姓は「矢代」で固定
第6話
混沌夢主用・名前のみ変更可能
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***
「こんな時間に呼び出しやがって…」
男二人は馬を降りて、城門の不寝番が開門するのを待つ。彼らが久しぶりに訪れた萩城は、以前と比べて人気が少なく、夜の不気味さを増強させているようだった。
「アレにとっては今が本調子ですから。
それに、来なくても構わないと言われたのに……君も気になっていたのでしょう?」
「そういう訳じゃねえよ。言ってきたのが帝付きの鬼じゃなけりゃ、お前の勝手にすりゃいいけどよ。わざわざ…」
よれた服の裾を直しながら不愉快そうに答えた色黒の男は、言葉尻を濁して消した。色白の青年はその深意を気に留めていない風に、あっけらかんと「そうなんですよね」と返す。
「いったいどこから情報が漏れたのか。
まあ、おかけで私は君のことを少し疑っていたのが、杞憂に終わりそうでなによりです」
ニコリと笑った青年。信頼の気安さではなく、互恵ありきの関係だと匂わせる彼に、男は舌を出した。
対になるような見目の二人がどこか殺伐とした話をしながら門をくぐると、別の方向からやってきた藩士らが、彼らを認めて礼をする。そして、ある藩士が引きずっていた大きな黒い塊に、男は目を留めた。薄闇にも、どう見てもその塊は人間である。
「そりゃ…なんだ?」
「はっ!詰丸にいた怪しい者です!今から牢に連れて行くところです」
「どうして貴方たちは濡れているのですか?」
「この者が逃げようと海に飛び込んだのを追いかけました!」
「…それ、生きてんのか?」
「はい。海から引き上げたときは死んでいましたが、蹴ったときに息をしまして!」
「頑丈だな…」
男は哀れむように囚人を見た。
青年はチラリと男を横目に見て、再度囚人へと目をやる。そして、肩口に切った短い髪を揺らして、藩士らへ柔らかに微笑んだ。
「それは私達が収監しておきますから、ひとまず着替えていらっしゃい。まだまだ寒い。風邪をひいてしまいます」
上官の申し出に下位の藩士は驚きながらも、「お気遣い痛み入ります!」と元気に返事をする。
「ですが、貴方様にそのようなことをさせる訳には参りません!」
「…いいえ。あなた方に頼みたい用事ができたので、急ぎ支度を整えていただけますか?」
穏やかではあるが、青年の有無を言わせぬ物言い。下僚たちは困惑しつつも目配せをし、了を示して場を辞する。男も不思議には思いながら、口には出さなかった。
「…では、よろしく」
「なんで俺なんだよ。請け負ったのはお前だろうが」
「私の手が塞がっているのが見えませんか? 大事な本が濡れてしまっては困りますから」
「テメェ…桂…」
ニコリと柔らかに笑った色白の青年…桂小五郎は、「木戸ですよ」と訂正をする。
「それに、気になったのでしょう? この人のこと」
「…」
「お知り合いですか?」
「ちげェよ」
「でしたら、牢に入れてきてください。耳の早さにどこの手の者か気になりますから、後で直接、私が訊きましょう」
木戸は馬二頭を引き連れて馬房へと進む。残された男は改めて、ずぶ濡れの意識のない人間を見下ろした。
見間違いではなく、弥月と市中で一緒にいた優男であった。だからこそ本当に心底関わりたくなかったのだが。
どうして分かったのか、木戸はこれと自分を二人きりにしようとする。そしてあの頑固者は言い出したら聞かない。
死んどけよ、マジで
不知火は地面に落ちている山崎の服を掴み、引きずって牢へと向かった。
***
「騒がしいわね…?」
千姫は通された座敷から、閉じた障子の向こうへと意識を傾けた。手持ち無沙汰であったし、なんとはなしに聴覚を研ぎまる。すると、どうやら騒がしい者らの行き先は城外のようである。
「ちょっとだけ見に行っても良いかしら?」
「良い訳がありません……姫様!」
まさか本当に出ていくとは思わず、菊は悲鳴じみた咎める声をあげる。
敵城ではないにしても、自分達は外部の者で、下手に動いて難癖をつけられるのは避けるべきである。そう説得しても何が彼女を沸き立たせるのか……菊は千姫には思うところがあるのだろうと、主の蛮行を止め切ることができなかった。
塀の向こうから聞こえる声。鬼化して跳び上がると、浜辺にいくつかの炎が揺らいでるのを見つけて、千姫は袖で口元を隠しながら「あれね」と小さく呟いた。
浜から何かが引き上げられている。衣装から忍びの者であるようで、「お気の毒に」と哀れみの言葉を無感情のまま胸に置いた。
潮の香りかと思ったのだけれど…
夢らしい夢ではない。ただ、数日前から匂いに関する何かが引っかかっていた。だからこそ開国派の新兵器が臨海の萩城にあるのだと聞いて、実物を見に来たのだけれど、それは城の中にあると言う。これだとピンと来るものに出会えていない。
…待って。まさかあれ、うちの者じゃ…
自分の派遣している忍ではないかと、一応は確認をと思い直した。人間より秀でた鬼の目で、捕らわれた人を再び見つめる。
…?
