世話焼き助手とお司書さんの話
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帝國図書館第壱特務司書地味で物静かな元引きこもりの23歳
薬の調合が得意な錬金術師
お人好しで頑張り屋さん
瓶底のような眼鏡をかけている
おっぱいがとても大きい
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時雨月
一目惚れだからと言って、そんなものは勘違いだなんて馬鹿にしないでもらいたい。
そもそも初対面の彼女は、牛乳瓶の底みたいな分厚い眼鏡でその目を隠しており、常に困っているような下がり眉と固く結ばれた桜の唇しか見えなかった。顔で選んだ訳ではない。じゃあ、いったい何処に一目惚れをしたのか。まるで私と揃えたかのようなお下げ髪か、小鳥の内緒話みたいな擽ったい囁き声か、男の目線の的になる豊満な肉体か、残念ながらそれは私にもわからない。恐らくはその全てに惹かれたし、彼女の名前を聞いた瞬間、私の頭から足の爪先まで電撃が走った事は確かだ。わからない。わからないが私は馬鹿じゃない、大馬鹿者で、運命なんて言葉を本気で信じてしまったのだ。鉄の草鞋を履いて日本中歩き回っても二度とお目にかかれない、そんなおひとを、私はもう一度、見つけ出したと思った。
いや、いや、だからと言って、ここまで惚れ込んだ理由はまた違う。一目惚れはまず相手に興味を持つという、単なるきっかけに過ぎない。1日、1週間、1ヶ月、憎たらしい侵蝕者共を浄化しながら、特務司書の専属助手として日々を忙しなく過ごしている中で、私はたくさんの彼女を知っていった。
出会った当初の彼女は人見知りが酷くて、表情筋も人形のように変化しなかった。どんな時も困ったような泣き出しそうな顔をして、笑うという行為が苦手らしかった。私と出会う前のこれまで、彼女がどんな人生を歩んできたのか、本人の口から多く語られることはない。ただ、いつも悲しげに俯いている姿が気掛かりで仕方なかった。母親から言葉による虐待を受けていた事、そのせいで酷く自身の瞳の色を恥じていた事、唯一心の支えであった父親を病で亡くしたばかりだった事は、随分後から知った話である。しかし例え笑えなくても、感情を失っている訳ではない。私の発する愛を込めた言葉や行動に、人形の面をばらばらと崩して真っ赤に頬を染める彼女を見る事が、私は楽しかった。私だけが、悲しみに沈んだ彼女の心を揺れ動かすことができる、そんな優越感。彼女も最初はただ困っているだけに過ぎなかったけれど、この美男子からの求愛は満更嫌でもなかったのだろう。彼女が私に微笑みを向けてくれるようになるまで、そう時間はかからなかった。
私は彼女の笑顔に落ちた。その瞬間が訪れたのは、初めて彼女と食事へ出掛けた夜のこと。私が生前に書き遺した"夫婦善哉"を読んでいたらお腹が空いた、なんて愉快な感想をくれたものだから。私はとても嬉しくなってしまって、近所の飲み屋へ彼女を連れ出した。しかし、残念ながらお互いに酒があまり得意ではなく、飲み交わした物は緑茶二杯だけ。その代わり、小さな二人席に机の木目が見えなくなるほど、大量のつまみを頼んだ。私がこの店を気に入った理由は、飯がうまいからだ。特に、豚の角煮が絶品である。店内の賑やかさと充満する酒気に最初は怯んでいた彼女も、濃い醤油色した肉塊をたっぷり乗せた皿が目の前に運ばれると「わっ」小さく歓喜の声を上げた。恐る恐る、そんな様子でたっぷりの脂身を口に運んだ途端、彼女の緊張した表情がほろほろ蕩けていった。嗚呼、なんて──幸せそうに笑ってくれるのだろう。可愛いという言葉の意味を改めて思い知った。堪らなく愛おしかった。私はこの瞬間、彼女に心奪われてしまったのだ。
