姓は「矢代」で固定
第6話
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慶応二年二月五日
コンコン
「沖田さん、お食事お持ちしました」
「どうぞ」
大和国派遣隊は昨日屯所に戻ってきた。ただ、沖田の風邪は未だ治っていないという弥月の判断と、土方の指示で、彼だけが治療室で寝起きしている。
「ねえ、明日から巡察あるし部屋に戻らせてくれない?」
沖田の問いかけに千鶴は困って口籠る。しかし、彼女が頼んでいた急須を手にした弥月がすぐに現れたため、渡りに舟と助けを求めた。
「巡察は私が代わりに行きますから、療養に専念してください。
それに今、ここ実質個室だし全然良いじゃないですか」
「君らが好き勝手入ってくるでしょ。それに、こんなに寝かされてたら腕が鈍ちゃう」
「気持ちは分かりますけど、ちゃんと熱が下がったらですね。夜中に上がってるからまだダメです」
弥月は盆を置いて、自分が入ってきたのとは反対側の戸も開ける。
「寒い」
「換気です。千鶴ちゃんに移るのは不本意でしょ?」
そう言うと沖田さんも仕方ないと思ったのか、一旦は黙る。けれど、まだ思うところがあるようで、したたかな顔で「ねえ、千鶴ちゃん」と狙いを再び彼女へ定めた。どう見ても悪あがきか、彼女を困らせたいだけだ。
「蘭方医の娘としては、若者がこんなに元気なら、外に出て身体動かした方が早く良くなると思わない?」
「でも、お熱があるんですよね?」
「今、元気なんだよ? それに松本先生も適度に身体を動かせって言ってたし。
鼻水が緑色なのって、毒が身体から出て治ってきてる証拠じゃなかったっけ?」
「えっと…それはそうなんですが…」
「じゃあ僕ほとんど治ってるから、もう良いんじゃないかな?」
「…白血球だから」
「ケッキュー、ですか?」
弥月の小声の指摘を、千鶴は聞き逃すまいと振り返る。
「白血球…身体の中に入ったバイ菌を……あー、まずバイ菌って何かって話なんだけど…」
「前に仰ってた、手を洗ったり煮沸したりするとなくなる、見えないくらい小さな生き物のことでしたよね?」
「そう! 流石!」
褒められて、千鶴はこそばゆそうに微笑む。
何気なく説明したことを覚えてくれるのは、教え甲斐があるというものだ。
私はお盆を置いたら早々に退散しようと思っていたのだけれど、どうやら千鶴ちゃんを連れて出ていった方が良さそうで。沖田さんの話題を逸らすのにも丁度いいと、雑学を披露することにした。
「身体の中にバイ菌が入ると風邪をひいたりするんだけど、そのバイ菌と戦うものが血液の中にあって。それを白血球といいます」
「あっ、少し待って下さい。手控えを…!」
「頭に入る分だけでいいよ」
「ええ…でも…」
書きとめた紙が流出するとヤバいから
千鶴ちゃんは昨夏以降、機を見て松本先生や南部先生に指導を乞いに行っている。そして、時々こうして私の話とすり合わせてくるから、この世界で最新の医療的な知識をもっているのは彼女ではないだろうか。本当に心強い。
あーだこーだと専門的なやり取りをする二人を横目に、沖田は夕餉を食べ進める。
彼から見れば、経験則ではなく根拠を求めて人体について話す彼女らは、そこらの自称医者よりもよっぽど学の深い医者のようだった。
「ごちそうさまでした」
「沖田さん、お嫌いでなければこちらもどうぞ」
千鶴は一旦話を止めて、急須から湯飲みへ白湯を注いだ。それを匙で混ぜると、ふわりと薄桃色の花弁が泳ぐ。
「なにこれ?」
「梅の花です。喉や消化に良いそうで…少し甘くしてあります」
寒の終わりに、少し前から屯所にも梅が咲き初めていた。
千鶴ちゃんは蕾を摘み取って、すり潰したり陰干しにしたり……私たちが風邪で大和国から帰れなくなっていると聞いて用意してくれていたそうだ。斎藤さんも千鶴ちゃんもお母さんみが深すぎる。
沖田は「ふうん」と言いながら、くるくると湯飲みを傾けて、揺れる花びらを眺める。
「一輪咲いても」
ぽつりと沖田さんは言って、私をチラリと見た。
「梅は梅」
応えると、なぜかそれで気持ちが落ち着いたらしい。彼は妙に満足げな顔をして、梅花入りの白湯をすする。
沖田さんが暇の嗜みのように繰り返し朗読するから、私も豊玉さんの作品をいくつか覚えてしまっている。単純で覚え易すぎるのが悪い。
***
「おい、待て!やめろ!!」
「止めてくれるな、原田殿!」
ぬ?