!! あの人?!
引き摺られていく男の顔に見覚えがあった。
とんでもない所で…
千姫の息遣いが変わったことに、菊は気付く。
「姫様、どうされましたか?」
「あの捕まってる人、助けられないかしら」
「はい…?」
千姫が指さす先にいる、捕縛され引き摺られていく人物。菊は同じように目を凝らしてじいっと見る。
「あれはうちの忍では…」
「新選組の人よ。お菊も会ったことがあるわ」
「…ああ」
それで合点がいったらしい、菊はコクと頷いた。
「お気持ちは分かりますが、我々が危険を冒してまで助ける義理があるとは思えません」
「あの人本人にはね。でも、弥月ちゃんにとって彼が特別だとしたら、彼女のために助けなきゃ」
「…」
菊は再び思案する時間をとった。けれど、次の答えは先ほどよりも毅然としたものだった。
「あれは人間です」
その意味は、神子の弥月と縁付く者であってはならないと云うこと。助ける価値はないと云うこと。
千姫は複雑な表情をしてから、一回だけゆっくりと頷く。そして、弥月の顔を思い浮かべて、眦を落とす。
彼女の打算のない笑顔。感情がむき出しで洗練もされていない、ありのままで生きている姿。ただ単純に、自分は彼女が好きだ。
「分かってるわ。でも、今見て見ぬふりしたら、私きっと一生彼女に顔向けできない」
泣いていた
梓月さんが消えたあの日、私は弥月ちゃんの選択を尊重するつもりで彼女らを見守った。でも結果的には、私はただ何もしなかっただけ。
地面に伏して泣きつづける友達の支え方が、私には分からなかった。そんな自分があまりに情けなかった。
「血と利害で繋がった縁だけど……ちゃんと友達になりたいの」
私は損得でしか動けない。鬼の一族を守る志と役割があり、矜持がある。
でも、しがらみのないあの子達の先は明るくあってほしい。彼女らの大切なものを私も守ってあげたい。役割があるからこそ、私にできることがあるはずだから。
「お菊」
懇願する主の声に、菊はかなり渋った後に「分かりました」と息を吐く。そこに複雑な心境があることを千姫は分かっていた。
藩士らが移動する先は牢屋のはずと、囚人をどう助け出すかを二人で考えている間に、それは別の者の手に渡っている。その男の特徴的な容姿に、菊は見覚えがあった。
「あれは、不知火家の…」
「好都合だわ」
山口にいるはずの男が今日に限ってここにいるのは、私達と関係がないとは思えない。
前に出ようとする千姫を抑え、不知火が一人になってから、菊は彼に近づいていく。
闇夜にザリザリと擦れ引きずられる音が響いていた。それ以外に、草鞋が擦れる音が鳴りはじめ、不知火は誰かが近づいてくる気配を感じながらも歩みを進める。
「そこの者」
「…あ?」
呼び止められたのは自分だろうかと、男は辺りを警戒しながら振り返った。
「高貴なるお方が、貴様と話がしたいと申している」
「…」
彼は返事をする前に視線を奥に向けたため、千姫は自ら菊の傍らへと進んだ。
「こんばんは」
「…八瀬の姫さんか」
「ええ。初めましてではないから……お久しぶりね、不知火匡さん」
「客人が勝手にうろうろしてんじゃねえよ。桂は先に客間に行ってんぞ」
「ええ。ですから、手短に用件を伝えます。それをこちらへ渡しなさい」
「…それが人にものを頼む態度かよ。これだから頭領ってのはいけ好かねぇ」
自分のことを棚上げにして言う彼に、千姫は些かモヤリとする。それでも、彼があんなのでも不知火家の嫡男であるからには、それなりに敬意を払った方がよいだろうと思い直して、心の中で溜息を吐いた。
「うちの者よ。返していただけるかしら」
「それは無理があるってもんだろ。どう見たって人間だ…新選組の、な。いつの間に八瀬はあっちと手を組んだ?」
「…知っているなら話が早いわ。私の個人的なお友達よ」
「友達ィ? 人間の男が? おいおい、凉森の護衛はどうなってやがる」
