世話焼き助手とお司書さんの話
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帝國図書館第壱特務司書地味で物静かな元引きこもりの23歳
薬の調合が得意な錬金術師
お人好しで頑張り屋さん
瓶底のような眼鏡をかけている
おっぱいがとても大きい
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陶酔の香り
夏の終わりに、金木犀の一枝を見た。その瞬間、まるで息が止まるようだった。
時期には少し早い木犀の匂いが閃いて顔を上げれば、控えめに微笑む彼女の美しい黒髪を、愛らしく小さな黄色が鮮やかに彩っていた。その花が偽物の、単なる髪飾りであると気付く事に、私はしばらく時間を要した。
「ごめんなさい、お待たせしてしまって」
思い出深い花に目を奪われ固まる私を見て、彼女は申し訳無さそうに俯いた。私が表情をぴくりとも変えず黙り込んでいるから、待ちくたびれて怒っているとでも思わせてしまったのかもしれない。
私は慌てて誤解を解くために声を掛けようとするも、動揺して何から言い出せば良いか迷ってしまった。あー、だの、うー、だの、言葉に詰まる口をもごもごさせた結果、捻り出せたのは一言だけ。
「──おっしょはん、綺麗やわ」
仮にもこの世に再び転生した文豪であると言うのに、全く普通の感想を言ってしまった。文学的な感想など考える余裕もなかった。しかし、本当に心の底から思った一言だった。小説家の言葉を奪うほどに、金木犀の彼女は美しかった。
この美しいひとは派手ではない、庶民的で慎ましやかだ。浴衣もそんな彼女らしいものだった。闇夜に紛れてしまいそうな黒地の浴衣の上で、白い花畑を白いうさぎがぴょんぴょんと跳ね回っている。帯は髪飾りに合わせたのだろうか、お月様のような優しい黄色。ひと足早い、どこか秋を感じさせる装いだった。金木犀を飾る黒髪は珍しくお団子に結い上げられていて、柔肌の露出したうなじが私の胸を高鳴らせて熱くする。
彼女は恐る恐ると言った風に顔を上げ、私にほっと安堵の笑みを見せた。
「さ、作さん、も、素敵です」
そして彼女と同じく浴衣に着替えてきた私を、必死に言葉を振り絞って褒めてくれた。
私はこのデニム生地の青い浴衣をなかなか気に入っていた。私の生きていた時代には珍しい組み合わせである。けれど彼女はそれを、織田作之助という男によく似合う、私らしい浴衣姿だと言ってくれた。
嗚呼、なんだか妙に嬉しくて、にんまりと口の両端が揃って吊り上がった。
「けっけっけ、さすがの美男子と言えど、こんな浴衣のべっぴんさんに褒められると嬉しいなあ。照れてまうわ」
「えっ、わ、わたし、ですか?」
「おっしょはん以外に誰がおるん。ほんま、よう似合っとるで。めっちゃええ匂いもするし」
先程も陶酔しかけた木犀独特の匂いは、彼女が気に入ってよく使っている金木犀の練り香水だろう。くんくん、と彼女の首元に顔を近付ければ「ひゃあ!」なんて可愛らしい悲鳴が上がる。その反応が面白くて、悪戯にそのまま口付けてしまいたかったが「ゃ、だめ、駄目ですっ」と彼女の非力な両の手で押し返されてしまった。
「こ、これから、お祭り、行くんです、よ……!」
「ちょっと味見するくらいええやんかあ、咲ちゃんのけちー」
「あんごさんと、だざいさんが、ま、待ってます!」
「……はあ、せやった、しゃあないなー。ほんなら、帰りのお楽しみにしときますわ」
けらけらと笑って揶揄えば、彼女は真っ赤な顔をまた俯いて隠してしまった。けれども、彼女の華奢な手が私の浴衣の袖をきゅうと掴んだので、今夜は期待しても良いのかもしれない。まったく。出会った頃からちっとも変わらず、照れ屋の可愛いひとだ。
都内電車を降りるとそこは、夜だと言うのに眩しいほど明るかった。赤い鳥居の先、提灯が煌々と群れを成して、私は何度もぱちぱち瞬きした。
普段は閑静な神社境内が信じられないほど賑わっている。参道の両脇には縁日の屋台がずらりと並んでいて、先が見えないほどの人混みに圧倒され、思わず「おお」と声が溢れた。嗚呼、私はやはり、この煙たい空気と祭り独特の雰囲気が堪らなく好きだ。子供に戻ったかの如く、そわそわと心が躍る。彼女と恋人繋ぎをした左手に、自然と力がこもった。
