つわものもとめて三千里
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「これ、うさぎの足跡じゃないか?」「そうだな、うさぎの足跡だ」
「こら杉元と刀次、獣道を踏むな。人間の足跡があると避けるぞ」
夜が明け、小屋を出発した一行は囚人用の罠を仕掛けることも兼ねてうさぎ狩りに繰り出した。
アシリパが辺りの木の枝をおもむろに切り始めたかと思えば、獣道に突き立てていく。
「獣道を見つけたら上に罠を仕掛ける。道の両側に木の枝で柵を作り誘導する」「そこらの木だから怪しまれることもないってことか」
くくり罠の高さや大きさを調節し、良し、とアシリパはうなづく。
これを、そこら中に仕掛けて回った。
次のポイントに罠を仕掛けに行こうと一歩踏み出したその時、罠にかかったのか男の苦しそうな声が聞こえた。
「グァウッ」「二匹目!」
かかった男を手際よく杉元と刀次で拘束し、一人目の男にもそうしたように焚き火の前でアシリパに図案を模写してもらう。
アシリパはほんとに器用で、模写にも優れていた。
「やっぱアシリパさん上手だなぁ…俺とは雲泥の差だぜ」「たしかにあれはひどかった」「ふぉろーしてヨォ…」
そんなやりとりをしている間にも杉元が囚人に問いかけるが、一向に答えが帰ってこないようだった。
縫い付けたように口を開かなかった囚人が、ようやくものを言った。
「そのアイヌはお前さんの飼いイヌか?」
発言を聞いた刀次はすぐにアシリパに目をやった。アシリパは少し俯き加減に黙々と模写を続けており、慣れた様子だった。
だが、逆にその態度が刀次は気に入らなかった。
「うご…」「顎を砕いて本当に喋られんようにしてやろうか」
杉元は迫真の表情で囚人の顎を鷲掴みにし、手にメギメギと力を加えて言った。
「よせ杉元。私は気にしない。慣れてる」「……アシリパさん」
なぜ罪のない少女が蔑みの言葉に慣れなければならないんだ、二人はそう思った。しかし、どうすることもできない現状に刀次は焦燥感を募らせた。
杉元はこの出来事を自分の過去と重ねるように俯いた。
「馬鹿野郎」「…」
この雰囲気のなか刀次は囚人を小突くことしかできなかった。
「杉元、刀次!見ろウサギがいる」
くらい雰囲気であれど、食事は必要なものである。
ウサギを見つけたアシリパは、杉元と刀次を呼んであそこだ、と指で示した。
「どこだ?見えないぞ」「あの黒いやつじゃないか?「そうだ、先の黒い耳があるだろ」
「あ、ほんとだ。でも隠れて狙えんな」「ウサギが昼間にウロウロするのは天気が崩れるから避難するためだ。今日はあいつを捕まえてすぐ小屋に戻ろう」「でもこれだと一発では仕留めきれなさそうだな」
今晩の夕食にありつくために三人はウサギに夢中になった。縛り付けてあるから逃げることはないだろうと油断の念もあったのだろう。
「杉元、この棒をうさぎの上に投げろ鳥に襲われると勘違いして雪に頭を突っ込んで動かなくなる」「驚かせるのはかわいそうだな」
「なんだよそれ」「いいから早くっ、私が走っててで捕まえる」
ごちゃごちゃと取り込んでいる隙を見て、囚人が動いた。
口の中から小さな包みを取り出し、それを器用に足で開く。
「(剃刀の刃を防水の油紙で包んで馬の毛で歯にくくりつけて仕込んでおいた…)」
男の名は、白石由竹。脱獄王の異名を持つ天才脱獄犯であった。
初めは強盗での投獄だったが、幾度となく脱獄しては収監を繰り返していたため、脱獄での懲役が強盗によるものをはるかに上回るほどだった。
関節を容易に脱臼させられる特異体質で、鉄格子を外した視察孔を抜け出したこともある。
