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ラクガキ 〜病棟編2〜

2024/11/29 00:00

「おはよう、千鶴ちゃん」

「おはようございます、沖田さん。
 それ昨今はセクハラです。看護師のことは、苗字にさん付けで呼んでください」


 本当に信じられない、この成人男性。
 キャバクラじゃあるまいし、それはもはや不愉快の域に入る。

 朝一番からため息を吐く。だけど、これに相手をしていたら、彼の思う壺。
 沖田さんからの反論が来る前に、朝食後の薬を机に並べる。


「結核のお薬の名前は覚えましたか?」

「簡単だよ。これがイスコチン。で、リファンピシン、エブトール、ピラマイドでしょ」

「…完璧です」


 これが御年配の患者さんなら、少し大仰に褒め称えるのだけれど。
 看護師としてのルーチーンの動きよりも、彼を調子に乗らせたくない気持ちがわずかに勝った。


「もっと褒めてくれても良くない? まだ3日目なんだよ?」

「はい。よくパンフレットを読んで下さってるようで安心しました。明日は副作用をお聞きしますね。
 痒みなど新しい症状はないですね。では、飲みましょうか」

「超、塩対応だね」


 彼が唇を尖らせて、上目遣いで不満げな表情をしたが。
 午前中は特に忙しく、自立の患者さんに構っている暇はない。
 返事をせずにニコッと笑う。



  早く薬を飲んでください






***





 大部屋のドアが開く。すぐに「総司、入るぞ」とはじめ君の声がかかって、横になったままで応じた。


「看護師からクレームが出ている。
 あんたは排菌している故に強制退院にはしづらい。きちんとしてくれ」

「それって千鶴ちゃんだよね?」

「…誰と言うわけではない。ただ、今は医者としてだけではなく、友人としても態度を改めてほしい」

「肩身が狭い?」


 コクンと頷く。


「仕方ないなぁ」
 

 別にはじめ君を困らせたいわけじゃなかった。
 それに、他の看護師の目があるところでは、普通に他人行儀にしている。彼女一人のときに戯れにそう呼ぶだけだ。



  まあ嫌われるのは、ね



 気付いてくれないだろうかと期待していたが、逆効果なら仕方ない。
 少し痛む胸をかばいながら、身体を起こす。
 

「それにしても、山南さんがここで総合内科なのは知ってたけど、はじめ君がいるとは思わなかったよ」

「…たまたまだ」

「そうなの?」

「…研修医だからな」

「ふーん?」


 本当は違うのを知っている。
 山南さん曰く、彼はレジデントと言われる、専門医になるための研修中らしい。彼自身が望んで、珍しい感染症内科を専攻しているのだから、全く偶然なんかじゃない。



  まあ、退院したら強いの呑ませて訊いてみよっと

 

 はじめ君が僕に言いたくない理由なんか、大体は想像がつく。
 …とはいえ、まさか未だにそこまで心残りにしていたなんて、思いも寄らなかった。


 
  忘れても良いんだけどな 



 そうあれたら楽だと分かっていて、棄てる気がないのは、お互い様だった。


「あとさ、あの子は? 希望でここに配属されてるの?」

「…総司。今、俺は勤務中だ。あんたの病気に関すること以外は、時間外に聞いてくれ」

「えー、だってはじめ君、お見舞い来てくれないでしょ?」

「毎日こうして顔を合わせていて、何故、見舞いに来る必要がある。LINEをしろ」

「はいはい。じゃあもういいよ。次行きなよ。ふーんだ」


 いそいそと布団に潜ると、溜息をつきながらも「終わりにまた来る故」と言いおいて去った。
 無愛想な友人だが、そういう一言が優しいのだと笑ってしまう。



  長いなぁ、入院2ヶ月は



 アウトドアな性格でもないが、それでもタブレットだけで飽きずに過ごせるとは思えない。
 仕事も急に休職せざるを得なくなって、色々と心配がある。


 もやもやした気持ちを抱えながら、閉鎖病棟で面白いものといえば、彼女のことしか考えられなかった。



  思い出さないかな…


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