寝る前に厠に行こうと外を歩いていると、誰かが大きな声を出していた。夜稽古での叫び声の一つや二つは珍しくもないけれど、いくらなんでも時間が遅いし、どうにもそういう雰囲気ではないから、きっと揉め事だ。
どしたどした~
「なん、平助?」
「弥月…」
野次馬なのか騒ぎを止めに来たのか、すでに門の前に人が集まっていて。その中心では隊士二人が左之さんら数名にそれぞれ抑えられていた。
「大石さんの弟だとは知らなかった。あんたの気分を害したことは認めよう。
だが、それと己が侮辱されたことは別の問題だ! 刀の持ち方も知らぬ茶坊主が身を滅ぼしただけのこと!」
「今井!」
「貴様ッ!! 手打ちにしてくれる!!」
暴れる大石伍長を原田はさらに強く抑えつける。手を貸すべきか迷っている人集りに向かって、原田は「お前!」と焦った声を出した。
「土方さん呼んでこい!」
「はいっ!!」
慌てて踵を返した隊士を見送る。
左之さんらの力技で制圧されてはいるが、大石伍長は周りが見えていない訳ではなさそうだ。今のところ人手は足りている。
とはいえ、結構マズそうな感じ…
「弥月?」
「沖田さんら、呼んでくる」
片方は一番組伍長だ。土方さんが来たらどうせ呼ばれるだろう。もう片方は谷組長の所属だから…声などかけたくもないけれど、ここは仕方がない。
土方は門前に現れることはなく、広間に来いとの指示を出した。問題の二人を引き離しつつ、万が一のときはまた暴れる前に抑えねばと、本人ら、その組長、居合わせた隊士十人ほどが広間に集まっていた。
腕を組み、胡座をかいて座る土方を前に、今はかれこれ半刻も、誰も喋らずに無言のままで正座している。
…
……
んあ゛ーーー!!!
意味のない雄叫びを心の内で発したのも何度目か。皆、この重すぎる空間によく耐えられるものだ。
それでもここは従うしかないのだと、流石の私にも分かってはいる。野次馬しに来なければよかったと心底後悔してます、はい。
それぞれの陳述は終わっている。今井が祇園で揉めた男を斬った。男の死に際の名乗りから、それが大石伍長の弟だと判明したのだ。
大石伍長は…彼も彼で、第一回長州訊問使の徒労の恨みで道行く広島藩士と揉め、その男を斬ってきたところだ言う。
どちらも酔っていたようで…京の治安が悪いのはあんたらみたいなののせいだと、私は思わないでもない。
そして、それぞれの話を聞いた土方さんが怒鳴るのを堪えられたのは、偏に眠たかったからだろう。珍しく早々に就寝しようとした寝入り端を起こされてここに座っていた。
「戻りました」
「入れ」
来た――!!おかえりぃぃぃ!!!
確認へ行った魁さんらが戻ってきた。
「先方は」
「事態の把握はしたと。弟殿が話せる状態ではないため、辻斬りの男が何者かという事すら我々の訪問で知ったようで…」
「造酒蔵(みきぞう)は生きてるのか?!」
「…」
大石の問いに島田は答えず、険しい表情をするだけだったが、それが答えではあった。状態はすこぶる悪いということ。
チッと土方は内心で舌打ちをする。
こっちの身元が割れてねえとは…
それならば黙っていれば良かったことだった。
大石の弟は一橋家の家臣である。どんな理由があれど、松平家の『お預かり』でしかない新選組の平隊士が、先に手を出したのが問題だ。先方へ事を重く受け止めていると顕示し先手を打ったつもりが、早計だったかもしれない。
「――っ、造酒……今井! 弟が助からなければその首はないと思え!!」
「大石」
土方は低い声で「私闘を禁じる隊規を守れ」と言うが、彼は「でも」と楯突こうとする。
「でもも糞もねぇ。てめえも道端でぶつかった男が気に入らなくて殺ってきたんだろ……くだらねぇ。
私事を以って隊規を軽んじ争うってんなら、今井に代わり俺が相手をする」
「そ、れは…!!」
弥月は視線を明後日に放って、他の誰にも気付かれない程度に首を捻った。
それは困るくない?
