甘いお菓子に秘めた言葉
夢主設定
帝國図書館第壱特務司書地味で物静かな元引きこもりの23歳
薬の調合が得意な錬金術師
お人好しで頑張り屋さん
瓶底のような眼鏡をかけている
おっぱいがとても大きい
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
黒猫の後を追って辿り着いた場所は、裏口玄関を出た図書館の正門前だった。
何故こんなところへ。そう思いながら足元の猫から目線を上げると、門の向こうから、特徴的な細い三つ編みと赤い腰布が揺れているのが見えた。あっ、と声をかけようとして、司書は咄嗟に自分の口元を押さえ、慌てて近くの木の後ろに隠れてしまった。黒猫もぴょんっと跳ねて彼女と一緒に身を隠す。
どうして?……彼の隣に、見知らぬ女性が居たから、だった。
「ーーは偶然、ありがーーございました」
「いえいえ、ーーーこそ。喜ーーもらえるとーーですね、織田先生」
司書の身を隠す木から門までは距離があって、話している内容まではよく聞こえない。けれど、楽しげに笑う二人の表情はよく見える。つきり、つきり、針が刺さるような痛みが司書の心臓を襲う。嫌な予感がした。こんな覗き見なんて悪い行為なのに、じっと二人を見てしまう。こちらへゆっくり歩いて、二人は途中で足を止めた。
(嗚呼、やめて、やめて)
長い黒髪の美しい女性が、その整った顔を緩ませて笑いながら。ずっとその両手で大切そうに持っていた、手作りのケーキを思わせる白い箱を、彼に手渡した。それだけなら、まだ良かった。
「わっ、おおきに! ーーはん!」
彼が、とても嬉しそうに、それを受け取った事は──悲しい、なんて一言では片付けられない程の、絶望的な感情を彼女に味合わせた。
ぐり、と、短剣で胸を抉られたかのような、胸の痛み。息が苦しくなる。司書はその場にずるずるとしゃがみ込んでしまい、目の前の光景から背を向けて、耳を塞いだ。それでも、頭の中である言葉が反響する。いいの?「他の誰かに取られても」許せる訳がない、嫌、いやだ、だって「あの人は私のものなのに」どうして? あの人が愛してくれているのは私の筈だ。こんな日に見知らぬ誰かから、私以外の女から贈り物を受け取るなんて、許せない、許せない──あの人は私のもの、私だけのものだ──ぐるぐると頭の中で浮かぶ言葉たちに、自分自身がどんどん嫌になっていく。
(やだ、嫌、私はなんて、醜い、)
これが独占欲というものだろうか。嫉妬なのだろうか。私はこんなにも醜く彼を好きになってしまっていたのか。自分が日頃隠し持っていた感情は、自分の想像を遥かに超えて拗れていた。先の一瞬の出来事を引き金に、心を引き裂くような痛みと嫉妬の炎で焼き焦がして、ようやく気付いてしまった。けれど、今更気付いたところで、どうしろと言うのか。
「にゃあお! にゃあ〜お!」
突然、それまで彼女の傍で大人しくしていた黒猫が、耳を塞いでも聞こえる程に大きな声で鳴き出した。やめて、やめて、静かにして、彼に隠れていることがバレてしまう。そう小声で懇願しても猫が人の言葉を聞いてくれる筈もなく、一頻り鳴き続けると、何処かへ走り去って行ってしまった。
「……あれ?」
今、犀星先生の猫ちゃん、居た気がしたんやけど……。
彼の声がすぐ頭上から聞こえて、この場から逃げ出したくなるも、何もかも遅かった。
「おっしょはん! こんなとこで何して、」
木の根を背凭れに座り込む彼女を心配して、自分もしゃがみ込んで顔を覗いた織田は、一瞬言葉を失った。
「……泣いてるやんか、どうした?」
そぅっと片手を伸ばし、邪魔な瓶底眼鏡を外して奪ってしまうと、彼女の目元を手の甲で拭ってやる。司書はぽろぽろと流れる涙を止めることが出来ないまま、ゆっくり顔を上げた。
先程の女性の姿はどこにも無い。帰ってしまったのだろうか。
どっか痛いんか? なんか嫌なことでもあったん? とても優しい声音で、頭を撫でられるのが、今だけは心苦しかった。
「さくのすけ、さん……それ……」
嗚呼、聞かなければ良いのに。
あの白い箱と赤い薔薇の花を一輪、彼の片腕が大切そうに抱えているのを見て、ぽろりと言葉を溢してしまった。
「ん……? ああっ、これなー! 食堂のお姉さんが、バレンタイン用のチョコケーキ作って持って来てくれたんやで。館長はんとおっしょはんたちに、日頃のお礼やって」
「……え?」
「うん、せやから、さっきな?」