それからと言うもの、私は欠かさず週に一度、彼女を外食へ連れ出すようになった。喜ばしいことに私たちは味覚までお揃いだった。牛すじ煮込みしか出さない立ち飲み屋、ポークソテーが美味い喫茶店、ネギ入りの卵焼きが人気の定食屋、何処へ連れて行っても彼女は私の一等好きな美味しい顔を見せてくれる。おかげで彼女の腹には少し、ぷにぷにと柔らかな幸せが付いてしまったようだが。「初対面の時より健康的になって丁度良い」と笑ったら、怒られた。
内気な彼女は少しずつ周りにも心を開き、転生した数々の先生方──つまり私以外の男──にも、自然な柔らかい表情を見せるようになった。夏目漱石氏と嬉しそうに談笑して羊羹を頬張る姿を見かけた事もある。島崎藤村氏と国木田独歩氏に挟まれて、錬金術について熱心な取材を受けた時には、少し困っている様子でもあったが楽しげに笑っていた。悪戯好きな子狐もとい新美南吉君を引っ捕まえて、めっ、なんて母親のように叱る姿も愛らしい。そんな彼女の変化を見て、私の憧れでもある徳田秋声氏は「君のおかげだろうね」と言った。まるで可愛い孫娘を見ているかのように、優しい声色だった。
地味、いや、慎ましやかな彼女はますます綺麗になっていった。私達と出会った事で如何に第一印象が大切であるか学び、女性らしく自身を着飾ることも重要であり楽しい事と覚えたようだ。元々顔立ちが良いものだから、軽く化粧を施すだけでも見違える。更には古臭い瓶底眼鏡ではなく、洒落た黒縁の伊達眼鏡をかけるようにもなった。時折、眼鏡すらかけていない日もある。長年、彼女の劣等感の原因であった筈の瞳。けれど今はもう、人前に自身の素顔を晒しても怖くはないそうだ。私の生前からの親友とも呼べる太宰治は、よく彼女から服選びや男目線の趣向など色々助言を頼まれるそうで「お前のためだろうな」と笑った。彼も可愛い妹が出来た気分で嬉しい様子だった。
私のおかげ。私のため。そう言われて、私も確かに嬉しかった。彼女はその愛らしさや人の良さを、眼鏡の奥にひっそりと隠しているだけなのだから。冬の朝焼けが如く美しい瞳を、ずっと見せなかったように。彼女はほんの少しだけ、ひとより恥ずかしがり屋なだけなのだ。ようやく彼女の可愛さに気が付いたか、と。惚れた男としても誇らしかった。自慢であった。あちこちへ連れ回して見せびらかしたい気持ちだった。もっと彼女の美しさに見惚れたら良いとすら思った。そう、喜ぶべきなのだ。けれど、──嗚呼。
私は、嫉妬していた。周りには私より名高く麗しい容姿の文豪たち、日に日に美しくなる彼女。その環境が嫌な焦りへ変わり、私の胸の奥を静かにちりちりと黒く焼いた。
生まれ変わって少しはマシになったつもりでいたが、その嫉妬深さは何にも変わっていなかった。好いた女の過去を知ったら知るほどに泣きたくなり、共に居られない時間は不安で仕方がなく、誰かに褒められて喜ぶ彼女を見ては苛立って、他の男の名前がその口から溢れる度に塞いでしまいたくなる。自分でもなんと心の狭い、女々しい、浅ましい男だろうと思う。後悔もするし反省もする、けれど改善の兆しはない。こればかりは、どうしようもなかった。馬鹿は死んでも治らないものだ。私の生前遺した作品にも、嫉妬深い男や女の話がいくつかある。恐らく私からこの感情を失くしたら、私は私で無くなるのだろう。しかし、もう手を上げるような馬鹿だけは、今生、絶対にしないと彼女に出会ったあの日から誓っている。
私は今度こそ、わが妻を大切に愛するのだ。そう、誓ったのに。あのひとは私のもの、私だけのものだ。いつか己の書き遺した小説の一節が、頭の中で反芻される。なんて醜い独占欲だ。私はもはや、恋なんて甘い気持ちで彼女を想えなかった。既に彼女の何もかも、深く、深く愛してしまっている。いつかこの激しい感情を抑えきれなくなりそうで、恐ろしくさえあった。
