姓は「矢代」で固定
第1話 誘われて
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慶応元年八月下旬
坂本龍馬が今、京にいるらしい。
そもそも彼がなぜ要注意人物なのかと言うと、だ。
池田屋事件や禁門の変に参加していた長州藩士や土佐藩士の中に、当時、軍艦奉行だった勝海舟の私塾生がいた。それが幕府の怒りを買って、勝が建立した海軍操練所も私塾も閉鎖となった。元々は土佐勤王党である坂本龍馬も、その私塾生だった。
そして、異国からの武器の購入は、本来幕府を通さなければならないと、七,八年前に日英通商条約で決まっている。しかしながら、諸藩の密輸が後を絶たず、特に薩摩藩は裏で英国から大量に仕入れをしている。そして西郷隆盛が征長参謀にいながら、薩摩藩は征長に参加しないと明言している。
長州に対して友好的な勝と薩摩藩。どちらにも庇護されているのが、坂本龍馬と中岡慎太郎だ。
っていうか、たぶん坂本って薩長同盟の立役者なんだろうな…
未来で『坂本龍馬』がなぜ有名人なのか、同盟を結ぶことの何がすごいのか、あまりよく分かっていなかった。
けれど、思想が違うどころか、殺った殺られたで積年の恨み辛みを抱えて敵対している、血の気の多い頑固者たちを、説得して手を組ませるなら確かにそれはすごい。ちょっとだいぶかなり面倒臭い。私には無理。
そう考えながら、弥月は薩摩藩邸の屋根上に立った。
今から探す予定だった目的の人物が、そこに座っていて。波打つ長い髪を揺らして、彼が首を反り返らせてこちらを見上げた。
「よー。やっと来たか」
「…なんで来ること分かったんですか?」
「いや、随分待ったけどな。オレが持ってきた書簡が何か分かれば、くノ一やってるお前ならすぐに話を聞きに来ると思ってたからよ」
それは…先月から待ってるって言いたいのかな…
先日初旬に、不知火が届けたという書簡は、長州藩の高官が勅命に反して「体調が悪いので上京しません」といものだった。しかも届いたのは、上京の期限すら過ぎていたと聞くから、長州はやりたい放題だ。
「一ヶ月半か? わりと待ったな」
「…忙しいんで」
待ったことを強調されても、待っててくれと言った覚えはない。屯所に訪ねて来なかったことは褒めても良いけれど。
「ついでに千姫に言われて、緑の頭の子、見に来たんだけど。います?」
「あー…なんか坂本が連れ回してたな。今は伏見屋敷の方にいるんじゃねぇか」
「あれ。残念」
薩摩藩邸は京に三カ所ある。天霧が二本松にいるから、その子もここにいると思っていた。
「それにやっぱりココにいるんですね。坂本」
「新選組の方も気付いてザワついてんだろ?」
「ええ。あの人目立ちますから」
偽名は才谷梅太郎。隠れて暮らすべき立場の人間なのに、偽名すら判明しており、そこここで「京に居る」という噂を聞く。
そして、どうせ薩摩藩邸内にいるのだろうとは思っていた。ここは権力を盾に色んなものを匿っているから。
「じゃあちょっと場所変えません? 長州の遣いの貴方と新選組の私が、薩摩藩邸上で話してるってまあまあ危険ですから」
陽は暮れたがまだ早い時間だ。起きている人に気づかれる可能性がある。弥月は頭巾をかぶり直して、人の気配のする広大な藩邸を見降ろした。
不知火に先導されて、近くの寺の境内でそれぞれ灯篭や木に背を預ける。
「それで? この前、天霧とも話したんだろ。正直、もう来ねぇかなとも思ってたんだけどな。何を聞きに来た?」
「羅刹について」
薩摩が網道さんを匿っている思惑は分かったが、長州がどこまで噛んでいるのかも知りたいところだった。
「あの擬い物か。それは使ってるお前らの方が詳しいんじゃねえか? 風間も入手元については西郷を通じてイギリスに訊いてるらしいが、なにせ海の向こうの事だからな。話が進みやしねぇ」
「そうですか…」
「鬼とか人間とか関係なく、あんな物、なんでお前らは使おうとする?」
不知火は羅刹を嫌悪している様子だった。
藩政上はともかく、鬼らは使う気はないってことか…
「なんで使ったら駄目なんですか?」
「お前、羅刹見たことねぇのか?」
「ありますよ。殺されかけました」
「だったら…」
「薬に助けられた人を知ってますから」
要は使い方次第だと思う。それを軍事利用しようとするから、話が変わってくる。
「天霧に訊いたこと、しばらく考えたんですけど。薩摩が言ってる『解毒』って意味がよく分からないんですよね」
「羅刹化したのを元に戻すってことだろ?」
「だってそれ、結局、変若水の完成形ってことじゃないですか。死にかけの深手の時に変若水を使って、傷は治して、解毒剤で元の状態に戻るんですよね?」
研究していることは、山南さんと何ら変わりない。ならば、網道さんが雲隠れする意図はどこにあるのか。
