世話焼き助手とお司書さんの話
夢主設定
帝國図書館第壱特務司書地味で物静かな元引きこもりの23歳
薬の調合が得意な錬金術師
お人好しで頑張り屋さん
瓶底のような眼鏡をかけている
おっぱいがとても大きい
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
線路道
電車にガタンゴトン揺られていると、つい心地良くて居眠りをしてしまうのは、私の生前からの悪い癖である。
この日は都内でも有名高級ホテルのレストランを貸し切って、政府主催の交流会が行われたのだ。いちおう政府に雇われている身の特務司書である彼女が誘われ、帝國図書館の館長にも「今回きりで良いから少し顔だけ出してくれないか」と頼み込まれた為、渋々参加することになった。私も彼女の専属助手として、当たり前に同行した。
正装を求められたので、あまり着慣れない黒いスーツに、春先とは言えまだ肌寒い時期なのでトンビコートを羽織って、交流会へ向かった。夏目漱石先生からご好意で帽子までお借りして粧し込んだが、夜の、しかも屋内での食事会には必要ではなかったかもしれない。いや、彼女が「素敵」と褒めてくれたから良いのだ。夏目先生には帽子をお返しする時に小豆菓子も差し入れよう。そんな彼女もこの日は珍しく華やかな赤い着物姿で、私と揃いのような黒い羽織を見に纏い、最近手慣れてきたという化粧も軽く施して、政府役人の男たちの目を驚かせ引きつけるほど魅惑的な正装をして見せた。それが誇らしく自慢であり、同時に醜い嫉妬も抱いてしまう辺り、私の悪い癖は生前から何も変わっていない事を自嘲気味に苦笑する。しかし、どんな男のいやらしい目線や口説くような言葉にはおろおろ戸惑うのみでも、私が「別嬪さん」だと一言褒めれば、彼女は恥ずかしそうに嬉しそうに頬を染めて微笑むのだ。その愛らしい反応を見られただけで、こんな交流会に参加する意義があったというものである。
まあ、けれども、私たちは根っからの庶民派で、どうも高級感が過ぎる場所に長時間居続けることが耐え切れない。立呑み屋が並ぶ細い路地裏にでも逃げ出して、煙草を吹かしたくなってしまう。そういう訳で、館長の頼み通り「顔は出した」から、役人たちへの挨拶もそこそこに私たちは交流会を抜け出した。格式高い空気に緊張して会場の食事はまともに食べられなかったし、ホテルのある大通りを離れ、庶民的な商店街のか細い灯りに吸い寄せられると、赤い看板が煌々と目立つラーメン店を見つけて入る。ここが当たりの店だった。とろけるように柔らかく旨いチャーシューと和風で濃厚なみそ味に舌鼓を打ち、やはり私たちにはこういう店が合うのだと笑い合った。その後は夜遅くも営業中の喫茶店でデザートに苺のタルトなんて味わって、数時間のデートを楽しんだ。
そんなこんなで、すっかり深い夜になってしまった帰りの電車内。ぎりぎり終電には間に合った。電車での居眠り癖のある私だが、今夜ばかりは眠らないように、と真面目な助手らしく気を引き締めていたつもりだった。けれど、隣でうとうとしている彼女を見ていたら、うっかり私もつられてしまいそうになる。
「おっしょはん」
あかんよ、こんなところで寝落ちたらまずい。そう声を掛けようと思い、いや、可哀想に思ってやめた。彼女は毎日の職務に疲れ、特に今日は交流会なんて慣れない環境で神経を擦り減らし、普段以上に疲れているだろう。寝かせてやろう。
私はどうも彼女には甘い、彼女を甘やかし過ぎではないか、と友人たちや恩人の室生犀星先生にもからかわれるのだが、それも仕方ない。私は彼女の頑張りや苦労を誰より近くで見てきた、どれだけ甘やかしたって彼女を癒すには足りない、それにこんな愛らしくも安堵しきった寝顔を見て誰が彼女を起こすという非道な行為を出来ようか。私は彼女に出会った時、誓ったのだ。今度こそ、わが妻となる女性を大切に愛するのだ、と。生前の記憶はぼんやりとしか思い出せないが、私は妻を大切に出来なかった後悔だけは心に残っていた。寝かせてやろう。