鳥居の下をくぐるとすぐにお面屋があり、お面屋の隣に鳥唐揚げがあり、鳥唐揚げの隣は大阪名物たこ焼きがあって、恐らく根っからの東京モンであろう中年太りの男が下手な関西弁を真似て客寄せしており、たこ焼きの向かいは人形焼きがある。さて、その更に隣は──と、目を細めたところで、私のすぐ隣から「ふふ」と弾んだ声が聞こえた。はっ、と我に返る。
せっかく彼女とふたりで来ているのに、ついひとりで夢中になってしまった。機嫌を悪くしてはいないだろうか。不安になって慌てて隣を見下ろすが、彼女は私の思っていたより顔を綻ばせて嬉しそうだった。
「作ちゃん、かわいい」
「は、はあ?」
いきなり何を言い出すかと驚いて声が裏返った。そんな私を見上げて、音符が跳ねるような声で笑う彼女。くいくい、と私の浴衣の袖を引っ張った。
「ね、ね。ちょっとだけ先に、屋台、見てまわろ」
「え、でも、安吾と太宰クン待たせとるし」
「だいじょうぶ。あんごさんから、さっき『休憩所で軽く飲んでる。のんびり来い』って、メッセージ、来てたから。ちょっとぐらい、大丈夫ですよ」
待ち合わせてから電車を降りる前までは「お兄ちゃんたちを待たせたら悪い」早く合流しようと私を急かしていたのに、彼女にしては珍しい気まぐれだ。しかし、それは私にとって嬉しい気まぐれだった。
「……よっしゃ! ほんなら、先に屋台、寄ってこか。待たせたお詫びに、なんかツマミになるモン買ってきゃ許してくれるやろ」
「うん。オムそば、たべたい」
「いか焼きもええな〜!」
それから彼女の言葉に甘えて、ゆっくりと参道を歩き、ひとつひとつ屋台を見て回った。
飴細工、金魚すくい、ゴム風船、幼い頃から馴染み深い店もあれば、チェロスやクレープなど、生前の記憶には無い店も多くあった。それが懐かしくもあり、新鮮な驚きにも満ちて、暖簾の文字を眺めるだけでも楽しかった。
あの棒にぐるぐると巻きつけられた芋の揚げ菓子が美味しそう、とか。大粒の黒真珠をごろごろ沈めたような白い飲み物は何だ、とか。私はもうすっかり母に縁日へ連れられた幼子の気分で、目につくもの、気になるものをいちいち彼女に聞いていた。正直鬱陶しいのではないかとも考えたが、彼女は少しも嫌そうな顔もせず、微笑みを添えて説明をくれる。あれはトルネードポテトという食べ物で、そっちはタピオカジュース、台湾発祥でくにゃくにゃの食感が面白いらしいですよ、と。せっかくですから食べていきましょう。そう言って、笑う。私もつられるように、ますます顔がにやけた。
本来なら彼女はあまり、こんな風に人の集まる賑やかな場所が得意ではない、その筈なのに。今、隣で私と手を繋ぎ、金木犀と黒い浴衣を揺らす彼女は──キラキラ輝いて生き生きとして、楽しそうであった。
「……りんごあめ」
突然、彼女がぴたりと足を止めた。急のことで、私は軽く転けそうになる。彼女の目線の先を辿れば、平仮名が堂々と目立つ暖簾の下、大きな宝石のように輝く赤色が沢山ずらりと並んでいた。そこは林檎飴の屋台だった。が、並んでいる赤色は林檎だけではない。苺や葡萄、果てはトマトまで、艶々と飴に包まれていた。昔に比べて随分と種類豊富になったものである。
私は彼女が手を伸ばすよりも先に、赤い宝石をひとつ手に取った。「お兄さん、これください」若い店番に声を掛けてさっさとお会計を済ませる。人々の波から離れて屋台の端に立ち止まり、買った林檎飴をどうぞと差し出せば、彼女は戸惑いながら私を見上げた。
「……いいの?」
「ええの、ええの。遠慮せんと貰っとき。今日、デート誘ってくれはったお礼や。あ、それとも、苺とか葡萄とか珍しいやつ食べたかったん?」
「う、ううんっ、違うよ、うれしい、りんごがいい。……ありがとう!」
彼女がこうもハッキリと声を張ることも珍しい。余程嬉しかったのか。彼女は受け取った林檎飴を、愛おしそうに瞳を細めて見つめた。
「作ちゃんの、おめめみたいで、きれい」
どきん、と心臓が跳ね上がった。
林檎飴が纏う透明のヴェールを脱がしながらも、食べてしまうのが勿体無いくらいだ、なんて蕩けるように微笑む彼女。少しずつ飴を舐めたり軽く齧ったりする様は、まるで愛らしい小動物だ。嬉しそうなその姿はもはや、見ているだけで幸福感に満たされる。
私があまりにも熱心に彼女を見つめていたせいだろう。「良かったら作之助さんもひとくち食べますか」そう呟いて、彼女が私を見上げる。私は遠慮なく、その口元へ顔を寄せた。互いの唇が触れ合いそうなほどに。がりり、と。薄い飴ごと中の林檎を思いっきり齧った。瞬間、彼女の身に付けた金木犀の香りと、脳が溶けそうな甘酸っぱさが口いっぱい広がって、まるで彼女を食らったかのような気分に陥る。
