世話焼き助手とお司書さんの話
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帝國図書館第壱特務司書地味で物静かな元引きこもりの23歳
薬の調合が得意な錬金術師
お人好しで頑張り屋さん
瓶底のような眼鏡をかけている
おっぱいがとても大きい
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ショコラのひと
きっかけは、明るい客引きの声だった。
今日オープンしたばかりらしい喫茶店の前で、背の高いお兄さんが元気に声を張っていた。関西の人なのだろうか、独特の訛りが入った緩い敬語は軽やかに、街行く人々の耳へスッと入り込む。だから俯きがちに歩いていた私も、つい足を止めて顔を上げ、彼の声に聞き入ってしまった。
お店の売りだという珈琲について語りながらチラシ配りに励むその人は、男性にしては珍しく随分と長い髪を三つ編みにしていて、陽の下でキラキラと輝く柘榴石みたいな瞳が綺麗だった。きっと誰もが一度は振り返ってしまいそうな、絶世、そんな言葉を添えても申し分ないくらい、美しい容貌。細い縦縞の紺色のシャツに赤いネクタイを締めて、黒いエプロン姿がその細身によく似合う。なんて美人な方だろうと、思った。
有り体に言ってしまえば、私は──
「あっ、そこの綺麗なお姉さんも! 良かったらチラシだけでも貰っていってくださいー!」
「え、ぁ……ありがとう、ございます」
道の端でぼんやり立ち尽くしていた私の元に、眩しいほどの笑顔を見せて歩み寄り、新店のチラシを手渡してくれたその人。私は、私は名前も知らないその人に。
一目惚れを、してしまったのだ。
数週間前、この**町の商店街に新しくオープンしたカフェ・ロワイヤルは、店長こだわりの珈琲が名物の喫茶店だ。生憎、私は珈琲の苦味がどうしても得意でなくて、ひとくち以上は飲めなかったのだけど、その深く芳しい香りは好きである。
店の前で彼を見かけた翌日から、私はよくこの店に訪れるようになった。仕事へ行く前にモーニングを頂いたり、仕事帰りにほっと一息ついたり、休みの日も本屋さんへ行くついでに三時のおやつを食べに立ち寄ったり、時間はバラバラでも、今ではほとんど毎日通っている。このお店の雰囲気や、美味しいショコラを気に入った、という理由も勿論あるけど、御察しの通り、一番の理由は……。
「あっ、ショコラのお姉さんや、いらっしゃいませ!」
カランコロンとドアベルを鳴らせば、すぐさま眩しい笑顔で出迎えてくれる、三つ編みのあの人に会いたいから……である。
毎日のように通っているせいだろう、珈琲が売りのお店でショコラばかり飲んでいるから、いつの間にか「ショコラのお姉さん」なんてあだ名まで付けられていた。でも全然、悪い気はしない。密かな恋心を寄せている彼に顔と特徴を覚えてもらえている、それは今までになく嬉しい感覚だった。
いつも通り奥の窓際の席に案内してもらって、気持ち良い朝の日差しを浴びながら、彼が届けてくれるモーニングセットを待つ。のんびり待っている間、本を読んでいるふりをして、彼の働く姿を盗み見るひとときも、何だか幸せで。なるべく見ていることをバレないように気を付けているけど、たまに向こうが気付いて目が合ってしまって、だけど彼は気にせずニコッと笑い返してくれる。その度にどきどきして、変な勘違いをしそうになるのだけど、いやいや、彼は元々愛想の良い人だから、私は常連客だから、そこに店員と客を超えるような特別な理由なんて、ありえない。
だって、こういうお客さんは、私だけではない。彼の美しい容姿と性格の良さに惹かれて、彼目当てでこの店に通い詰める女性客も、結構居るのだ。彼の気を惹こうと、軽々しく彼の手や腕に触れたり、黄色く甘ったるい声で話しかけている人の姿を見てしまうと、酷く胸が痛む。嫉妬と、嫌悪感とで、気分が落ち込む。やめてほしいと思うけど、私はただのお客さんだから何にも出来はしない。
ああ、ほら、今日も。私と同い年ぐらいの美人な女性が、お会計の後、彼に何かメモを一枚手渡している。自身の連絡先でも書いてあるのだろうか。でも、彼はそれを申し訳無さそうな顔で返却した。
「今お仕事中なんで、ごめんなさいね」