恋仲になれば、幾分か私の嫉妬心も落ち着くと考えていた。──が、寧ろ増すばかりであった。けれども彼女は、そんな私でさえも簡単に受け入れてしまった。寧ろ嬉しいだなんて笑ってみせるものだから、その愛情の底知れぬ深さに私の方が参ってしまう。幼子にも笑われてしまいそうなほど拗ねる私を、彼女は華奢な腕の中へ優しく抱き締めて、あやすように良い子良い子と頭を撫でるのだ。「わたしも、あなたのことがすき」だから大丈夫だよ、心配しないで、大好き、と。心が疲れてしまった時も、体が病んでしまった時も、彼女は母のように姉のように私を甘やかす。そのぬくもりはどんな薬よりも効果的で、無理に嘘を吐いて抗う気力も奪われてしまう。いつの間にやら、彼女の柔らかで大きな胸に抱かれている時間が、私の一番安心出来るひと時になっていた。
やがて婚約をして、お互いの左手薬指を金色の指輪が飾り、夫婦も同然の生活をするようになった。夜はお揃いの寝間着に着替え、本来ひとり用の狭い布団の中で、ふたり身を寄せ合って眠る。朝はふたりで台所に並び、私が安物の珈琲を淹れる隣で、彼女がフレンチトーストなんて焼いてくれる。これ以上の幸福を求めるなんて、贅沢者と罵られるかもしれない。
しかし、私は前述した通りの欲深い男である。せっかく二度目の人生を貰ったのだ、少しぐらい欲張らなくては損だろう。今度こそ、彼女と二人で叶えたい未来が山のようにあるのだから。
私は今夜、彼女に結婚を申し込む。
カチリ、と時計の針が二つ揃って天辺を指した。日付が変わる。
バーカウンターの上で仲睦まじく並んだ二つのグラスが触れ合い、控えめな音を鳴らす。私の隣の席で、彼女が微笑んだ。秋らしい金木犀色のワンピースがよく似合っている。
「お誕生日、おめでとう。作ちゃん」
「けっけっけ、おおきに」
こうして彼女に誕生日を祝ってもらう事は、二度目となる。なんだか照れ臭くて、つい笑いながら顔を背けてしまった。
今年の私にはどうしてもひとつだけ、欲しくて欲しくて堪らないものがあった。今年も去年と同様に、彼女から何か欲しいものは無いか聞かれたので、私は素直にそれを伝えた。「お司書はんが欲しいなあ」と。彼女はしばらく言葉の意味を思案した後「わかりました」と満面の笑みを咲かせて、私の誕生日の前日に有給を取った。そうして朝から晩まで私とふたりきり、デートに付き合ってくれたのである。
いまいち、本来の言葉の意味が彼女には伝わらなかったらしい。どうにも少し言葉遊びが過ぎてしまったようだ、これは小説家という生き物の悪い性かもしれない。──が、私の言葉の通り、彼女を丸一日独占して楽しませてもらったことは事実。私は今年も、幸せなプレゼントを貰ったのだ。
日付の変わった今は、馴染みのバーでふたりグラスを傾けている。お互いに酒は得意でない筈の私達だが、今夜ばかりは気分が良くて普段より何杯も酒が進んでいた。しかし、多少の酔いも味方にしなければ、言い出せないこともある。
「なあ、咲ちゃん、」
私は意を決した。グラスに添えられた彼女の小さな手を、覆うように握り締める。熱い。ハッと隣の顔を見る。彼女の頬は赤く染まり、灰色の瞳は私を見つめてぼんやりしている。ふふふ、と弾んだ声を上げて笑う様はどこか色っぽくもあるのだが──。これは、まずい。
「……酔ってますね?」
うん、とご機嫌な彼女は元気に頷いた。ああ、確かに酔ってらっしゃる。
「ちょっとー。あんたはん、わしよりもお酒弱いんやから、無理に付き合って飲まんでもよかったのに」
「むり、してないもん。えへへ。だって、作ちゃんとふたりきりで、飲むの、ひさしぶり、だから。たのしく、なっちゃって、ふふ」
「甘くて飲みやすいお酒やからって、調子乗ったなあ?」
「んふふー、おさけも、ふたりでのむと、あまくて、しあわせなあじ、するんだねえ」
終始ふにゃふにゃと笑いながら、私の肩に凭れかかって甘えてくる姿は、正直、堪らなく可愛らしいと思ってしまう。酔っている時にしか見られない貴重な彼女である。けれど、ここから先がまずいのだ。酒の回った彼女はやたらと甘えたがりになって、周りが見えなくなるほど酔うと、人目も憚らず抱擁や口吸いなど求めてくる。そんな蕩けた彼女を絶対にこんな所で晒したくはない、私の理性が崩される前に帰ろう。