「(不意に捕まってもいつでも拘束を解けるように、俺の体には常に釘や針金を埋め込むなどして隠し持っているのだ)」
棒を渡された杉元は、アシリパの指示通りにうさぎの頭の上にそれをなげた。
棒はブゥゥ~ンと風を切る音を立てて飛んで行った。その音を鳥の羽音と勘違いしたうさぎは、アシリパの言った通りその場で動かなくなった。
うさぎの習性を利用したこの狩猟法はアメリカではラビットスティックと呼ばれ、東北マタギの間にも藁を円盤状に編んだものを投げるワラダ打ちと言われるものがある。
「オラーーッ!!」
ウサギが動かなくなると同時にアシリパが勢いよく飛びつき、ウサギを捕まえた。
ウサギの後脚を持ち、やり遂げた顔でこちらに見せつけた。
「どうだ杉元、刀次!捕った……ウシロォーーッ!!!」
「エッッッッ」「なにぃ?嘘だろ?どうやって…」
アシリパの叫び声を聞いて、一斉に後を振り返った。
そこに白石はおらず、拘束具だけがプラリと垂れていた。
ここで逃がしてなるものかと杉元と刀次が同時に飛び出し、白石の後を追った。
「杉元ッ!刀次ッ!深追いするな天候が…」
「アシリパさんは小屋に向かってろ!必ず捕まえてくるから!」
「すぐ戻るっ!」
二人はアシリパの忠告も聞かずに行ってしまった。
問題の白石は、崖を下って逃げようとしたのか崖の中腹の突起に捕まっていた。
「この野郎…っ」「ひぇーっ、なかなかの命知らず」
追いかけては捕まえても登る術がないとみたのか、杉元は崖の上から銃を構えて白石に忠告した。
「戻って来い撃つぞ!!」「やってみろ!こっちは今撃たれるのも後で撃たれるのも一緒だ!」
銃で脅しをかけても全く戻ってくるそぶりはなく、いよいよ崖を下るしか連れ戻す方法はないと二人が崖のくぼみに足をかけた時だった。
パァァァ~ンとまるで銃声のような乾いた音が響いた。
白石に至っては本当に撃たれたのかと体をビクつかせる始末であった。
「銃声?」「ニプシ フムだ」
嫌な雰囲気の風が吹き抜け、アシリパも二人の身を案じるようにどこか不安げであった。
ニプシ フムとはアイヌ語で木が裂ける音を意味する。急激な気温低下によって樹木の水分が凍結し、幹が凍裂する現象である。
ビシッ、ビシッと小刻みになるその音は、マイナス30度猛烈な寒気がの山の上から杉元たちに襲いかかるおとであった。
崖を下り、雪の上を逃亡する白石を追いかける杉元と刀次であったが、突然刀次の視界から杉元が消えた。
「は?」「あ?」
突然の出来事に白石と刀次は後ろを振り返った。
下半身が雪に埋まった杉元。思わず白石と刀次は顔を見合わせた。
直後に杉元の周辺の雪がボコボコと崩れ落ち始め、ついには白石と刀次の足もとの雪までもが崩れていった。
そう、三人が走っていた場所は、風によって雪がひさし状成長した雪庇の上だったのだ。
「ここは雪庇の上だっ!うおおおおお」「ぎえええええええ」
三人は、突然のことでで受け身を取ることもできずに転がり落ちていった。
マイナス30度のなか、ドボンと大きな音を立てて水場に落下した。地面でないだけ良かったのかどうかはわからなかったが。
「ぶは!うぃ…っ!!これはヤバイッ!」「うぶぶぶぶぶる、あ、あ、早く上がれッ!!!し、し、死ぬぞ!!」
水場に落ち、水面から顔を出した瞬間、刺すように厳しい寒さが三人に襲いかかる。このままでは全員が低体温症で死んでしまう、それほどの寒さだった。寒さで筋肉が熱を起こそうと震え、呂律もまともに回らない。
「うわああああああこの寒さは…やば過ぎるッ!!」「頭が割れそうだ!」「は、は、早く火を…起こせッ!なにか火を起こせるもの…はっ!?」「シタツを剥がして集めろ!!」
