金木犀の惚れ薬
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帝國図書館第壱特務司書地味で物静かな元引きこもりの23歳
薬の調合が得意な錬金術師
お人好しで頑張り屋さん
瓶底のような眼鏡をかけている
おっぱいがとても大きい
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時計の針が揃って天辺を指した。
まるで日付が変わった合図のように、コンコンと玄関の戸を叩く控えめな音が耳に届いた。どきんと心臓が高鳴る。私は窓を閉めてすぐ玄関へ駆け出した。慌てて部屋の電気を付け、軽やかな呼び鈴の音が鳴る前に、覗き穴の確認なんてせず扉を開ける。わざわざこんな時間に誰が訪れるかなんて、もうわかっていた。
「おっしょはん!」
わかっていたのに、愛しい彼女の姿が目に映った途端、私は夜中にも関わらずつい大声を上げてしまった。
当然、彼女は驚いて「こ、こんばんは」と咄嗟に吐き出した声が裏返っている。お風呂上がりなのだろう、いつものおさげ髪はふわふわに解かれて、私の鼻に金木犀と混じる清潔な整髪剤の香りを届けた。淡い桃色の寝間着姿が何とも可愛らしい。更にその腕の中には、真っ白なケーキ箱が抱えられていて──察する。同時に、左手の薬指を飾る金色を見て安心した。
冬空の如き美しい灰色の瞳が、私の赤色を真っ直ぐ映して桜に染まる。
「さくのすけさん、お誕生日、おめでとうございます」
彼女が大事そうにケーキ箱を抱えていなかったら、私はこの場で思いっきり抱き締めていたと思う。あんまり嬉しくて、目頭が熱い。泣き出しそうだ。その気持ちをぐっと堪えた。
「嗚呼、嬉しいなあ、おおきに。わし、今年で何歳になるんやろうね?」
「えっと……生誕、ひゃくよねんめ?」
「けっけっけ、長生きしたなあ!」
いつもの調子で冗談を言って笑って見せる。けれど私の泣きそうな思いが伝わってしまったのか、つられたように微笑む彼女も瞳を潤ませていた。
「ごめんなさい、こんな遅くに」
「ええよ、ええよ。わしも今日が楽しみでなあ、もう子供みたいにそわそわしてもうて、ちっとも寝付けへんかったから」
「そう、なの?」
「うん。あんたがいちばんにお祝い来てくれて、ほんま嬉しい」
「……よかった。わたし、だれよりも、いちばんに、この日をお祝いしたくて。プレゼント、結局、用意出来なかった、けど……ケーキ、焼いてきたの」
少しだけ、お部屋に上がっても、いい?──なんて、不安そうな涙目で首を傾げながら頼まれたら、断れる旦那はいないというものだ。ニヤける顔を堪えて変な顔になりつつ、どうぞどうぞと中へ招き入れる。
いちおうこの部屋の主は私であるから、温かい緑茶を淹れる為にまず台所へ向かった。彼女も当然の如く私の隣に並ぶ。
ケーキ箱の中身を見るよりも先に彼女が箱を開けた途端、甘く陶酔するような香りがふわりと増して驚いた。てっきり玄関先で彼女を出迎えた時から私の胸を温めていた香りは、彼女自身から僅かに漂う木犀の香水が正体だと思っていたのに、実際はこの箱の中身であったらしい。しかし、箱からまな板の上へ姿を現したそれは、私も二度か三度ほど食べた事のある全く平凡なパウンドケーキに見えた。平凡な素人手作り、というには専門店にも見劣りしない完璧過ぎる仕上がりではあるが。さすが錬金術師と書いておこう。
彼女の手で丁寧に切り分けられて、ちょうど良い厚さになったパウンドケーキは手頃な小皿へ寝かされる。ふわふわとした卵色の生地には、小さな橙の花が沢山咲いていた。
「え、これ、この匂い、金木犀やんな?」
「はい。フラワーケーキ、金木犀のシロップを混ぜて、作りました」
このケーキの中に咲く花々は、比喩でも何でもなく本当に、シロップ漬けされた金木犀なのか。小説で使われそうな表現そのまま、実際に花を食むとは。少し戸惑ったが、しかしまあ、バターと混ざり合ったそれはなんと美味しそうな匂いをさせるのだろう。
金木犀のシロップはホットケーキやトーストに散らすも良し、お湯で溶かしてハーブティーのように飲むも良し、秋限定の万能花蜜である。金木犀のお酒だってあるのだと、そう教えてくれる彼女はやたら自慢気で可愛らしい。今度ぜひ、その噂の酒をいっしょに味わいたいものだ。ただし彼女はめっぽう酒に弱くて酔うとすぐ甘えん坊になってしまうから、ふたりきりの時に限る。絶対。
