姓は「矢代」で固定
第5話 よりどころ
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慶応二年一月十三日
「土方さん、明後日、朝ちょっと出かけてきます。明五ツまでには戻ります」
「分かった」
夕餉のとき、弥月から外出の許可願いが出される。それ自体はそんなに珍しくもないことだ。特に、外で何かの調査をしている時は、次にいつ屯所に戻るかは土方も答えられない事が多い。
しかし、沖田はふと思いだして、弥月に問いかける。
「たまにあるよね?」
「はい、毎月十五日はだいたいその日です」
「どこ行くんだ?」
「梓月んとこ」
「そのような朝早く、先方は迷惑だ」
「診療所もまだ開いてねぇだろ」
皆が口々に『非常識だ』という雰囲気を醸しだす。それに弥月は少し考えるそぶりをして、更に米を口に入れて咀嚼し、飲み込んでから「仕方ないんです」と淡々と述べた。
「日の出の時間に居なきゃ意味がないので」
「日の出?」
「またえらく早いな」
「たぶん鬼のパワーがぎゅーんってなるんです。タイムワープするチャンスがありそうなんです」
「ぱ…?」
「鬼の…?」
「ごちそうさまでしたー」
これ以上その話をするつもりは無いのだとあからさまに態度で示して、弥月は空になったお膳を持ってそそくさと広間を後にした。
千鶴side
弥月さんとは、夕餉の後に羅刹隊の方の風呂へ行く約束をしていた。先ほどの事があったので、もしかしたら現れないかと思ったけれど、私が勝手場の片付けを終える頃に、彼はきちんと会いに来てくれた。
「終わり?」
「はい。お待たせしました」
「ん。いいよ、私が千鶴ちゃんの当番とか構わずに、急に言い出したことだから」
「いつもありがとうございます。着替えを取りに行きたいので、部屋に寄っても良いですか?」
「もちろん」
『急に』と彼は言ったけれど、こうして週に一回は誰かが付き添ってくださって、あちらのお風呂を使っている。
お手間を取らせているとは思うけれど、私の後に弥月さんや山南さんも使っていると言うから、彼らの気遣いに甘えることにしていた。
うっかり他の隊士さんと鉢合わせることもないもんね…
皆さんの口振りから、なんとなく『羅刹隊の宿舎』に山南さん以外の誰かがいる気がするけれど、秘匿されているその人と私が会うことはないだろう。
二人は不寝番の平助の誘導でこっそりと門から出て、庭園の勝手口から入る。そうして小屋に着いて、中の湯桶に手を浸けると、すでにお湯はちょうど良い温度になっていた。
「では、入ってきま……どうされました?」
「あー…いや。大丈夫」
提灯から灯明皿に火種を映して、明かりを返そうと弥月さんを振り返ると、彼はキョロキョロと辺りを見回していた。
誰かいるのだろうかと倣うけれど、外の暗がりにその姿は捉えられない。
「…あのさ」
「はい」
「今日はここ居てもいい?」
「…?」
「違う。待って。覗くとか、衣擦れの音とか、水音とかそういう趣味じゃなくて!」
普段、千鶴の入浴中に、見張りが戸の外に居るかどうかは人それぞれである。原田は近くに居るが、藤堂はや斎藤は少し離れて見える範囲にいる。沖田や弥月はそこに留まらない。
だから、覗かれるかもだなんて千鶴は全く想定していなかったのだけれど、具体的に言われてしまうと居たたまれない。
「あの、大丈夫ですので…」
「ごめん。危険とかじゃないんだけど、一応」
「分かりました」
何か気になることがあるのだろうと察する。それでもなんだか気まずくて、小さく「いってきます」と呟いたら、「ごゆっくり」と小さく返ってきた。
踏んだ床板からギイッと音が鳴る。
壁一枚隔てていても、弥月さんなら多少の音は拾えるかも……そう思うと、衣を解いて肌を露わにしていくことが恥ずかしい。彼が覗きなどしないと分かっているのに、見られているような感覚になってしまう。
代わりの音を…何か話を…
襦袢姿で髪を洗いながら、千鶴は話題を探す。すると、気になっていたことを思い出した。
「弥月さん」
「んー?」
「先程、鬼と仰られたこと…気になってて。どうして皆さんに誤魔化されたんですか?」