「何を?」「し、ったつ…ってなんだよ!」「白樺のじゅ…樹皮だ!」
言葉もうまく使えなくなり、情報の伝達が難しくなっていく。
杉元の私物のマッチも濡れて使えず、刻々とタイムリミットが迫ってくる。
生存のために行動するタイムリミットは10分と言われており、それを過ぎると運動能力は低下し、やがて手足が動かなくなり死に至る。
「木をこすってつけよう」「んなもんで付くかアホ!」「い、い、石をこすってつけよう」「お前もアホか!」
低体温症による判断力の低下。
きりもみ式や火打ち石による発火は、数秒で火種を作ることが可能だが、あくまで熟練した技術と充分な下準備があってのこと。
「(…ウサギ早くたべたいのに)」
「……(ボ~…)」
低体温症による無関心な表情。
「「そ、そうだっ!!じゅ…銃だ!!」」「杉元の銃を探せ!」
これが最後の頼みだと、二人の考えで銃を探した。
「実包から弾丸を引っこ抜いて焚き付けに発砲すれば火花が出て着火できる!」「お、おい杉元、お前の銃ってあれじゃないのか…?!」
案こそは名案であったが、肝心の銃が雪庇の上に置き去りになってしまっていた。
「畜生ッ!諦めねぇぞ!絶対!生き抜いてやる…俺は不死身の杉元だッ!!」「俺だって…こんな簡単に死んでたまるかよッ!!!こんなところでくたばってちゃ成仏できねぇ!!」
二人は威勢良く言い放った直後、自ら水場に身を投じた。
もちろん身体が冷える速度も速くなり、タイムリミットも短くなる。捨て身の策、背水の陣であった。
「なに…やってんだ?」「銃弾を探してんだよ…ッ!!」「死にたくなきゃお前も探せッ!ちょっとぐらい水没しても中の火薬は乾いてるはず…ダッ」
しばらくぼ~っとする白石であったが、なにかを思い出したのか興奮気味に取引にでた。
「取引だ!協力するから俺を見逃せせっ!」
「取引もクソも、ある、あるかぁ!これしか助かる道はない三人とも死ぬんだぞぁ!」「ごたごた、た言ってないで…探すのてつだえぁ!!」
これほど言っても聞かずに白石は取引をするのかどうかを執拗に聞いた。死までの時間は刻々と迫っている。1分1秒が惜しい。
「どのみち死ぬんならこのままお前らが凍え死ぬのを見届けてやる!」「こ、こ、ころ殺すつもりなら既に皮を剥ぎ取ってお前はお陀仏だってんだ!!!」「取引するのかどうなんダッ!!」
「わかったからさっさっさと川に入ってタマをさがせえええええ!!!!」
杉元のその言葉を聞いた直後、白石が口の中から銃弾を吐き出した。剃刀を持っていたのと同じように、銃弾は油紙に包まれていた。
「……!」「なんだ、そりゃぁ…」
「牢屋の鍵穴を撃って壊すときの備えさ、寒すぎて忘れてた」
すぐに二人は川から上がるとすぐに枯れ木の裂け目にシタツを詰めそこに実包を外した銃弾を刺し込んだ。
「よよよ…よし!準備完了ッ!あとは雷管を尖ったものでぶっ叩けば!!」
その言葉と同時に杉元がナイフと石を使って雷管を力強く叩いた。
発生した火花を消さないように細心の注意を払って、三人で顔を寄せ合い息を送った。
その甲斐があってか、次第に煙が登り、そこに薪をくべるとあっという間に火が大きくなっていった。
三人は、念願の火にありつくことができ歓喜の表情で思わず抱き合った。
すぐに上着を脱ぎ、乾かすために立てかけた木に干した。
生死をともにさまよったこともあってか、白石は口を割り杉元が聞いたことに受け答えをするようになった。
「入れ墨の囚人は全部で24名だ。25人目がいるとも聞いたが嘘だろう。果たして今はどれくらい生き残っているのか…。のっぺら坊の仲間のことも本当に知らん。それについて知ってるのは脱獄を指揮した親玉だけだ」