嗚呼、私はすっかり陶酔していた。
「うわ、甘〜っ!」
「ひ、ひとくちが、おおきい……」
「ケッケッケ。せっかく貰えるんやったら、少しは欲張りませんとねえ」
口の中の甘味を全て飲み込んだ後、彼女の唇の端に付いていた赤い欠片も、ちろりと舌先で頂いた。彼女は大きなひとくちを奪われた瞬間よりも驚き、目を丸く潤ませる。小さな握り拳でぽこぽこと私の肩を叩く彼女に、思わずくつくつと喉が鳴ってしまった。
「まあまあ、そない怒らんといてよ〜。美味しそうやったから、つい。味見したくなってもうて、な?」
「……作ちゃんのあほ、すけべ、美男子」
「あれ、最後褒められてる」
今度は二人で、声を抑えて笑い合った。贅沢なぐらい幸福だと思った。ずっと繋がれた左手の温もりが、愛おしくて仕方なかった。
「なあ、咲枝はん」
「はい」
「今日は、おおきに」
「急に、改まって、どうしたの」
「こうしてお祭り誘ってくれたことも、ふたりの時間優先してくれたことも、嬉しいなあ思って。あんたはん、ほんまはこんな人の多い場所苦手やろ? それやのに、わしの為に無理してくれて、ありがとうな」
「へいき。むり、してない。わたしも、とても、とっても、楽しいよ」
「ほんなら良かった! こういう賑やかな雰囲気も、たまにはええでっしゃろ」
「うん。ええですね」
小さく頷いた後、彼女は暫し黙り込んだ。私達と同じように祭りを楽しんでいる人々の波を遠く眺めながら「あの」ぽつり、と呟く。
「……確かに、むかしの、わたしなら。お祭りなんて、きらきら、眩しくて、たくさん、ひとが怖くて、来られなかった。いまだって、ひとりぼっちじゃ、人混み、怖くて泣きそうに、なる。でも、作之助さんの、お話、読んだりして、わたしも、お祭り行ってみたいって、思えた。あなたと、ふたりで」
去年の夏は貴方がお祭りに誘ってくれたけれど、仕事が忙しくて来られなかったから、今年こそ私が貴方を誘って行きたかったのだ──と、普段よりも饒舌に彼女は語った。
「わたし、ね」
林檎飴を見つめていた時と同じ瞳で、彼女が私を見つめる。華奢な右手が、私の左手を少し強く握り締めてきた。
「あなたと、いっしょなら。きっと、どこへでも、歩んでいけるから」
貴方のおかげで私の世界は広がったんです、ありがとう──。
彼女はそう言って、目一杯、笑う。その笑顔はあまりにも光輝いて、朝焼けの如く眩しかった。
「そら、わしの台詞やわ」
今の私がこの世に二本足で歩いていられる事は、どう考えても彼女のおかげであるというのに。もっと感謝をすべきは私だ。いや、寧ろ私の場合は、彼女が居なければ歩くどころか立つことすらままならない。今度このひとを失えば、もはや三年だって生きられないだろう。
嗚呼、陶酔なんて生温い。まるで溺れていくような感覚だった。この愛おしいという感情に、果たして底はあるのだろうか。
「ほんま、酔わせ上手なおひとやなあ。咲ちゃんは」
「……えっ、と。作ちゃん、お酒、飲んでました、っけ?」
少し言葉遊びが過ぎたようで、彼女は不思議そうに首を傾げる。言った後に気恥ずかしくなったので、伝わらなくても構わなかった。
頰の熱を手うちわで気休め程度に扇いでいると、タイミングが良いのか悪いのか、彼女の持つ巾着袋から短く軽快な電子音が鳴った。恐らく彼女の携帯電話に、待ちくたびれた太宰君辺りからの催促メッセージでも届いたのだろう。
「あ……。だざいさん、から『ふたりとも遅い! もうすぐ花火上がる時間になっちゃうぞー!!』って」
本当に予想通りだった。また二人して顔を見合わせて、くすくすと笑ってしまう。
「さすがにちょっと待たせ過ぎてもうたなあ」
「でも、おにいちゃんたちへの、お土産、ちゃんと、買ったから。いか焼きと、オムそばと、わたあめ、それから肉巻きおにぎりに、焼きとうもろこしで……許してもらえる、かな」
「そないぎょーさんよう買いましたね」
私の心配など全て杞憂で、彼女は本当に心から祭りを楽しんでいた。私としてはまだまだ彼女と二人きりで屋台巡りを堪能したかったけれど、時間切れでは仕方ない。
渋々歩き出そうとした所へ、作ちゃん、と小さく呼び掛けられたので、なあに、と大きく返事をする。
「来年もいっしょに、お祭り、来ようね」
「──うん、約束や」
きっとこの言葉は、毎年の約束事になるのだろう。私はそんなことを思いながら、彼女の手をしっかり引いて、わざと悠閑歩き出すのだった。
2018.08.31 公開