私は早々にバーのマスターへ会計を頼み、ぐったりと自力で立つこともままならない彼女を支えながら、店を出た。もう少し飲んでいたかったのに、なんて不満げな酔っ払いの言葉は無視である。
「むー、だいじょうぶ、なのにー」
「はいはい。酔っ払いの大丈夫ほど信じられへん言葉はないわ」
ふくれっ面の彼女の足元へしゃがみ込み、私は背中を向けた。
「ほら、わしがおぶったるから」
ふらふらと足元の覚束ない彼女に肩を貸して引き摺るように帰るより、おんぶして帰った方が楽だろう。背中を向けている為にその表情はわからないが、やったあ、と声を高くした彼女は嬉しそうだ。背中にむっちりと大きな餅がのし掛かったような柔らかな、重量感。羽のように軽い、なんて嘘はつけなかった。けれども、この健康的な重みが私には愛おしい。
「あ、ごめん、ね? おもい、よね」
「嫁はんひとり背負うぐらい余裕、余裕。難波の男を舐めてもらっては困りますわあ」
「さすが作ちゃん、だねえ。たのもしいなあ」
すっかり安心して私の背中に身を預ける彼女を、落っことさないよう慎重に立ち上がる。
帰り道も他愛のない会話は続く。酔っているせいもあるのか、彼女は普段の何倍も饒舌だった。
「きょうも、ありがとうね。作ちゃんのお誕生日、たくさん、たくさんお祝いしてあげよー、って、おもってたのに。また、おいしい天ぷら屋さんとか、連れてって、くれて。わたしのほうが、たのしくなっちゃった、なあ」
「何言うてますの、わしのほうが目一杯楽しませてもらいましたわ。おススメの映画おもろかったよ、ええ刺激になった。最近ばたばたと忙しくしてたからなあ、久々に咲ちゃん独り占め出来て大満足やわ〜」
「へへ、そっか、よかった」
「うん。せやからこちらこそ、おおきにね」
「朝になったら、また、ふわふわのケーキ、焼くからね。図書館で、こんどはみんなとお祝い、しようね」
「おっ、そら楽しみやなあ! 嬉しいわあ、次はわしがお返しせんとあかんな。咲ちゃんは来年のお誕生日、何や欲しいもんある?」
「欲しい、もの」
「はは、まだ気が早すぎたか。来月のお司書はん就任記念でもええで」
「うーん、と、ね……あるよ。わたし、も」
あのね、と少し間が空いた。
「さくのすけさんが、ほしい」
どきんと心臓が跳ね上がり、一瞬、息が止まる。しかし、彼女の言葉にそこまでの深い意味は隠されていないだろうと思い、私は慌てた己を誤魔化すように声高く笑った。
「けっけっけ! ええよ、ええよー。またデートしましょか」
「ふふ。それも、うれしいけど、ちょっと、ちがうー」
くすくす、と私の耳元でからかうように笑う彼女の息が擽ったい。心臓の高鳴りはもう、笑って誤魔化せないほど騒がしい。
「けっこん、しよ」
私にしがみつく彼女の腕がぎゅうと力を強めた。背中から、熱い鼓動が伝わってくる。
「わたしと、夫婦になって。いっしょにね、おぜんざい、たべにいこ。また、おそろいの、きもの……着たいなあ……。それで、ふたりで、ね……別府の、温泉……新婚旅行、するんだあ、うふふ……」
小さく笑い声を零したきり、それ以上の言葉は続かなかった。
「──咲枝はん?」
名前を呼んだが、返事はない。代わりにすやすやと安らかな寝息が聞こえてくる。私は深く息を吐き出した。
結婚しよう。その台詞は今夜、私が言ってやりたかったのに。
「ああ、もう。また言い逃げしはって。ほんまに、ずるい子やわあ」
やられっぱなしは性に合わない。この酔っ払いが目を覚ましたら、どんな仕返しをくれてやろう。今度こそ私から求婚して、ふたりで婚姻届を貰いに行こうか。
背中で眠る愛しい彼女へ心の中でそんな約束をしながら、私は金木犀が香る秋の夜道を急ぐのであった。
2018.10.26 公開