「親玉はどんな野郎だ?」「単なるおとなしい爺さんかと思ってた。ところがどっこい猫かぶってやがった。俺の目の前で屯田兵から軍刀を奪いあっという間に三人切り捨てた。あとで知ったが、三十年前の箱館戦争で戦った敗残兵らしい。旧幕府軍の侍だ。」
白石の話だけでもどれほどのものだったのかが容易に想像できた。
屯田兵相手に瞬時に三人を斬るなど容易であるらしい。
「これはあくまで噂だがね…看守が話していたのを盗み聞きしたやつがいる。あのジジイは箱館戦争で戦死したといわれている…新撰組鬼の副長土方歳三だって…」「……」
一通り話し終わると、取引通り見逃すことになっているため白石はその場を去ろうと支度を始め、途中でなにかを思い出したかのようにもう一つ話しをした。
「最後に一つ教えてやる。俺たち囚人はのっぺらぼうにこう指示されていた。小樽へ行け」「白石と言ったな?次に会うときはその入れ墨を引っぺがすぜ。アイヌの金塊は諦めてさっさと北海道から脱出するんだな。入れ墨を狙っているのはほかの囚人たちやのっぺらぼうの仲間だけじゃねぇ。日露戦争帰りの第7師団も迫っているんだ。戦い慣れた歴戦の兵士たちだぞーー」
杉元のもアシリパの元に帰る支度をしながら一通り白石に忠告した。それでも、白石は臆する様子なく俺は脱獄王だ、と言い残して立ち去った。
「アバヨ、不死身の杉元に死に急ぎ刀次」
二人は白石の背中がだんだんと小さくなるのを見届けて、アシリパの元へ急いだ。
「見ろよ杉元、俺の手に穴が開いちまった。ふふ」
先日謎の男に撃たれてぽっかり穴が開いたら部分に川で拾った杉元の銃弾を出し入れして遊ぶ刀次。
「笑えねぇよ。てかその銃弾どこから持ってきたんだよ。」「川で拾った」「いや拾ったら言えよ」
「鶴見中尉殿ッ!尾形の意識が回復しました」「そうか。では見舞いに行ってやろう」「私にも行かせてください、鶴見中尉殿」「ふむ、良いだろう」
「こら杉元と刀次、獣道を踏むな。人間の足跡があると避けるぞ」
夜が明け、小屋を出発した一行は囚人用の罠を仕掛けることも兼ねてうさぎ狩りに繰り出した。
アシリパが辺りの木の枝をおもむろに切り始めたかと思えば、獣道に突き立てていく。
「獣道を見つけたら上に罠を仕掛ける。道の両側に木の枝で柵を作り誘導する」「そこらの木だから怪しまれることもないってことか」
くくり罠の高さや大きさを調節し、良し、とアシリパはうなづく。
これを、そこら中に仕掛けて回った。
次のポイントに罠を仕掛けに行こうと一歩踏み出したその時、罠にかかったのか男の苦しそうな声が聞こえた。
「グァウッ」「二匹目!」
かかった男を手際よく杉元と刀次で拘束し、一人目の男にもそうしたように焚き火の前でアシリパに図案を模写してもらう。
アシリパはほんとに器用で、模写にも優れていた。
「やっぱアシリパさん上手だなぁ…俺とは雲泥の差だぜ」「たしかにあれはひどかった」「ふぉろーしてヨォ…」
そんなやりとりをしている間にも杉元が囚人に問いかけるが、一向に答えが帰ってこないようだった。
縫い付けたように口を開かなかった囚人が、ようやくものを言った。
「そのアイヌはお前さんの飼いイヌか?」
発言を聞いた刀次はすぐにアシリパに目をやった。アシリパは少し俯き加減に黙々と模写を続けており、慣れた様子だった。
だが、逆にその態度が刀次は気に入らなかった。
「うご…」「顎を砕いて本当に喋られんようにしてやろうか」
杉元は迫真の表情で囚人の顎を鷲掴みにし、手にメギメギと力を加えて言った。
「よせ杉元。私は気にしない。慣れてる」「……アシリパさん」
