姓は「矢代」で固定
第5話 よりどころ
混沌夢主用・名前のみ変更可能
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***
バシリと片頬に衝撃を受けた。刹那、目の前が点滅し、遅れて頬がヒリヒリと痛む。
「じゃあ死んだらいい!」
「総司!」
今すぐに死ぬのを止めたのも、髪を切ろうとしたのも本当だった。言っても栓無いことを追及されるのが煩わしくて、ぞんざいな答え方をした自覚も弥月にはあった。
けれど、弥月は呆然としていた。自分は叩かれるようなことを言ったのだ、と。
「死にたがりなんて、見てて腹が立つ。そんなに死にたいなら、今ここで楽に殺してあげるよ」
「総司、待て!」
「邪魔しないで、はじめ君」
「矢代!」
斎藤の背に庇われて、弥月は刃越しに沖田を見つめる。
音のない静かな澄んだ朝。いつの間にか暁を迎えようと、景色がわずかずつ色づいていた。向かい合う男の陰が消える。
殺される
沖田さんは本気だと、考えるまでもなく声で分かった。それなのに彼は今、泣きそうな顔で私を目に映して。怒りよりも悲しみを持った眼で私を見ていた。
こうして得物を向けられたことはもう数えきれないのに、あなたのそんな顔は初めて見た。
『沖田さんには関係ない』
あ
わたし
ひどいことを言った
「沖田、さん」
傷付けた
傷付け返すしかできないほどに深く
斬りたくないって思ってるのに
心配して止めに来てくれたのに
そんな当たり前の事を
「ごめんなさい」
もっと上手に嘘をつけば良かった。迷わなければ良かった。
どう失踪したって、いつか探される。きっと彼の人が探しに来てくれる。だから伝わる場所で自決はしたくないと思ってしまった。
だけど、それならいっそ、彼らに弔いを受ける方が、きっと彼の人の心患いにならない。安藤さんらと同じ光縁寺に入るのも悪くないだろう…芹沢さんは怒るかもしれないけれど。
切腹は惨めなことじゃない
あなた達が見届けてくれるなら
もう躊躇わない
探しに来てくれて
見つけてくれて
ありがとうございます
「弥月!」
「!?」
袴板に仕込んでいた棒状の苦無……動脈と気道を刺し貫くならこれで十分だ。顎を上げると同時に振りかぶった。
バシャ―…ン…
「――っ、う゛…」
「…――ッ」
苦無が逸らされた感触。同時に、正面からぶつかってきたものの質量に抗えず後ろへと倒れ込むと、頭から水に落ちた。
上にかぶさった人が退いて、弥月は池に溺れかけたところから、肩を持って引き上げられる。
「ぅぐっ…ゲホッ…何して…」
「――ッ、こっちの台詞だよ!!」
未だ握っていた苦無も叩き落とされ、今度は頭を叩かれた。濡れた髪が頬に張り付く。
「折角助けてあげたのに、何勝手に死のうとしてるのさ!!」
その言葉が癇に障った。今のは…頭を叩かれる謂れは無い。
「…助けて、とか…言うてないんですけどっ!!?」
「八ッ!!? 誰!いつも助けてくれてありがとうって感謝してたのは?!」
「それとこれとは別でしょ! 私は、今! 今、死のうと思ったの!」
「それが自分勝手で迷惑だって言ってるんじゃない!」
「はあぁ!? 今、私のこと殺そうとしてた人がよう言う!!」
「楽に死ねるようにって優しさが分かんないかなぁ?!」
「分かったからじゃん! 殺させるくらいなら、自分で死のうとして何が悪いんよ!」
「自分でって…! 殺したくて…、ーーーっ!」
いつの間にか、沖田さんに襟首を掴まれて、私も彼の胸元を掴んで罵り合っていた。
けれど、沖田さんは言葉を止めた。また泣きそうな顔をして、叫びたいのを堪えるようにグッと一度引き結んだ。
「なんで」
声を絞り出すように彼は言った。
「なんで死にたいのか教えて」
急な静かな問いへの答えに窮して、弥月が俯くと、両手で顔を挟まれ無理矢理に正面へ戻される。
目の前には深い翡翠色の双玉。睨むように目を合わせたのに、彼の眼は怒りよりも悲しみを、侮蔑よりも親愛を孕んでいた。
居たたまれなくなって視線を落とす。濡れた彼の髪からポタポタと、私の拳に雫が落ちていく。
