姓は「矢代」で固定
第5話 よりどころ
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***
ーー…ー
耳が何かの音を拾って、沖田の意識が浮上した。
殺気はない。眠りに落ちる前と同じ、室内はまだ夜明けの遠い幽闇。見張りの交替か、誰かが厠にでも立ったのだろう。
「だめ」
弥月君か…
背後から聞こえた声。先ほどの音もきっと寝言だったのだと理解する。十数名が毎日同じ部屋で寝ているのだから、こういう事はさほど珍しくはない。お互い様だ。
別の方向からゴソリと布団をずらす音がする。僕以外の誰かも起きたらしい。
「ーーだめ…っ!」
布団を剥いで飛び起きる音。よほど夢見が悪かったのだろう。彼女の浅い呼吸と、切迫した雰囲気を感じ取る。
「梓月…」
……
悲哀を含んだ声。得られないものを切望する色。
兄が未来に帰ったことを是とし、立ち直ったように振る舞っていても、彼女が失くした縁(よすが)の大きさを想う。
「そんなの…」
「…矢代。大事、ないか?」
「…はい。少し…風に当たってきます」
「分かった」
声が止むと同時に、衣擦れと、人を避けて歩く家鳴りの音。できるだけ音を立てないようにと気遣いをするように、戸が閉まった。
…今の…は
沖田は徐に起き上がる。
「総司か?」
「…ん」
声がする位置から、はじめ君も自分と同時に起き上がっていたのだと気付く。
「すまぬ、起こしたか」
「ううん。そうじゃないけど…」
立ち上がりながら沖田は返事をする。ここで話し込んで、彼女を見失うわけにはいかない。
「はじめ君は…厠?」
「…いや」
「…じゃあ、きっと同じだよ」
斎藤はわずかに言葉に迷った後、「やはりか」と重たい息を吐いた。
戸を開け、見張りの隊士へ彼女が向かった方角を問い、火をもらう。二人そろって早足で遠くなる気配を追いかける。すると、灯りを持たないせいだろう、ゆったりと進んでいく後ろ姿を、幸いすぐに見つけた。幾分ホッとして、沖田と斎藤は同じように足取りを緩める。
しかし、隣と何か会話をする気にもならないほど、沖田は鬱々とした気持ちになっていた。
弥月君の衝動が突然だったのなら、あまりに危険だ。たまたま自分は今回の経緯を知っていて、たまたま今一緒にいたけれど、独りにするには危なっかしすぎる。
「前のときは…」
「…座ってた」
はじめ君の意図を汲み取る。彼もその瞬間を見逃すまいと気を張っていた。
後ろで話しても気付かないとはね…
この声量が届かなくても、僕らは灯りも気配も隠してはいない。普段の彼女なら着けられていると気付くだろう距離。
「夢遊病の類は」
「無かったよ。前は、ね」
薄雲に遮られて星の光の届かない路。冬の終わりに、生き物の気配は未だしない。用水路を流れる水の音がわずかに空間に響いている。
どこまで行くつもりなのか。闇の中を危なげなく歩いているのに、行き先に迷っているようで、彼女の歩調は頻繁に乱れる。止まり、進むを繰り返すその躊躇いが、僕らの懸念を確信へと変えていく。
ふ、と弥月君の足が完全に止まり、向きを変えた。そして、ポチャンと何かが水を叩く音。
彼女は泳げない
「はじめ君!」
「承知!」
同時に走り出でて、弥月の右肩を掴む。すかさず大和守安定を鞘ごと彼女の前に差し入れた。
ギギッ
ーーーっ、あ、ぶな!