不知火は鼻で笑う。菊は表情すら変えることなく、無言のままそれを見ていた。
「言葉が足りなかったようね、友達の大切な人なの」
「…」
不知火は男の肩を踏みつけジリジリと捻る。
…らしくないわね
ほぼ初対面とはいえ、情報によると、不知火匡は家門とは関係なく人間に肩入れしている。駆け引きを好まない率直な性格で、一見ほどの軽薄さはなく、明るく真面目。必要に応じて人間を殺しはするが、人間の生命や尊厳を軽んじる様子はない。
そこから考えると…
忌々しげな表情をしている。彼に個人的な恨みがあるのだろうか。
「その足をのけて下さるかしら」
「忍び込んだ鼠を返せってか」
「ええ、そうよ」
それでも交渉する余地はありそうだ。
「友達は馬鹿じゃないけど無鉄砲でね。その盾になる人よ」
「モノは言いようだな。だがそもそも、俺はあそこに弥月を置いておく気はねぇ」
そちらから名前を出したことには、彼女らの関係を理解していると言いたいのだろう。けれど、何かが引っかかった。
まるで弥月ちゃんを自分の所有物かのように言う…
…ああ、なるほどね
彼は女鬼としての彼女を欲しているのだ。
ちゃんちゃら可笑しいわね
「あの子は貴方の思い通りになるかしら?」
「…」
「私もこちらに引き入れようとしてるのよ? でも、まだその時じゃないみたい」
「…正気か?」
「ええ、私はね」
含みのある言葉に気付いて、不知火は菊へと視線をやる。菊は感情を隠すように、わずかに目線を下げた。
お菊は本当は、弥月ちゃんに八瀬に来て欲しくはないもんね
お菊は弥月ちゃんを嫌ってはいない。けれど、私が彼女を八瀬に勧誘していることを、手放しで快く思ってはいない……時渡りの神子は、頭領としての私の存在を脅かす可能性があるからだ。だから新選組の彼を助けることも、弥月ちゃんの伴侶が人間なのは都合が良いからと、お菊は判断したはずだ。
「どうかしら。彼女の前に盾を一枚置いておくのは」
同じ問いを再び彼に投げかける。
すると今度は、不知火は萩城の奥へとわずかに視線をやり、厳しい表情のまま、千姫へと向き戻った。
「お前らは…」
彼は何かを憂慮していた。
「万が一のときに、弥月を助ける気はあるか?」
真剣な眼……軽薄な見かけによらず真面目な男だと言う報告は本当らしい。
弥月ちゃんが女鬼だからどうとか以上に、この人も彼女に惹かれた者なのだと知り、少し可笑しくなって、千姫は顔を綻ばせる。
「言ったでしょ。友達だって。ね、お菊」
強制したわけではない。お菊が彼女個人を嫌いなわけではないという確信があった。
「約束に従って。尊き御方はこの身に代えてもお守りします」
「もうっ、お菊は固いわね! 好きでしょ、弥月ちゃんのこと!」
どうして今、気持ちではなく形式ばった話をするのかと千姫が怒れば。困ったような、仕方ないなぁというような菊の「はい」という穏やかな表情と声が返る。
不知火は信頼しきれないといった表情をしたままではあったが、諦めたように静かに頷いた。
「こんな時間に呼び出しやがって…」
男二人は馬を降りて、城門の不寝番が開門するのを待つ。彼らが久しぶりに訪れた萩城は、以前と比べて人気が少なく、夜の不気味さを増強させているようだった。
「アレにとっては今が本調子ですから。
それに、来なくても構わないと言われたのに……君も気になっていたのでしょう?」
「そういう訳じゃねえよ。言ってきたのが帝付きの鬼じゃなけりゃ、お前の勝手にすりゃいいけどよ。わざわざ…」
よれた服の裾を直しながら不愉快そうに答えた色黒の男は、言葉尻を濁して消した。色白の青年はその深意を気に留めていない風に、あっけらかんと「そうなんですよね」と返す。
「いったいどこから情報が漏れたのか。
まあ、おかけで私は君のことを少し疑っていたのが、杞憂に終わりそうでなによりです」
ニコリと笑った青年。信頼の気安さではなく、互恵ありきの関係だと匂わせる彼に、男は舌を出した。