冷静に考えて、大石伍長と土方副長が決闘したとしたら、おそらく大石伍長が勝つと思われる。そうなると組としては色々と問題だ。
同意を求めてチラと目線だけを動かすと、心配した顔をしている隊士は半数くらいで。
…なんでワクワクしてるの、左之さん
興奮を隠しもせず口元がニヤニヤと綻び、眼が子どものように輝いている。
私ですら言いたいことがあるけれど、それでも今この場で発言を求められているのは、大石伍長か或いは今井だ。
どちらが悪いという事はないが、大石伍長が決闘を求める気持ちは共感できるものだった。
どうなるか…
「どうするの」
重たい沈黙の中、飄々とした沖田の声に空気が揺れる。
それはどちらに転んでも構わないという、感情の伴わないものだった。ただ、勢いに任せて抜いた刀をどうするのかを、組長として伍長に問うた。
大石は長い逡巡の末、ぐっと唇を引き結す。
「…気が立っておりました。慙愧の念に堪えません」
大石は手をついて、土方へ深く頭を垂れた。誰ともなく安堵の息を吐く。
じゃない人もいるけど
もう一度、チラリと横を見ると、残念そうな顔に見える左之さん。まるでお祭りの前のような顔だったのだと気付く。
「明日早朝、一橋家には謝罪に向かう。大石、総司、谷は同行しろ」
「うちの午前の巡察は?」
「一番組の巡察は中止。以後、一番組、七番組は隊務以外は十日間謹慎だ」
谷組長や大石伍長、今井が了承や謝罪の言葉ととともに恭しく頭を下げる一方で、沖田は首を竦めた。
そうして、土方に解散と指示される。当事者ら以外がやれやれという空気で立ち上がる中、去り際に「矢代」と呼ばれて、弥月は反射的に返事をする。
「残れ」
「うぃっす」
「…?」
「りょ!」
「普通に話せ」
「はーい」
ぐったりと疲れた表情を隠さなかった土方は、自分達を振り返っていた島田にも目を止めて、顎を引く。
島田も心得てその場に留まった。
***
一橋家の屋敷は、二条城を下ったすぐの所にある。
「会津中将お預かり、新選組副長土方歳三と申す。一橋慶喜様にお目通りを願う」
土方御一行様は今、その門前で家臣とやりとりをしている。深夜に火急の事と申し入れをしてはいたが、返事は未だもらえていないままお屋敷に乗り込みに来ていた。
「殿は不在である。また本日の予定に貴殿らとの約束はない」
「承知している。面会の列の最後に待たせてもらえれば良い」
「本日は帰られぬ。日を改めよ」
「…では、こちらで公がお戻りになるまで待たせていただくが宜しいか」
わあ
物陰から見ていた弥月は思わず感嘆する。
慶喜公は今日はこの邸宅内にいるはずだと、昨日の夜から御所と二条城、邸宅を往復した私達が当たりを付けていた。だから門番がおそらく嘘を吐いているとはいえ、今のは喧嘩を売ったようなものだ。
土方さんの思惑は、ここで待ってさえいれば客の出入りで門番の嘘が露呈するとの目算だろう。大見得を切ることに関して、本当に彼の右に出る者はない。
するとやはり門番も明らかに困った様子で、口に出したものを撤回することもできず、「ならぬ。帰られよ」と言う。しかし、それで退く土方さんではない。
「ならば、こちらは一橋家家臣大石造酒蔵殿が兄、大石鍬次郎と云う。弟が怪我をし明日も分からぬ状態と聞き、見舞いに参った。お取り次ぎを願う」
これは断れないはずだ。この門番よりも大石家の方が家督が上。もし今後、大石家の跡目が兄になれば、ここで不義を働いたことが自身の命取りになりかねない。
「お」
「少し良いだろうか」
門番がなにかしら返事をしようとしたのを遮るように、よく通る声がした。
開いていた門の奥から現れたのは、クツクツと笑う半裸の青年。手には張った弓と矢を一本握っている。
「どうやら君は殿の予定を勘違いしているようだ」
「!!」
門番はオロオロと慌てるが、武人が微笑みながら頷くと、身の置き所に困るように小さくなる。
「今は殿は屋敷におられないが、もうすぐお戻りになる。
新選組の土方殿と言ったかな。彼に悪気は無いんだ。許してくれるかい?」
男は髷も結わずに楽な格好でいるため、様相からでは身分が全く分からなかった。年の頃は土方らとそう変わりなく見える。
しかし、媚びることなく穏やかに毅然とした態度をとる武人に、土方は警戒を隠さず「勿論」と応えた。
「ただ、殿はこれから一つ約束があってね。待ってもらうことになるが構わないだろうか?」
「! 口添え心より感謝申し上げる」
土方は折り目正しく、深くに頭を下げ、控えていた沖田らもそれに倣う。
「ああ、そうだ。待っている間に大石君のところに寄ってくると良い」
「そ、れは…!」
鍬次郎は反射的に声をあげる。
「意識はある。だが、傷は深いからね」
「――っ、忝(かたじけ)ない…」
「戻るついでだ。私が案内しよう」
男は来客の帳面に書き留めるように門番へ言う。
「側近のようですね」
隣の島田の声に頷き、弥月は「運が良いです」と返す。新選組を無下にせず、慶喜公に急な予定をねじ込める立場の人ということだ。
特にこれといった特徴のない背格好の人物。顔を覚えておこうと目を凝らす。
ん?
「あっ?! 待…っ」
「弥月君?」
止める!? いや、でも…!!
迷っている間に、一行は門の奥へと入ってしまった。
私も遠目にしか見たことがないけれど……見間違いじゃなければ、今、土方さんらを案内して行った人物こそが「一橋慶喜公」だった。
本人が良いって言うんだから、そりゃ良いんだろうけど…
「なんで大石さんは顔知らないの…」
元上司の姿とか声とか、一目くらい見たことくらいはあるだろう。
「どうしましょう…」
「それは……我々にはもう…どうしようも無いですね…」
ただの見間違い、人違いだったら良いのだけれど。もし慶喜公本人ならいったいどういうつもりで、家臣のフリなどしていたのだろうか。
魁さんと引きつり笑いをしながら、静かになった門を遠くから眺めた。