またのご来店お待ちしてます、なんて。あんな少し迷惑な客にも、彼は笑顔を崩さず上手に対応している。凄いなあと感心する反面、もっとあからさまに嫌がってくれたら良いのに、とか考えてしまって。ちょっと、自分のことまで嫌になる。
私も、彼にとってはさっきの女性と何ら変わりない、ショコラばかり飲む変なお客……ぐらいの認識だろうに。
レジの方からさっと目線を逸らし、窓の向こうを見つめる。私の今の心情とは真逆の、眩しく晴れ渡った青空が見えた。嗚呼、恋って楽しいけれど、こんな憂鬱にもなるものなんだ。口から自然に、深い息が溢れた。
「はあ……」
「どうしたんです、お姉さん。溜息なんかついて、幸せが逃げてしまいますよ〜?」
びっくりして、私は慌てて声のする方へ顔を上げる。さっきまでレジ打ちしていた筈の彼は、いつの間にか相変わらずのにこにこ笑顔で机の横に立っていて、私の頼んだモーニングセットを運びに来てくれていた。
お待たせしました〜、と彼の軽やかな声を聞きながら、読みかけの本をしまって、お気に入りの朝食が机の上に並ぶのを見守る。白い大皿の上でメインを飾るは、艶々に光るほどバターを塗った、焼きたてのパンが二切れ。そしてその横に添えられた、分厚いベーコンを乗せたフワッフワのオムレツ。果肉たっぷりのトマトソースで彩られたその姿に、思わず喉が鳴った。わあ、今日も美味しそうだ。ここのモーニングは和食と洋食を選べる日替わりメニューだから、毎日食べに来ても全然飽きないのが良い。しかもこれにサラダとドリンクまで付いて、お値段もリーズナブル。
しかし「ショコラは食後にお待ちしますね」と言いながら、彼の手で置かれた見慣れないガラスの小皿を見て、私は首を傾げた。モーニングセットにデザートは付いていない筈だけど、これは。
「スイカ……?」
ひとくちサイズに切り分けられて、小皿にころころと盛られた、瑞々しい赤色。でもスイカなんて、メニューのどこにも載っていなかった筈だ。
改めて店員さんの顔を見上げれば、彼は焦ったように目線をそらした。気まずそうに辺りをきょろきょろ見回してから、私の耳元に素早くその整ったお顔を近付ける。突然の事態に、どきんと大きく心臓が跳ね、軽く悲鳴を上げそうになった。そして「わしからの、ちょっとしたオマケです」彼は確かに、そう耳打ちしたのである。それだけ伝えると、綺麗な顔はまたすぐ逃げるように離れていった。呆然と固まってしまった私を見下ろして、彼は少し頬を赤くして微笑んでいる。
「ほら、お姉さん、うちの店ご贔屓にして下さってますし、日頃のお礼です。それに、なんや、いつもより元気なさそうだったんで……」
照れ臭そうにそう言われ、既に熱い頬がますます温度を高めていく。それは、いつも私のことを、気にかけてくれていたって、思って良いのだろうか。ただの常連客でしかないだろう私を、心配、してくれていた?
「他のお客さんや先輩らには、内緒にしといてくださいね」
店長にバレたら絶対怒られちゃいますんで、と口の前に人差し指を当てて、お姉さんとわしだけの秘密ですよー、なんて無邪気な子供のように笑って。彼はご機嫌に三つ編みを揺らしながら、忙しいお仕事に戻っていった。
そんな、こんなあからさまなこと、されてしまったら。私──
(彼の特別なんじゃないか、って、勘違い、してしまう)
モーニングに手を付ける前に、彼の好意で頂いたスイカをひとくち、頂いてみる。ああ、とても甘くて、つめたくて。熱くなった頬と心を、優しく冷やしてくれるようだった。
***
きっかけは、新オープンした働き先での、チラシ配りだった。
店長から昨日聞きかじったばかりの情報を、ちょっと大袈裟に高らかに道行く人々の耳へ失礼しながら、得意の笑顔でチラシを配っていた。その途中、不意に熱っぽい視線を感じて、ぱっとその熱の方へ顔を向ける。店の向かいの道の端に、その人はいた。
一瞬自分の仕事も忘れて、わあ、と小さく声が溢れた。眼鏡越しでもわかる長い睫毛、少し物憂げに伏せ目がちの瞳、冬の夜明け空みたいに優しい灰色と目が合って、しかし慌てて逸らされてしまった。派手ではないが、額は広く、鼻筋は綺麗に通り、頬は丸く愛らしい、整った顔立ち。淡く黒い髪を緩めに胸の前で結っていた。職場の制服なのだろう、ぴっちりしたベストとタイトスカートがその大きく育った胸とお尻には少し窮屈そうで、地味だがどうにも、男をそそる。なんて別嬪さんやと、思った。
