姓は「矢代」で固定
第4話 わたしのお仕事
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慶応元年十二月初旬
「どこへ行きますか?」
「!」
息を呑む気配がした。
雨の夜、男は灯りも傘も持たずに、蓑(みの)と笠でここまで来た。そして洛外へ出ようとしている。
それを問う弥月自身も灯りを持たずに、その背を追ってきた。
「ここから先にご用事が?」
「…ああ、知り合いの家があって」
「そうですか。門限を越えていますけれど、どのようなご御用向きで?」
「…急ぎの届け物を。組長に許可は願い出ている」
「左様でしたか。それはどちらの組長に?」
男は黙る。これはありえない質問だった。
「まだ間に合います。これが最後です」
「矢代さん、見逃してくれ」
男の声は震えていた。
初夏に入隊してから、彼も見聞きしてきただろう切腹や斬首の顛末。それを分かっていて尚、こうして背を向ける。
それ以外の方法がないから
冬の冷たい風が鳴く。
ポツポツと降っていた雨足が、少しずつ強くなっている。
男は走り出した。
ごめんなさい
私は遠ざかる男の背を静かに見つめる。彼は夜闇に紛れる間もなく、急に速度を落とし、勢いを失って後ろ向きに倒れた。
弥月はゆったりと歩を進めながら、そこに現れ竚んでいる斎藤に目礼をする。そして横向きに丸まって、痛みに呻いている男の傍らに膝をつく。顎に結ばれていた紐をほどき、ずれていた笠を外すと、男の顔がよく見えた。
「残った選択肢は二つ」
伊東さんが京に居れば、訓育の選択肢があっただろう。
私と共に帰れば、変若水の選択肢があった。場合によっては、無かったことにしたかもしれない。
「斬首か、切腹か」
男は喘ぎながら、手探りに私の袴を掴んだ。
「ーーッ、毛唐人が!」
苦痛に顔を歪めて、視線を上げ、憎み嘲る顔で私を睨んだ。
「内股膏薬とは面白い言葉と思わぬか、あたかもお前のーーーッヴぁっ」
ぐるりと男の眼球が回る。
斎藤さんが男の口を貫き、地面に刺し留めた。私は聞くに耐えない誹りを受けたのだと理解する。
「…」
「まだ尋ねるか?」
男は死んではいない。斎藤さんの刀を抜けば、質問に答えられはするだろう。
……
斎藤の問いに、弥月はフルリと首を横に振った。
苦無を手に握り、反対の手で顎の下の軟らかい部分を晒す。ここに動脈が走っている。
ドッ
「…斎藤さん」
「左手ではしにくかろう」
今ので二度目。上から垂直に刃が降ってきて、私の視線の先を貫いた。
確かに、男の身体の向きに合わせて、私は仕方なく苦無を左手で握ってはいたが、動脈を刺し抜く位の力はある。それを分かった上で、斎藤さんは嫌な部分を自ら負った。
「抜くぞ」
私は返事をせずにわずかに身体を引く。脈動に合わせて吹き出すものを避けた。
男は口を縫われたときに、完全に気絶したようだ。そのまま覚醒することもなく、ビクンと一度身体が跳ねただけで静かになった。
血は雨に薄まり、どこまでも広がっていく。返った笠には雨水が溜まっていった。
失血で致命傷になる程度にしばらく見ていた後に、弥月がしゃがんだままであることを斎藤は訝しんだ。
「矢代?」
「…」
弥月は立ち上がって、改めて男の背側に膝を着き、刀を抜いて男の髷を落とす。
「それは?」
「…光縁寺に」
斎藤さんはどんな顔をしただろうか。
咎められなかったので、広げた懐紙に髪を包んで、胸元にしまった。
この男と親しく話したことはなかったが、竹刀を振る姿を知っていた。
江戸の小さな商家の三男で、身を立てるために募集に参加したのだと聞いた。剣術の才がなく、あまり賢くもなく、裏での妬みや僻みが目立ったが、経歴はごく普通の青年だった。
『死ぬほどの事だったのかな』
兄の声で再生された問い。
わずかに感じた吐き気を、気の所為と思う。
「斎藤さん、先に帰ってください」
「…矢代、首以外なら捨て置けと言われただろう」
「屯所には持って帰りませんよ。怒られたくないので」
もし殺したのなら、首だけを持ち帰れという命令。それを断ったら、全て捨て置けと言われた。
運が良ければ近くの寺院で埋葬されるだろうけれど、大方、鳥や獣の餌となり腐敗していく。
「近くに火屋のある寺があるので、そこの前に放ってくるだけです」
「…」
「都市衛生上、良くないです」
手足を縄で簡単にまとめて背負うと、肩にかかる人一人分のズシリとした重み。そして、まだほのかに暖かい身体。
滴り道になる赤い標は、雨が洗い流してくれるだろう。
「…手伝わぬからな」
「構いません。けど、それだけ…刀、適当に差し込んでもらえると助かります」
背負うのに邪魔で、男の腰から外した刀。質に入れたら多少の金にはなるだろうから、寺への供養代だ。路銀も敢えて回収はしない。
斎藤は何も言わずに、それを男の脇に抱えさせた。
「…やはり、向いていない」
聞こえるかどうかの大きさで、斎藤さんに言われたそれ。私の方が、溜息とも呆れともなく小さい息を吐く。
監察方の仕事として、少し前から私が預かっていたこの事の成り行き。
