姓は「矢代」で固定
第5話 よりどころ
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***
奈良に到着して、監察方三名の判断で事態を収める許可が土方さんから下りたことを、尾関伍長と川島へ伝える。すると、川島は「ほな、勘兵衛に返すしかあらへんなあ」と。
「先の副長への報告には、エタ村の財産なんおかしいって書いてんけどな。なんや、大和は違うらしくて。集落が古すぎて、太閤の検地より前から耕しとるのは、エタの持ち物っちゅうことも多いらしいねん」
「勘兵衛の借金にについても、思う所はありますが……証文もないようなので、返さざるをえませんね。まあ若い庄屋にとっては勉強代でしょう」
どうやら現地調査をしていた二人も、勘兵衛の主張の真実性は怪しいと思っているらしい。けれど、証拠がないならば、会津小鉄さんの顔を立てるのが、私たちとしては丸く収まるだろうと。
「結論が出てるのは助かります。けど、私、せっかく来たので…調査した方が良いことありますか?」
「そうですね…」
尾関伍長は顎に手を当てて、しばらく考えてから「申し訳ないのですが」と切り出した。
「矢代君は隠れてもらってても良いですか?」
「? はい。良いですけど…」
「明日、我々は庄屋へ返還の申し入れした後、帰ったフリをします。その後の彼らの様子を見ていてほしいのです」
「了解です」
そういうわけで、勘兵衛へ家屋と山林が返還され、監察方二人はエタ村の人達から大層なもてなしを受けた。その一方で、私は空き家で独り寂しく冷たい夜風を凌いで過ごす羽目になった。
逆でも良かったくない?
今更文句を言っても仕方ない。
翌日の今はというと、二人が村を発った後、勘兵衛は市場へ向かうという近所の人へ、手紙の配達を依頼している。
小鉄さん宛かな?
今回の件のお礼状でも出すのかと思って、勘兵衛らのやりとりを見ていたのだが、どうやら書状は三通ある。一通は新選組宛てとしても、もう一通はどこかが気になる。
弥月はいくらか考えた後に、笠を目深にかぶる。そして、台車で荷を引き、村を出て北へ向かうその人を追い、後ろから「こんにちは」と声をかけた。
「? ひ…ッ、お侍様!」
二本差しを目にして、男は飛び上がって地面に平伏した。
京の街中ではそのような反応をする町人が珍しいため、弥月の方が思わず一歩たじろく。しかし、隠密している身としては都合が良いことと気付き、言及せず、足元にある男の後頭部へ静かに問いかける。
「お尋ねしたいことがあって」
「はい…っ! なんの御用でしょうか?!」
「勘兵衛さんから頼まれたお手紙、見せてもらえませんか?」
「…は?」
「見せてもらうだけで大丈夫です」
男は逡巡しながら、顔を上げ、自分を見下ろす武人の姿を確認しようとした。
「頭は下げて。首を斬りますよ」
「!!」
「手紙は中を確認するだけです。貴方は何も心配しなくていい。ただ、私が検めに来たことを、誰にも話してはいけません」
顔を見られようと特に問題はないのだけれど、脅しの効果は覿面(てきめん)だった。男は身体を震わせながら、預かっている書状を胸元から出し、両手で頭上に掲げる。
弥月は三通とも受け取って、最初に【会津藩下屋敷】と宛名のあるものを広げた。
…あ、これ、無理なやーつー…
パッと見てミミズがのたくった字。かろうじて拾える字もあるけれど、解読に時間がかかりそうだ。
些か面倒に思いながら、それぞれの宛先を確認し【興福寺】【奈良奉行所】【会津藩下屋敷】を読み取る。前二枚はザッと見たところ、恐らく同じ内容だ。
ん゛ー…
「あのですねー」
「はいっ!」
「これ、読んでもらえません?」
「は、い…?」
うん、私も「なんやねんコイツ」って思うよ
男の狼狽を理解して、弥月は独り深く頷く。両手を地に着けたままの彼の前に、手紙を広げて置いて、再度音読するよう求めた。
興福寺ら宛てのものを要約すると、『新選組のおかげで家を取り戻した。庄屋から話は聞いているだろうが、あんたらは余計なことをするな。何かあれば新選組へ言いつけるからな』という内容で。会津小鉄充てのものは、予想に反せずお礼状だった。
それを聞いた私の感想としては、「おっさん調子乗ってて腹立つ。絶対なんか隠してる」である。
「ご協力感謝します。私の検閲を他言しませんよう」
弥月は男をもう一度念押しし、書状を返して解放する。
情報としてはビミョー…まだしばらく待機かな…
次の行動を考えながら、締めた笠の紐をクルクルと捻る。
さしあたり、庄屋の監視に向かった尾関伍長らと合流しようと決めたのだけれど、なぜか目の前の男が足元から動こうとしない。
「もう行っていいですよ?」
「…お侍様、儂(わし)らは…」
そこで言葉を切った男は、何かを畏れつづけていた。弥月はぐるりと周囲に視線を回すが、他に誰も私たちを見ていない。
ここに糸口がある?