対になるような見目の二人がどこか殺伐とした話をしながら門をくぐると、別の方向からやってきた藩士らが、彼らを認めて礼をする。そして、ある藩士が引きずっていた大きな黒い塊に、男は目を留めた。薄闇にも、どう見てもその塊は人間である。
「そりゃ…なんだ?」
「はっ!詰丸にいた怪しい者です!今から牢に連れて行くところです」
「どうして貴方たちは濡れているのですか?」
「この者が逃げようと海に飛び込んだのを追いかけました!」
「…それ、生きてんのか?」
「はい。海から引き上げたときは死んでいましたが、蹴ったときに息をしまして!」
「頑丈だな…」
男は哀れむように囚人を見た。
青年はチラリと男を横目に見て、再度囚人へと目をやる。そして、肩口に切った短い髪を揺らして、藩士らへ柔らかに微笑んだ。
「それは私達が収監しておきますから、ひとまず着替えていらっしゃい。まだまだ寒い。風邪をひいてしまいます」
上官の申し出に下位の藩士は驚きながらも、「お気遣い痛み入ります!」と元気に返事をする。
「ですが、貴方様にそのようなことをさせる訳には参りません!」
「…いいえ。あなた方に頼みたい用事ができたので、急ぎ支度を整えていただけますか?」
穏やかではあるが、青年の有無を言わせぬ物言い。下僚たちは困惑しつつも目配せをし、了を示して場を辞する。男も不思議には思いながら、口には出さなかった。
「…では、よろしく」
「なんで俺なんだよ。請け負ったのはお前だろうが」
「私の手が塞がっているのが見えませんか? 大事な本が濡れてしまっては困りますから」
「テメェ…桂…」
ニコリと柔らかに笑った色白の青年…桂小五郎は、「木戸ですよ」と訂正をする。
「それに、気になったのでしょう? この人のこと」
「…」
「お知り合いですか?」
「ちげェよ」
「でしたら、牢に入れてきてください。耳の早さにどこの手の者か気になりますから、後で直接、私が訊きましょう」
木戸は馬二頭を引き連れて馬房へと進む。残された男は改めて、ずぶ濡れの意識のない人間を見下ろした。
見間違いではなく、弥月と市中で一緒にいた優男であった。だからこそ本当に心底関わりたくなかったのだが。
どうして分かったのか、木戸はこれと自分を二人きりにしようとする。そしてあの頑固者は言い出したら聞かない。
死んどけよ、マジで
不知火は地面に落ちている山崎の服を掴み、引きずって牢へと向かった。
***
「騒がしいわね…?」
千姫は通された座敷から、閉じた障子の向こうへと意識を傾けた。手持ち無沙汰であったし、なんとはなしに聴覚を研ぎまる。すると、どうやら騒がしい者らの行き先は城外のようである。
「ちょっとだけ見に行っても良いかしら?」
「良い訳がありません……姫様!」
まさか本当に出ていくとは思わず、菊は悲鳴じみた咎める声をあげる。
敵城ではないにしても、自分達は外部の者で、下手に動いて難癖をつけられるのは避けるべきである。そう説得しても何が彼女を沸き立たせるのか……菊は千姫には思うところがあるのだろうと、主の蛮行を止め切ることができなかった。
塀の向こうから聞こえる声。鬼化して跳び上がると、浜辺にいくつかの炎が揺らいでるのを見つけて、千姫は袖で口元を隠しながら「あれね」と小さく呟いた。
浜から何かが引き上げられている。衣装から忍びの者であるようで、「お気の毒に」と哀れみの言葉を無感情のまま胸に置いた。
潮の香りかと思ったのだけれど…
夢らしい夢ではない。ただ、数日前から匂いに関する何かが引っかかっていた。だからこそ開国派の新兵器が臨海の萩城にあるのだと聞いて、実物を見に来たのだけれど、それは城の中にあると言う。これだとピンと来るものに出会えていない。
…待って。まさかあれ、うちの者じゃ…
自分の派遣している忍ではないかと、一応は確認をと思い直した。人間より秀でた鬼の目で、捕らわれた人を再び見つめる。
…?