さて、お湯が沸いた。淹れたての緑茶と共に、炬燵机の上、パウンドケーキを一切れずつ乗せた小皿がふたり分並ぶ。私たちは狭い炬燵にわざわざふたり並んで入った。
いただきます。私は小さな花にフォークを遠慮無く突き刺した。ふわふわの生地ごと掬い上げて、大きなひとくちを頬張る。柔らかな食感と口いっぱいに広がる木犀の香り、蜂蜜にも似た甘さで両頬がとろけそうだ。
「んんっ、うまいなあ! 咲ちゃんみたいな優しい味がする、いくらでも食べられそうやわ」
私の言葉に、彼女はフォークを咥えたまま苦笑いで首を傾げた。またこの小説家は可笑しな冗談を言っている、そう考えているのだろうが、私は何も嘘を言ったつもりはなかった。
この花も、味も、香りも、全てが彼女を思わせた。彼女はさながら、私の孤独に寄り添う金木犀の一枝である。美味しくて美味しくて、あっという間に平らげてしまった。腹の中まで愛おしさに満たされていた。
緑茶を飲み干してひと息ついたら、急に笑いが込み上げてきて、心の底から言葉も溢れ出す。ご馳走様でした。ふふっ、と弾むように笑う彼女の声が聞こえた。
「もう、食べちゃった?」
「いやあ、美味くて手が止まらんかったわ」
「……じゃあ、わたしのぶんも、食べる?」
「ええの?」
「ええですよ、わたし、たくさん味見したから。作ちゃんのための、ケーキだもん」
はい、あーん。彼女はにこにこと嬉しそうに微笑んだまま、ケーキの欠片が突き刺さったフォークを私に向ける。嗚呼、木犀の香りが近い、酔ってしまいそうだ。
私は素直に喜んで、大きな口を開けて──目の前のフォークを奪って退かし、素早く、彼女の唇を食むように口付けた。驚いて小さな身体が震える。軽い悪戯に過ぎないので、舌先で甘い唇をぺろりと味見してからすぐ離れた。
灰色の目が大きく見開かれて私を見ている。この一瞬の出来事をようやく理解したのか、みるみる頬が赤々と染まっていった。もう何度口付けを交わしたことか数えきれはしないのに、未だ彼女は可愛い反応を見せてくれる。交際の始まった当初から、こういった不意打ちに弱いところは全く変わらない。そんな初々しい姿があまりにも愛らしくて、また笑いが溢れた。
「すまん、すまん。咲ちゃん見てたらケーキよりも美味しそうで、つい、な?」
「も、もうっ、作ちゃんったら!」
「きっと惚れ薬効果が今更出てもうたんやなあ〜」
私が揶揄うと少し心の余裕が戻ったのか、照れた顔を片手で押さえて、もう片手で私の背中をぽこぽこ緩い拳で叩いてくる。一切痛くも痒くもないのだが、可愛い。
「ううう、あんな薬、効果、ないって言ってた、のに」
「いやいや、材料がひとつ足りてなかっただけやね。わしをめろめろに酔わすんやったら、金木犀のこの甘〜い香りが無いとあかんで」
ぽこぽこと叩き続ける彼女の手を握って止める。少し握る力が強かったかもしれないが、嗚呼、そんな、戸惑い潤んだ灰色で見つめられると、また余計に食欲が掻き立てられてしまう。
「わし、お腹空いてもうたなあ」
私はもう片方の手で最大限優しく、彼女の頬をすりすりと撫でた。言葉の意味を理解したのか、彼女は恥ずかしそうに私から目線を逸らしてしまう。林檎色に染まった柔らかな頬が美味そうだ。
「……ケーキじゃ、だめ?」
「だーめ。ケーキだけじゃお腹いっぱいならへん」
「ほんと、意外に食いしん坊……」
彼女は諦めて苦笑すると、頬に触れた私の手に自身の手を添えた。蕩ける蜜ような笑みだった。
「美味しく、食べてくれるなら」
少しでもプレゼントの代わりが出来るなら嬉しい、と彼女は申し訳無さそうに答えてくれた。
全くまだそんなことを気にしていたのか。昨日も言ったように、私は彼女と共に同じ時間を過ごせるならそれで十分だ。だからこそ、私にとってこれ以上最高の贈り物はない。
私は喜んで、もう一度、彼女の唇を美味しく──頂こうとする所だった。
どんどんどん! 突然、玄関の扉を乱暴に叩く音が響いた。私はあまりのタイミングの悪さに思わず眉間を抓る。こんな夜中にまた訪問者とは。いったい誰が、と考えるよりすぐ、見慣れた顔がふたつ頭に浮かんだ。更に続いてぴんぽんぴんぽん喧しく何度も呼び鈴を鳴らすので、とうとう察しがついた彼女も赤い顔のまま笑い出してしまった。