「こっち見て、弥月。全部話して。未来の話なんでしょ。聞いてあげるから」
「…言ったって」
「変わらないかもしれない。何もできないかもしれない。けど、どうにかしたいって思ってるんでしょ。なら考える人は多い方がいい」
「…」
「馬鹿なんだから。独りで考えて思い詰めて、行き着く先が一辺倒なのは悪い癖」
言い返そうにも、それは言い掛かりなどではなく、ちゃんと彼は私のことを分かっていて。
「弥月」
話すまで離してもらえないと知って、ポツリ、ポツリと、弥月は言葉を吐き出した。
「梓月が…私が、私が未来の梓月を消したんです」
「家に帰ったって話だったんじゃないの。未来が見えたから彼だけ帰したって聞いたよ」
「居なかったんです。ミライに居ない事になった…梓月が生まれないことになって…」
「それはなんで分かったの?」
「…夢で見たんです。私、未来を視る鬼の血筋で、予知夢ができるみたいで…」
「鬼、ね…そんな事言ってたね」
その時、沖田は急に身体の向きを変え、「よっと」と池から出る。その間も弥月の手は離さなかった。
「ほら、上がって。馬鹿でもこの時季は風邪ひくから」
……
ものすごく話の途中だった気がして、納得がいかない。
その思いが通じたのか、沖田さんは自分の服の裾を片手で絞りながら、「その話長くなりそうでしょ」と事もなげに言う。
そうなんだけどさ…
沖田さんが風邪ひいても嫌だけどさ…
弥月が不満げな顔ままズルズルと這い上がり、縁にペタンと座り込む。すると、斎藤が「大丈夫か」と傍らに膝をついたため、渋々弥月は首を縦に振った。
沖田は「予知夢ねえ…」と独り言ちた後、渋い顔で彼女を見る。
「それ、本当に予知夢? ただの夢じゃないの。
悪夢を見て寝ぼけた頭で全部決めるなんて、いい加減、短気にも程があると思わない?」
「夢だけど、夢じゃないかもしれない。変えなきゃいけないミライかも…」
「君は今まで夢で未来を予知ができたことあるの? 未来は変わった?」
……
「…無い」
「じゃあ今はただの夢だね。あーあ…刀濡れちゃったよ。はじめ君、手ぬぐいない?」
言われて、私もそこここに入っている暗器のことを想う。乾かさなきゃ錆びる。この状況下で、持ち物の錆を心配している自分はとても情けない。
片手が塞がっている沖田の代わりに、斎藤は彼の刀の水を切った。
「だいたいさ。梓月君は未来が変わるとかそんな事気にもしてなかったから、別に良いんじゃないの」
「…?」
「君が怪我してないかが一番で。後は割とどうでも良いって感じだったよ」
「梓月は…たぶん現実感がなかったから…」
「そうかな。君と違っておっとりした子だったけど、ここで生きなきゃってちゃんと考えてたけどな。
知ってた? 梓月君って、医者みたいなのになりたいんだって。馬に乗って行く往診専門のやつ」
「…なんで沖田さんが知ってるんですか。仲良しですか」
救急車だよ
ツッコミが頭の中を駆けたけれど、この時代に生きたのなら馬や籠に乗っていくのだろう梓月を想像して、少し可笑しかったのを笑わないように努めた。
「あの子、見る目あるよ。僕に君の事よろしくって頼んでたもん」
「…そういえば、沖田さんのこと善い人って勘違いしてましたよ。ほんと沖田さんは外面が良いですね」
「弥月君が餓鬼すぎるだけ。
梓月君は賢く生き残ろうって感じがしててさ。ちゃんと君のお兄さんだったよ」
斎藤は動こうとしない弥月の髪をしぼって拭く。
視線を動かすと、傍らには抜き身の顯明連が転がっていて。手を延ばせば取れる距離だが……やる気が失せてしまった。斎藤さんがそれに気づいていない訳ないし、下手すると彼にも怪我をさせる。
「…でも、私、段々人間離れしてて、もしかしたら鬼の力が出てきたってことも」
「くどいなぁ」
沖田は言葉を被せるように言い、溜息を吐きながら顯明連を拾い上げて、弥月の目の前に膝を着く。そして峰を向けて、弥月の首に刃を据えた。
「その眉唾な力に確信ができたら、いつでも言いなよ。僕が楽に殺してあげる。梓月君と一緒に世界から消えたらいい」
一緒、に…?