「…あなたは勘兵衛と仲が良いようですね。何か疚(やま)しいことでも?」
「違…ッ、儂は!」
「儂は?」
パッと顔を上げた男と、弥月の視線が合う。すると、男は笠の下に見た武人の面立ちが、想像以上に若々しく柔らかで、驚き呆ける。
しかし、弥月はその侮りを見て取り、スッと目を細めた。
「見ましたね」
怖ァ
たかが顔を見ただけだ。言った側としても理不尽さを感じるが、脅しが効く相手であることが分かっている。
弥月は表面上の笑顔を消して、さてこの男をどうしたものかと、再び地面と向き合ってい震えている後頭部を見下ろした。
慶応二年一月二十七日
大和国の最も栄えている場所は、庭園といって遜色ない芝の生えた広場。街道が整備され、茶屋や特産品店、見世物小屋などで、人の往来が多くあった。
「弥月君、煎餅もう一束買っても良い?」
「良いですよ。まだ経費でいけると…ん、わわっ! ダメダメ、それっ、服だから食べないで!!」
「あはは! 齧られてる!!」
「なんでデカいのこっちばっかり来るの!?
私も小鹿がいい! 沖田さん、ズルい!!」
鹿に囲まれ突(つつ)かれて、クルリと回った弥月は、自分に向かってくる人物に気が付いた。
「あんた達は任務中に遊んでいるのか」
「あれ? 斎藤さんが来たんですね。土方さんが来ると思ってたんですけど…
あっ! ちょっ…ダメだって、全部食べたら!」
一頭一枚ずつ配っていたのに、束になっている方の鹿煎餅をうっかり齧られていた。
興福寺があるのは、令和で云う奈良公園。私の中で『奈良公園』といえば、大仏のある東大寺と春日大社だったのだけれど、この時代は興福寺が最大勢力らしい。
先日派遣してもらった一番組に加え、今日は興福寺で土方さんと合流するよう先触れが届いていた。
「副長が来れなかった事について、あんた達に急ぎの知らせがある」
『達』と言われて、弥月はそこらに分散していた隊士達を呼ぶ。一番組の面々は弥月らと同じように、思い思いに鹿と戯れていた。
弥月を大和国に派遣して一週間。事態は急展開を迎えた。興福寺から賀陽宮(かやのみや)、賀陽宮から容保様を通して、庄屋に山林を返還するよう新選組にお達しがあった。
そのため、斎藤は局長らに命じられ、興福寺への詫び状を持って、彼らと合流することになったのだと。
「誰だっけ、賀陽宮って?」
「たぶん偉い人じゃないですか?」
沖田は弥月に疑問をぶつけるが、弥月もフルフルと首を横に振る。
「池田屋事件のときに狙われた宮家だ。以前の諱(いみな)は、中川宮朝彦親王」
「ああ、その人…」
「なんで噛んできたんですか?」
「賀陽宮は興福寺の門主だったそうだ。庄屋とも面識があり、相談するに至ったらしい」
「…それは庄屋さんの勝ちですね」
威を借る合戦は、これで庄屋で決する。
些事は調査済みで、私達としてはどっちもどっちな話。命じられて致し方ない仕事だったのだが、勘兵衛の味方をしていた徒労感は否めない。
「それと、こちらの任務とは関係ない事だが…
再度、長州へ訊問使を派遣する人員を出すよう、容保公より下令があった」
「は!?」
「え!?」
「急ぎ発つことになった故、本日局長と伊東さんら数名は下坂する」
バッと沖田は向きを変えたが、一歩足を踏み出しただけで、そこに留まる。
「何故そのようなことに…」
隊士の一人が困惑しながら問うと、斎藤は視線を動かして、弥月を厳しい目つきで見た。
弥月は首を竦めて、恐る恐る自分を指さす。
「私…?」
「否、あんたの落ち度ではないと、先に言っておく」
何なになになに!?