こうも甘やかな空気を吹き飛ばされてしまっては仕方がない。私は彼女から渋々離れて、ますます喧しくなる玄関先へ向かった。「うるさいなあ!?」と大声を吐き出しながら扉を開ければ、案の定、想像通りのふたりが並んでいた。
「──やっぱり、あんたらかい」
「よお、オダサク。悪いな、こんな時間に」
騒音を出していたひとりの坂口安吾はへらへら笑って、一応の挨拶はしても全く謝罪の気持ちがこもっていない。相当飲んでからここへ来たのか、漂う酒の匂いがきつい。
「なんだよー、せっかくオダサクの尊敬してやまないふたりがお祝いしに来たってのに」
もうひとりの騒音原因である太宰治は、どうしてそんなに不機嫌なのかと、純粋に疑問だという様子で首を傾げていた。こっちも酒臭い。
これには誰だって機嫌のひとつやふたつも悪くなるだろう。誕生日だからこそ彼女と甘いひと時を過ごしていたのだ、当たり前だ。もしも彼女が居なくてひとりでぐっすり寝ていたとしても、あの喧しさで叩き起こされたらもっと怒っている。しかし実は怒りよりも若干喜びの方が優っていることに、何とも余計腹立たしくて複雑な心境だった。
私の背中越しに彼女がひょっこり顔を出したのか、その存在に気付いた太宰があっと声を上げる。にやにやと笑いながら彼女に手を振った。
「なるほど、司書ちゃん来てたのか! ごめんね、邪魔しちゃった?」
「あ、いえいえ……。なんとなく、おふたりも、いらっしゃるかな、って。思ってました、から」
彼女はまるで自分がお祝いされているかのように嬉しそうだった。確かに私もほんの少しだけ、もしかしたら彼らも祝いに来てくれるのではないかと、心の隅の隅で塩ひとつまみ程度は期待していた。──が、あと1時間ぐらい後に来てほしかった、というのが今の本音である。
私は相当喜びと苛立ちの混じった複雑な表情をしていたのだろう、安吾に「ここは素直に喜んどけよ」とケラケラ笑って眉間を突かれた。
「ほうれ、見ろ。この日を盛大に祝ってやろうと思ってな、良い牛肉、用意してやったんだぜ。安吾鍋にすっから準備するぞー」
「えぇ、こんな真夜中に鍋て……」
「なあに言ってんだ、こんな真夜中に食うからこそ良いんだろーが。ったく、わかってねえなあ」
明らかに高級そうな木箱を掲げて見せる安吾は実に楽しそうで、ちっとも遠慮する素振りもせずに、さっさと玄関を越えて勝手に台所へ向かって行ってしまった。
「あっ、わたしも、手伝います」
その後を彼女も着いて行ってしまう。早速向こうから「おっ、美味そうなケーキがあるな。鍋に入れるか」「や、やめて!」等とふたりの戯れる声が聞こえる。
安吾が転生されて以来、彼を兄の如く慕うその姿は微笑ましいが、彼女を取られたようで寂しくもある。嫉妬深い私の心情を察したのか、太宰君にぽんぽんと肩を叩かれた。
「ふっふっふ、こりゃ本当に良いところだったらしいな。いやはや〜、邪魔しちゃって悪いねえ、織田君」
「喧しいわ、君付け気持ち悪いし」
「気持ち悪い!? ひっでえな、人が素直に謝ってんのに! オダサクのばーか! 俺も美味い酒持ってきてやったのに、オダサクだけ飲ませてやんないぞ!!」
「はいはい、お気持ちだけで結構ですよ、いつもの呼び方のほうが落ち着くわ。謝る必要もあらへんよ。まあ……なんちゅーか、うん、嬉しいし……」
「……なに? まさか照れてんの?」
「照れてへんわアホ!!」
「ふっ、なんだよまったく、俺らの弟分はなんだかんだ言って可愛いなあ!」
「だーっ、やめろやめろ、太宰クンめっちゃ酔ってるなあ!?」
今度は満面の笑みでわしゃわしゃと雑に頭を撫でられた。何だか屈辱的な気分でもあるのだが、嬉しく思ってしまう自分もいて、私は照れ臭さを誤魔化すように「ケッケッケ」と声を上げて笑った。
私はまた彼らと酒を飲み、語り、笑い合えることを。生前は願っても叶わなかった、数多くの文壇の先達に出会えたことを。そして、彼女ともう一度生きられることを、心から幸せに思う。全ては彼女の存在あってこそ、彼女が私たちに二度目の人生を与えてくれたからだ。
「長生き、してみるもんやなあ」
来年も、再来年も、その先も何度でも、こんな誕生日が過ごせることを願おう。私は、私の左手の薬指を飾る金色に改めて誓った。
今度こそ、金木犀を枯らすような真似はしない──と。
2017.10.26公開
2018.04.01加筆修正