言われて気付く。ここで自分が消えた後、ミライがどうなるのかなんて知り得ないのだ。確信が得られるとすれば、ミライに行くか、ミライを見続けて分岐を正すしかない。
弥月はしばらく逡巡した後に、コクリと頷く。
沖田は肩を落として、近くにあった鞘を拾い、顯明連をカチリと納める。そして再び弥月の前に膝をついて、彼女の手にそれを握らせた。
この約束を違えないと彼に信頼されて、私は刀を返されたのだと分かった。
「ねえ、弥月君」
呼ばれて目線を上げたのに、沖田さんの方がどこか遠くを見ていた。少しの間の後に、ゆらりと視線が絡まる。
「独りで死なないでよ」
言葉通りの優しさなのだと思った。けれど、その声があまりにも重たくて。
彼の事を知らなかったら気付けなかった……身の内にある恐怖と闘っているのは、自分だけではないのだと気付く。
孤独に死と向き合い
それでも他人に手を差し出して
彼がくれた言葉は、独りの寂しさを知っている人の優しさだ。独りで死ぬなと口にできるのは、彼の心の強さだ。
それを受け取らないなんて、愚かで、残酷で。気づけなかった自分が恥ずかしくて、申し訳なくて。
また、救われた
一度目もずぶ濡れだった。あれからたくさん彼と共に歩いてきた。
死を隣に置いて、一緒に生きようと言う彼がいる。
また、ここから行こう
否が応でも、一刻ずつ別れの時は迫っている。どんなに長くても私達はあと数年しか共にいられない。
最期まで沖田さんが新選組と共にあってほしいと願う気持ちが、たとえ未来を変えたとしても。私の選択は間違いじゃないと胸を張っていたい。
「なに。また泣いてるの」
「ありがとう…ございます…」
沖田は呆れた声で溜息を吐いて、片腕で隠すように弥月を抱える。それに小さな驚きと温かな気持ちを感じながら、弥月は肩口に寄りかかった。
冷えた布越しに、沖田さんの体温を感じる。私の鼓動が大きい。私はここで彼らと生きている。
不意に頭の上に、彼の顎が乗った感覚がした。
「人間ができてる善い組長で良かったね」
「もう沖田さんの伍長じゃないです…」
「じゃあもう心配かけないでよね」
沖田さんが鼻で笑った。ここまでしてもらっても可愛げのない自分に、自分でも少し可笑しくなった。
かつて誰よりも私を疑い、私が消えることを望んでいた。今、彼はこんなに近くで支えてくれる。
弥月は沖田の肩に手を回す。
「ありがとうございます、沖田さん」
今、死んでも構わないと思った。でも、死にたいと思ってはいない。きっとこの人はそこまで分かってくれていた。
夜中に魘されて外に出た私を、心配して追いかけてくれる彼らがいる。
「斎藤さんも」
顔を上げ、振り返って彼を見る。
「ありがとうございます」
彼のことを冷たい人間のように云う人がいる。名を交わし、言葉を重ねた者でさえ、涙一つ流さずにその首を切り落とせる人間だと。
私達は必要であれば人を斬ってここまできた。斬られる覚悟、自分が死ぬ覚悟をしてきた。同志ならばそれが当然のことと、他人に強要すらした。
それで人が死ぬことに慣れたと云うのなら
こんなに必死に止めにきてくれるはずかない
朝焼けの中でも、消えない憂いた彼の表情。口下手だからと言葉を減らしてしまう彼の気持ちは時々分からない。
手を伸ばして彼にそっと触れ、深く深く頭を垂れる。
私を大切に思ってくれるあなた達は、家族と同じくらい大切だと。あなた達と一緒にいて良かったと思っているのだと、知っていてほしくて。
「俺は…」
…?
