姓は「矢代」で固定
第5話 よりどころ
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慶応二年一月上旬
私は昨日から走り回っている。
昨晩、林監察方から身元を偽る西側の浪士がいると連絡が入り、その追跡を土方さんに依頼されて夜に祇園へ向かった。滞在場所の確認ができたら、一旦屯所に戻ってきて報告。とんぼ帰りして監視に入った。そして翌夕までに、勤皇派中核ではないが、本国の動きを待っている者達のため、しばらく泳がせておこうと判断した。
屯所に戻ろうと、欠伸をしながら夕方の町を歩いていると、五番組が巡察をしていて。彼らを見て踵を返した人を見つけて追った。それは単純に無銭飲食、スリの常習者で…奉行所までお連れした。
夜にようやく屯所に戻ってきたら、新八さんらが急いで火事現場に向かおうとしているのと行き逢った。火事なら付いて行くしかない。数件燃えたが、破壊や消火に人手があり、大火にはならずに済んだ。
私、いつから起きてる?
今は深夜。
昨晩は監視中に仮眠もしたが、そろそろ目を開けているのが限界だった。いつからかずっと気分も悪い。明らかに寝不足だ。
「おかえりなさい!」
「死ぬ…水…死ぬ…」
千鶴ちゃんの声を聞きながら、門を入ったところで転がる。
もう無理、もう歩けない
脚が棒だ。誰も担いでくれないし、戸板に乗せてもくれないから、気力だけで帰ってきた。
途中、道端で休んでから帰ろうとしたら、沖田さんら一番組の面々に引っ張り引きずられたから、仕方なく皆と共にここまで辿り着いた。
弥月がそこに倒れたのを皮切りに、何人かが同じように、門を入ってすぐにへたり込む。そのすぐ後に帰ってきた原田が、「おまえら邪魔だ」と半ば蹴るように、隊士をどかして道を作っていく。
寝ずに待機していた千鶴は、用意していた水を注いで慌てて弥月へ渡した。
「水です! どうぞ!」
「ううぅ…」
受け取った湯呑みを横になったまま煽る。こぼした分が顎や頬を伝ったたが、今さら水滴を気にするほど身綺麗ではなく、全身がホコリやら灰やらでドロドロだった。
「早く風呂入りてえ」
「お湯沸いてます」
「よっしゃ! でも、どこの組からだ?」
「組長がジャンケンだろ」
「十番組は水かかりに行くぞー」
「うっす」
「冷たそー…」
「あー…疲れた」
「腹減ったな」
私も…ごはん…
「おにぎりありますよ、一人二つずつどうぞ!」
「ありがてぇ!」
「俺、このまま布団入りてぇよお」
「汚ぇし煙クセェから着替えろ。頭洗え」
「うお!? 弥月、邪魔!」
「無理、もう無理。頭痛い。寝る」
「二番組で最後ですか?」
「知らない」
誰が喋ってるのか、自分に話しかけられてるのかどうかを判断することもできやしない。通りがかりの人の声を、耳が全て拾う。
煙を吸ったせいか、叫び、頭をフル回転しつづけたせいか、さっきから頭も痛い。
ムリ寄りの無理
他の隊士たちが組長に叩き起こされ、仕方なく立ち上がる横で、弥月は「放っておいてください」と門番に言いながら、意識を手放した。
しばらくして帰宅者の列が途切れた後も、言いつけ通り誰も彼の世話を焼かなかった。一度、千鶴が声をかけたが、多数に「放っておけ」と言われ、連れて行く術もなくそっとしておくしかなかった。
そして、屯所の空気が静まってから、ザリッと小石を踏む音が彼に近づく。
「あらあら…とても頑張って来たのねぇ」
提灯や灯篭にうっすらと照らされた門の前で、地面に放置されたままの弥月を見つけて、伊東は傍らに腰を下ろす。
弥月の顔は煤で汚れて、前髪は汗で額に張りつき、金の尾は乾燥と灰でバリバリに乱れていた。
「一生懸命で美しい…やはり良い若者ね。あなたもそう思わない?」
伊東が懐から手ぬぐいを出して頬を拭うと、煤で浅黒くなっていた頰が、そこだけ白く澄む。
「オレは馬鹿は嫌いだ」
「ふふっ…あの山南さんの懐刀がそのはずがないと、あなたも分かっているのでしょう」
天真爛漫さの下に見える強かさ。私の講義を聞いているときの達観的な眼。
この子は心の底では、どこにも属していない
「落としものは、拾った人のものになるかしら」
曇った鈍い黄金色に手を伸ばす。
磨けば更に光り輝く