今の停車駅から目的の駅まではまだ三駅ほどある。着いたら起こしてやればいい──しかし、電車が再び動き出すと、私もすぐに寝入ってしまった。
「──さん、作さん」
不思議に懐かしさを感じる彼女の声で、ぼんやりと目覚めた。
「作ちゃんっ、た、たいへんです」
「か……咲枝、はん? あぁ、すまん、わしもすっかり寝落ちてもうて」
慌てて向かいの窓の外を見ると、見知らぬホームと聞き覚えのない駅名の看板が見えた。駅員の終点を知らせるアナウンスが聞こえる。ああ、やってしまった。私たちが降りるべき駅は、終点の二駅前だ。寝過ごした。とりあえず、この電車は車庫に入ると言うのですぐに降りた。近場に居た眠そうな中年の駅員に声を掛ける。この辺りは住宅街で、泊まれる場所も時間を潰せるような店も無いという。タクシーを呼ぼうかとも考えたが、二駅戻るなら歩いて大体一時間、まあ明日は休館日であるし特に急ぐ用事も無いので、線路を辿って二駅前まで歩いて帰ることにした。とはいえ、やはり疲労している彼女が心配になる。寮までおんぶしてあげようかと提案したら即断られた。
「ほんまにへーき? 疲れてはるやろうに、わしがおぶってやらんでもええの?」
「へ、へいきです、よ。わたしだって、そこまで、柔じゃありません」
作之助さんと一緒に歩けます、そう胸を張った彼女の言葉に私は安堵した。そうだった、私はどうしても過保護になってしまうが、彼女は私の思っている以上に、強く頼もしい子であった。
他愛のない雑談で笑いながら、ようやく一駅通り過ぎた頃、彼女が曇った夜空を見上げながらこう言った。
「真っ暗で、静か、ですね。わたしと、あなたの声しか、聞こえない。──なんだか、わたしたち、ふたりきり、夜に取り残された、みたい」
「お、なかなかの詩人さんやね、おっしょはん」
「……もう」
揶揄われたと思ったらしく、彼女は恥ずかしそうに口を尖らせる。しかし私は褒めたつもりだった。ぷっくり膨れた可愛らしい頬を突いたりして、少し戯れ合う。
廃墟染みた長屋も混じる住宅街の真中、ぽつんぽつんと並ぶ電灯の光は殆ど今にも消えそうな弱々しいもので、終電を過ぎているから電車が線路の上を横切る事もない。雲の切れ間から覗く微かな月明かりしか頼りのない線路沿いは、確かに、何処かこの世のものと思えない雰囲気があった。その暗闇の中では、生きているものの気配が感じられなかった。
詩的な彼女の発言に引っ張られたのか、不意に私の中で浮かんだ言葉が口を滑って落ちる。
「死後の世界ってこんな感じやろか」
自分たち以外誰もいない、生命の呼吸も感じられぬ、真っ暗闇の世界。私は一度、死を経験している筈だが、死んだ後の記憶なんて一片もない。そんな世界が実際存在するものかすら知ったことではない。ただ、もしかしたら、今こうして歩く世界こそ死後の──いや、妻とふたりで眠る墓の下、幸福な夢を見ているだけなのではないか──なんて時折考えてしまう。私は本来なら何十年も前に、死んでいる筈なのだ。今更ながらこうして、彼女とふたりで線路沿いを歩いている今が、不思議で仕方がなかった。言い知れぬ不安に身が凍る。この線路の先に、しかと道はあるのだろうか。
私の小さな呟きに、彼女からの返答はなかった。春の夜風が私の声を吹き消してくれたのか、聞こえなかったフリをしてくれたのか。けれど彼女の小さな手は強く強く私の手を握り締めている。私はいつもの様に明るく声を張った。
「なんや確かに、草葉の陰からお化けでも出て来そうな雰囲気ではあるなあ。ヘルン先生なんかは喜びそうやね?」