斎藤さんが何かを言おうとした気がした。けれど、その続きがない。
顔を上げて首を傾げると、厳しい顔をしていた彼の眦が下りたのを見る。
「無事でよかった」
言いたいことは山のようにあるけれど、それが斎藤さんが一番伝えたい心からの言葉なのだと。
「ありがとうございます」
この人達と一緒にいたいと、生きていてほしいと……この願いが間違いであるミライはもう受け入れられないのだと、私は自分の気持ちを改めて知った。
***
バシリと片頬に衝撃を受けた。刹那、目の前が点滅し、遅れて頬がヒリヒリと痛む。
「じゃあ死んだらいい!」
「総司!」
今すぐに死ぬのを止めたのも、髪を切ろうとしたのも本当だった。言っても栓無いことを追及されるのが煩わしくて、ぞんざいな答え方をした自覚も弥月にはあった。
けれど、弥月は呆然としていた。自分は叩かれるようなことを言ったのだ、と。
「死にたがりなんて、見てて腹が立つ。そんなに死にたいなら、今ここで楽に殺してあげるよ」
「総司、待て!」
「邪魔しないで、はじめ君」
「矢代!」
斎藤の背に庇われて、弥月は刃越しに沖田を見つめる。
音のない静かな澄んだ朝。いつの間にか暁を迎えようと、景色がわずかずつ色づいていた。向かい合う男の陰が消える。
殺される
沖田さんは本気だと、考えるまでもなく声で分かった。それなのに彼は今、泣きそうな顔で私を目に映して。怒りよりも悲しみを持った眼で私を見ていた。
こうして得物を向けられたことはもう数えきれないのに、あなたのそんな顔は初めて見た。
『沖田さんには関係ない』
あ
わたし
ひどいことを言った
「沖田、さん」
傷付けた
傷付け返すしかできないほどに深く
斬りたくないって思ってるのに
心配して止めに来てくれたのに
そんな当たり前の事を
「ごめんなさい」
もっと上手に嘘をつけば良かった。迷わなければ良かった。
どう失踪したって、いつか探される。きっと彼の人が探しに来てくれる。だから伝わる場所で自決はしたくないと思ってしまった。
だけど、それならいっそ、彼らに弔いを受ける方が、きっと彼の人の心患いにならない。安藤さんらと同じ光縁寺に入るのも悪くないだろう…芹沢さんは怒るかもしれないけれど。
切腹は惨めなことじゃない
あなた達が見届けてくれるなら
もう躊躇わない
探しに来てくれて
見つけてくれて
ありがとうございます
「弥月!」
「!?」
袴板に仕込んでいた棒状の苦無……動脈と気道を刺し貫くならこれで十分だ。顎を上げると同時に振りかぶった。
バシャ―…ン…
「――っ、う゛…」
「…――ッ」
苦無が逸らされた感触。同時に、正面からぶつかってきたものの質量に抗えず後ろへと倒れ込むと、頭から水に落ちた。
上にかぶさった人が退いて、弥月は池に溺れかけたところから、肩を持って引き上げられる。
「ぅぐっ…ゲホッ…何して…」
「――ッ、こっちの台詞だよ!!」
未だ握っていた苦無も叩き落とされ、今度は頭を叩かれた。濡れた髪が頬に張り付く。
「折角助けてあげたのに、何勝手に死のうとしてるのさ!!」
その言葉が癇に障った。今のは…頭を叩かれる謂れは無い。
「…助けて、とか…言うてないんですけどっ!!?」
「八ッ!!? 誰!いつも助けてくれてありがとうって感謝してたのは?!」
「それとこれとは別でしょ! 私は、今! 今、死のうと思ったの!」
「それが自分勝手で迷惑だって言ってるんじゃない!」
「はあぁ!? 今、私のこと殺そうとしてた人がよう言う!!」
「楽に死ねるようにって優しさが分かんないかなぁ?!」
「分かったからじゃん! 殺させるくらいなら、自分で死のうとして何が悪いんよ!」
「自分でって…! 殺したくて…、ーーーっ!」
いつの間にか、沖田さんに襟首を掴まれて、私も彼の胸元を掴んで罵り合っていた。
けれど、沖田さんは言葉を止めた。また泣きそうな顔をして、叫びたいのを堪えるようにグッと一度引き結んだ。
「なんで」
声を絞り出すように彼は言った。
「なんで死にたいのか教えて」
急な静かな問いへの答えに窮して、弥月が俯くと、両手で顔を挟まれ無理矢理に正面へ戻される。
目の前には深い翡翠色の双玉。睨むように目を合わせたのに、彼の眼は怒りよりも悲しみを、侮蔑よりも親愛を孕んでいた。