「先日、伏見奉行所が坂本龍馬を追い、滞在していた船宿に押し入った」
!!
「だが、残念ながら取り逃がしたと。今はどうやら薩摩藩が匿っているという話だ」
「また薩摩か…」
「坂本は長州にいるという話ではなかったか」
「奉行所も分かっていて逃がしたなどと…なんと間抜けな」
ザワザワと隊士らが毒付く中、唖然としたままの弥月を斎藤は不憫に思う。
「あんたが追っていた長州の連中も同日に消えた」
「…――っ!」
「全員が繋がっていたと考えるのが妥当だろう……西郷はその前日、伏見二本松の藩邸に赴いていた。相も変わらず沈黙を貫いてはいるが、いつぞ掌を返すか分からぬ。
ただ、征伐よりも話し合いの機会を持つべきだとは、西郷も容保様も考えを同じとしている。故に、今一度、訊問使を派遣することになったのだと」
「薩摩は随分と白々しい話だね。長州と合議しただろうって、こっちに気取られてるっていうのに」
苦虫を噛んだような顔をした沖田。その横で、弥月は言葉を失っていた。
ただ、斎藤は彼女が動揺した理由を、正しく理解してはいなかった。
薩長同盟
薄々と感じてはいた。近々、その歴史的瞬間が来るのではないかと。
そして今、自分は知っていたことをまた見過ごすことにしたのだと……後になって気付いた。
…
…いや、後悔するのは止めよう
新選組と共にあろうと決めたけれど、それは志の話だ。
隊士として知りえもしない、できるはずもない事に手を出すために、ここに残ったわけではない。
私らしく 義を尽くす
一度瞼をきつく閉じて、深く息を吐き出す。気持ちを切り替えなければ。
「今度の特使は誰が?」
「公式には局長、参謀、尾形、篠原が随行する。監察方からも尾関を連れて行くと」
「それ、私も参加できますか?」
考えることもなく、それは口から出た。なぜか行かなければならない気がした。
しかし、斎藤は驚いた表情をしたものの、すぐに横に首を振る。
「局長からあんた達への言伝を預かっている。『一度目も二度目も、願うことは変わらない』と」
願うこと
願われていること
前回も、近藤さんから直接何かを承ったわけではない。多摩に宛てた手紙の内容を、出しに行く折に偶々知ってしまっただけだ。
新選組、試衛館、徳川家、隊士達一人一人も…それぞれの繫栄と幸福を、彼はいつでも願っている。
「分かりました」
私がする事は変わらない
隊士達が先を憂いて沈鬱になる空気の中、弥月は朗らかな笑顔で、パチンと諸手を叩いた。
「じゃあ興福寺に『ご迷惑おかけしました』ってサクッと謝罪して、勘兵衛さんをシバき回しに行きましょうか」
「丁度いい憂さ晴らしも居たもんだよね」
「ほんとに。パーで叩いて、グーで殴って、目潰しですよ」
弥月は知らなかったが、斎藤は応援に来たものの、ここの指揮権は監察方にあった。尾関伍長が大坂に下ることになったため、凡そ方針は彼女が決めることになる。
物騒な方針を半ば冗談で言った弥月と、ニヤリと笑った沖田。斎藤は隊士たちに着いてくるように指示をして、興福寺へと向かって行った。
***
奈良に到着して、監察方三名の判断で事態を収める許可が土方さんから下りたことを、尾関伍長と川島へ伝える。すると、川島は「ほな、勘兵衛に返すしかあらへんなあ」と。
「先の副長への報告には、エタ村の財産なんおかしいって書いてんけどな。なんや、大和は違うらしくて。集落が古すぎて、太閤の検地より前から耕しとるのは、エタの持ち物っちゅうことも多いらしいねん」
「勘兵衛の借金にについても、思う所はありますが……証文もないようなので、返さざるをえませんね。まあ若い庄屋にとっては勉強代でしょう」
どうやら現地調査をしていた二人も、勘兵衛の主張の真実性は怪しいと思っているらしい。けれど、証拠がないならば、会津小鉄さんの顔を立てるのが、私たちとしては丸く収まるだろうと。
