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ラクガキ 〜病棟編3〜

2024/12/10 21:07
 千鶴は昼過ぎに起きた瞬間から、腰、お腹、頭も痛くなりそうな予感がした。なので、痛くなりきる前に鎮痛剤を2種類飲んで、夜勤の開始前にようやく痛みは落ち着いていた。

 それなのに。



  あ…待って、急にムリ…



 23時。電気の消えた廊下でしゃがむ。薬の効果が完全に切れた。

 巡視とおむつ交換のために、夜間も2時間おきに患者さん全員を見て回るのだけれど。
 今日はそこに急変やら、不穏な患者さんの対応やらで、自分のことに構っている時間も隙もなかった。



  …痛い…


 
 違和感を感じた段階で薬を追加できていれば良かったのに、自分のことを後回しにしたツケが回ってきた。



  でも、とりあえず、あの方を…



 深夜に「家に帰る」と言って叫ぶお婆さんを、とりあえず車椅子に乗せて、デイルームにお連れした。これから何の薬を飲ますか、離床センサーを用意するか考えなければならない。
 どこか他の世界にいて独り言を話し続けるお婆さんを、遠くからしゃがんだまま眺める。



  仮眠時間あるかな…




「えっ」



  …?



「大丈夫?!」


 廊下の向こうから聞こえた声は、同僚のものではない。けれど、慌てて走ってこちらに向かってきた男性。


「沖田さん…?」

「どうしたの?!」

「いえ、大丈夫です…」

「大丈夫じゃないよ!顔、真っ白だから!」


 薄暗い廊下で、マスク越しにそれが見えるはずがないけれど、酷い表情をしている自覚はある。
 立ち上がろうとすると、彼の手が私の身体を支えようとする気配がした。しかし、それが触れることはなくて、気遣わしげな振る舞いに嫌な気持ちはしなかった。


「とりあえず、ナースステーションに声かけるよ?」

「…」


 先輩に迷惑かけたくないだとか、薬を飲めば大丈夫だとか、頭の中で言葉が渦巻いた。
 けれど、ありがたい申し出をそのまま受け入れることにする。センサーの準備だけでも助けてもらえたなら、気持ちが楽になる。

 幸いナースステーションにいた後輩が「大丈夫ですか!?」と飛んできてくれて。彼女にお婆さんを任せて、沖田さんにお礼を言って、私は一旦休憩室へと下がった。





***





「ツヤ子さん、その色合いとても綺麗ですね」

「そうかしら?」

「華やかで明るくて、見てると元気になれそうな絵だなって」

「お兄ちゃんも上手だわぁ」


 真夜中なのに、半分ほど電気のついたデイルーム。そこにいる青年とお婆さんは、どちらも患者さんだ。
 急変対応をしていた先輩曰く、あれから1時間、二人の仲は世間話に始まり。いつの間にどこから出したのか、気付けば塗り絵を一緒にしていた。

 
「沖田さん、ありがとうございました」

「もう少し休んでおいでよ。ここ僕いるからさ」


 まるで手慣れたスタッフのように、それが当たり前のことのように言われて、ふふっと笑いが溢れた。


「ありがとうございます。薬が効いてきてるので、もう大丈夫です」


 そう応えると、彼は心からホッとした表情をする。



  意外…こんなにいい人だったんだ…



 沖田さんは【プライマリー患者】といって、私が退院支援までを専属で担当する患者だった。けれど、色々思うところがあって、あまり関わらないようにしていた。
 患者教育もパンフレットや講習で問題なく進んでいたから、関わる必要がなかったというのもある。


「ところで、どうしたんですか? その塗り絵」

「仕事用にね。クレヨンも教材の試作のために持ち込んでた」

「なるほど、さすが幼稚園の先生ですね。見ていて頂いて、本当に助かりました」

「学生の頃にボランティア行ったときも思ったけど、介護と保育って似たところあるなーって思ったよ」


 安定剤が効いてきたのか、お婆さんはクレヨンを机に置いて、座ったまま眠り始めていた。


「ツヤ子さん、お部屋に戻りましょうか。お布団で寝ましょう」

「この人、どこに寝かしたらいいの?」

「あっ、それは私たちするので!」

「重いでしょ。手伝うよ」

「ありがとうございます、でもそういう訳にもいかないので」

「大変だね、看護師さんって。僕、夜勤したことないけど、患者さんは寝てるから暇だろうなって思ってたよ」


 そう言いながら、車椅子を押し始める彼。このままだと本当に移し替えをしかねない。
 部屋は教えずに「待ってて」と言いおいて、慌てて後輩を呼びに行く。


「沖田さん、二人いるから大丈夫です!」

「…絶対?」

「お気遣いありがとうございます。でも、万が一があると責任問題になってしまうので、絶対です」

 後輩ちゃんも「いつものことなので〜大丈夫ですよ〜」と言ってくれる。
 すると沖田さんは「分かった」と、車椅子からすんなりと手を離した。


「じゃあ、僕は帰るね」

「おやすみなさい、ありがとうございました」

「ん、おやすみ。お大事にね」


 沖田さんはヒラリと手を振って。


「ナイス、イケメーン」


 後輩ちゃんがその背に小声でコールを送る。
 それにクスクスと笑いながら、私は車椅子を押した。


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