鞘と刃が擦れた感触が手に伝わり、初めてゾッとした。
「!?」
「…こんなに分かりやすく跡つけられてるのに、気付かないと思ってみれば…ね」
「どういうつもりだ、矢代」
「え、あ…え?」
その手から抜き身の刀を取り上げる。斎藤が左手を掴んだのを、沖田は横目で確認した。
一振りを両手に抱えてきただけの弥月の腰に、脇差はない。
とはいえ…
油断できないのが弥月君だ。どこに暗器を隠し持っているか分かりやしない。彼女の右手を掴んでおく。
「どういうつもりか、と聞いている」
はじめ君のただならぬ怒気。これでも抑えているのだろうと察した。
「なんで…」
「こちらが問うている」
「って言うか、見慣れたよ。こっちも大概ね」
呆れた声を出すはずだったのに、存外自分の声が低く聞こえた。まだ気を抜いてはいけないのだと、身体が彼女の動きを警戒している。
「…風に当たってくるって言いました、よ、ね?」
「このような遠くまでか」
「えっ…と、まあ…」
「ちょっと言い訳には苦しいんじゃない? 抜き身まで持ってさ」
「それは、髪、切ろうとしただけで…」
……
「…は?」
「気合い入れるために、髪、切ろうとして…」
「髪…?」
僕たち三人ともが困惑していた。
そう。弥月君は焦るよりも、僕たちを見て困惑していた。
「弥月君、今…自刃しようとしてたよね」
「…してないですね」
「何故、今…髪を…」
「止める人がいるから…ここなら居ないし、思い立ったが吉日かなって…」
弥月はチラリと沖田を見る。その理由を正確に知っているはずだと。
「それでこんな所まで夜中にフラフラ出てきたって言うの? それはちょっと無理があるでしょ」
「あー…いえ…それは…」
言い淀み、しばらく黙ってから、弥月は諦めたように息を吐いた。
「…すみません。出てきた時はちょっと考えてました。私、やっぱり死んだ方が良いんじゃないかって」
「今は」
「止めました」
弥月はきっぱりと言い切った。まるで僅かも執着していないと云うように。
斎藤は困惑しながら「本当に」と問い、端的に「はい」と返事を受ける。
「嘘」
しかし、沖田は断言する。
ここまで追ってきた鬼気迫った背中…誤魔化されるものじゃない。
「見つかったからって、嘘吐かないで。次の機会を探されるなんて堪ったものじゃない。失血した上に溺死体なんて、見るに耐えないんだから」
「…嘘じゃないですよ。頭冷やそうと思って、川は探してましたけど。入水自殺するような重りもつけてないでしょ?」
平然と説明をし、足を片方ずつヒョイヒョイと上げてみせる彼女。水に浸かったと思ったそれは、池の手前で止まっていた。
けれど、その『普通』が妙に鼻についた。
「なんで止めたの」
「内緒、です」
「ふざけないで」
弥月君は黙った。黙ったということは、何か奥に押し込んだものがあったはずだ。
「じゃあ聞き直す。なんで死のうと思ったの」
「……」
「総司…」
「はじめ君、甘やかさないで。前の時だって、みんなこの子が変なの分かってて見過ごしたんじゃない」
「それは…」
「…沖田さんには関係ないじゃないですか」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
けれど、理解した。理解して、腸が煮えくり返った。
パンッ
「――ッ」
「じゃあ死んだらいい!」
「総司!」
怒りに苛まれる。よくもそんな事が言えたものだと。
関係ない と
君にとって僕は 無いものと同じなんだと
それが本音か
馬鹿馬鹿しい
思わず頬を叩いた僕の手が震えた。彼女の手を離して、刀を鞘から引き抜く。
「死にたがりなんて、見てて腹が立つ。そんなに死にたいなら、今ここで楽に殺してあげるよ」
「総司、待て!」
「邪魔しないで、はじめ君」
「矢代!」