居たたまれなくなって視線を落とす。濡れた彼の髪からポタポタと、私の拳に雫が落ちていく。
「こっち見て、弥月。全部話して。未来の話なんでしょ。聞いてあげるから」
「…言ったって」
「変わらないかもしれない。何もできないかもしれない。けど、どうにかしたいって思ってるんでしょ。なら考える人は多い方がいい」
「…」
「馬鹿なんだから。独りで考えて思い詰めて、行き着く先が一辺倒なのは悪い癖」
言い返そうにも、それは言い掛かりなどではなく、ちゃんと彼は私のことを分かっていて。
「弥月」
話すまで離してもらえないと知って、ポツリ、ポツリと、弥月は言葉を吐き出した。
「梓月が…私が、私が未来の梓月を消したんです」
「家に帰ったって話だったんじゃないの。未来が見えたから彼だけ帰したって聞いたよ」
「居なかったんです。ミライに居ない事になった…梓月が生まれないことになって…」
「それはなんで分かったの?」
「…夢で見たんです。私、未来を視る鬼の血筋で、予知夢ができるみたいで…」
「鬼、ね…そんな事言ってたね」
その時、沖田は急に身体の向きを変え、「よっと」と池から出る。その間も弥月の手は離さなかった。
「ほら、上がって。馬鹿でもこの時季は風邪ひくから」
……
ものすごく話の途中だった気がして、納得がいかない。
その思いが通じたのか、沖田さんは自分の服の裾を片手で絞りながら、「その話長くなりそうでしょ」と事もなげに言う。
そうなんだけどさ…
沖田さんが風邪ひいても嫌だけどさ…
弥月が不満げな顔ままズルズルと這い上がり、縁にペタンと座り込む。すると、斎藤が「大丈夫か」と傍らに膝をついたため、渋々弥月は首を縦に振った。
沖田は「予知夢ねえ…」と独り言ちた後、渋い顔で彼女を見る。
「それ、本当に予知夢? ただの夢じゃないの。
悪夢を見て寝ぼけた頭で全部決めるなんて、いい加減、短気にも程があると思わない?」
「夢だけど、夢じゃないかもしれない。変えなきゃいけないミライかも…」
「君は今まで夢で未来を予知ができたことあるの? 未来は変わった?」
……
「…無い」
「じゃあ今はただの夢だね。あーあ…刀濡れちゃったよ。はじめ君、手ぬぐいない?」
言われて、私もそこここに入っている暗器のことを想う。乾かさなきゃ錆びる。この状況下で、持ち物の錆を心配している自分はとても情けない。
片手が塞がっている沖田の代わりに、斎藤は彼の刀の水を切った。
「だいたいさ。梓月君は未来が変わるとかそんな事気にもしてなかったから、別に良いんじゃないの」
「…?」
「君が怪我してないかが一番で。後は割とどうでも良いって感じだったよ」
「梓月は…たぶん現実感がなかったから…」
「そうかな。君と違っておっとりした子だったけど、ここで生きなきゃってちゃんと考えてたけどな。
知ってた? 梓月君って、医者みたいなのになりたいんだって。馬に乗って行く往診専門のやつ」
「…なんで沖田さんが知ってるんですか。仲良しですか」
救急車だよ
ツッコミが頭の中を駆けたけれど、この時代に生きたのなら馬や籠に乗っていくのだろう梓月を想像して、少し可笑しかったのを笑わないように努めた。
「あの子、見る目あるよ。僕に君の事よろしくって頼んでたもん」
「…そういえば、沖田さんのこと善い人って勘違いしてましたよ。ほんと沖田さんは外面が良いですね」
「弥月君が餓鬼すぎるだけ。
梓月君は賢く生き残ろうって感じがしててさ。ちゃんと君のお兄さんだったよ」
斎藤は動こうとしない弥月の髪をしぼって拭く。
視線を動かすと、傍らには抜き身の顯明連が転がっていて。手を延ばせば取れる距離だが……やる気が失せてしまった。斎藤さんがそれに気づいていない訳ないし、下手すると彼にも怪我をさせる。
「…でも、私、段々人間離れしてて、もしかしたら鬼の力が出てきたってことも」
「くどいなぁ」
沖田は言葉を被せるように言い、溜息を吐きながら顯明連を拾い上げて、弥月の目の前に膝を着く。そして峰を向けて、弥月の首に刃を据えた。
「その眉唾な力に確信ができたら、いつでも言いなよ。僕が楽に殺してあげる。梓月君と一緒に世界から消えたらいい」
一緒、に…?
