば、十分に信憑性のある話だった。
どきん、どきん、おれの心臓が早鐘を打ち始める。
何だ、変に悩む必要なんて、無かったんだ。長年、彼女を待たせ続けた自分が情けない。やっと伝えられるかもしれない。でも今更、受け止めてもらえるだろうか。結局、彼女が奇異の目に晒される事は変わらないのに。嬉しい気持ちと、悔しい気持ちと、喜びと不安と、複雑に混ざり合った感情で頭の中がぐるぐるする。
「──夜明けか」
ペドロの声にハッと顔を上げれば、ゾウの背の向こうから太陽がほんの少し頭を覗かせていた。空がじんわり朝の橙色に染まり始める。
「おれ、そろそろ戻らなきゃ。ずっと、待たせていた人が居るから」
「そうか、早く帰ってやると良い」
「うん。ありがとう、ペドロ。たくさんお話出来て楽しかった!」
「ああ、おれもだ」
またいつでも来い、そう笑ってくれたペドロに見送られて、おれは大木をずりずりと降りる。そして、一目散に駆け出した。
彼女に、会いたい。会って、ちゃんと話したいことがある。ずっと、おれが意気地無しのせいで、後回しに後回しにしていたことを。はやく、伝えなきゃ。
ハートの海賊団が一時的な拠点にしている森奥のツリーハウスへ、おれは夜明けを連れて急ぐのだった。
ツリーハウスの真下、ちょうど梯子から降りてきたばかりの彼女の姿が見えた。料理人は早起きだ、これから朝食の仕込みに向かうのだろう。
「レヴィア!」
こちらへ振り向いた彼女は、猫のような瞳を真ん丸にして、とても驚いた顔をしていた。
彼女を名前で呼んだのは、もう何年振りだろう。船員から「カモメちゃん」と呼び慕われ、彼女自身、自己紹介でも「カモメ」を名乗っている。海軍を彷彿とさせる鳥の名前だけど、彼女の育った大衆食堂カモメ亭を、彼女が今も愛しているからこその渾名だ。
出会ったばかりの頃は何の気兼ねもなく、彼女を本名で呼んでいたのに。いつの間にか、俗に言う思春期というものを迎えた辺りで、白熊のおれでは彼女の好意に答えてやれないからと、おれなんかが呼ぶには相応しくないと思って、呼ばなくなっていたんだ。
驚いていた彼女はおれが駆け寄ると、すぐにその整った顔を綻ばせて笑った。
「ベポくん、おはようございます。早起きですね、それとも夜更かしですか?」
嬉しそうにおれの名前を呼び、決して深くは追求しない。
いつも通りの彼女を見ているだけなのに、どうしてこんなにも、泣きたくなるのだろう。
真っ直ぐにおれを見上げてくれる金の瞳も、さらりと指先をすり抜ける絹糸みたいな銀の髪も、触れたら陶器のようにすべすべでひんやりする頬も、優しく呼び掛けてくれる声も、おれは、ずっと前から、大好きなのに。
おれが無言で両前脚を伸ばして彼女の頬を撫で回しているせいだろう、さすがの彼女も困惑している。
「あの、ベポくん? どうしたんですか、スキンシップは嬉しいですけど……」
そんなに見つめられたら照れちゃいます、なんて目を細め頬を赤らめて笑う彼女が可愛い。愛おしいと、思う。種族の違いなんて、この感情の前では何の枷にもならないんだと、ようやく気が付いた。
「……好き、」
言葉を溢すと同時に、両の目から熱い雫が溢れ出した。
「好きだ。ずっと、昔から、大好きだったのに、おれっ、勝手に諦めて、自分の気持ちに嘘をついてたけど、もう無理だ」
「ベポ、くん……? 何で、泣いて、」
「お前のこと、やっぱり、大好きなんだ。ごめん、な」
「どうして、謝るんですか?」
「だって、おれは、」
言葉を吐き出せば吐き出すほどに涙が止まらない。男の癖にみっともない。それでも、彼女は懸命に手を伸ばして、無理に背伸びをしてでも、おれの頭をふわふわと優しく撫でてくれる。熊とは違う、毛深くないし肉球も無い手。陶器のように白く、すべすべで柔らかい、小さな手。嗚呼、好きだ。
「おれ、熊なのに、」
「知ってますよ、白熊のミンク族。私はあなたのモフモフした毛並みも、丸くて愛らしいお耳も、ツヤツヤの黒いお鼻も、ぜーんぶ好きですよ。なんせ、一目惚れだったんですから」
「今までずっと、お前の気持ちを、受け止めてやれなかったのに、」
「それはあなたの優しさでしょう。人間には異種族を忌み嫌う方が多いから、変わり者の私が傷付けられないように、嫌われないようにと、私の為を想ってくれていたんですよね。確かに少し、悲しくて、思い悩む日もありましたけど……」
「……ごめん」
「謝らないで。今とっても嬉しいから、もう過去の事なんて良いんです」
涙で滲む視界を、彼女の手が拭ってくれる。はっきりと見えた彼女の表情は桜色で、言葉の通り嬉しそうに笑っていた。
「私は初めて会った時から、ずっとベポくんが大好きですよ」
「ぉ、おれも! 大好きだ、レヴィのこと」
「やっと、お返事くれましたね。ベポくんも本当は、私とずっと同じ気持ちで居てくれたんだ、ふふ、良かったあ」
おれのお腹にぐるり両腕を回して、胸元へ顔を埋めるようにぎゅっと抱き着いてきたレヴィア。いつもの、彼女の想いに答えてやれない申し訳なさや、周りの視線を気にする恐ろしさはない。ただ、じんわりと、嬉しくて幸せな気持ちで心がいっぱいになる。
「周りになんて言われても構わない。おれがお前のことを守るって、決めたから」
「ベポくん……」
愛おしげにおれの名前を呼んでくれる、小柄な人間の身体をそっと抱き締め返した、あったかい。
「うー、もうだめだー、こんなに幸せじゃあ、だめになる。お前のこと、一生離してやれなくなっちゃうよ……」
「わあ、それってプロポーズですか?」
「ち、違ッ……!?」
「ふふ、なーんだ、残念。でも、今はもうそろそろ離れないと。朝ご飯の支度しなきゃ」
あ、そうだった。おれも何か手伝えることあるかな、安心したらお腹空いちゃった。
名残惜しいけど、ゆっくり彼女の身体を解放する。なのに、またすぐ抱き締めたくなるなんて、おれ、自分が思う何倍も彼女を求めていたらしい。
特にこれと言って今後の関係に大きく変わるものは無いけど、おれの心の重荷がすっかり消えたことは確かだ。
「レヴィア、」
「はい?」
「……へへへ、何でもない。呼んでみただけ」
何の気兼ねもなく彼女の名前を呼べることすら嬉しくて、つい。呼ばれ慣れていないせいか、照れ臭そうに微笑む彼女が可愛くて、可愛くて。どんどん好きが増えていく。この感情に際限は無いのに、抑え付けようなんて我ながら馬鹿な真似だった。
これからはたくさん、彼女の名前を呼んでやろう。今まで十年以上ずっと返せなかった分の愛もいっぱい伝えるんだと、おれはそう心に決めた──。
2019.09.14