斎藤は鞘を当てて、その刃が下りることを食い止めた。
抜き身をもった僕を呆然と見上げる彼女。見下ろす僕に、こんなに無防備な姿を見たことがあっただろうか。笑えもしない。
無いものと同じなら
僕の目の前で
僕の手で
君にとって全てが無価値であったのなら
「沖田、さん」
ポツリと名前を呼ばれる。声を聞くことすら腹立たしい。
死ねばいい
「ごめんなさい」
薄明に彼女は涙を溢した。
手を離すんじゃなかった
いつの間にか彼女は、その手に苦無を握っていた。
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ーー…ー
耳が何かの音を拾って、沖田の意識が浮上した。
殺気はない。眠りに落ちる前と同じ、室内はまだ夜明けの遠い幽闇。見張りの交替か、誰かが厠にでも立ったのだろう。
「だめ」
弥月君か…
背後から聞こえた声。先ほどの音もきっと寝言だったのだと理解する。十数名が毎日同じ部屋で寝ているのだから、こういう事はさほど珍しくはない。お互い様だ。
別の方向からゴソリと布団をずらす音がする。僕以外の誰かも起きたらしい。
「ーーだめ…っ!」
布団を剥いで飛び起きる音。よほど夢見が悪かったのだろう。彼女の浅い呼吸と、切迫した雰囲気を感じ取る。
「梓月…」
……
悲哀を含んだ声。得られないものを切望する色。
兄が未来に帰ったことを是とし、立ち直ったように振る舞っていても、彼女が失くした縁(よすが)の大きさを想う。
「そんなの…」
「…矢代。大事、ないか?」
「…はい。少し…風に当たってきます」
「分かった」
声が止むと同時に、衣擦れと、人を避けて歩く家鳴りの音。できるだけ音を立てないようにと気遣いをするように、戸が閉まった。
…今の…は
沖田は徐に起き上がる。
「総司か?」
「…ん」
声がする位置から、はじめ君も自分と同時に起き上がっていたのだと気付く。
「すまぬ、起こしたか」
「ううん。そうじゃないけど…」
立ち上がりながら沖田は返事をする。ここで話し込んで、彼女を見失うわけにはいかない。
「はじめ君は…厠?」
「…いや」
「…じゃあ、きっと同じだよ」
斎藤はわずかに言葉に迷った後、「やはりか」と重たい息を吐いた。
戸を開け、見張りの隊士へ彼女が向かった方角を問い、火をもらう。二人そろって早足で遠くなる気配を追いかける。すると、灯りを持たないせいだろう、ゆったりと進んでいく後ろ姿を、幸いすぐに見つけた。幾分ホッとして、沖田と斎藤は同じように足取りを緩める。
しかし、隣と何か会話をする気にもならないほど、沖田は鬱々とした気持ちになっていた。
弥月君の衝動が突然だったのなら、あまりに危険だ。たまたま自分は今回の経緯を知っていて、たまたま今一緒にいたけれど、独りにするには危なっかしすぎる。
「前のときは…」
「…座ってた」
はじめ君の意図を汲み取る。彼もその瞬間を見逃すまいと気を張っていた。
後ろで話しても気付かないとはね…
この声量が届かなくても、僕らは灯りも気配も隠してはいない。普段の彼女なら着けられていると気付くだろう距離。
「夢遊病の類は」
「無かったよ。前は、ね」
薄雲に遮られて星の光の届かない路。冬の終わりに、生き物の気配は未だしない。用水路を流れる水の音がわずかに空間に響いている。
どこまで行くつもりなのか。闇の中を危なげなく歩いているのに、行き先に迷っているようで、彼女の歩調は頻繁に乱れる。止まり、進むを繰り返すその躊躇いが、僕らの懸念を確信へと変えていく。
ふ、と弥月君の足が完全に止まり、向きを変えた。そして、ポチャンと何かが水を叩く音。
彼女は泳げない
「はじめ君!」
「承知!」
同時に走り出でて、弥月の右肩を掴む。すかさず大和守安定を鞘ごと彼女の前に差し入れた。
ギギッ
ーーーっ、あ、ぶな!