なぜ罪のない少女が蔑みの言葉に慣れなければならないんだ、二人はそう思った。しかし、どうすることもできない現状に刀次は焦燥感を募らせた。
杉元はこの出来事を自分の過去と重ねるように俯いた。
「馬鹿野郎」「…」
この雰囲気のなか刀次は囚人を小突くことしかできなかった。
「杉元、刀次!見ろウサギがいる」
くらい雰囲気であれど、食事は必要なものである。
ウサギを見つけたアシリパは、杉元と刀次を呼んであそこだ、と指で示した。
「どこだ?見えないぞ」「あの黒いやつじゃないか?「そうだ、先の黒い耳があるだろ」
「あ、ほんとだ。でも隠れて狙えんな」「ウサギが昼間にウロウロするのは天気が崩れるから避難するためだ。今日はあいつを捕まえてすぐ小屋に戻ろう」「でもこれだと一発では仕留めきれなさそうだな」
今晩の夕食にありつくために三人はウサギに夢中になった。縛り付けてあるから逃げることはないだろうと油断の念もあったのだろう。
「杉元、この棒をうさぎの上に投げろ鳥に襲われると勘違いして雪に頭を突っ込んで動かなくなる」「驚かせるのはかわいそうだな」
「なんだよそれ」「いいから早くっ、私が走っててで捕まえる」
ごちゃごちゃと取り込んでいる隙を見て、囚人が動いた。
口の中から小さな包みを取り出し、それを器用に足で開く。
「(剃刀の刃を防水の油紙で包んで馬の毛で歯にくくりつけて仕込んでおいた…)」
男の名は、白石由竹。脱獄王の異名を持つ天才脱獄犯であった。
初めは強盗での投獄だったが、幾度となく脱獄しては収監を繰り返していたため、脱獄での懲役が強盗によるものをはるかに上回るほどだった。
関節を容易に脱臼させられる特異体質で、鉄格子を外した視察孔を抜け出したこともある。
「(不意に捕まってもいつでも拘束を解けるように、俺の体には常に釘や針金を埋め込むなどして隠し持っているのだ)」
棒を渡された杉元は、アシリパの指示通りにうさぎの頭の上にそれをなげた。
棒はブゥゥ~ンと風を切る音を立てて飛んで行った。その音を鳥の羽音と勘違いしたうさぎは、アシリパの言った通りその場で動かなくなった。
うさぎの習性を利用したこの狩猟法はアメリカではラビットスティックと呼ばれ、東北マタギの間にも藁を円盤状に編んだものを投げるワラダ打ちと言われるものがある。
「オラーーッ!!」
ウサギが動かなくなると同時にアシリパが勢いよく飛びつき、ウサギを捕まえた。
ウサギの後脚を持ち、やり遂げた顔でこちらに見せつけた。
「どうだ杉元、刀次!捕った……ウシロォーーッ!!!」
「エッッッッ」「なにぃ?嘘だろ?どうやって…」
アシリパの叫び声を聞いて、一斉に後を振り返った。
そこに白石はおらず、拘束具だけがプラリと垂れていた。
ここで逃がしてなるものかと杉元と刀次が同時に飛び出し、白石の後を追った。
「杉元ッ!刀次ッ!深追いするな天候が…」
「アシリパさんは小屋に向かってろ!必ず捕まえてくるから!」
「すぐ戻るっ!」
二人はアシリパの忠告も聞かずに行ってしまった。
問題の白石は、崖を下って逃げようとしたのか崖の中腹の突起に捕まっていた。
「この野郎…っ」「ひぇーっ、なかなかの命知らず」
追いかけては捕まえても登る術がないとみたのか、杉元は崖の上から銃を構えて白石に忠告した。
「戻って来い撃つぞ!!」「やってみろ!こっちは今撃たれるのも後で撃たれるのも一緒だ!」
銃で脅しをかけても全く戻ってくるそぶりはなく、いよいよ崖を下るしか連れ戻す方法はないと二人が崖のくぼみに足をかけた時だった。
パァァァ~ンとまるで銃声のような乾いた音が響いた。
白石に至っては本当に撃たれたのかと体をビクつかせる始末であった。
「銃声?」「ニプシ フムだ」