言われて気付く。ここで自分が消えた後、ミライがどうなるのかなんて知り得ないのだ。確信が得られるとすれば、ミライに行くか、ミライを見続けて分岐を正すしかない。
弥月はしばらく逡巡した後に、コクリと頷く。
沖田は肩を落として、近くにあった鞘を拾い、顯明連をカチリと納める。そして再び弥月の前に膝をついて、彼女の手にそれを握らせた。
この約束を違えないと彼に信頼されて、私は刀を返されたのだと分かった。
「ねえ、弥月君」
呼ばれて目線を上げたのに、沖田さんの方がどこか遠くを見ていた。少しの間の後に、ゆらりと視線が絡まる。
「独りで死なないでよ」
言葉通りの優しさなのだと思った。けれど、その声があまりにも重たくて。
彼の事を知らなかったら気付けなかった……身の内にある恐怖と闘っているのは、自分だけではないのだと気付く。
孤独に死と向き合い
それでも他人に手を差し出して
彼がくれた言葉は、独りの寂しさを知っている人の優しさだ。独りで死ぬなと口にできるのは、彼の心の強さだ。
それを受け取らないなんて、愚かで、残酷で。気づけなかった自分が恥ずかしくて、申し訳なくて。
また、救われた
一度目もずぶ濡れだった。あれからたくさん彼と共に歩いてきた。
死を隣に置いて、一緒に生きようと言う彼がいる。
また、ここから行こう
否が応でも、一刻ずつ別れの時は迫っている。どんなに長くても私達はあと数年しか共にいられない。
最期まで沖田さんが新選組と共にあってほしいと願う気持ちが、たとえ未来を変えたとしても。私の選択は間違いじゃないと胸を張っていたい。
「なに。また泣いてるの」
「ありがとう…ございます…」
沖田は呆れた声で溜息を吐いて、片腕で隠すように弥月を抱える。それに小さな驚きと温かな気持ちを感じながら、弥月は肩口に寄りかかった。
冷えた布越しに、沖田さんの体温を感じる。私の鼓動が大きい。私はここで彼らと生きている。
不意に頭の上に、彼の顎が乗った感覚がした。
「人間ができてる善い組長で良かったね」
「もう沖田さんの伍長じゃないです…」
「じゃあもう心配かけないでよね」
沖田さんが鼻で笑った。ここまでしてもらっても可愛げのない自分に、自分でも少し可笑しくなった。
かつて誰よりも私を疑い、私が消えることを望んでいた。今、彼はこんなに近くで支えてくれる。
弥月は沖田の肩に手を回す。
「ありがとうございます、沖田さん」
今、死んでも構わないと思った。でも、死にたいと思ってはいない。きっとこの人はそこまで分かってくれていた。
夜中に魘されて外に出た私を、心配して追いかけてくれる彼らがいる。
「斎藤さんも」
顔を上げ、振り返って彼を見る。
「ありがとうございます」
彼のことを冷たい人間のように云う人がいる。名を交わし、言葉を重ねた者でさえ、涙一つ流さずにその首を切り落とせる人間だと。
私達は必要であれば人を斬ってここまできた。斬られる覚悟、自分が死ぬ覚悟をしてきた。同志ならばそれが当然のことと、他人に強要すらした。
それで人が死ぬことに慣れたと云うのなら
こんなに必死に止めにきてくれるはずかない
朝焼けの中でも、消えない憂いた彼の表情。口下手だからと言葉を減らしてしまう彼の気持ちは時々分からない。
手を伸ばして彼にそっと触れ、深く深く頭を垂れる。
私を大切に思ってくれるあなた達は、家族と同じくらい大切だと。あなた達と一緒にいて良かったと思っているのだと、知っていてほしくて。
「俺は…」
…?
斎藤さんが何かを言おうとした気がした。けれど、その続きがない。
顔を上げて首を傾げると、厳しい顔をしていた彼の眦が下りたのを見る。
「無事でよかった」
言いたいことは山のようにあるけれど、それが斎藤さんが一番伝えたい心からの言葉なのだと。
「ありがとうございます」
この人達と一緒にいたいと、生きていてほしいと……この願いが間違いであるミライはもう受け入れられないのだと、私は自分の気持ちを改めて知った。
***