「んー…なんとなく…」
戸越しに分かるほど、重たい声をしていた。
やっぱりあんまり訊かない方がいいのかな…
梓月さんと、鬼が関わっているというのなら、とても繊細な問題なのかもしれない。そして、もしかしたら自分にも関係があるかと思ったのだけれど、今の反応から考えると、恐らくそちらは違うのだろう。
弥月さんは誰とでも気の置けない仲になれる人だ。そんな人でも、他人とはない兄弟の親密さがお二人にある。特に、彼らにしか分からない言葉を時々使うから、その間には入れない。
百五十年も先の未来
どんな所だろうと気にはなっている。
けれど、彼らが未来から来たのだと私が知ったのは、私の治癒力を知られてしまった時。それはまるで交換条件のようだと……彼の秘密を知るには、興味本位ではない理由が必要な気がしていた。
「千鶴ちゃんはさ、お父さんが見つかったらすぐに江戸に帰る?」
「え…」
「駄目とかじゃなくてさ。色んな事しくれてるから、私は千鶴ちゃんが急に居なくなったら困るなと思っちゃって」
突然に、そんな当たり前のことを訊かれるとは思っていなくて、当たり前の答えを返して良いのかに迷う。
「帰り、ます」
最初の目的であり、一番の目的。父様の無事を知り、共に家に帰ること。松本先生に帰東を勧められた時ですら、父様を見つけた後に『新選組に居続ける』という選択は想像しなかった。
父様が見つかった後
何度も夢に見た。父様といっしょに屯所の門の前で皆に頭を下げ、新選組に別れを告げる日。笑顔で送り出してくれる彼らに、私はきっと笑顔で泣いてお礼を伝える。
帰ら、ない?
家へ帰ることすらも選択肢の一つなのだと、今、初めて気づいた。
雪村小姓はそこで終わり……元通り、江戸での生活に戻ることは、私が望んで、選んですることなのだと。
もう、みんなの横には居られない
そんな当たり前のことを分かっていなかった……また、家で一人の生活に戻るのだと。
想像して、千鶴は何かを失くした感覚になる。
いつからか止まっていた手を、再び動かそうとも思えなかった。彼から聞き流してはいけない事を言われる気がした。
「私も同じ。未来への帰り方が分かったら、帰るつもりなんだ。梓月と一緒に」
「…そう、なんですね」
「そしたらさ、きっとみんなには二度と会えない」
え?
「皆にまた会えたら良いけど…それはきっと期待できないから…
…未来はあまりにも遠くて…繋がってない」
ここではない遠い場所に思いを馳せる声に、ツキンと胸が苦しくなる。
それでも彼は家に帰りたいんだ
いつか別れの日が来るのだと……それを突きつけられた私の寂しさなど、彼の人生には関係がないのだと思い知らされる。
私も江戸へ帰るって言ったのに
言葉にならない悲しさ。縋りたい気持ちを誤魔化すように、糠袋でゴシゴシと身体をこする。
「最初からそう言ってるんだから、私が『帰る』って言ったら、みんなきっと『良かったな』って言ってくれる」
千鶴も弥月も同じような自分の姿を想像していた。
「でも、それってさ…」
言わないで
「寂しいよね」
別れを告げる方も、残される方も
永遠の別れになりうるのだと 私達はもう知っている
「明日はその方法を探す日でさ。なんか…ね」
「そう、だったんですね…」
弥月さんが説明したくなかった気持ちが分かった。皆と別れる方法を探しているだなんて、理由があるにしても楽しい話ではない。
「私、欲張りで、好きなものが沢山あってさ。選ばなきゃいけない時にどれも捨てられなくて、全部大事にしたくて…
でも、これだけは…『今』か『未来』か選ばなくちゃいけないから」
「どうしても……帰ってしまわれるんですか?」
こんな訊き方卑怯だと思ったけれど、私の「別れたくない」という気持ちは本心だった。
「まだ方法すら分かってないんだけど、ね」
だからいつになるか分からないのだと、けれど別れる日が来るのだと、弥月さんは穏やかに言う。
その答えに、私は「そうなんですか」と相槌を打つのが精一杯だった。
声が震えてしまわないように、震えても彼に届かないように水音を立てて隠す。そうして、瞼から溢れ出る気持ちを、熱い湯で洗い流した。
***