「……ちょっと、こわい」
「ほんなら、楽しいお話しよ。怖くないように、幸せな未来予想図でも考えよ」
「みらいの、おはなし? ……明日は、ホットケーキ、食べたいな」
「けっけっけ! そうそう、ええ感じや。──わしはなあ、いつか、あんたとの子供が欲しい」
「え……ええッ」
「そない驚かんでも。時々夢に見るくらい憧れやねん、父親になるの。男の子でも女の子でも嬉しいなあ、わしらによう似てどっちも美男美女に育つこと間違いなしやで」
「み、未来って、そういう……」
「ほんでな、犬も1匹飼いたい。小型で大人しい子がええわ。長く暮らすんやったら、わしはやっぱり大阪住みたいなあ。小さな家を構えよう、豪勢なもんやなくてええから、下町に今でもぽつんとあるような古い長屋でええねん、あんたとふたりで、また──」
『また、私は彼女を殺めるのか。』
耳元で、自分であって自分ではない、誰かの声を聞いた気がした。
「作、ちゃん……?」
忘れていた生前の記憶が、妻を病で失ったことで悲しみ狂ったあの記憶が、当時の後悔や怒りと共に身体中を駆け巡る。一瞬ぐらりと天地のひっくり返るような目眩がして、立ち止まった。呼吸が浅くなる。息苦しくてその場に膝をついた。胸元が、肺が、いたい。
あれはうかつにも私が殺してしまったようなものだ。辛い思いばかりをさせて、時には低俗な暴力を振るって、肉体的にも精神的にも追い詰めて、果ては病に苦しむ彼女を助けてやることすら出来なかった。『今日の仏は私が殺したのだ。』私が。私は、また。
嗚呼。
「違う、わしは……わしは、今度こそ、あんたを、死なせたり、は、……」
「さくのすけ、さん」
彼女の声が、作さん、と私を呼ぶ。
「だいじょうぶ、もうだいじょうぶ、だから」
ぎゅうと柔らかいものが私の頭を抱え込む。甘く陶酔するような、金木犀の香りで我に返った。
「あ、ッ、すまん。ちょっと、昔の嫌な記憶、思い出して……急に、何でやろか……。生前にもこんな線路道を歩いた覚えが、あるなあ……」
「──記憶の歯車」
「へ? って、アレか、川端先生の本、浄化した時になんや拾ったやつ」
「はい。おださくさんの、開花に使用しました。たぶん、あれは、能力を高める効果の他、文豪さんの心の奥底に眠る記憶を、甦らせるもの──でも、あるのでしょう」
ごめんなさい、と私を胸に抱く腕の力が強まる。何も謝る理由はないのに。苦しい思いをさせてしまって申し訳ない、と彼女は泣きそうだった。私は、声高らかに笑って見せる。
「大丈夫、大丈夫やで。この記憶はいくら悲しい辛いもんでも、絶対に忘れたらあかんのや。わしの妻──大事な片割れとの記憶やから。思い出させてくれて、ありがとう。おおきに」
「……よかった」
『今度こそ、貴方を置いていったりなんてしないから。』
耳元で、彼女であって彼女ではない、誰かの声をはっきりと聞いた。
よしよし、良い子良い子。幼子を宥める母親のように、彼女の手が私の頭を撫でる。胸元の痛みが魔法のようにすうっと消えていく。嗚呼、と安堵の息が溢れた。
「あったかい手ぇ、やなあ」
ちゃんと生きている、血の流れている、健康な、優しい女の手だ。
「わたし、長生きしますから。三年後も、三十年後も、ずっと、いっしょですよ」
「うん、いっしょに、生きてこう。今生は少なくとも生前の三倍は生きたるでえ! ケッケッケ」
「ふふっ、頼もしい、ね」
彼女は私を引っ張りながら立ち上がり、改めて前を向き直った。すると何か気が付いて「あっ」と声をあげた。線路の先を指差して「やっと着きました」彼女がとても嬉しそうに笑う。
駅だ。人の生きている光が見えた。
2018.03.08公開
2018.04.08加筆修正
ツイッター企画「#文司書CE」様 参加作品