!! あの人?!
引き摺られていく男の顔に見覚えがあった。
とんでもない所で…
千姫の息遣いが変わったことに、菊は気付く。
「姫様、どうされましたか?」
「あの捕まってる人、助けられないかしら」
「はい…?」
千姫が指さす先にいる、捕縛され引き摺られていく人物。菊は同じように目を凝らしてじいっと見る。
「あれはうちの忍では…」
「新選組の人よ。お菊も会ったことがあるわ」
「…ああ」
それで合点がいったらしい、菊はコクと頷いた。
「お気持ちは分かりますが、我々が危険を冒してまで助ける義理があるとは思えません」
「あの人本人にはね。でも、弥月ちゃんにとって彼が特別だとしたら、彼女のために助けなきゃ」
「…」
菊は再び思案する時間をとった。けれど、次の答えは先ほどよりも毅然としたものだった。
「あれは人間です」
その意味は、神子の弥月と縁付く者であってはならないと云うこと。助ける価値はないと云うこと。
千姫は複雑な表情をしてから、一回だけゆっくりと頷く。そして、弥月の顔を思い浮かべて、眦を落とす。
彼女の打算のない笑顔。感情がむき出しで洗練もされていない、ありのままで生きている姿。ただ単純に、自分は彼女が好きだ。
「分かってるわ。でも、今見て見ぬふりしたら、私きっと一生彼女に顔向けできない」
泣いていた
梓月さんが消えたあの日、私は弥月ちゃんの選択を尊重するつもりで彼女らを見守った。でも結果的には、私はただ何もしなかっただけ。
地面に伏して泣きつづける友達の支え方が、私には分からなかった。そんな自分があまりに情けなかった。
「血と利害で繋がった縁だけど……ちゃんと友達になりたいの」
私は損得でしか動けない。鬼の一族を守る志と役割があり、矜持がある。
でも、しがらみのないあの子達の先は明るくあってほしい。彼女らの大切なものを私も守ってあげたい。役割があるからこそ、私にできることがあるはずだから。
「お菊」
懇願する主の声に、菊はかなり渋った後に「分かりました」と息を吐く。そこに複雑な心境があることを千姫は分かっていた。
藩士らが移動する先は牢屋のはずと、囚人をどう助け出すかを二人で考えている間に、それは別の者の手に渡っている。その男の特徴的な容姿に、菊は見覚えがあった。
「あれは、不知火家の…」
「好都合だわ」
山口にいるはずの男が今日に限ってここにいるのは、私達と関係がないとは思えない。
前に出ようとする千姫を抑え、不知火が一人になってから、菊は彼に近づいていく。
闇夜にザリザリと擦れ引きずられる音が響いていた。それ以外に、草鞋が擦れる音が鳴りはじめ、不知火は誰かが近づいてくる気配を感じながらも歩みを進める。
「そこの者」
「…あ?」
呼び止められたのは自分だろうかと、男は辺りを警戒しながら振り返った。
「高貴なるお方が、貴様と話がしたいと申している」
「…」
彼は返事をする前に視線を奥に向けたため、千姫は自ら菊の傍らへと進んだ。
「こんばんは」
「…八瀬の姫さんか」
「ええ。初めましてではないから……お久しぶりね、不知火匡さん」
「客人が勝手にうろうろしてんじゃねえよ。桂は先に客間に行ってんぞ」
「ええ。ですから、手短に用件を伝えます。それをこちらへ渡しなさい」
「…それが人にものを頼む態度かよ。これだから頭領ってのはいけ好かねぇ」
自分のことを棚上げにして言う彼に、千姫は些かモヤリとする。それでも、彼があんなのでも不知火家の嫡男であるからには、それなりに敬意を払った方がよいだろうと思い直して、心の中で溜息を吐いた。