嗚呼、そんなんありえへんて、鼻で笑ってたくらいやのに──
「あっ、そこの綺麗なお姉さんも! 良かったらチラシだけでも貰っていってくださいー!」
「え、ぁ……ありがとう、ございます」
ただ宣伝用のチラシを手渡しただけなのに、お礼を言うなんて珍しいひとだと思ったし、控えめに浮かべた微笑みが何より可愛らしくて。どきん、と胸が高鳴った。
一目惚れ、だった。
嬉しいことにそのすぐ翌日には店に来てくれて、数週間経った今ではすっかり常連客のお姉さんだ。出勤前や仕事帰り、休みの日はおやつを食べに来てくれたりと、時間帯はバラバラでも、殆ど毎日うちの店に足を運んでくれる。余程、店内の雰囲気やメニューを気に入ってくれたのだろう。
初めて店に来てくれた時、苦い物はあまり得意でないと言う彼女に、ショコラをオススメしたらとても喜んでくれて、うちの店では必ずそれを頼むようになった。だから「ショコラのお姉さん」なんて勝手に呼んでいる。店員という立場上、下手に名前や連絡先を聞き出すのは難しいから。そんな甘党のお姉さんは本を読むのが趣味らしく、図書館で借りた歴史小説や買ったばかりの芥川先生の新作などを開いて、落ち着く店内で読書に夢中になる彼女の姿を、ゆったり眺めていられる時間が実に幸せで。
気付けば、毎日のように彼女と会えることが、今の仕事で一番の楽しみになっていた。他にも楽しみはあるが、シェフの作ってくれるまかないと、先輩の淹れてくれる珈琲ぐらいである。あと、オーナー(ネコ)を時々わしゃわしゃ撫で回すのも悪くない、うん、めっちゃ楽しい職場やわ。
しかし毎日のように、とは言っても、当然、彼女も本当に毎日店に来られるわけではない。朝も夜も仕事が忙しかったり、休日に他の予定があったのだろう、いらっしゃいませと出迎えた時に見せてくれる、彼女の控えめで可愛らしい微笑を拝めない日もある。そういう日はどうしようもなく残念で、寂しくて、非常に気分が沈む。常連客としての彼女以外、自分は彼女の何にも知らないから。今頃何をしているのだろう、仕事で無理をさせられてはいないだろうか、変な男に言い寄られたりしてはいないか、いやそもそも、もしかしたら恋人が、居るのかどうかすらも、知らない。……そんなことばかりを考えて、自分の勝手な想像の中で嫉妬を燃やしてしまったりするから、我ながら厄介極まりない。
そして今日は、彼女に会えなくて早五日目を迎えていた。店の定休日なども含めて、だ。
「うう、ショコラのお姉さんに会いたい……今日も来えへんのかなあ……」
日曜日だから今日こそ彼女に会えるのではと、期待して出勤したというのに。外は生憎、風情の欠片も感じられない、バケツをひっくり返したかのような土砂降りである。朝はまだ小雨だったが、昼を過ぎた頃からだんだんと雨脚は強まり、おやつ時を過ぎてこの通りだ。いつもなら、この時間は店の席の半分ぐらい客で埋まっていても良い時間だが……。
「うーん、このお天気ですからね、明日の朝に期待しましょう」
従業員以外誰もいない、ガランとした店内を見回した堀先輩は、こちらを励ますようにそう言って苦笑い。
「やれやれ、重症だな、君は。まあ、これでも飲んで気分転換したまえ」
永井シェフにまで呆れられてしまった。けど、彼も心配してくれているのだろうか、カウンター越しにふたりぶん差し出された飲み物、それは彼女が大好きなショコラだった。「ありがとうございます」と早速ひとくち頂いたが、隣で「美味しいです」と顔を綻ばせる先輩の声を聞きながらも、自分は少しもそう思えなかった。何だか今日は味すらも感じない。甘ったるい匂いだけが、彼女に会えぬ寂しさを煽るだけでしかなかった。
はあ、会いたい。この白いカップに並々注がれたチョコレート色を見ていたら、余計にその思いが強くなる。嗚呼、彼女の存在ひとつで、一日の気分どころか舌の感覚まで狂ってしまうのだから、恋とは何と面倒なものか。自分が重症過ぎるのだろうか。
また溜息を吐き出しかけた時、カランコロンとドアベルが鳴った。あかんあかん、お客さんや。慌てて表情を引き締め、ざあざあ激しい雨音を引き連れて開いた扉へ体ごと笑顔を向ける。
「いらっしゃいませ──って、ショコラのお姉さん!!」
「わあっ」
噂をすれば何とやら。