玉に相応しい場所はどうかしら
「その汚い落としものは、元上司が拾っておきますから。参謀様がお手を汚す必要はありませんよ」
空気を割くように、真っ直ぐに向かってきた声に手を止める。顔を上げると、風呂に入ったばかりなのだろう、肩に手ぬぐいをかけた青年。
沖田総司さん
彼はいつも通り口元だけで笑んで、敵視を隠さずに私を見ていた。
「…そうね、もう少し身綺麗になってからでも遅くはないかしら」
伊東は寝ている少年を横目に見ながら、腰を上げ、音もなく一歩下がる。
「そうそう……こちらの弥月さんは時々美しい金工の簪を差していらっしゃるけれど。外国では水晶よりも硬い、色とりどりの鉱石を加工する技術があって、彩のある小物を指、服につける文化があるそうですわ。
彼なら贈り物をしたら、その価値を理解して下さるかしら」
「…僕に聞かれても」
「彼と親しいのでしょう? ご参考までに」
「…さあ? 僕なら、剣を振るときに邪魔な物は持ちたくないですけどね」
「あら。あれほど洗練された美しい剣技をして、仰ることは武骨ね。誰かさんによく似ていらっしゃる」
沖田の鋭い目に、伊東はクスリと笑いかける。
主人に忠実な子
牙を隠す斎藤君とは仲が良いのに、真逆の立ち回り方をする。
沖田総司も手に入れたい玉ではあった。しかし、彼はすでに鍛え磨かれて、これ以上細工の仕様がないほどに作品として仕上がっていた。
「希少で美しい鉱石ほど、価値が高いのですって」
「ただの石なんでしょう」
「金も元は山や川に転がっているもの。石ころに価値をつけるのは私達人間ですわ」
「…先に拾ったのは近藤さんです」
「あら。まだ磨かれていない河原の石に見えますけれどね」
伊東はそう言って踵を返した。鈴木も組下のいる不寝番の門へと向かう。
沖田は彼らが遠くへ行ったのを確認してから、足下の弥月を見下ろした。
「その辺で寝るなって、僕言わなかったっけ?」
もう少し来るのが遅かったら、鈴木三木三郎に抱えられ、伊東の部屋に連れて行かれていただろう。無防備すぎてゾッとする。
直接、伊東甲子太郎と言葉を交えたのは久しぶりだったが、控えている弟を含めて、やっぱり実力の底が見えない。何度か稽古を観はしたが、誰相手にも本気を出していたことは一度としてなかった。
伊東さんは大様で慎ましやかな様相を呈してはいるが、自分が掌握できないものはないと眼で語る。
彼女…彼を手の内にしたい、と
「希少価値、ね」
それは減りはしないが、人の欲しくなる気持ちを掻き立てるだろう。
知らず、溜息が出る。
「起きて」
「…」
「斬られたくなかったら、今すぐ起きる」
頬をペチペチと叩くけれど、スースーと寝息が返って来るだけで、目を覚ます気配が全くない。
「沖田組長、どうしたんで…って、ああ。それっすか」
沖田が戻ってこないことを心配して、蟻通伍長が様子を見に来た。
「これ。起きないんだけど、どうしたらいいと思う?」
「持ちましょうか」
「…いい」
傍らに膝をついて抱え上げる。蟻通は弥月の背から刀を取った。
「重…」
「監察のとこっすかね」
「どうせまた頭痛いとか言い出すから、治療室放りこんどくよ」
「確かに。そんなことありましたね」
蟻通はクックッと笑い、「あの頃は毎日御二人を見てハラハラしてたっす」と揶揄うように言う。その様子に彼も気安くなったものだと、沖田はふと思う。
弥月君が一番組にいた頃……祇園の火事からはまだ一年も経たない。随分と前の事のように感じる。
その時、行く先に灯りがゆらりと動いて、誰かが自分達の方へ向かってくると思えば。行灯を持った土方の姿を先に捉えた蟻通は、「お疲れ様です!」と子気味よく挨拶する。
「…なんでお前がそれ持ってんだ」
「…なんででも良いでしょ」
また面倒くさいのが来た
「それに用があってな。門の所で寝てるって聞いたもんだから、起こしに行くところだったんだが…」
「じゃあ」
条件反射的に「あげます」と言おうとした。けれど、投げるように渡した後、彼が意地になって落としもせず、彼女を抱えていくであろう姿を想像して不愉快な気持ちになる。
「…起きませんよ、どうせ」
「起こせ」
「副長、無理なんっすよ。この状態の矢代さん、叩いても蹴っても、起きるまで起きませんって」