「結論が出てるのは助かります。けど、私、せっかく来たので…調査した方が良いことありますか?」
「そうですね…」
尾関伍長は顎に手を当てて、しばらく考えてから「申し訳ないのですが」と切り出した。
「矢代君は隠れてもらってても良いですか?」
「? はい。良いですけど…」
「明日、我々は庄屋へ返還の申し入れした後、帰ったフリをします。その後の彼らの様子を見ていてほしいのです」
「了解です」
そういうわけで、勘兵衛へ家屋と山林が返還され、監察方二人はエタ村の人達から大層なもてなしを受けた。その一方で、私は空き家で独り寂しく冷たい夜風を凌いで過ごす羽目になった。
逆でも良かったくない?
今更文句を言っても仕方ない。
翌日の今はというと、二人が村を発った後、勘兵衛は市場へ向かうという近所の人へ、手紙の配達を依頼している。
小鉄さん宛かな?
今回の件のお礼状でも出すのかと思って、勘兵衛らのやりとりを見ていたのだが、どうやら書状は三通ある。一通は新選組宛てとしても、もう一通はどこかが気になる。
弥月はいくらか考えた後に、笠を目深にかぶる。そして、台車で荷を引き、村を出て北へ向かうその人を追い、後ろから「こんにちは」と声をかけた。
「? ひ…ッ、お侍様!」
二本差しを目にして、男は飛び上がって地面に平伏した。
京の街中ではそのような反応をする町人が珍しいため、弥月の方が思わず一歩たじろく。しかし、隠密している身としては都合が良いことと気付き、言及せず、足元にある男の後頭部へ静かに問いかける。
「お尋ねしたいことがあって」
「はい…っ! なんの御用でしょうか?!」
「勘兵衛さんから頼まれたお手紙、見せてもらえませんか?」
「…は?」
「見せてもらうだけで大丈夫です」
男は逡巡しながら、顔を上げ、自分を見下ろす武人の姿を確認しようとした。
「頭は下げて。首を斬りますよ」
「!!」
「手紙は中を確認するだけです。貴方は何も心配しなくていい。ただ、私が検めに来たことを、誰にも話してはいけません」
顔を見られようと特に問題はないのだけれど、脅しの効果は覿面(てきめん)だった。男は身体を震わせながら、預かっている書状を胸元から出し、両手で頭上に掲げる。
弥月は三通とも受け取って、最初に【会津藩下屋敷】と宛名のあるものを広げた。
…あ、これ、無理なやーつー…
パッと見てミミズがのたくった字。かろうじて拾える字もあるけれど、解読に時間がかかりそうだ。
些か面倒に思いながら、それぞれの宛先を確認し【興福寺】【奈良奉行所】【会津藩下屋敷】を読み取る。前二枚はザッと見たところ、恐らく同じ内容だ。
ん゛ー…
「あのですねー」
「はいっ!」
「これ、読んでもらえません?」
「は、い…?」
うん、私も「なんやねんコイツ」って思うよ
男の狼狽を理解して、弥月は独り深く頷く。両手を地に着けたままの彼の前に、手紙を広げて置いて、再度音読するよう求めた。
興福寺ら宛てのものを要約すると、『新選組のおかげで家を取り戻した。庄屋から話は聞いているだろうが、あんたらは余計なことをするな。何かあれば新選組へ言いつけるからな』という内容で。会津小鉄充てのものは、予想に反せずお礼状だった。
それを聞いた私の感想としては、「おっさん調子乗ってて腹立つ。絶対なんか隠してる」である。
「ご協力感謝します。私の検閲を他言しませんよう」
弥月は男をもう一度念押しし、書状を返して解放する。
情報としてはビミョー…まだしばらく待機かな…
次の行動を考えながら、締めた笠の紐をクルクルと捻る。
さしあたり、庄屋の監視に向かった尾関伍長らと合流しようと決めたのだけれど、なぜか目の前の男が足元から動こうとしない。
「もう行っていいですよ?」
「…お侍様、儂(わし)らは…」
そこで言葉を切った男は、何かを畏れつづけていた。弥月はぐるりと周囲に視線を回すが、他に誰も私たちを見ていない。
ここに糸口がある?