網道さんが善人で、医者としての薬の研究だったとしても。薩摩でも会津でもどこかの藩に飼われている限り、この先、軍事利用されるのは変わらない。
「仕方ねぇだろ。元が絶てないなら、治療薬作るしかねぇ」
「じゃあ、治療薬ができるなら、忌むべきものでも無い気がしません? 私の見解、羅刹って鬼の一種だと思うんですよね」
鬼が神だった時代があるならば、日本にしか鬼がいないとは考えにくい。だから、おとぎ話の神さまが実際にいると仮定して考えることにした。
その場合、鬼の祖先に羅刹がいる。その精神が壊れる事自体は、神さま的に正しいのかどうか分からないけれど。
「…一緒にされたくねぇな。オレも最初見た時は、オレらに似た舶来の神の力かと思ったけどよ。その実、中身ぶっ壊れてるんだぜ?」
「壊れるにしても猶予があるじゃないですか。うちの羅刹見てて気づいたんですけど、彼らにとってたぶん食料じゃないんですよね、血って」
「…それは分かってる。喉が渇くっつうから、水みたいなもんだろ?」
「いや、もっと嗜好品に近いのかなって」
「…だから? 食って良いものと悪いものがある」
「人間も鳥とか豚を『美味しいから』って理由で食べるじゃないですか。別に野菜だけでもお腹いっぱいになるのに」
「…風間じゃあるまいし。お前が畜生と人間を一緒にするなよ」
伝わらない
弥月は渋い顔をする。頭から否定的な人に納得してもらうことは、こんなにも難しい。
「羅刹は血の味を知る前から、血が欲しくなるんだろ。それは本能的な渇きってことだろ」
「そうみたいですね……だから、欲求不満?性欲?かなって」
「ン゛ッ」
不知火が硬直した。
そういう反応するだろうから、ボンタンアメの皮に包んで言おうとしたのに
不知火が「おまっ」と咎めるのを、手を上げて制す。そんな問答をするつもりはない。
「うちの羅刹、この半年、何も変わらないんですよ。たま――に血を粉末にしたもの飲んでるみたいですし、その原料採取のときに私が舐めさせてますけど、必要量が増える様子もなくて。思ったより穏やかに過ごせるんだなって分かってきてて」
「…定期的に与えておけば、って話か?」
「んー、それよりは複雑そうなんですけど。心が満たされてると、落ち着く感じはあるらしいです」
山南さん曰く、大津宿で独りで待機していた間は、羅刹化の間隔が狭まる感じがあったらしい。
なりたてホヤホヤの頃の不安感も関係していたとは思うけれど、屯所に戻って倍の期間が経っても、羅刹化の不安定な感じはしないと言う。
「血が欲しくなる時って、最初は無視できるくらい軽いらしいんですよ。最初から血が飲みたいイィ!って訳じゃなくて、そこに何か気がかりがあって気持ちが揺れると、急に渇きが強くなるみたいで。
だから、落ち着くために思考が楽な方に逃げる……血が欲しくなるのかなって」
「それを…女が欲求不満って言うな」
「承認欲求とかもの話です。衝動性の引き金が、『満たされたい』とか『足りない』って感覚の近いところにあるのかなって」
欲求の段階説というものを聞いたことがあるが、寧ろ七つの大罪に近い気がした。まるでどれかを埋めることで、他が欠けているのを補おうとしているようだと。
「…煙草みたいなもんか?」
「たぶん?」
煙草を吸う人の話を聞いたことがないが、嗜好品という点では似てるのかもしれない。
「それで? なんでその話を俺にする?」
「不知火さんの血、ください」
「……」
「鬼の血のサンプル…例?…試験数が欲しいんです」
「…なんでだよ」
「私の血、羅刹化を抑える効果が高いらしいんですけど。それって鬼だからなのか、女鬼だからなのか、私だからなのか試したくて」
因みに、隊士たちだとそう変わりがなかった。千鶴ちゃんのも効果が高かったというから、少なくとも女鬼の血は羅刹にとって特別だ。
今、集めたいのは人間の女性と男鬼。
弥月は懐からガラスの瓶を出して、「ここに半分くらい」と彼に笑顔を向ける。弥月が一歩近づくと、不知火は一歩引いた。
「…悪趣味だな」
「いえいえ、実利のある探究心ですから。解毒剤の開発が一歩前進しますよ」
さらに一歩近づくと、彼は顔を引きつらせながらゴクリと唾を飲み下して、そのまだ希釈水しか入っていない透明の瓶を見た。
「あそこは…」
不知火は言いかけて止まる。なにか嫌なことを思い出したのだろう。怒った眼をした。
「羅刹の頭数増やして色々試してたな」
「ダメダメ、それこそ悪趣味ですよ。満たされないと心壊れるんですから。どうせ鶏小屋みたいな養い方してるんでしょ。そのうち暴動起きますよ」
私の見解、最高級和牛か競走馬のように、羅刹は大事に大事に養う方が良い。
「…大人しかったぜ。気持ち悪いくらいに」
「…大人しい?」
「定期的に薬を与えておけばって話だったが……身体は丈夫なのに無気力で、伊藤は阿片中毒よりタチが悪いつって……暴動か…」
…
…その研究成果、イマイチじゃない?
