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ラクガキ ~保育編1~

2025/02/24 13:14
 どうやらとんでもない世界にきてしまった。


「早太郎くん、アニメは着替えてからだよ! はいっ、手、そでに通して!」


 大事なことだから言わせてください。



  私、保健の先生なんです



 なのに、今、全く着替えようとしない子どもらの着替えをなぜか手伝っている。



  ここのクラス、年長だよね!?



 目の前の5歳男児、支援担当の先生が付いている子どもではない。先ほど同じようなスローな動きの男児をもう一人着替えさせた。みんなと同じスピードでお帰りの用意ができなかった子ども達のお世話を、なぜか私がしている。



  去年どうしてたの、君たち!?



 ほぼほぼ介助でなんとか早太郎君を仕上げて、終わった子の列に座らせる。

 年長年少ともに、担任の先生はクラス懇談をしていて、園長先生、支援の先生と私で子どもらをみている。



  早く来て、お母さん達!!!



「雪村先生、小鈴ちゃんトイレ連れてってあげて」

「はいっ!」


 名札を見て、連れられた女児が年少クラスの子と知る。その不安げな様子やたどたどしい歩き方を見て、トイレを使えるかどうかすら不安に思った。けれど、少女は失敗することもなく、石鹸で手を洗いハンカチまで出して、スムーズに用を足す。
 少女の姿に、千鶴はもはや感動した。


「手洗うの上手だね!」

「…」


 その反応はわずかに頷いたかどうか。



  えっと…



「…またアニメ見に戻ろうか」

「…」



  スルー…



 女児は今にも転びそうな足取りなのに、私の案内も不要そうに、パタパタと来た道を帰っていく。
 
 広間に戻ると、着替えは全員終わっていた。


「雪村先生、一瞬だけここお任せします」



  お任せされるの!!?
 


 千鶴の動揺に気付いているのかいないのか、園長は頷いた。


「懇談の進捗見て、まだそうなら次の手用意します。ビデオ思ったより早く終わりそう」


 今日は始業式。昨日の入園式では、年少さんは保護者に連れられてすぐに帰っていった。
 だから、私が子どもと実質的に関わるのは今日が初めてで。勿論、私は保育なんてしたことないし、一瞬でも任されたくない。
 
 けれど、園長先生がド素人の私にそう言うという事は、そうせざるを得ない状況なのだ。



  次の手がなきゃ、おわる…!



 アニメを見ているから、大多数の子どもが落ち着いているのは明白で。流れる映像が終わった途端どうなるのか。恐ろしい。


「あの子だけ注意ね。動き早いから、できたら飛び出す前にキャッチして」

「ーーっ、分かりました」


 できないとも言えず、今すべきことをするしかなくて。



  でも、私、保健の先生なんです!!



 今まで学んできたのは、医療と看護。小児実習では1週間保育所へ行ったけれど、懐いてくれる子ども達と半日遊んでいれば良かった。
 教育実習では1か月小学校へ行ったけれど、基本的に子どもは私の話を聞いてくれた。保健室にいてケガの手当てをしたり、保健教育のことを考えていた。



  どうしてこんなことに… 



 箱イスという、子どもが姿勢保持を練習するための四角いイスに座る子を、そっと見守りながら私は遠い目をした。









「初日、どうだった?」

「…すごかったです」


 園長先生にそう聞かれても、どこまで正直に応えて良いか分からない。


「私、今日ずっと年長さんを叱ってたような気かして…」

「子どもたちも久しぶりだからね。しばらくしたら幼稚園を思い出すから、保育が波に乗れば大丈夫よ」



  え。幼稚園を忘れるの…?


 
 年長組は1週間もすれば子どもらが生活に慣れてくるという。その考え方が、高齢者のせん妄に似ている気がした。


「戻りましたー」


 ぞろぞろと保育室から戻ってきた、年少組の先生たち。みなさん、昨日までの事務仕事をしていた時よりも、どこか活き活きして楽しそうに見えた。
 沖田先生は斜め向かいの席で、手に持っていたファイルやらバインダーやら分厚い手帳を、机にドサドサと下ろす。


「沖田先生、おかえり。どう? 年少の保護者の様子」

「聞いてた通り、何人か引っ張ってくれそうな方いましたよ。龍之介くんママとか、小鈴ちゃんママがPTA役員向いてそうでした。
 あと、梅ちゃんパパも梅ちゃんの病気のこと分かりやすく説明しようと頑張ってましたし。懇談の雰囲気は良かったです」


 沖田先生はメモも見ずに、すらすらと懇談の様子を話す。今年、異動してきた沖田先生は私と同じように、子ども・保護者ともに昨日の入園式が初対面のはずだけれど。



  どうしてそんなにプロフィールが頭に入ってるんだろう…



 私はたまたま関わった子どもら数名の名前を把握するだけで精一杯だった。


「お弁当始まるまでに、梅ちゃんところは懇談しようと思ってます」

「そうね、早めにしましょう。雪村先生も聞きたいこと考えておいてね。事前に打ち合わせもするから」

「はい…!」


 梅ちゃんは医療的ケアの必要な子だ。
 寝たきりの女の子で、鼻から入れた管で、直接胃へ栄養剤を入れることで食事を摂っている。バギーという子ども用の車椅子で幼稚園に通い、場合によっては酸素投与や痰の吸引も必要で。
 この幼稚園で、初めての医療的ケア児の入園だそうだ。



  幼稚園で看護師の仕事をするなんて思ってなかったけど…



 この子が入園してくるから私が採用されたのだと……私は自分に求められてることを理解した。


「園長先生、僕、思ったんですけどね。雪村先生が近い方が、保育の打ち合わせしやすくて助かるから、職員室の席、年少の列に並んでもらえないかなって」

「ああ、それね。慣例のまま決めちゃったけど、私も失敗だと思ってたの。
 年長と入れ替えたら、沖田先生の隣になるから、後で動かしましょう」

「ありがとうございます」


 千鶴はその沖田の提案を、そういうものか、確かに、と思いながら聞いていた。


 ニコリと笑った沖田先生が「よろしく」とこちらを向いたので、私も「宜しくお願いします」と笑みを返す。

 まさか言葉以上の思惑があるなんて思いもせずに。

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