嫌な雰囲気の風が吹き抜け、アシリパも二人の身を案じるようにどこか不安げであった。
ニプシ フムとはアイヌ語で木が裂ける音を意味する。急激な気温低下によって樹木の水分が凍結し、幹が凍裂する現象である。
ビシッ、ビシッと小刻みになるその音は、マイナス30度猛烈な寒気がの山の上から杉元たちに襲いかかるおとであった。
崖を下り、雪の上を逃亡する白石を追いかける杉元と刀次であったが、突然刀次の視界から杉元が消えた。
「は?」「あ?」
突然の出来事に白石と刀次は後ろを振り返った。
下半身が雪に埋まった杉元。思わず白石と刀次は顔を見合わせた。
直後に杉元の周辺の雪がボコボコと崩れ落ち始め、ついには白石と刀次の足もとの雪までもが崩れていった。
そう、三人が走っていた場所は、風によって雪がひさし状成長した雪庇の上だったのだ。
「ここは雪庇の上だっ!うおおおおお」「ぎえええええええ」
三人は、突然のことでで受け身を取ることもできずに転がり落ちていった。
マイナス30度のなか、ドボンと大きな音を立てて水場に落下した。地面でないだけ良かったのかどうかはわからなかったが。
「ぶは!うぃ…っ!!これはヤバイッ!」「うぶぶぶぶぶる、あ、あ、早く上がれッ!!!し、し、死ぬぞ!!」
水場に落ち、水面から顔を出した瞬間、刺すように厳しい寒さが三人に襲いかかる。このままでは全員が低体温症で死んでしまう、それほどの寒さだった。寒さで筋肉が熱を起こそうと震え、呂律もまともに回らない。
「うわああああああこの寒さは…やば過ぎるッ!!」「頭が割れそうだ!」「は、は、早く火を…起こせッ!なにか火を起こせるもの…はっ!?」「シタツを剥がして集めろ!!」
「何を?」「し、ったつ…ってなんだよ!」「白樺のじゅ…樹皮だ!」
言葉もうまく使えなくなり、情報の伝達が難しくなっていく。
杉元の私物のマッチも濡れて使えず、刻々とタイムリミットが迫ってくる。
生存のために行動するタイムリミットは10分と言われており、それを過ぎると運動能力は低下し、やがて手足が動かなくなり死に至る。
「木をこすってつけよう」「んなもんで付くかアホ!」「い、い、石をこすってつけよう」「お前もアホか!」
低体温症による判断力の低下。
きりもみ式や火打ち石による発火は、数秒で火種を作ることが可能だが、あくまで熟練した技術と充分な下準備があってのこと。
「(…ウサギ早くたべたいのに)」
「……(ボ~…)」
低体温症による無関心な表情。
「「そ、そうだっ!!じゅ…銃だ!!」」「杉元の銃を探せ!」
これが最後の頼みだと、二人の考えで銃を探した。
「実包から弾丸を引っこ抜いて焚き付けに発砲すれば火花が出て着火できる!」「お、おい杉元、お前の銃ってあれじゃないのか…?!」
案こそは名案であったが、肝心の銃が雪庇の上に置き去りになってしまっていた。
「畜生ッ!諦めねぇぞ!絶対!生き抜いてやる…俺は不死身の杉元だッ!!」「俺だって…こんな簡単に死んでたまるかよッ!!!こんなところでくたばってちゃ成仏できねぇ!!」
二人は威勢良く言い放った直後、自ら水場に身を投じた。
もちろん身体が冷える速度も速くなり、タイムリミットも短くなる。捨て身の策、背水の陣であった。
「なに…やってんだ?」「銃弾を探してんだよ…ッ!!」「死にたくなきゃお前も探せッ!ちょっとぐらい水没しても中の火薬は乾いてるはず…ダッ」
しばらくぼ~っとする白石であったが、なにかを思い出したのか興奮気味に取引にでた。
「取引だ!協力するから俺を見逃せせっ!」
「取引もクソも、ある、あるかぁ!これしか助かる道はない三人とも死ぬんだぞぁ!」「ごたごた、た言ってないで…探すのてつだえぁ!!」