山南さんが無気力かと問われたら、たぶんそうでもない。元々あんな感じだ。剣術は好きだけれど、外出よりも本を読んでる方が好きだろう。
無気力の大人しさを良く言えば、暴力性が減ったのかもしれないけれど、薬物中毒のように廃人になるならその羅刹化は『失敗』だ。
「ねえ、不知火。そ」
「待て……お前、誰か連れて来たのか?」
彼が睨んでいる方向へ、自分も顔を向ける。
あぁ、そっちに居るのね
「一人で行くと後から怒られるので、仲間連れてきました」
「チッ…ずっと居たのか」
「たぶん。私もどこにいるか分かんないですけど、向こうから見える範囲にいるはずです」
不知火はぶつぶつとボヤキ、今まで気付かなかった事に苦い顔をしていた。
「鬼の話、他に聞いてるとしてくれないかなと思ったので。距離は取ってもらうようお願いしたので、まあ気にせず」
「…ちょっとこっちこい」
「嫌です」
即答した。半径五尺以内には入らない。
「なら…」
キチッ
「…抜くなよ」
「抜きます」
交渉する立場なら、敵が警戒するので自分の間合いには入れないようにと、監視しているあの人に言われている。私が短気だから。
けれど、もし向こうから無意味に近づいてきたら、躊躇いなく抜くようにとも言われている。
「間合いが取れない状況なら、話し合いを終了させるって言ってましたから。大事、この距離感」
「…それでさっきアレが動いたのか」
「たぶん。瓶渡そうとして近づいたままなのが、気に障ったみたいです」
「…この前のパッとしない奴か」
「…そこにいるのはうちの花形です」
烝さんの悪口は聞かなかったことにする。あの偏差値爆高イケメン集団の中で、下手に庇うだけ本人が気にするし、彼は可愛いからそういう枠じゃない。
「男侍らしてるのか。良い趣味してんな」
…無視しよう
弥月は不知火から二歩離れて、見えないあの人にヒラヒラと手を振る。
「弥月…同族と思って忠告しておくが……あれと一緒に死ぬつもりか? いくら羅刹増やしたって、頭数の時代は終わった。幕府に勝ち目はねぇぞ。
今は中立のフリしてるが薩摩も気付いてるし、佐幕の会津を残すつもりはねえ。寧ろ、会津を槍玉にして戦は終わる」
不知火にしては珍しく、酷く真面目な声でそう言われる。冗談ではなく、本気で心配してくれているらしい。
しかも、未来バッチリ当たってるのが、なんとも返答に困るかな…
「んー……まあ、最終的な負けは確信してますけど、だっさい事はしないって決めましたから。自分が正しいと思う通りにします」
「…隠してやる。もし迷ったらそこまでにしとけ」
「…それはどうもありがとう。でもきっと長州は好きになれない、かな」
「どことでも。お前、刀振って死ぬには勿体ねェ」
「……女鬼だから?」
不知火はフッと笑って、「いや」と。
「オレは面白い奴を見るのは好きだぜ。弥月も高杉の云う『竜』と踏んでるからな」
「竜?」
「英雄の真価だとよ。お前、雑兵で終わるタマじゃねぇ」
「あー…そういうの、英雄とか時代の立役者とか、私じゃないんで大丈夫です」
両手を上げて、肩口で手を振る。やろうと思えば、歴史に反してまず新選組を瓦解させることからできるが。チートで有名になりたくて新選組にいるわけではない。
「隠してる鬼の力、見れるの楽しみにしてるからな。くだらねぇ事で死ぬんじゃねぇよ」
「それ、出したらヤバいらしいので、一生出さずに過ごすつもりです」
もしかしたら令和時代に帰れる可能性もあるかと思ったが、はずみで原始時代に行く危険はまだ冒せない。
隠してないんだけどなー…なんで千姫にしか分からないんだろ…
それも今一つ判明していない点ではある。
そのとき、灯篭によりかかっていた不知火が「んじゃな」と、急にスタスタと歩き出す。
「え。まだ話終わってない。血もらってない」
「知るか。監視付きのデートなんて面白くもねぇ」
「…そのデートって言うの止めてもらえません?」
「男と女の外での逢引きのことなんだとよ。間違ってねぇだろ」
「それはいい感じの男女に限定されます」
「…お前、この前会ったときに、それ否定しなかったな。そういやあの男の名前はなんて……おい!逃げんな!」
「山南さん! 斬って良し!」
勿論、夜に丁度いい監視者といえば、今話題の山南さんだ。こんなに暗くても、昼のように遠くのものが見えているらしい。
弥月は彼がいるらしい方向へ走り抜けた。
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