つまり、彼が言うには、先程の女性は司書もよく知っている筈の、文豪食堂で働く職員の一人で。今日は休みの予定であったが、せっかくのバレンタインだから、と同じ図書館職員の誼みで館長と司書たち用に、お手製のチョコケーキを持って来てくれたそうだ。しかし、この後すぐに急ぎの用事があるそうで直接ケーキを渡す余裕まではなかった為、偶然にも街を歩いている途中で出会った織田に、この白い箱を預けて去って行った……という事らしい。
「いつもは髪もきゅっとまとめてはるから、最初会った時は誰かと思ったわー。やっぱり女の人って、髪下ろすだけでも別人に見えるよなあ」
「えっ、と、じゃあ、さくのすけさんが……本命チョコを、貰った訳では……?」
「へ? いやいや、何言うてんの。お姉さん、わしら文士への義理チョコは明日おやつの時間に用意しておきますー、言うとったで?」
司書の両目からはもうすっかり涙も引っ込んでしまって、代わりに申し訳なさと恥ずかしさと自己嫌悪でいっぱいになる。はああっ、と深い溜息を吐き出しながら、その青冷めていく顔を覆い隠してしまった。
「わたし、さいていだ……」
なんて酷い勘違いをしてしまったのか。
「何や、ようわからんけど、わしがおっしょはん以外の本命チョコ貰う訳無いやんか。いくら絶世の美男子で数多の女性たちからモテてしまうとは言え、申し訳ないけど、わしには心に決めた嫁はんが居るからなあ」
ケッケッケ、といつもの調子で独特の笑い声を響かせながら、司書の頭をわしゃわしゃ撫で回す。
「まさか、わしが他の女にデレデレしとったんちゃうかと思うて、ほんでショック受けて泣いとったん?」
思い切り図星を突かれ、彼女は顔を隠したままに、何とも言葉を返せなかった。織田は口元を緩々ニヤニヤ笑う。
「もー、可愛い子やなー」
「全然、かわいくない……変に早とちりして、嫉妬深くて、最低です……」
「そういうとこが余計可愛いなー、って思うてしまうんですよ。なんだかんだ言うて、ヤキモチ焼いてくれるぐらいには、わしのこと想ってくれとるんやなーって。うっかり自惚れてまうわあ」
また、言葉に詰まって、司書は泣いてしまいそうになる。自惚れではないと、素直に伝えられもしない臆病な自分が、もう嫌だ。
「ほら、おっしょはあん、顔上げて?」
言われるがまま、涙をたっぷり溜めて顔を上げる。いきなり目の前に飛び込んできた燃えるような赤色に、ひゃっ、と思わず声も上がった。これは、彼の腕の中にあった筈の赤い薔薇だ。
女性から男性へチョコを贈るなんて風習は日本だけのイベント事。海の向こうでは、男性から愛する女性へ花を贈る方が当たり前らしい。そんな話をバレンタイン前日の夜更けに聞いて、織田は朝早くでも開いてる花屋を探す為、出勤途中に寄り道していたそうだ。
「咲枝はん。わしの気持ちごと、この薔薇、受け取ってくれませんか」
あ、一応言うとくけど、もちろん本命やで。こんな気障ったらしいこと、ほんまに愛しとるあんたにしか出来へんよ。そう言い切った彼に、笑って誤魔化すような雰囲気はなかった。真っ直ぐ目を見て伝えられた織田の言葉に、司書の惚けていた顔がみるみる薔薇と同じ色に染められていく。
薔薇の赤色に見惚れていたら、これまで不安に思っていたことさえ、馬鹿らしく思える。私の為に用意してくれたのか。私だけの為に。私だけのもの。そう伝わっただけで、先程まで嫉妬に荒んでいた心が、温かく満たされていった。
「ありがとう、ございます。うれしい、とっても、うれしいです」
シンプルに白いリボンを飾った一輪だけの薔薇を、司書は愛おしそうに受け取る。真剣だった彼の表情が、ほっ、と安心に変わった。
司書は次の言葉に迷って「あっ」とようやく、自身が片手に下げていた紙袋の存在を思い出す。慌てて、中に入っていたハート型のプレゼント箱を、貰った薔薇の代わりに手渡した。
「あのっ、これ……わたしからも、バレンタインの、チョコです……」
「おー! やったあ、おおきに」
嬉しいなあ、と口では言っているものの、その明るい笑顔になんとなく違和感を覚えて、司書は首を傾げる。彼ならもっと、えっこれもしかして本命チョコ!? さすがわしの嫁はんやー! とか何とか、目一杯喜んでくれるかと思っていたのに。
「……なにか、ご不満、ですか?」
「へっ!? 嫌やなあ、ご不満なんてある訳無いやん、めっちゃ嬉しいよ。嬉しい、けど……」