嬉しくて嬉しくて仕方なくて。ああッ、お会いしたかった! 待ってたんですよう!! そう喜びの言葉が即座に飛び出した。当然、思わぬ大歓迎を受け、彼女は目を丸くしてびっくり固まっている。けれど数秒の間を空けて、またいつものように照れ臭そうな可愛らしい微笑を見せてくれた。
「まったく、彼の百面相は愉快だな」
「ふふ、見ていて楽しいですよね」
背後から彼女を迎える声と一緒に、そんなシェフと先輩の会話が聞こえた気がしたけれど、まあ気にしないでおく。
ふとよく見れば、彼女の靴やスカートの裾が濡れている。それはそうだ、外は酷い大雨、風の無いだけマシではあるが、傘で防ぐには限界があったろう。更に彼女の両腕には、近所の本屋で一冊何か買ったのだろう紙袋が、この雨で濡れてしまわないよう大切に胸元へぎゅっと抱かれていた。
例え本屋帰りのついでだろうと、この大雨だからさっさと帰ってしまおうとは思わず、うちの喫茶店に立ち寄ったくれたことが喜ばしくて気持ちが弾む。
「今週、全然うちの店に来てくれへんかったから、寂しかったんですよー?」
「はい……ちょっと、お仕事が、忙しくて、私も残念で……。今日は絶対、お店に行くぞーって、昨日から、決めてたんです」
「けっけっけ、そうなんですか、そら嬉しいです、お待ちしてました。そういや、お姉さんって何のお仕事してはるんです?」
「えっと、近所の図書館で、司書を、しています」
「へえー! 図書館のお司書はんやったんですか。……なんか、妙にしっくり来るというか、似合いますね?」
「そ、そうですか?」
いつも通り窓際の奥のお席へご案内しながら、普段あんまり聞けないことを軽々しく聞いてしまった。つい店に他のお客さんが誰も居ないから気が緩んでしまった、けど、彼女は少しも嫌な素振りを見せない。それがまた、自分の心を嬉しくさせた。彼女が席に着いてほっと一息ついたところで、また会話を続ける。
「ご注文はいつものショコラで?」
「はい。今日は温かいのを、ください」
「雨のせいでちょっと肌寒いですもんね、かしこまりました。にしても、ほんまお姉さんはうちのショコラがお好きですねえ。こんな大雨の日でも飲みに来てくれるなんて、有難いですよ。それとも……実はわしに会いに来てくれてる、なーんて」
けらけら笑いながらつい饒舌になって、実際そうであってくれたら良いのにと、馬鹿な冗談を吐き出してしまった。しかし、彼女はまた驚きに目を大きくさせてこちらを見上げた。その顔はみるみる内に赤く染まっていき、まるで"図星を突かれた"と言わんばかりの表情を見せたのだ。
「──えっ」
信じられなくて、間の抜けた声が出た。その声で我に返ったのか、彼女は真っ赤に熟れた林檎の頬を慌てて両手で隠して、ばっと身体ごと背を向けてしまったけれど、意味はない。何せ、彼女の耳や首まで赤くなっていたから。
理解が、追いつかない。冗談を言ったつもりだったのに、そんな反応されるなんて、微塵も思っていなかった。彼女の赤色につられたかのように、自分の頬も熱くなる。心臓が痛いぐらいに早鐘を打ち始める。
「あの、ぉ、お姉さん……? そ、そこは、何言うてるんですか〜ってツッコんでもらえへんと、無言は肯定と思われちゃいますし、その、」
ありえへんと思ってた、お姉さんは他のお客と違って全然わしに靡いてくれん、あからさまに贔屓しても全く気付いてもらえなかったから、だから、てっきり、自分はお姉さんに男としての興味なんか持たれてないんや、思ってたのに。まさか、そんな──
「……わし、勘違いしますよ?」
やや間はあったものの、涙目でこちらを向いた彼女の唇が微かに動き、確かに、小声で「はい」とだけ聞こえた。
「勘違い、して、ほしいです」
もはや外の大雨の音に掻き消されそうなくらい、震えた小さな声だった。
「──お姉さん。今更、なんですけど……お名前、聞いてもええですか」
「あ……苑宮、咲枝、です……」
「咲枝はん。ああ、ようお似合いの、可愛らしい名前やね。わしは織田作之助言います、気軽にオダサクって呼んでください」
「ふふ、おださくさん。覚えやすくて、良いお名前、ですね」
「おおきに。良かったら今度、天気の良い日に、わしとデートしてくれませんか」
「……はい。是非」
その日、自分は彼女と、単なる常連客と店員の関係を越えた。やがて何度もデートを重ね、結婚を考えるまでに関係を深めていくのだが──それはまだもう少し、先の話である。
2017.07.02公開
2018.04.01加筆修正