斎藤さんは事前に私に協力するよう、土方さんの指示を受けていた。先程脱走の知らせをして協力を仰いだ時から、どうにも不満気な様子である。
「烝さんと違って、特命では頼りになりませんか?」
「…山崎もあんたにこの手の事は頼まないだろう」
「まあ…でも、私も監察方ですから」
弥月がそれが役割だと言えば、斎藤は言い重ねない。
手伝わないと言いながらも、差した傘を少しだけ傾けて、自分に着いてくる斎藤さんに気付いて、わずかに私は口元を綻ばせた。
***
「おかえり。遅かったね」
「…ただいまです」
私とは別で、先に帰った斎藤さんが、土方さんへの報告を済ませている。だから、できれば誰にも会わずに床に着きたいと思っていたのだけれど。
なぜか監察方の部屋に灯りが点いていて、沖田さんが部屋に居た。
寝っ転がって、弥月の来室とともに起き上がった沖田は、手にいつもの本を持っている。
「はじめ君はそのまま帰ってきたけど、遅かった理由はそれ?」
「……」
「そんな上から下まで洗わなきゃいけない状態だったの?」
「…何のご用事ですか?」
質問を無視して、溜め息交じりに問いを投げる。
彼の言う通り、雨だけでなく、男の血で全身濡れていたので、監察方の借家の方で洗い流してきたのだ。あれでは羅刹隊用の風呂も使えない。
そして、ふと気付く。室内が暖かい。
火鉢…
「土方さんも僕に言ってくれたらいいのに、なんではじめ君に言っちゃうのかなぁ」
「さあ…」
弥月は気のない返事をする。
その答えは、沖田さん以外の人達は察している。沖田さんもその事実を認めたくないだけではないだろうか。
「っていうかさ、寒いから閉めてくれる?」
「…」
私はまだ廊下に立っていた。
癪ではあるけれど、言われるままに障子を越えて室内に入る。髪が濡れているし、雨に濡れた足も冷たいので、部屋が暖かいのはとても助かった。
「それで。沖田さんは何のご用事ですか?」
「一番組、不寝番なんだよね。暇でさ」
「…なら、番してください。仕事です」
「イイ感じに仕上がってたら、夜稽古の相手してもらおうと思ってたんだよね。
はじめ君には、明日午前の巡察があるからって断られちゃったけど」
「…」
意味は分かった。けれど、そんな気にはならない。
「私も汗流してきたところなので、遠慮します」
「動き足りないんじゃない?」
「…」
どこまで…
斎藤さんが話すとも思えないから、土方さんへの報告を聞いていたのだろうか。発句集を持っているし、その可能性が高い。
先程の任務を知っている理由が何であろうと構わないけれど、仕方なく処刑しに行っただけの私達を、狂人扱いしないでほしい。
弥月は沖田の存在を無視するかのように、押し入れを開けて布団を敷き始める。
「ちょっと」
「疲れてるので寝ます」
布団を敷き終えて、立ち上がる気配のない彼の肩をグイグイと押して出ていくように促すと、迷惑そうにその手を掴まれる。
てか、迷惑被ってるのはこっちなんだけど
「冷た…」
「……沖田さん、熱ありません?」
雨に打たれて、身体が冷えている自覚はあるけれど。それを加味しても、沖田さんの手はやたらに温かかった。
「馬鹿なの。君が冷たいんだって」
…いや、これ、熱あるんじゃない?
労咳は微熱が続くのだと、松本先生が言っていた。寛解することはあるが、完治はしないと言うから、彼が発熱してる可能性がある。
秋以降、咳をしている姿は見かけないけれど、冬は彼の大敵なのだと近藤さんが心配していた。
「これ、どっちが死人か分からないでしょ」
「ちょっと失礼しますね」
「は…」
沖田さんの前髪を分け、屈んで自分の額で、彼の額に触れる。不本意だが、私の手が冷たいのなら仕方ない。
「無いような、有るような」
「…」
手で測っているときよりも触れている面積が小さくて、今ひとつハッキリと感じられない。その微妙な温度感を探る。
…
…分からん
これで分かったらスゴくない?
額を離して、じっと彼の顔を見る。
「最近は体調悪くないですか」
「…そっくりそのまま君に返すよ」
「私は元気です。途中で濡れてちょっと寒かっただけですから」
「そう……なら、もう寝たほうがいいかもね」
「最初からそのつもりです」
誰のせいだとまでは言わないけれど、ようやく出て行ってくれるようで、ホッとした。
けれど、立ち上がった沖田さんが、敷居を越えて障子を閉める時にピタリと止まる。「そこ」と言って、火鉢の方を見ている。
「石、入ってるから」
見ると、火鉢の中に炭とともに手ごろな大きさの石が入れてあった。丁度、パチリと炭が爆ぜる音がする。
そして障子が閉まった後に、ようやくその意図を理解して、他に誰もいなくなった部屋で「ありがとうございます」と小さく言った。
ありがとう
彼は戯れでも、嫌がらせでもなく、心配してくれていたのだと理解する。きっと斎藤さんにも同じように声をかけたのだろう。
分かりにくい人…
弥月は押入れの私物の行李から、小さな巾着を取り出す。
三粒だけね
歯磨きは先ほど終わらせてきたので、小さな背徳感を感じつつ、金平糖を口に放り込む。
何を含んだわけでもない、口の中の気持ちの悪さを柔らかな甘さで誤魔化して、弥月は布団に潜り込んだ。