これほど言っても聞かずに白石は取引をするのかどうかを執拗に聞いた。死までの時間は刻々と迫っている。1分1秒が惜しい。
「どのみち死ぬんならこのままお前らが凍え死ぬのを見届けてやる!」「こ、こ、ころ殺すつもりなら既に皮を剥ぎ取ってお前はお陀仏だってんだ!!!」「取引するのかどうなんダッ!!」
「わかったからさっさっさと川に入ってタマをさがせえええええ!!!!」
杉元のその言葉を聞いた直後、白石が口の中から銃弾を吐き出した。剃刀を持っていたのと同じように、銃弾は油紙に包まれていた。
「……!」「なんだ、そりゃぁ…」
「牢屋の鍵穴を撃って壊すときの備えさ、寒すぎて忘れてた」
すぐに二人は川から上がるとすぐに枯れ木の裂け目にシタツを詰めそこに実包を外した銃弾を刺し込んだ。
「よよよ…よし!準備完了ッ!あとは雷管を尖ったものでぶっ叩けば!!」
その言葉と同時に杉元がナイフと石を使って雷管を力強く叩いた。
発生した火花を消さないように細心の注意を払って、三人で顔を寄せ合い息を送った。
その甲斐があってか、次第に煙が登り、そこに薪をくべるとあっという間に火が大きくなっていった。
三人は、念願の火にありつくことができ歓喜の表情で思わず抱き合った。
すぐに上着を脱ぎ、乾かすために立てかけた木に干した。
生死をともにさまよったこともあってか、白石は口を割り杉元が聞いたことに受け答えをするようになった。
「入れ墨の囚人は全部で24名だ。25人目がいるとも聞いたが嘘だろう。果たして今はどれくらい生き残っているのか…。のっぺら坊の仲間のことも本当に知らん。それについて知ってるのは脱獄を指揮した親玉だけだ」
「親玉はどんな野郎だ?」「単なるおとなしい爺さんかと思ってた。ところがどっこい猫かぶってやがった。俺の目の前で屯田兵から軍刀を奪いあっという間に三人切り捨てた。あとで知ったが、三十年前の箱館戦争で戦った敗残兵らしい。旧幕府軍の侍だ。」
白石の話だけでもどれほどのものだったのかが容易に想像できた。
屯田兵相手に瞬時に三人を斬るなど容易であるらしい。
「これはあくまで噂だがね…看守が話していたのを盗み聞きしたやつがいる。あのジジイは箱館戦争で戦死したといわれている…新撰組鬼の副長土方歳三だって…」「……」
一通り話し終わると、取引通り見逃すことになっているため白石はその場を去ろうと支度を始め、途中でなにかを思い出したかのようにもう一つ話しをした。
「最後に一つ教えてやる。俺たち囚人はのっぺらぼうにこう指示されていた。小樽へ行け」「白石と言ったな?次に会うときはその入れ墨を引っぺがすぜ。アイヌの金塊は諦めてさっさと北海道から脱出するんだな。入れ墨を狙っているのはほかの囚人たちやのっぺらぼうの仲間だけじゃねぇ。日露戦争帰りの第7師団も迫っているんだ。戦い慣れた歴戦の兵士たちだぞーー」
杉元のもアシリパの元に帰る支度をしながら一通り白石に忠告した。それでも、白石は臆する様子なく俺は脱獄王だ、と言い残して立ち去った。
「アバヨ、不死身の杉元に死に急ぎ刀次」
二人は白石の背中がだんだんと小さくなるのを見届けて、アシリパの元へ急いだ。
「見ろよ杉元、俺の手に穴が開いちまった。ふふ」
先日謎の男に撃たれてぽっかり穴が開いたら部分に川で拾った杉元の銃弾を出し入れして遊ぶ刀次。
「笑えねぇよ。てかその銃弾どこから持ってきたんだよ。」「川で拾った」「いや拾ったら言えよ」
「鶴見中尉殿ッ!尾形の意識が回復しました」「そうか。では見舞いに行ってやろう」「私にも行かせてください、鶴見中尉殿」「ふむ、良いだろう」