鞘と刃が擦れた感触が手に伝わり、初めてゾッとした。
「!?」
「…こんなに分かりやすく跡つけられてるのに、気付かないと思ってみれば…ね」
「どういうつもりだ、矢代」
「え、あ…え?」
その手から抜き身の刀を取り上げる。斎藤が左手を掴んだのを、沖田は横目で確認した。
一振りを両手に抱えてきただけの弥月の腰に、脇差はない。
とはいえ…
油断できないのが弥月君だ。どこに暗器を隠し持っているか分かりやしない。彼女の右手を掴んでおく。
「どういうつもりか、と聞いている」
はじめ君のただならぬ怒気。これでも抑えているのだろうと察した。
「なんで…」
「こちらが問うている」
「って言うか、見慣れたよ。こっちも大概ね」
呆れた声を出すはずだったのに、存外自分の声が低く聞こえた。まだ気を抜いてはいけないのだと、身体が彼女の動きを警戒している。
「…風に当たってくるって言いました、よ、ね?」
「このような遠くまでか」
「えっ…と、まあ…」
「ちょっと言い訳には苦しいんじゃない? 抜き身まで持ってさ」
「それは、髪、切ろうとしただけで…」
……
「…は?」
「気合い入れるために、髪、切ろうとして…」
「髪…?」
僕たち三人ともが困惑していた。
そう。弥月君は焦るよりも、僕たちを見て困惑していた。
「弥月君、今…自刃しようとしてたよね」
「…してないですね」
「何故、今…髪を…」
「止める人がいるから…ここなら居ないし、思い立ったが吉日かなって…」
弥月はチラリと沖田を見る。その理由を正確に知っているはずだと。
「それでこんな所まで夜中にフラフラ出てきたって言うの? それはちょっと無理があるでしょ」
「あー…いえ…それは…」
言い淀み、しばらく黙ってから、弥月は諦めたように息を吐いた。
「…すみません。出てきた時はちょっと考えてました。私、やっぱり死んだ方が良いんじゃないかって」
「今は」
「止めました」
弥月はきっぱりと言い切った。まるで僅かも執着していないと云うように。
斎藤は困惑しながら「本当に」と問い、端的に「はい」と返事を受ける。
「嘘」
しかし、沖田は断言する。
ここまで追ってきた鬼気迫った背中…誤魔化されるものじゃない。
「見つかったからって、嘘吐かないで。次の機会を探されるなんて堪ったものじゃない。失血した上に溺死体なんて、見るに耐えないんだから」
「…嘘じゃないですよ。頭冷やそうと思って、川は探してましたけど。入水自殺するような重りもつけてないでしょ?」
平然と説明をし、足を片方ずつヒョイヒョイと上げてみせる彼女。水に浸かったと思ったそれは、池の手前で止まっていた。
けれど、その『普通』が妙に鼻についた。
「なんで止めたの」
「内緒、です」
「ふざけないで」
弥月君は黙った。黙ったということは、何か奥に押し込んだものがあったはずだ。
「じゃあ聞き直す。なんで死のうと思ったの」
「……」
「総司…」
「はじめ君、甘やかさないで。前の時だって、みんなこの子が変なの分かってて見過ごしたんじゃない」
「それは…」
「…沖田さんには関係ないじゃないですか」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
けれど、理解した。理解して、腸が煮えくり返った。
パンッ
「――ッ」
「じゃあ死んだらいい!」
「総司!」
怒りに苛まれる。よくもそんな事が言えたものだと。
関係ない と
君にとって僕は 無いものと同じなんだと
それが本音か
馬鹿馬鹿しい
思わず頬を叩いた僕の手が震えた。彼女の手を離して、刀を鞘から引き抜く。
「死にたがりなんて、見てて腹が立つ。そんなに死にたいなら、今ここで楽に殺してあげるよ」
「総司、待て!」
「邪魔しないで、はじめ君」
「矢代!」
斎藤は鞘を当てて、その刃が下りることを食い止めた。
抜き身をもった僕を呆然と見上げる彼女。見下ろす僕に、こんなに無防備な姿を見たことがあっただろうか。笑えもしない。
無いものと同じなら
僕の目の前で
僕の手で
君にとって全てが無価値であったのなら
「沖田、さん」
ポツリと名前を呼ばれる。声を聞くことすら腹立たしい。
死ねばいい
「ごめんなさい」
薄明に彼女は涙を溢した。
手を離すんじゃなかった
いつの間にか彼女は、その手に苦無を握っていた。
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