「…あなたは勘兵衛と仲が良いようですね。何か疚(やま)しいことでも?」
「違…ッ、儂は!」
「儂は?」
パッと顔を上げた男と、弥月の視線が合う。すると、男は笠の下に見た武人の面立ちが、想像以上に若々しく柔らかで、驚き呆ける。
しかし、弥月はその侮りを見て取り、スッと目を細めた。
「見ましたね」
怖ァ
たかが顔を見ただけだ。言った側としても理不尽さを感じるが、脅しが効く相手であることが分かっている。
弥月は表面上の笑顔を消して、さてこの男をどうしたものかと、再び地面と向き合ってい震えている後頭部を見下ろした。
慶応二年一月二十七日
大和国の最も栄えている場所は、庭園といって遜色ない芝の生えた広場。街道が整備され、茶屋や特産品店、見世物小屋などで、人の往来が多くあった。
「弥月君、煎餅もう一束買っても良い?」
「良いですよ。まだ経費でいけると…ん、わわっ! ダメダメ、それっ、服だから食べないで!!」
「あはは! 齧られてる!!」
「なんでデカいのこっちばっかり来るの!?
私も小鹿がいい! 沖田さん、ズルい!!」
鹿に囲まれ突(つつ)かれて、クルリと回った弥月は、自分に向かってくる人物に気が付いた。
「あんた達は任務中に遊んでいるのか」
「あれ? 斎藤さんが来たんですね。土方さんが来ると思ってたんですけど…
あっ! ちょっ…ダメだって、全部食べたら!」
一頭一枚ずつ配っていたのに、束になっている方の鹿煎餅をうっかり齧られていた。
興福寺があるのは、令和で云う奈良公園。私の中で『奈良公園』といえば、大仏のある東大寺と春日大社だったのだけれど、この時代は興福寺が最大勢力らしい。
先日派遣してもらった一番組に加え、今日は興福寺で土方さんと合流するよう先触れが届いていた。
「副長が来れなかった事について、あんた達に急ぎの知らせがある」
『達』と言われて、弥月はそこらに分散していた隊士達を呼ぶ。一番組の面々は弥月らと同じように、思い思いに鹿と戯れていた。
弥月を大和国に派遣して一週間。事態は急展開を迎えた。興福寺から賀陽宮(かやのみや)、賀陽宮から容保様を通して、庄屋に山林を返還するよう新選組にお達しがあった。
そのため、斎藤は局長らに命じられ、興福寺への詫び状を持って、彼らと合流することになったのだと。
「誰だっけ、賀陽宮って?」
「たぶん偉い人じゃないですか?」
沖田は弥月に疑問をぶつけるが、弥月もフルフルと首を横に振る。
「池田屋事件のときに狙われた宮家だ。以前の諱(いみな)は、中川宮朝彦親王」
「ああ、その人…」
「なんで噛んできたんですか?」
「賀陽宮は興福寺の門主だったそうだ。庄屋とも面識があり、相談するに至ったらしい」
「…それは庄屋さんの勝ちですね」
威を借る合戦は、これで庄屋で決する。
些事は調査済みで、私達としてはどっちもどっちな話。命じられて致し方ない仕事だったのだが、勘兵衛の味方をしていた徒労感は否めない。
「それと、こちらの任務とは関係ない事だが…
再度、長州へ訊問使を派遣する人員を出すよう、容保公より下令があった」
「は!?」
「え!?」
「急ぎ発つことになった故、本日局長と伊東さんら数名は下坂する」
バッと沖田は向きを変えたが、一歩足を踏み出しただけで、そこに留まる。
「何故そのようなことに…」
隊士の一人が困惑しながら問うと、斎藤は視線を動かして、弥月を厳しい目つきで見た。
弥月は首を竦めて、恐る恐る自分を指さす。
「私…?」
「否、あんたの落ち度ではないと、先に言っておく」
何なになになに!?