まさか気付かれるとは、指摘されるとは思ってもいなかったのか、今度は珍しくごにょごにょと織田の方が言葉に詰まっている。
「……言っても怒らへん?」
「おこらない、と思います。たぶん」
「えー、ちょっとー、そういう不安になる返しやめてぇー」
受け取った箱を大事に両手で持ちながらも、織田はふいと司書からそっぽを向く。むすり、口を尖らせる横顔は、なんだか拗ねた子供のようだった。
「おっしょはんの事やから、他の先生たち……わし以外の男にも、チョコ配っとったんやろ。そないでっかい紙袋持ってんの見たら、わかるわ」
「え……? あっ……確かに、配りましたけど、皆さんの分は、いつものお礼で、あの……後輩ちゃんも、一緒で、えっと……」
「義理チョコっちゅーやつでしょ。それもわかってます。わかっとるよ、でも、なあ、」
やはり、頭が理解していても、心は嫌だと思ってしまう。彼女が気持ちを込めて作ったチョコを貰う男は、自分だけであってほしかった。些細な嫉妬でも、日々我慢してモヤモヤと募っていけば何れ暴発の危険があり、怒ってしまいそうなのは織田の方だった。全く怒りはしなくとも困っている司書の姿に、生前から何も変わらない自身への嫌悪と、罪悪感が湧いてしまう。
「すまんなあ。あんたを独り占めしたい気持ちなら、わしの方が負けてへんわ」
案外、心狭い男やねんで、わしも。
顔をこちらに向けて、ふっと自重気味に笑う彼。司書は薔薇を持った両手を胸元へ寄せる。きゅう、と胸の奥が苦しくなったからだ。痛くはない、それは愛おしいという感情から来る息苦しさだった。ずっと閉じ込めていた想いが、溢れ出さんばかりに膨らんで、苦しいのだ。
頭の中で、また誰かの声が反響する。どうして素直に言えないの。大丈夫、上手くいくから。ほら、頑張って。
「で、でもっ! これは、これだけは、いちばん、と、特別なんです。あなたの……さくのすけさんの、ために、包んだ……本命チョコ、です」
箱の形だけじゃなくて、中身もハートのチョコいっぱいですし、詰める時もたくさん想いを込めました、それから、えっと。
違う、違う。私の言いたいことはそうじゃない。司書は意を決して、ぎゅっと目を瞑る。必死に声を張った。
「すき、です」
両手にもつい力が入り、薔薇を強く握り締めてしまう。手に棘の刺さる痛みなど、もはや気にならなかった。
「いつも、お返事出来なくて、伝えられなくて、でも、ずっと好きでした。あなたから、貰える言葉、ぜんぶ、ぜんぶうれしかった。わたしも、さくのすけさんのことが、──だいすき」
言い切って、恐る恐る、目を開ける。大きく見開かれた柘榴石と目が合った。今まで見た事のない、彼の驚きと赤に染まった表情。それを見た途端、一気に、凄まじい恥ずかしさに襲われて、逃げ出したくなって、いや、思った時にはもう立ち上がっていた。
「かっ、館長さんたちに! 頂いたケーキッ、とどょ、届けてきます!!」
その大声はあまりの動揺で裏返っていた。織田の足元に放置されていた白い箱を奪って、まさに脱兎の如く、図書館の中へ駆けて行ってしまう司書。そんなに走ったらケーキが崩れる、なんて注意すら出来る余裕も、今の彼にはない。
その場に一人取り残された織田は、しゃがみ込んだまま、息を吐き出すように呟いた。
「言い逃げはずるいわあ……」
ああ、もう、眼鏡まで忘れてしまって。白い箱の代わりに、芝生の上で置きっぱなしにされた彼女の瓶底眼鏡。手に取って、何となしに掛けてみたが、非常に視界が狭くなって邪魔に思うだけだった。すぐに外して、上着のポケットへ雑に突っ込む。早くこんなもの要らなくなってしまえばいい、と思いながら。
本当ならすぐにでも彼女を追いかけるべきなのかもしれないが、先の言葉は思いの外、彼の心に突き刺さっていた。ずっと、その言葉を待ち続けていたせいだろう。上手く現実を受け止められない。頭の中で、彼女が初めて自分に向けた「好き」が、反芻される。
まずは一旦落ち着くべきだと、とりあえず、貰ったプレゼント箱のリボンを解いた。中身の高級製菓並みの仕上がりにも驚いたが、本当にハート型のチョコレートしか入ってなくて、少し笑う。その中で特に可愛らしい赤色を一粒手に取って、口に含んだ。
(うわ、甘い。……けど、美味いなあ)
真っ赤なハートに隠されていたのは、とろりと甘い、ラズベリーのジャムだった。特別な味がした。
2017.02.14公開
2018.04.01加筆修正