「うちの者よ。返していただけるかしら」
「それは無理があるってもんだろ。どう見たって人間だ…新選組の、な。いつの間に八瀬はあっちと手を組んだ?」
「…知っているなら話が早いわ。私の個人的なお友達よ」
「友達ィ? 人間の男が? おいおい、凉森の護衛はどうなってやがる」
不知火は鼻で笑う。菊は表情すら変えることなく、無言のままそれを見ていた。
「言葉が足りなかったようね、友達の大切な人なの」
「…」
不知火は男の肩を踏みつけジリジリと捻る。
…らしくないわね
ほぼ初対面とはいえ、情報によると、不知火匡は家門とは関係なく人間に肩入れしている。駆け引きを好まない率直な性格で、一見ほどの軽薄さはなく、明るく真面目。必要に応じて人間を殺しはするが、人間の生命や尊厳を軽んじる様子はない。
そこから考えると…
忌々しげな表情をしている。彼に個人的な恨みがあるのだろうか。
「その足をのけて下さるかしら」
「忍び込んだ鼠を返せってか」
「ええ、そうよ」
それでも交渉する余地はありそうだ。
「友達は馬鹿じゃないけど無鉄砲でね。その盾になる人よ」
「モノは言いようだな。だがそもそも、俺はあそこに弥月を置いておく気はねぇ」
そちらから名前を出したことには、彼女らの関係を理解していると言いたいのだろう。けれど、何かが引っかかった。
まるで弥月ちゃんを自分の所有物かのように言う…
…ああ、なるほどね
彼は女鬼としての彼女を欲しているのだ。
ちゃんちゃら可笑しいわね
「あの子は貴方の思い通りになるかしら?」
「…」
「私もこちらに引き入れようとしてるのよ? でも、まだその時じゃないみたい」
「…正気か?」
「ええ、私はね」
含みのある言葉に気付いて、不知火は菊へと視線をやる。菊は感情を隠すように、わずかに目線を下げた。
お菊は本当は、弥月ちゃんに八瀬に来て欲しくはないもんね
お菊は弥月ちゃんを嫌ってはいない。けれど、私が彼女を八瀬に勧誘していることを、手放しで快く思ってはいない……時渡りの神子は、頭領としての私の存在を脅かす可能性があるからだ。だから新選組の彼を助けることも、弥月ちゃんの伴侶が人間なのは都合が良いからと、お菊は判断したはずだ。
「どうかしら。彼女の前に盾を一枚置いておくのは」
同じ問いを再び彼に投げかける。
すると今度は、不知火は萩城の奥へとわずかに視線をやり、厳しい表情のまま、千姫へと向き戻った。
「お前らは…」
彼は何かを憂慮していた。
「万が一のときに、弥月を助ける気はあるか?」
真剣な眼……軽薄な見かけによらず真面目な男だと言う報告は本当らしい。
弥月ちゃんが女鬼だからどうとか以上に、この人も彼女に惹かれた者なのだと知り、少し可笑しくなって、千姫は顔を綻ばせる。
「言ったでしょ。友達だって。ね、お菊」
強制したわけではない。お菊が彼女個人を嫌いなわけではないという確信があった。
「約束に従って。尊き御方はこの身に代えてもお守りします」
「もうっ、お菊は固いわね! 好きでしょ、弥月ちゃんのこと!」
どうして今、気持ちではなく形式ばった話をするのかと千姫が怒れば。困ったような、仕方ないなぁというような菊の「はい」という穏やかな表情と声が返る。
不知火は信頼しきれないといった表情をしたままではあったが、諦めたように静かに頷いた。
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