「先日、伏見奉行所が坂本龍馬を追い、滞在していた船宿に押し入った」
!!
「だが、残念ながら取り逃がしたと。今はどうやら薩摩藩が匿っているという話だ」
「また薩摩か…」
「坂本は長州にいるという話ではなかったか」
「奉行所も分かっていて逃がしたなどと…なんと間抜けな」
ザワザワと隊士らが毒付く中、唖然としたままの弥月を斎藤は不憫に思う。
「あんたが追っていた長州の連中も同日に消えた」
「…――っ!」
「全員が繋がっていたと考えるのが妥当だろう……西郷はその前日、伏見二本松の藩邸に赴いていた。相も変わらず沈黙を貫いてはいるが、いつぞ掌を返すか分からぬ。
ただ、征伐よりも話し合いの機会を持つべきだとは、西郷も容保様も考えを同じとしている。故に、今一度、訊問使を派遣することになったのだと」
「薩摩は随分と白々しい話だね。長州と合議しただろうって、こっちに気取られてるっていうのに」
苦虫を噛んだような顔をした沖田。その横で、弥月は言葉を失っていた。
ただ、斎藤は彼女が動揺した理由を、正しく理解してはいなかった。
薩長同盟
薄々と感じてはいた。近々、その歴史的瞬間が来るのではないかと。
そして今、自分は知っていたことをまた見過ごすことにしたのだと……後になって気付いた。
…
…いや、後悔するのは止めよう
新選組と共にあろうと決めたけれど、それは志の話だ。
隊士として知りえもしない、できるはずもない事に手を出すために、ここに残ったわけではない。
私らしく 義を尽くす
一度瞼をきつく閉じて、深く息を吐き出す。気持ちを切り替えなければ。
「今度の特使は誰が?」
「公式には局長、参謀、尾形、篠原が随行する。監察方からも尾関を連れて行くと」
「それ、私も参加できますか?」
考えることもなく、それは口から出た。なぜか行かなければならない気がした。
しかし、斎藤は驚いた表情をしたものの、すぐに横に首を振る。
「局長からあんた達への言伝を預かっている。『一度目も二度目も、願うことは変わらない』と」
願うこと
願われていること
前回も、近藤さんから直接何かを承ったわけではない。多摩に宛てた手紙の内容を、出しに行く折に偶々知ってしまっただけだ。
新選組、試衛館、徳川家、隊士達一人一人も…それぞれの繫栄と幸福を、彼はいつでも願っている。
「分かりました」
私がする事は変わらない
隊士達が先を憂いて沈鬱になる空気の中、弥月は朗らかな笑顔で、パチンと諸手を叩いた。
「じゃあ興福寺に『ご迷惑おかけしました』ってサクッと謝罪して、勘兵衛さんをシバき回しに行きましょうか」
「丁度いい憂さ晴らしも居たもんだよね」
「ほんとに。パーで叩いて、グーで殴って、目潰しですよ」
弥月は知らなかったが、斎藤は応援に来たものの、ここの指揮権は監察方にあった。尾関伍長が大坂に下ることになったため、凡そ方針は彼女が決めることになる。
物騒な方針を半ば冗談で言った弥月と、ニヤリと笑った沖田。斎藤は隊士たちに着いてくるように指示をして、興福寺へと向かって行った。
***