ハハッと空笑いする蟻通と、頷く沖田。土方は試したことがあるのだろうと察した。
「…急ぎならどうする」
土方の質問に、沖田と蟻通は顔を見合わせる。
「やる?」
「ええ…俺、嫌ですよ…絶対怒りますもん」
「僕は構いませんけど。ま、土方さん自分でやってくださいね」
「…どうすりゃいいんだ」
「簡単ですよ」
付いてこいと言う風に、沖田は向きを変えて再び歩き出し、土方はそれに続く。蟻通は断りを入れずに離れたのだが、二人はそれを止めることもなかった。
そうして屋外に出た沖田らは、井戸の前に立つ。
「…水かけるのか」
ようやく土方は矢代を気の毒に思った。
立春は終わったばかりで、なんなら今が一番寒い時季。氷のように冷たい水を寝ているところに掛けられたら、そりゃあ起きるし怒るだろうと。
そこまで今は急ぎじゃねえんだが…
起こし方は訊いてみただけだった。
浪士の監視に行っているはずの矢代が、屯所に戻ってきていると聞いたから、報告をしろと言うために探していたのだ。火事場へは屯所から同行したと新八から聞いたから、監視を終了させて帰還したのだとは分かっていた。報告を後回しにして寝ているのだから、きっと急ぎではない。
「水も掛けるだけじゃ起きないんですよねー」
そう言いながら、総司は地面に彼をおいて、自分の肩にかけていた手拭いを手に持つ。そして、雑に畳んだそれを彼の顔に乗せた。
「はい。これでどうぞ」
「…」
どうぞ、って…
「死ぬだろ」
「死ぬ前に息苦しくなって跳び起きますから、大丈夫ですよ」
「お前なぁ…」
「僕としては、馬鹿みたいに開いた口に注がないだけ優しいと思いと思いますよ」
楽しそうにニコニコと言う総司と、手ぬぐいの下で口を開けたまま寝ている矢代。これでよく三ヶ月も寝食共に過ごしていたものだと、今更ながらに感心する。
小さく溜息を吐きながら、「やっぱり後でいい」と断った。
「言ってる間に、起きるだろ」
「えー、折角準備したのに」
唇を尖らせてぶつくさと文句を言い、手ぬぐいを剥いで現れた顔を見ながら、沖田は「残念」とニヤリと笑う。
「よっ…と」
それから、再び総司は彼を抱えた。
「だから、なんで持ってんだ?」
「…なんででしょうね」
普通に考えれば、冬空に寝かせておくのが忍びないという話になるが……総司に限って、矢代相手にそう言うとも思えない。けれど、風呂に入った後であろう総司が、明らかに汚い矢代を抱えているのは、それなりに理由があるのだろう。
「怪我してんのか?」
「…じゃあ、そういう事にしておきます」
「なんだそれ」
「…落とし物を自分のものにする、タチの悪い人がいるんですよ」
「誰の落とし物だ?」
「誰って…」
前を歩きだした沖田は足をピタリと止める。視線を明後日に放りながら、首を捻った。
「誰でしょうね」
「は?」
「近藤さんかと思ったんですけど、そんなの言われても、きっと近藤さん困るだろうなあって」
「…山崎じゃねえのか」
土方の嫌そうな声に気付いて、沖田は「ああ」と息を溢して振り返る。
「そうですね。山崎君がイイ思いするなら、僕が拾ったってことにしとこうかな」
「…」
「やだなぁ。そんな畜生の交わいでも見るみたいな顔しないで下さいよ」
「…似たようなもんだろ」
「僕らを捕まえて? この子も……ほら、見た目だけはこれでしょう? 天女と誉れある土方さんより取っつきやすいから、結構人気あるんですよ」
沖田は弥月を少し持ち上げて、その髪に顔を近づける。自信のある笑みを湛(たた)えて、舐めるように土方を見た。
「お前まで気持ち悪いこと言うなよ」
「僕もそう思います」
「…お前、どっちなんだ」
「ご想像にお任せします」
想像させるなと思った土方の歪んだ表情を見て、沖田は満足する。
「見合いの話、そろそろ受けるか?」
「…は?」
「日野に帰ったときに、お前のそういう話はどうなってんだって言われてな」
「寝言は寝てから言ってください」
「てめえの姉夫婦に言え。それに、んなこと言うなら、たまには実家に文でも出してやれ」
「…はいはい」
実家の話を出されて、どうやら形勢が悪くなりそうなことを沖田は悟る。今度は土方に付いて来るなと言うように、スタスタと大股で歩き去った。